小泉進次郎さんがもしイギリス人だったらという動画は大きな反響を得ていて、嬉しいです。
ポイントは本当に小泉さんはこうおっしゃったということです。
実際にニュース映像なども残っています。
46パーセントに関しては、インタビュアーの方の驚愕の表情も残っています。
小泉さんがイギリス人だったらという動画はこちらです。
ブリティッシュイングリッシュのポッシュなアクセントが楽しめます。
*なんだかAppleのCMに感じるのは、だいじろーさんのモデルが元Appleのジョナサン・アイブだからです。
で、我々は英語で聞いても、接続詞というか、「だからこそ(That's why)」のような使い方の奇妙さにおかしみを感じることができます。
何が言いたいかと言えば、我々は本来は先天的にロゴスを持ち、読解ができるのです。
そして長い長い教育の過程の中でその読解力を組織的構造的に破壊されたのです(そうとでも考えないと、やっていられないですよ〜)。
で、ここで勘違いしたくないのは、彼はこのような愚かな人間では無い可能性が高いということです。彼というのは小泉進次郎さんのことです。見事に役を演じきっているだけで、我々は見事に騙されているだけかもしれません。
(ちなみに「ポエム」といじられることも多いようですが、それは批判者のポエムに対する浅い理解を自己紹介しているだけです)
では、実際の小泉さんはどうなのでしょう?
GLOBISでの講演、これでもよく分かりません。
ただ相手を見て話す人であることはうっすらと分かります。
一方で、仲が良いと言う落合陽一さんの番組での小泉さん。
これは全く違います。
もっと丁寧な分析が必要かもしれませんが、彼は明らかに顔を使い分けており、そして真珠をやたらに配らない人であることが分かります。豚には豚用の餌を配るのです。僕らはそれにありがたく食いついてしまうのです。
ルー・タイスも同様です。
どうしてルー・タイスが読めないのかと言えば、ルー・タイスを誤解しているからです。
もっとまっさらな状態で読めば良いのに、先入観と偏見でドロドロの状態で読むので、ドツボにはまります。
見たこと無いようなルー・タイスが亡霊のように何体も立ち上がります。
面白いですが、実際は悪夢です。
そんな甘ったるいことをルー・タイスが言うはずもないって、分かっていれば(ってか、分かっていますよね、「お前たちは刑務所にいる」と宣言する人ですよ?)、そんな甘ったるい解釈になりようもないのにって思います(あ、序文から読めていないですか?)。
『ぼくの心』
からしをぬったよ
体に
そうしたら
ふつうになったんだ
よっぽど
あまかったネ
ぼくの心って
12歳で投身自殺した詩人の詩です。
この詩を仲間と読んでいたころはちょうど小学6年生くらいでした(教室内で熱狂的に流行りました)。
この詩に出会ったのは小学校の低学年ころだったかと思うのですが、それから数年が経って、友人たちと共有していることに不思議を感じました。そもそもこういうものは個人的すぎて、人とは共有できないと思っていたので(実際は共有できていなかったのかもしれませんが)。
思い出してみると、当時は中原中也が大好きすぎて、死にそうでした(←意味不明)。
のちに中原中也が本当に人間としてクズであることを知り、もっと好きになりました。
c.f.逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり〜女は俺の成熟する場所だつた〜 2017年03月25日
*小林秀雄は中原中也の恋人であった長谷川泰子を口説くときに、「あなたは中原とは思想が合い、ぼくとは気が合うのだ。」と言ったとか、、、。
そんなわけで(どんなわけ?)、ますます身体にも心にもからしを塗っていきましょう!!
(からしじゃなくて、オイルを塗っても良いですよ)
c.f.「♪歌を忘れたカナリアは♪」〜ニーチェの隣人愛理解とリア王の叫び〜 2015年04月04日
♫歌を忘れた カナリアは
象牙の舟に 銀のかい
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す♫