高名な物理学者のミチオ・カクは「不可能」とは相対的な言葉だと言います。
いまの我々にとって、「不可能」であることは、この先ずっと不可能なわけではないのです。
僕は映画Matrixでのちのネオとなるアンダーソンくんが、エージェント・スミスたちに追い詰められて、ビルの窓枠で「No way」とつぶやいているシーンが思い出されます。
そのときのアンダーソンくんにとっては「道はない」のです(そのあとに捕まって、拉致されます)。
台湾の天才IT相として有名なオードリータンもこんな風に言っています。
問題に「打ち負かされる」ことと、「打ち負かされない」ことの違いは、急いで解決しなければならないという時間的プレッシャーの中でのみ生じます。
困難にぶつかった時は、その問題と付き合っていく必要があります。なぜなら、問題と共生する方法を探し出すことができます。
ちなみに、オードリー・タンという名前は12歳のときのパソコンのハンドルネームのAutrijusを女性名に変えたものです。そしてこのAutrijusはミヒャエル・エンデのネバーエンディング・ストーリーの主人公から取ったそうです。子供の頃のお気に入りの本だったそうです。こんなところにも親近感を覚えます。あ、ちなみにマトリックスも大好きだそうです。映画を真似て、うなじに映画と同じタトゥーを入れるほどに。
アンダーソンくんにとって逃げる時間は数秒しかなかったので、時間的プレッシャーの中で「打ち負かされた」のでしょう。
ですから、不可能とは相対的なのです。
いま、不可能だと思っていても、100万年後のテクノロジーでは普通なことになっているかもしれない、とミチオ・カクは言います。
ですから、可能性に対して心を開いている必要があります。
いや、むしろ荒唐無稽なこと、あり得なさそうなこと(でも理論的には可能なこと)に心を開く方が良いのです。
いまの「当たり前」は数世代後には陳腐化します。陳腐化というか、間違っていることが示されたりします(だからこそ、時の洗礼を経た古典から学ぶのは最も効率が良いのです。それは反脆いからです)。
ある時代の哲理が次の時代の不合理となり、昨日の愚行が明日の叡智となる(サー・ウィリアム・オスラー)(ミチオ・カクの『サイエンスインポッシブル』からの孫引き)
アインシュタイン方程式を最初に解いたのは従軍中のシュヴァルツシルトでした。
アインシュタインはとても喜んだものの、その結果については重視していませんでした。
それはブラックホールについてのものだったからです。
ブラックホールのように宇宙の巨大な掃除機のようなSF的なものが実際に存在するなんて荒唐無稽だと思ったからです。
当時はブラックホールはナンセンスでした。
ブラックホールが生じないことを証明する論文まで書いたほどです(1939年)。
このような例は枚挙の暇がないほどです。
偉大なケルヴィン卿は空気より重い装置が空を飛ぶことは不可能と断定しました。X線はインチキとまで言いました。
原子核を発見したラザフォード卿も原子爆弾を妄想と言いました。
かつて錬金術師が追い求めた鉛を金に変える錬金術は、いまでも多くの人が不可能と思っています(粒子加速器で可能です)。
ロケットのような形で真空中を飛ぶことも不可能と考えられていました。そのようなことを追い求めるのは愚かだと(それを真に受けたのがアドルフ・ヒットラーであり、飛ばないはずの荒唐無稽なものによってロンドンは崩壊させられました。ヒットラーは同時に荒唐無稽と思われた原爆の製造にも着手していました)。
以上、ミチオ・カクの著書の受け売りですが、そこで原爆については面白い記述があったので引用します。
マクスウェルの魔の解決に一歩迫ったシラードのエンジンのシラードが、アインシュタインをそそのかして、ルーズベルトに手紙を書かせ、それがマンハッタン計画につながります。
(引用開始)
「不可能なこと」の研究は、世界史の流れも変えてしまったようだ。一九三〇年代には、原子爆弾をつくるのは「不可能」だと広く考えられ、アインシュタインさえもそう思っていた。(略)
ところが原子物理学者のレオ・シラードは、一九一四年に出版されたH・G・ウェルズの小説『解放された世界』を読み、ウェルズが原子爆弾の開発を予言していることが気にかかった。その本でウェルズは、原子爆弾の秘密をある物理学者が一九三三年に解き明かすと書いていた。偶然にも、シラードがこの本に出くわしたのは一九三二年だった。この小説に刺激されて、まさにウェルズが二〇年ほど前に予言したとおりの一九三三年にシラードは、原子一個のエネルギーを連鎖反応によって増大させれば、一個のウラン原子核を分裂させて生じるエネルギーが何兆倍にも高められるというアイデアを思いつく。そこで彼は、一連の重要な実験を手がけ、アインシュタインとフランクリン・ローズヴェルト大統領に密書を取り交わさせ、ついには原子爆弾を製造するマンハッタン計画を誕生させたのである。(引用終了)
