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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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そうか、ルーはフットボールコーチだよな。自分と同じ畑でどこまでも勝利を目指した人だよな…

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トレーナーから「これ面白いよ」と薦められたフィットネス系ドキュメンタリーがあります。

試しに観てみたら、これが非常に興味深いものでした。

 

Fit to Fat to Fitというもので、FitからFatへ、そしてFatからFitへということですね。

健康的な状態から、太り、太った状態から健康的な状態へ移行するという意味です。

 

邦題は「Let's太って痩せるダイエット」です。

 

Amazonプライムで2話だけ見れます(2話だけ見れば十分ですw多分)。

 

 

このドキュメンタリーが非常に感動的なのは、美しい肉体に鍛え上げたパーソナルトレーナーたちがクライアントのために太ってみせることです。30kgとかを4ヶ月で増量します。ジャンクフードを死ぬほど食べて、太ります。

 

その上で、そこからクライアントと一緒に痩せるというドキュメンタリー番組です。

 

 

毎回流れるであろう冒頭のナレーションが感動的です。

こんな感じのナレーションです。

 

自分たちはフィットネスに関する知識もあり、がっつりと実践もしてきた。でもなぜか超肥満体の人々に結果を出させることに失敗してきた。自分たちは肥満の経験がない。だから彼らのことが理解できないのだ、と。

 

問題は、、、俺だった。

(Eventually, I realized the problem with me.)

 

というConversion(回心)を経て、彼らは太ることに決めます(もちろん撮影のためにも)。それも相当に苦労して太ります。

 

 

この「問題は俺」という構造は非常に身につまされます。

 

 

というか、いま自分自身、「俺が問題なんじゃね?」と自問を繰り返しています。いや、自問どころか、自分が問題であることを前提として、いろいろとスタイルを変更しようとしています。

(「賢者の石」もその一つですね)

 

僕の好きな本に「無限論の教室」があります(これもDr.Tからの紹介だったような気がするのですが、気のせいかも)。

 

 

 

この本は小説仕立てで、大学教授が哲学の授業を二人の生徒にしていく物語です。生徒の一人男の方が主人公です。もう一人は女性です。

 

ぼくが大学で受けた中でももっとも不人気だった講義の話をしよう。

 

という出だしから始まる小説仕立ての哲学の授業です。

 

じっくり時間をかけて読むにふさわしい本です。3年くらいみてもらえれば良いかもしれません。なかなか内容を理解することに苦しむと思いますが、みんな苦しむところです。

この授業は、懐かしのゼノンの逆理から始まり、カントールの対角線論法を通過して、ゲーデルの不完全性定理に至ります。

 

途中で実無限、可能無限の対立があります。部分集合も冪集合も出てきます。

 

僕らは無限に関しては学校教育のおかげで、しっかりと実無限派で洗脳済です(もとい教育済です)。

洗脳されている人は自分の立場が、多くある立場のうちの一つの立場でしかないことを理解できません。
(それを相対的に見る訓練として、正義は思想的な背景のある一つの立場でしかないというのが、サンデル教授の「これからの正義の話をしよう」でした)

 

 

でも、僕らは楽園を追い出されます。

 

 

そうやって実無限派の楽園を追い出され、でもアリストテレスやタジマ先生と手と手を取り合って、可能無限の楽園へ移動しましょう。ちなみにDr.Tも可能無限派です、もちろん。

 

宇宙のどこに実無限の情報を(無限に)保存できる(無限の)空間があるんだと吐き捨てるように言っていた記憶があります。そりゃそうです。宇宙は有限です。

 

そして情報は必ず物理を必要とします。

 

ITのクラウドと言ってもリアルな雲にあるのではなく(誰も思っていないか)、ダムに挟まれたハードディスクの中にあるのです(ダムは電力の供給のためにあります。安い方から買うために)。情報は必ずリアルな物理を求めるのです。

 

わかりやすく言えば暗号通貨のマイニングと似ているかもしれません(分かりやすいのか?)。掘れば出てくることは分かっていても、掘り当てるまでは(計算が終わるまでは)膨大な電気が必要なのです。その電気で贖われない限りは存在しないのです(いつか見つかるのだから、すでに存在するという立場が実無限派です)。

 

 

