半年もすれば、場のレベルが上がって、ルー・タイスの「しかし」が普通に読めるようになると思います(半年後にはメンター養成BootCamp1期が終了します)。
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私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。
あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。(p.295-296 ルー・タイス『アファメーション』)
Q.1 以下の文章を読み、ルー・タイスはなぜここで「しかし」を使っているのか、何が逆接なのかを読み解いて、説明しなさい。
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そのときになれば、なぜあれほど悩んだんだろう、なぜあれほど難しかったんだろう、なぜあれほど苦しんだんだろうと不思議に思うでしょう。
(しかし、そう思えるのはいま苦しんだ人だけですが)
この感触はコリント書13章を思わせます(違うかもしれませんが)。
我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる(コリント13:12)
c.f.むきだしの愛、むきだしの言葉 〜「最も小さい者のひとり」と蜘蛛の糸〜 2013年08月20日
Q.1 ここで2つの時間が書かれているが、それをあらわす言葉を抜き書きしなさい。
Q.2 2つの時間軸で対比されているものを示しなさい。
我々が今見ているルー・タイスの文章はぼんやりと鏡に写っているようなものです。
今、我々が知っているのは一部分でしかありません。
でも、半年後には完全に知るようになるでしょう。
ルー・タイスの言葉が生き生きと響くようになるでしょう。
(そして、そのときは自分が書いたものを通じて「自分がすでに完全に知られている」ことも知るようになります。「完全に」は言い過ぎですけどね〜、でもそれに近い感触は得られるはず)
何の話かと言えば、今週末からスタートするメンター養成BootCampの話しです。
メンター養成BootCampでのポイントの一つは読解です。
この読解を巡る謎解きとして、我々は3段階を経ます。
① 自分が文字が読めていないことに気付く
② (少しでも)文字が読めるようになる(読解力がつく)
③ (少しずつ)クライアントの文章(発話)を読めるようになる
平たく書くと!
①読めていない!
②(ルー・タイスやイエスの文章が)読めるようになってきた!
③普通の人(やクライアント)の難解な文章を読む!
の3段階です。
そしてお分かりのように、この3段階目が通常のコーチングやメンタリングやヒーリングと呼ばれるものです。というか、その端緒です。
そしてこれは螺旋階段のように繰り返していきます。
そうやって少しずつ成長できるのです。
(その究極系の一端を示してくれているのが、ルー・タイスであり、イエスであり、釈迦です)。
(ルー・タイスはオリンピック選手のキプチョゲを煽っているのではなく、冷静に心からそう考えているから、走らなきゃいいじゃんと言うのです)
で、1つ目の段階が最も厄介で困難な段階です。
これが「まさか」の坂であり、強大な壁です。
「まさか、自分が文章を読めていないはずがない、、、、」という確信が強ければ強いほど、この段階をパスすることが難しくなります。
でも、簡単な「しかし」ですら読めないことから、「ああ、自分は文字が読めていない」と気付ければ、、、、、、いや、気付けた人は幸いです。
(気付くためには、自分で回答を作り、別に「まといのば」に送らなくても良いので、保存しておくと良いです)。
そのときに、(逆説的ですが)おそらくはルー・タイスと共に、「わからないものだね、私は全く文字が読めていなかったよ」と言うのでしょう。
この壁を通り抜けられる人はほとんどいません。
今回のこの大騒ぎを通じても、もしかしたら自分が豚かもしれないという自覚ができても、まさか自分が文字が全く読めていないという自覚は難しいのです。
狭き門より入れ、ですね。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。(マタイ7:13)
c.f.「狭き門より入れ」〜広そうに見えるクワス算から入ってはいけないというクリプキ入門編〜 2013年12月01日
(↑非常に簡潔に哲学と論理学についてまとまっています)
c.f.聖書や古典を声に出して誦む 〜幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている(アラン)〜 2015年11月03日
とは言え(But)、多くの人は狭き門ではなく、滅びに至る門を選びがちです。
その方が傷つかずに済みますし、本当のことを知らなくても生きていける程度に豊かな社会がこれまでは確保されていました(先人のおかげで)。でも僕らはその文明の遺産であるところの「パン屋」をいま組織的に破壊しています。
飢饉が原因の暴動では、一般大衆はパンを求めるのが普通だが、なんとそのためにパン屋を破壊するというのが彼らの普通のやり方なのである。
(オルテガ『大衆の反逆』)
昨年の今くらいの時期から繰り返し言っているつもりですが、この先のMadMaxな世界のために、僕らは急いで準備しないといけません。読解力(というか文字を読む能力)もまたその準備の一つとなります。