TENET顔負けです。事実は小説より奇なりです。
キップ・ソーンがアインシュタインの相対性理論と矛盾しないタイムマシンの作り方を発表したのは、九〇年代中頃です。このときのことは昨日のように覚えています(記憶が確かならw)。大々的にニュースになり、当時はまだ存在していた新聞なる紙に印刷された媒体で読んでいました。
父とこのことについては話したのを覚えています。
父は、もしかしたらこの科学者は無名の方で、「タイムマシンは作れる」と一発大きな花火を打ち上げただけかもしれない、と言っていました。でも、好きなことをやり、そして楽しい未来を描くのは素晴らしいこと、という話でした。
(ノーベル物理学賞受賞者のキップ・ソーンはTENETでもクリストファー・ノーランにアドバイスをしており、インターステラーにもアドバイスしています)
これについてもテッド・チャンが作品ノートで面白いことを書いていたので、のちに紹介します。
「商人と錬金術師の門」の作品ノートです。
で、何が言いたいかと言えば、クラークの第2法則です。
第三法則は有名な、
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない
です。
耳タコにおなじみだと思います。
僕らがやっているのは魔法でもなく、魔術でもなく(だから火炙りにされる気もなく)、科学技術です。でも、多くの人にとって科学はニュートンで止まっていて、アインシュタインは名前だけを知られている存在です。ですから、魔法にしか見えないのです。
で、第2法則はこちら。
可能なことの限界を見出す唯一の手だては、思い切って少し不可能なところまで踏み込んでみることだ。
です。
この感触はすごく大事です。
かつてのアインシュタインのように、ブラックホールなんて絶対にない、宇宙が膨張するとかありえない。
質量をエネルギーに転換するなんて無理、、、、と言わずに、思い切って少し不可能なところまで踏み込むことです。
全く不可能なところに踏み込むのはドン・キホーテの蛮勇ですが、理論がある程度許しているところでも「少し不可能なところ」に踏み込むのは良いことです。
僕らも今回はファインマンダイアグラムと、無限経路積分を用いて(あとシュレディンガーの猫も)、世界線という概念を導入しながら、少し不可能なところに踏み込んでみました。
*セミナーでガンマ線に関する質問がありましたが、ミチオ・カクは高校時代に自由研究の課題として、ガレージで粒子加速器を作っています。目標は反物質を作り出せるほどの強力なガンマ線を生み出すことだった、そうですw
実際に地球磁場の2万倍の磁場を生み出す230万電子ボルトのベータトロンを完成させたそうです。すごすぎ。
というのも、いますでに「可能」なところは多くが死脈なのです。
チャンスはエッジにしかないからです!
ただ僕らは保守的なので、最新ではなく、ちょっと古びた科学理論を使い、そして石橋を叩いて壊すような沈着さで一歩一歩歩いていきましょう!フィードバックが重要です。そして結果が出ればいいやという気楽なプラグマティズムも。
で、昨日のワークで、多くの人が茫然自失とされていたのは、なぜ、あの人から嫉妬による呪いを受けなくてはいけないのかということでした(突然に議論が超具体的ですみません。でも気功も、考える時は抽象度高く、しかし実践は超個別具体的にが成功のポイントです)、
なぜ、あの人から嫉妬されないと行けないのか??
そこでシェイクスピアからのアドバイスを!
でも嫉妬深い人はそれでは満足しないでしょう、理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから嫉妬するんですもの。嫉妬というのはみずからはらんでみずから生まれる化け物です。(『オセロー』シェイクスピア)
シェイクスピアいわく、嫉妬深いから嫉妬するんです。
人間の心理に関しては、古来変わりがありません。人間の脳は古代から進化していませんし。
だから、神話やシェイクスピアやドストエフスキーを読むことですね(^o^)
そして、ほとんど嫉妬しない人には嫉妬はスコトーマになります。
悪意がほとんど無い人に『悪意」がスコトーマになるように。
であれば、機械的に緑色の目をした怪物の緑色の蔦を外していくしかありません(^o^)