米津玄師さんが凄いと思うのは、ご自身の大ヒット作を模倣することなく、ひたすらに過去の偉大な他人を模倣しようとすることです(褒めています)。
Lemonを模倣して、Orangeとか作ったりしないのです(作るわけないか)。
ピカソが、多くの人は自分自身の過去を模倣するが、私は他人を模倣する、、いや他人から最も良い部分を盗むと言います。実際に、彼は友人の作品を見て、そのイデアを見抜き(その友人がやりたいことを即座に見て取り)、翌日にはその友人がやりたかったことをより洗練させた形で提示したそうです。翌日に、、、。
だから、ピカソには描きかけの作品を見せるなと周りから言われていたそうです。
ただ、その気持も分かりますが、もし自分がやりたいことのイデアというか理想形を、悪魔的な力を持つ人が見せてくれるのであれば、それを是非観たいと思うのが人情というか、ゴールがある人のあり方ではないかと思ったりします。
小さな世界で生きていってどうするのと最近とても強く思います。
自我が崩壊したとしても(それが何を指すのか別として)、もっと広い世界を観たいと思うのが人情というか、ゴールを本気で抱く人の狂気ではないかと思います。
米津玄師さんの『死神』を見たら、もちろん立川談志さんの落語の『死神』を観たくなります。
とても良いですね。
談志師匠の落語を楽しんだあとに、米津玄師のPVを観ると、しみじみと米津玄師さんの凄さが観えてきます。本当に凄い。そして談志師匠も凄いですね。
生き様が出ますね、仕事には。
Iwaki Ballet CompanyのTOSCAは再演が決まっているそうですが、あの初演のTOSCAはあの一回で終わりのようです(1回というかあの2日間ですね)。再演の際はまた振り付けや演出が、ガラッと変わりそうです。もしかしたらフルオーケストラになったり、素晴らしいオペラの歌声が生で披露されたり、オペラと同じく3幕になるかもという話が聞こえてきます(どれも実現すればすごいことですが、大変なことも良く分かります)。
でも、変わることは確実なのでしょう。
まさにその瞬間にしかない芸術としてバレエは存在します。
ロウソクの炎が消える瞬間に強く燃え上がるような、そんな感じが舞台芸術にはつきまといます。
余談ながら、小学校の頃に、塾の先生が「一期一会」という言葉を教えてくれました。
あまりに騒ぎすぎる塾生たちに向かって、淡々と「一期一会」の意味を(どうせお前らはこんな言葉を知らないだろうから、と)教えてくれました。たしかにその先生とは一期一会でしたし、今でも「一期一会」という言葉を観ると、その先生を思い出します。
イエスがマグダラのマリアに(罪の女)に香油で足をオイルトリートメントされているときに、ユダ達は凡庸にも怒ります。
そんな貴重な香油を無駄に使うな、と。そのお金でどれだけの人が救えると思うのだ、と。
その言葉の意図はともかくとして、その限定合理性は良く分かります。たしかに彼らの狭い価値観の中ではその考えは正しいのでしょう。しかし、もっと大きな絵で見たらそれは間違っているのです。
貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。(マタイ14:7)
後悔の無い人生を送らねばと思いますね、死神はいつもそばにいます。