で、その「無限の教室」のタジマ先生がカントールの冪集合と概念実在論を説明するときは、ご自身の主張を放り出され、というか主張を真逆にされて解説されます。

 

 

冒頭にこう宣言します。

 

「今日はわたくしはタジマではありません」

 

面白いです。

 

「マジタです。マジのマジタです」

 

と。

 

 

すなわち反対側の主張の人格になると宣言して、授業を始めるのです。

わかりやすく言えば、自分が唾棄(だき)するような立場をあえて取って、授業を始めるのです。

 

Fitなギリシャ彫刻のようなパーソナルトレーナーが、あえてFat(肥満)になるようなものです。

 

(引用開始)

「今日はわたくしはタジマではありません」
 タジマ先生は宣言した。
「マジタです。マジのマジタです」
 なんなんだ。
「可能無限派としてのタジマは今日は休みで、無限集合論に即したお話をしなければ先に進めません。だから、わたしくは今日はマジタです。」
(引用終了)

 

 

 

というわけで、最近僕も「マジタです」と宣言して、セミナーをしています。


(ちなみに、これはどちらかが良いわけでも、どちらかが正しいわけでもないのです。

我々は白猫でも黒猫でもどちらでも良いのです。

ただネズミを取ってくれれば、良い猫なのです。

結果に結びつくならば、何でも良いのです)。

c.f.あなたがたの中で交通事故を経験したことのない者が、まずこのGoogleCarに石を投げるがよい 2012年05月12日

 

最近のシン・アディトレマスター養成スクールもそうですし、シン・だれも知らないルー・タイスもそうでした(いやいや、受講生を恐怖の中で初日を迎えたシン・メンター養成BootCamp講習会も同様です。多分!)。

 

いや、たまに、タジマが出てきてしまうのですが、なんとかマジタを貫きました。いや、貫く努力はしました(笑)。

 

ちなみに余談ながら、僕はタジマ先生の「あさはか」という言葉が好きで好きで仕方ありません。

 

ですので、受講生につい「あさはかですね」と言ってしまうのですが、あまり喜んでいるようには思えません(申し訳無い)。

(彼は「愚劣」も使います。そのあとに「あ、『愚劣』という日本語は知っていますか」と続けます。最高です)

 

 

タジマ先生の「あさはか」はこんな風に使われます。

 

古代ギリシアの哲学者ゼノンが提唱したゼノンの逆理について、主人公の僕がこんな風に言います。

 

「収束する無限級数があることをゼノンは知らなかったから、パラドクスに思えたんですね」、と。

 

「ゼノンのパラドクス」や「収束する無限級数」が分からない人は調べてください。このブログでも繰り返していますし(^o^)。

 

そして多くのブログ読者さんは、ゼノンが可能無限派であり、実無限派を批判するためにこのパラドクスを提示したことを知っています。そして、ゼノンの逆理が解かれるのはプランク定数の発見であることも知っています。世界が連続なのか、離散なのかは、最近まで知りようがなかったのです(とは言え、古代ギリシアの哲学者デモクリトスは、分割できない最小単位があることを実験的に知っていました。分割できないは「分割」+否定辞をつけて、Atom:άτομοと言われ、いまのアトムに、のちの鉄腕アトムに引き継がれます。

デモクリトスは概念的ではなく、実験的にも知っていました。そして、それをおよそ2400年後に数学を用いてあらわしたのが、スイスの特許局の気難しい役人でした)。

c.f.衝動の赴くままに放置されれば、大衆は生きることに懸命なあまり、自己の生命の根源を破壊する 2020年06月01日

 

 

 

繰り返しますが、無限の教室の冒頭でこんなシーンがあります。

古代ギリシアの哲学者ゼノンが提唱したゼノンの逆理について、主人公の僕がこんな風に言います。

 

「収束する無限級数があることをゼノンは知らなかったから、パラドクスに思えたんですね」、と。

 

それに対して、タジマ先生は

 

「あさはかですねえ」と言います。

 

タジマ先生の指摘には、主語がないので、主人公の僕はまさか自分が言われていると思わずに、

 

「でもゼノンの時代にはしょうがないんじゃないですか」と言います。

 

それに対して、タジマ先生は「こよなくうれしそうに」

 

「君が、ですよ。君が、あさはか」

 

と言い放ちます。美しいやりとりですよね。いま引用していても、うっとりとする流れです。

 

 