たとえば今回のパンデミックはもともとはインフォデミックでしかありませんでした。でも、その情報汚染の結果として、深刻な別なパンデミックを引き起こした(いや、もともと起こっていたパンデミックが加速した)というのがパンデミック講座の趣旨でした(この「パンデミック」とは、世間を騒がせているRNAの切れ端のことではなく)。
このインフォデミックはもちろん読解力があれば、読み解けるものでした。
今週末から本格的にメンターBootCampに入ります。
「まといのば」という場の中で1割のメンバーがきちんと読めるようになれば、その能力は普通に同調していき、かなりのメンバーが読めるようになります(場のホメオスタシスというのはそのように働きます)。
半年後には、圧倒的な能力を持ったメンターたちが出現します(一応、彼らのためにも書いておきますが、今すでにコーチングやメンタリングで、彼らは圧倒的な結果は出しています)。
そのときに、ここで出して頂いた回答たちが生きてきます。
いや、もし立ち止まって、半年前を振り返ることができたならば(But if you stop and reflect back,)ですが。
たとえば、個々人の個人的な話しで言えば、それぞれが自分の回答を、未来において見返したときに、控え目に言って、赤面したり、絶望したり、吐き気がしたりするかと思います。
でも、その一過性の感情などはどうでも良くて、しっかりと新しい眼差しで見るならば、自分が囚われていた大きな枷(かせ)に気付きます。
「自分はなぜこんな明瞭な間違いを起こしたのだろう」と不思議に思いながら、繰り返し自分の回答を読んでいくと、その回答が明晰判明であればあるほど、どこで間違えたかがくっきり見えます。
そしてそのスコトーマの大きさに愕然とすると思います。
その認識の地平を維持したまま、他人の回答例を次々と読んでいくと、そしてがんばって読解してみると、それぞれが誤ってしまう部分がこれまた明瞭に見えてくると思います。
もっとがんばって、すべての回答例を読解してみると、、、、その枷(かせ)というか、轍(わだち)というのが、あまりにワンパターンであることも見えてくると思います(←ここまでが、メンター養成BootCampの目標です。結構壮大な目標です。現状の外の外です)。
さらっと書いていますが、一つ一つのステップは非常に大きく重いものです。
それぞれが、大変な壁と感じると思います。
メンバーの一人で、コーチの方が、こんな趣旨のフィードバックを寄せてくれました。
「自分はルー・タイスの読解について分かったつもりでいたけれど、皆さんの回答を読んでいると、どんどん分からなくなり、自分が分かっていたと思ったいたものさえも分からなくなってきた」と。
これは非常に素直なフィードバックです。
そして実際にそうなります。
ルー・タイスの文章を読み解くのが大変である以上に、クライアントの文章(言っていること)を読み解くのはもっと大変なのです。
読解力を超えた読解力が必要とされます。
ルー・タイスの文章やイエスの言葉が通常の課題文だとしたら、クライアントからの文章(言っていること)というのは、虫食いの課題文のようなものです。
古文書のようなもので、虫食いの部分を推測しながら、読まなくてはいけません。
たまにトラップのようにして、接続詞や指示代名詞が間違っていたりもします。
でも、これも訓練です。
そしてその訓練を地の文でやり、慣れてきて力がついてくると、Echoした発話内容をきちんと読解できるようになります。
書かれた文章でできないことが、対話の中でできるはずもないのです。
できていると思っているのは、麗しき双方の誤解であり、まさに盲が盲を導いているのです。
そして、この読解こそが、魔術的な力の源泉となるのです。
魔術を「魔法」だと思っている人が多いのですが(そりゃそうか)、魔術とはただのシステムです。コーチングとは、「まといのば」に言わせれば、その魔術なのです。
c.f.人間と記号表現の関係において、少しでも変更をほどこせば、、歴史の全行程が変わってしまう(ラカン) 2015年04月20日
(引用開始)
誰の目にもこの上なくはっきりと世俗化したことが判るユダヤ人に対してすらユダヤ的な背景がなんかの影響を与えているといったことを証明しようとすることは、困難で複雑な作業となる。この問題を脇に置いたままにしておくにしても、フロイトやデリダやブルームといったもっとも最近の、もっとも影響力を持つ(ユダヤ系の)思想家たちとラビ的な解釈様式の間には、著しい、深い〈構造上〉の親近性が存在するという事実は依然として残る。事実、この私の著作が生まれたきっかけは、精神分析学はミドラーシュという釈義の伝統に、つまり自由連想に近似する方法を通して聖書のテキストの意味を探るというラビ的解釈の方法に属するものであるというラカンの発言に私が偶然に出会ったことによって与えられたのである。フロイト自身、彼の夢解釈の方法を他のすべての方法から分かつのは、彼が夢を「聖なる記録」として扱い、もっとも些細な、もっとも取るに足らない細部に意味が隠されていると想定した点であることを認めた。(引用終了)
(スーザン・A・ハンデルマン「誰がモーセを殺したか」)
というわけで、いま我々が見ているのはぼんやりと鏡に写っているものですが(当時の鏡は今の鏡と比べ物にならないくらいにボケています)、半年も冷や汗をかきながら、鍛錬を積み重ねれば、クリアに観えるようになると思います!!
というか、そのときに、もし立ち止まって、振り返ったなら(If you stop and reflect back)、たくさんの良いことがあります!(多分!)。
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