ルー・タイスの「アファメーション」はさんざん読んできたし、それで結果も出してきた。
「まといのば」は重箱の隅をつつくような質問をして、私達を幻惑(げんわく)しているけど、ルー・タイスはそんなに複雑な人ではないし、難解な文章を書くわけもない!!
という意見もあるかと思います。
その気持ちは分かります。
それは真珠を投げられた豚の感想ですが、そういうことを言うと語弊があるので、言いません。
ルー・タイスの言葉を使えば、Creative Avoidanceですし、イソップ物語のすっぱい葡萄です。葡萄はとてつもなく甘いのですが、もぎとる根性が無いばかりに、すっぱいことにしてしまうのです。
真っ直ぐに課題を解こうとすると、頭が爆発しそうになり、寝ても覚めても考え続けて、どんどん分からなくなっているという方が多いです。
とても良いことです。
そんな皆さんに天国のルー・タイスからメッセージがあります。
もしくはあなたに解放されるのを待っている草葉の陰のルー・タイスの魂からのメッセージです。
(引用開始)
私があなたに厳しい課題を与えるつもりであることを最初に知っておいてください。私が何を言おうとしているのかを解き明かすのに苦労することもあるでしょう。しかし、一度理解して自分のものにすれば、周囲の人にも伝えることができます。チームを築き、自分の夢を実現させることができるのです。
(引用終了)
さて、問題です。
Q.1 何が「しかし」なのでしょう。何がこの接続詞の前後で逆接となっているのでしょうか?
Q.2 「自分の夢を実現させることができる」の直前になぜ「チームを築き」とあるのかを、本書の中から引用して根拠を示して述べなさい。
Q.3 私があなたに与えるつもりである「厳しい課題」とは何か?具体的に述べなさい。
というわけで、しばらくぶりですが、寄せていただいた回答を掲載させていただきます!
まず問題文から!
課題文はこちら。
ルー・タイスの『アファメーション』の有名な一節です。
私の人生はかつて思い描いたものとは、まったく異なるものになっています。
あなたの成功も思ったとおりの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときは、私のように「わからないものだね。今、コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。つまり、大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。(p.295-296 ルー・タイス『アファメーション』)
で、課題はシンプルで、この文章が読解できますか?というものなのですが、シンプルにそう聴くと「読めています!」という人が大半なので、こんな問題を設定してみました。
Q.1 上記の文章を読み、ルー・タイスはなぜここで「しかし」を使っているのか、何が逆接なのかを読み解いて、説明しなさい。
もともとはなぜここで「つまり」が使われているのか?
その裏には「つまり」の前後で全く要約になっていないよね、という問題意識でした。
ただ、これがあまりピンと来ていないようなので、より分かりやすい「しかし」に注目させたという状況です。
で、翻訳だとニュアンスが変わるから、原書で読みたいという方は、原書の方も引用を載せておきます。
My life is very different from the way I thought it would be.
Your success may not come the way you thought it would either. But if you stop and reflect back, you may say with me, “Well, what do you know, I am a coach.” So, be careful that you don’t map the way to some of your big ideals. Don’t lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.
Q. 2文目の「Your success may not come the way you thought it would either. 」の文法的構造を解きほぐしつつ、なぜこの次に続くのが「But」なのかを説明しなさい。
さて、寄せられた回答を紹介します!!
(掲載の許可をいただきありがとうございます!)
まず1つ目!
(引用開始)
乗り遅れ気味かもしれませんが、ルータイスの「しかし」の件、回答送信させていただきます。
読み手=文中の「あなた」を「コーチになりたい人」と仮定しているため、逆説の「しかし」になったと解釈しておりました。
(読み手の「前提」に配慮して、コーチになれないと言っているわけではないよ、というフォローをしているのだろうなと読んでました。)
あまり違和感なく読んでいたのですが…どうでしょうか。
(引用終了)
この方のおっしゃっていることは、
ルー・タイスが想定している読者がコーチになりたい人だから、逆接の「しかし」になっており、コーチになりたい人に配慮して、あなた(読者)はコーチになれないと言っているわけではないよとフォーローをしている、
と。
「乗り遅れ」ということも、「乗り遅れ気味」ということも全くありませんので、ガンガン回答を寄せてください!
(引用開始)
私が送って良いのか迷いましたが、送らせて頂きます。最近のブログで教えて頂いている、ルータイスの「しかし」の前後で何が逆接なのか?についてです。
成功する(コーチになる)ために計画した手段(way)と異なってしまったので成功しないはず。という事と
成功した(コーチになった)が逆接になります。
つまりの後は要約というブログでのヒントから導きました。
1文目の「思い描いたもの」、
2文目の「思った通りの形」は結果ではなく計画や手段について述べており、3文目は結果について述べていると読解しました。
また、英語はほとんどわからないのですが、wayに注目すると1文目2文目に使われ、4文目と6文目に使われているので、1.2文目は計画や方法について述べている事になると思いました。
(引用終了)
成功する(コーチになる)ために計画した手段(way)と異なってしまったので成功しないはず。という事
v.s.