このタジマ先生がまさに僕のロールモデルです。

 

 

あ、いや最近はマジタで。

 

 

該当箇所を引用しておきますね。

(引用としては悪手ですが、ブログの特性上読みやすさを配慮して改行を挟んでいます)

 

(引用開始)

 

ともかく、無限に足し算を続けるからといって答えが無限大になるとはかぎらないのです。(略)つまり、アキレスが亀に追いつく時間Sは1分というわけです」

 

タカムラさんが発言した。

 

「無限に足していくのだけれども、足す数もまた無限に小さくなっていくので全体としては有限の数に収まる、ということですか?」

 

ぼくも乗っかって言った。

 

「収束する無限級数があることをゼノンを知らなかったから、パラドクスに思えたんですね」

 

「あさはかですねえ」

 

「でもゼノンの時代にはしょうがないんじゃないですか」とぼくが言い終わらないうちに、タジマ先生はこよなくうれしそうに、言った。

 

「君が、ですよ。君が、あさはか」

 

はあ、ぼくのことだったのか。

 

「なぜ君があさはかなのか。それをじっくり考えるのが今日のテーマなのです」

 

(引用終了)(野矢茂樹著『無限論の教室』講談社現代新書)

「なぜ君があさはかなのか。それをじっくり考えるのが今日のテーマなのです」

このタジマ先生の声は僕の頭の中で毎日50回くらいエコーします。

エコーさせながら、じっくり考える中で、自分の「あさはかさ」を少しでも知ることが、先へ進むための縁(よすが)です。

 

 

そんなマジタ先生バージョンで講義した「シン・ルー・タイス講座」はかなり面白かったのではないかと思います。

 

そして僕自身の間違いにも深く気付けた気がします。

 

それについての詳細はまたの機会にゆずり、素晴らしいフィードバックをRayサロンでも活躍するセラピストのDKからいただきましたので、紹介させていだきます!!

 

DKは以前もこのブログで紹介しています。

c.f.神と悪魔が戦っている。その戦場は人間の心なのだ!〜鎧の人と中の人、本音と建前と「身銭を切る」 2020年07月05日

この頃はまだ候補生でしたが、いまや「まといのば」の認定気功整体師(Soldier)としても活躍しています。もちろんRayサロンのセラピストとしても(ダブル認定はこれまでにDK含め2名のみです)。

 

 

かなりのネタバレを含みますので、ルー・タイスの「しかし」を巡る謎解きに参加している方はこの先は読まずに閉じて下さい(あ、良い記事と思ったら、「いいね」は忘れずに!)!!

 

 

 

 

 

よろしいですか?

 

 

 

では、いきます!

 

 

 

 

(引用開始)

 

昨日は、「シン・だれも知らないルータイス」講座、ありがとうございました。

セッションでも「コンプレックス」について、先生方に書き換えていただき、すごくフラットに、講座に参加できました。

シン・メンターからBootCamp初回も、自分は全く読解ができない、何をどうしていいかもわからない…という感じで、読解するのが、すっかり怖くなってしまっていました。

先生方に「超高学歴の人も、まといのばが要求する読解の水準は難しい」ということを教えていただき、自分の中でも、「そうなんだ…」と、正直、少し安心した部分がありました。

そういった高学歴の人たちにも難しいのなら、自分はもっとフラットに、自然にそれを楽しめばいいんだ。恐怖を感じずに、楽しもう!と、思うことができ、昨日の講座では実際に読解が楽しいと思えるようになりました。

先生から「マジタ式」で教えていただき、本当に本当に、すごく分かりやすかったです!!(マジタ先生に虜でしたwあんなに興味深く、面白く、どこまでも分かりやすい授業をもし、学生時代に受けられたら、自分はもっとちゃんと勉強を好きになれたのに…と思いました!)

本当に、ありがとうございます!!

