超常的な力に憧れる人は、その憧れによって墓穴を掘りがちです。
たしかに不思議な力、超常的な力は存在しますが、その舞台裏はおどろくほど普通なのです。普通すぎるほど普通です。
もっと普通で、もっと基本的なことを大事にすれば良いのに、つい神秘的に見えることを追い求めてしまいます。
たとえば、、、目は目でも第三の目で気を視覚化してしまうような愚にもつかないことをしてしまいます。
気の視覚化でサードアイを使ってはいけません。
ちょっとばかり気功の神秘の世界の端緒でうろうろしたくらいで、知ったような口を偉そうにきくと馬脚を表します。
シンプルに基本を確認しましょう。
まず気の視覚化とは、共感覚です。
共感覚の一つが気の視覚化です。
共感覚というのは、たとえば光を音として感じたり、音を光として感じることです。いわば混線のようなものです。脳が未分化な状態の名残ではないかと「まといのば」では考えています。
気功における共感覚というのは、言うまでもなく情報を五感にマッピングすることです。
情報が光として認識されたり、音として認識されたり、味として認識されたり、匂いとして認識されたりすることです。
ちなみに一番多いのは触覚で認識することです。ですので、気の玉のワークから丁寧にやることが多いです。「手を作る」ことが重要なのも、手が共感覚の入り口になるからです。より厳密には手の触覚が共感覚の入り口になります。
手で情報を感じるのです。
(そのときに「手は手でも、第三の手で感じましょう」と言ったらアホだと感じるでしょう。でもサードアイだと何となくそんな気になってしまうのでしょうか、、、。
気の視覚化というのは、まさにその言葉の通りで、気という情報を視覚に混線させる作業です。すなわち、気を視覚化したいと思ったら、すなわち気を観たいと思うならば、よく見るしかないのです。
サードアイではないリアルな目で見るしかないのです。
第三の目とかサードアイとか、アジュナチャクラとか、松果体(という目の前駆物質)とか、上丹田というのは、たしかに情報空間を観るには有効ですが、気を視覚化しようと思ったら、第三ではなく、第一と第二の目を使いましょう。
*松果体
気の視覚化という言葉とサードアイが目であるということに飛びついて連想ゲームのようにして、「サードアイで気を観よう」と思ってしまうのは素人さんにはありがちな短絡的思考ですが、もっと定義にさかのぼってノリではなく、論理で考えましょう。その目の奥の臓器をしっかり使って考えた方が良いと思います。
(それがベテランと目されている人の発言であれば、大問題です)
なぜこのような簡単なミスが繰り返されるかと言えば、そのヒーラーが無知なのに傲慢だからです。いや、無知だから傲慢なのか。
実際に気功を使うことなく、頭の中で理屈を捏ねくり回しながら、自分勝手な妄想の世界に安住しているからです(それでもコミュニティがあり、そこで嘘でも騙されるクライアントに囲まれてしまうのが悲惨です)。でも、嘘は害悪ですし、間違いは間違いです。騙されたクライアントたちもいつかは気づきます(いやすでにおかしいと感じているでしょう)。
もっと現実の世界の中でしっかりと闘いましょう。実際に社会に機能を果たしましょう。
いつまでも穴蔵にこもっていて人生を終わらせるのが自分のゴールなのか、それとも現状なのかをしっかり考えましょう。
恥を恐れずに、若いメンバーの中で、揉まれて成長しましょう!