成功した(コーチになった)
が逆接になるというご意見です。
すなわち、
成功しない vs 成功した
ですね。
たしかにこれは逆接ですね。
(引用開始)
ブログでの課題に再度チャレンジさせていただきます。
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私の人生はかつて思い描いたものとは、全く異なるものになっています。
あなたの成功も思った通りの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときには、私のように「わからないものだね。今コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのも良策とはいえません。結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。
=======
この文章で、
ルー・タイスはなぜここで「しかし」を使っているのかについて考えてみました。
これより前の文章から、
ルー・タイスは『かつて』、「もっと、フットボールの試合で勝ちたい」とおもっていて、「ただ指導方法を改善しようとすることしか頭になかった」こと、
そして、それを実現するためにセルフトークにしていた「これはうまくいく。あれもうまくいく」という口癖が、ルー・タイスを「フットボールのコーチ」を辞める方向に導いた、ことが書かれています。
「私の人生はかつて思い描いたものとは、全く異なるものになっています。」
「わからないものだね。今はコーチをしているんだ」から、
指導方法を改善するという具体的な方法では、思い描いた「フットボールの試合で勝つ」「フットボールのコーチとして成功する(これは私の勝手な解釈かもしれませんが)」というゴールには辿り着かなかった”けれど”、結果、かつての予想に反しているが、「コーチ」になっていることが書かれていると推測しました。
これは『つまり』の後の文章「大きな理想を描くときには、細かい計画をしないほうがいいのです。方法や手段を固定するのは良策とは言えません。」と一致しますので、『つまり』の活用も納得できると考えました。
また「結果を思い描き、方法や手段には柔軟性を持たせましょう。」の英文
Don't lock on to some method or means. Keep the end in mind, but be flexible about ways and means.
でのbutの使い方から、
keepと be flexibleという行動的には逆のことを同時にこなすことを示唆していると考えます。
逆説というよりも、前出のkeepを包摂しながら、be flexibleであることを伝えてくれていると思うので、
「あなたの成功も思った通りの形では訪れないかもしれません。しかし、将来振り返ったときには、私のように「わからないものだね。今コーチをしているんだ」と言っているかもしれません。」の『しかし』も、前出の「あなたの成功も思った通りの形では訪れないかもしれません。」を包摂しながら、
ルー・タイスがかつて思っていたようにゴールから方法手段を見出した成功はないかもしれない”けれど”、より大きな理想の世界に辿り着くのかもしれないよと、いっているのではないでしょうか?
ここまで考えて、
もう一度、先生の質問の「何が逆説なのか」という問いについても考えると、
「思った通りの形」と「わからない」が逆説になるのでしょうか。
ますます迷路に迷い込んでいる気がしてきましたが、でも、音読をしたときに一筋の光が見えたような感覚がとても心地よいです。^^
(引用終了)
「思った通りの形」と「わからない」が逆説というご意見ですね。
「ますます迷路に迷い込んでいる気がしてきましたが、でも、音読をしたときに一筋の光が見えたような感覚がとても心地よいです。^^」というのが、とても良いですね!!
(引用開始)
ルー・タイスの「しかし」を巡る謎ときについて
考えてみたのでアウトプットさせてください。
2文目の”形”は成功の形。自分が思う成功の形にならなかった。この状況から予想される展開は、成功しなかった・失敗。
あなたの成功「も」だから、ルー・タイスの成功も思ったとおりの形にならなかった。なのに、ルー・タイスは自分の人生は成功だと見做している。
思い描いていた成功の形と全く異なるものになったのなら、それは成功とはならないはずのところ、成功だと言っている。予想される展開とは異なる方向に進んでいるため、逆説の「しかし」が用いられている。
以上です。
(引用終了)
「思い描いていた成功の形と全く異なるものになったのなら、それは成功とはならないはずのところ、成功だと言っている。」ポイントでしょうか。
成功とはならないはずなのに、成功という二項対立が逆接を取らせるということですね。
まだまだたくさんあるのですが、順次紹介していきます。
「早く答えを教えてくれ」「いや、正確には『まといのば』が正解だと思うところの読解を示してくれ」と思っている方も少なくないでしょう。しかし、それはもたらされないのですw
僕らは、自分で発見したもの以外を真珠だと思うことが難しい動物だからです。
僕らができることと言ったら、あれほどまでに欲しがっていたものを手にした瞬間に、それらを足で踏みつけ、向きなおってかみついてくるくらいのことです(笑)。
いや、本当に。
ですから、考えることに尊厳があるのです(パスカルですね)。
c.f.「私に言わせれば、あんたは全然考えるって事をしないのよ」とバラがずいぶん棘のある言い方をしました 2019年10月07日
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
自分の頭で考えることです。材料はすでに揃っており、ルー・タイスは余すことなく話しているので。
あとはひたすら考えることです。
ニュートンも考え続けました。
(引用開始)
純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。(引用終了)(ケインズ『人物評伝』)
そして、ご自身の頭でユーレカに至ることです。
「ああ、素直に読めば、普通に読めたのに、、、、」と過去の自分に絶望し、現在の至福を味わうことです。誰かの答えではなく、自分の頭で導いた答えによって。
そもそもこれはルー・タイスとあなたの深い深いところでの会話なのです。
コーチやヒーラーやメンターとして生まれたからには(生まれたのか?)、ルー・タイスと面会時間が得られると聴いたら、すべてを放り出しても行くでしょう。
c.f.すべて良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人びとと親しく語り合うようなもの(デカルト) 2017年04月21日
ちなみに、寄せられた回答はどれも素晴らしく、ある種のパターンを示しています。
これは良い補助線になりますので、人様の回答を分析することも必要です。
というか、これがギルドです。
一緒に集団思考するのです。エジソンの言うコレクティブジーニアスですね。
秀才たちが集まって文殊の知恵となれば、一人の天才を凌駕できる、と。
そして、メンター養成BootCampの方は特にフィードバックにもきちんと目を通しておいてください。というのも、みなさんがメンターとして相手をするのは、このような謎解きです。
複雑怪奇な文章を前にして、それを読解することが、メンターの仕事です。
ルー・タイスがあなたのクライアントになることは稀です。もっと読解はハードなのです。
がんばりましょう!!