あのルータイスの一説はもう、トラウマみたいになっていたのですが(汗)

あの一説に、あれだけの情報が詰まっているのか…と、嬉しくなりました。自分は本当に、眺めているだけの読書で自己満していました。

知性ある人々、教養ある人々は、あの一説からこんなにも深い深いレベルの学びを獲得されているんだということを体験させていただきました。

「But if you stop & reflect back」について「Conversion」の解説を先生にしていただき、まさに、今回の自分の一件に、完全に重なって見えました。

先生方や仲間たちのサポートのおかげで、回心の方向に向かうことができ、自分は初めて「オイルセラピストをしているんだ」と言えるのだなと…

自分にとってはリアルタイムすぎて、本当に、ルータイスに「お前ギリギリ死ななかったな」と、言われているようでした。

自分はまだまだこれから「Conversion」が、訪れると思います。

先生方や仲間たちに相談させていただきながら、また、自分でも、自分の「謎解き」を「stop & reflect back」を、繰り返しながら「Conversion」を、乗り越えていけたらと思います。

ルーの「Your success may not come」を胸に刻んで、生きていきたいです。

そして「Well, what do you know…」の部分が、すごく好きになりました。

「So, be careful」のルータイスの鬼軍曹具合も最高でした。

そうか、ルーはフットボールコーチだよな。自分と同じ畑(スポーツの世界)でどこまでも勝利を目指した人だよな…と、ルータイスを遠ざけていたのは、自分の先入観なのだと分かりました。

どこまでも勝負にこだわり、選手たちに大声で「So, be careful!!!」と叱咤激励する「闘うルータイス」が、垣間見えた気がしました。

先生にこれだけ丁寧に「読み聞かせ」をしていただくことで、もう「気の優しいおじいちゃん」のルータイスのイメージは、自分の中から完全に消え去りました。

さらに「I am a Coach」の奥深さに仏陀がいるなんて…と感じました。あそこでルータイスが「I am a Coach」と宣言することによって、なにかすごく生き方を試されている、問われているような気がしましたし、もっと言えば、レジュメの引用の

「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11:24)

を、ルーなりに、僕らに示してくれていると感じました。

そういう生き方ができれば、ルー・タイスに「with me」と言ってもらえると思いました。

それはそのまま、仏陀の考え方に通じ、先生が「本同志が会話している」ということをどこかでおっしゃっていたのを思い出しました。(仏陀は本を残していないですが 汗)

本と本が繋がっている(本を通じて、人と人が繋がっている)って、こういうことなのか!と、どこまでも奥深さを感じる世界に、嬉しくなりました。

今回、どこまでも分かりやすく英語を導入していただき、先生方が「原書に当たった方がいい」とおっしゃっていた意味が分かりました。自分も英語は全然でしたが、今回先生が一つずつ教えてくださったり、発音をわざと変えてくださったことで、英語がかなりファミリアになりました!

訳してないじゃないか!って、自分でも突っ込めました!(Stopもbutも!)

先生が「読解できるようになると、読書が楽しくなる」「世界が広がる」とおっしゃっていて「ほんとだ…」と、嬉しくなりました。もっともっと、良い本に触れ、読めるようになりたいと心底思いました。

「意味を押し付けて読むから、読書が苦しくなる」と教えていただいたのも、衝撃が走りました。自分が苦しくて読めないのは、自分が勝手に、意味を押し付けているからだと納得することができました。自分のこれまでの読書は、自分の世界を狭めていたと思います。

これからはどんどん自分の世界を広めていきたいです。そのために、ひたすらに読解の力をつけたいです。

先生方には、読解の楽しさを教えていただき、また、自分が知らず知らずのうちに持っていた「コンプレックス」を外していただき、また一つ、心身ともに、楽になりました。(今日は生涯最高のピッチングができてしまいました!KIXにも感謝です!!!)

まだまだこれからだと思いますが、徐々に徐々に「Conversion」していきたいです。

今回も本当に、ありがとうございました。

 

(引用終了)

 

 

仏陀は本を残していませんが、ソクラテスも本を残していませんし、イエス・キリストも残していません。でも彼らの情報場は残るのです。いや、誰かが必死で残すのです。そして未来へ必死でボールを投げるのです。現状の外へ投げるのです(ほとんどが届かないので)。

 

そして必死で本を書いたルー・タイスすらも、ほとんど誰も読めないでいて、そして勝手なアイコン(偶像)を作られて、勝手に理解されて(それでも圧倒的な結果が出てしまったりして)、ルー・タイスは草葉の陰で泣いているのです。多分やけ食いしていると思います(←失礼)。

 

でも、誰かがきっと自分の魂に触れてくれて、自分を閉じ込めているところから解放してくれて、共に歩けるようになると確信して、一文字一文字必死で書いているのです。

 

 

 


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