「君はひとりじゃないよ」と歌い上げるマイケル・ジャクソンの歌があります。
♫You are not alone. (君はひとりじゃない)と。
♬君はひとりじゃないよ。どんなに離れていても、一緒だよ。ここにいる。君はいつも僕の心の中にいる♬
と歌い上げます。
癒やしの曲ですね!
この歌は恋愛の詩のようでいて、キリストについて語っているようでもあります(唐突ですみません)。
そして余談ながら、というか本稿のオチでもあるのですが、曲が消え入りそうなところで、
♫God done being alone♫
神があなたを(私を)孤独にしたんだ、もしくは神が孤独なんだと聞こえるような叫びが入っています。
ともかく面白いので、分析してみましょう。
その前に、ひとつ小さなエピソードを。
とあるレストランで、レモネードや炭酸飲料を入れるカップにこんな文字が書かれていました。
If life gives you lemon, bring it to us. We’ll make you lemonade.
(もし人生があなたにレモン(苦難)を与えるならば、私達のところへ持ってきなさい。私達はレモンからレモネードを作りますから)
*友人が写真を送ってくれましたm(_ _)m
これを読むと僕らはニヤリとしたくなります( ̄ー ̄)ニヤリ
この何気なく書かれた素敵な文章には2つの引用が隠れています(多分)
ひとつは、
「人生にレモン(苦難)が多いなら、そこからレモネードを作ればいい」というお馴染みの標語です。これはタレブもオプション性と絡めて言いますね!
c.f.人生にレモン(苦難)が多いならレモネードを作ればいい!人生が苦しみなら悟ればいい?! 2017年08月24日
ただ、このお馴染みの格言にしては、少し言葉が多すぎます。
すなわち、私達のところへ持ってきなさい、そして私達がレモネードを作ってあげるというところが過剰なのです。
「レモン(苦難)が多いなら、レモネードを作ればいい」に「私達」が加わるのです。もちろんこれはお店ということでしょうが、もっと深く考えるなら、、、、イエスの言葉になります。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)
これが含意されていると考えるのが自然かと思います(違うかもしれないけどw)。
イエスはこう言います。
有名すぎる言葉です。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
*「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いから」とイエスが言うときにはいつも、「わたしの荷」って十字架のことじゃないの?と思ってしまいますがw
原罪のことでしょ、って(でも原罪を背負わせたのはイエスではなく、パウロでした)。
ちなみに、くびき(軛、衡、頸木)ってこういうやつのことです。
CC 表示-継承 4.0, リンクによる
まあ、というわけで、件(くだん)のレストランのカップに書いてあるメッセージは、重荷(苦難:レモン)を負うて疲れているすべての人に対して、その重荷(レモン)を、私達が軽いレモネードにしてあげますよという意味だと感じます。
ですので、
If life gives you lemon, bring it to us. We’ll make you lemonade.
(もし人生があなたにレモン(苦難)を与えるならば、私達のところへ持ってきなさい。私達はレモンからレモネードを作りますから)
となります。
まとめると、この文章を見たときに、僕らは2つの引用が透けて見えます。
ひとつは、「人生にレモン(苦難)が多いなら、そこからレモネードを作ればいい」、もう一つは、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」です。
数式っぽく書くと、
If life gives you lemon, bring it to us. We’ll make you lemonade.
(もし人生があなたにレモン(苦難)を与えるならば、私達のところへ持ってきなさい。私達はレモンからレモネードを作りますから)
=
「人生にレモン(苦難)が多いなら、そこからレモネードを作ればいい」
+
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
となります。足し算というか、掛け算かも(まあ、足し算と掛け算は同じものw)
このささやかなエピソードを挟(はさ)んで、次の話です!!
マイケル・ジャクソンのYou are not aloneという楽曲は、「君はひとりじゃないよ」という歌です。
♫僕がついているから♫と。
ちなみに、冒頭はとても暗いのです。
絶望の歌です。
いや、失恋の歌にも聞こえるようになっています。
僕は孤独だ。
君は去ってしまった。
愛は失われてしまった。
君はさよならも言わずに去ってしまった、と切々と歌われます。
でも、途中から(後半から)、「君はひとりじゃない、僕がついている!」と繰り返され、ほぼ絶叫に近い感じになります。絶叫に近い励ましです!
ちなみに、この僕って誰なんでしょう?
マイケル?
いや、結論から言えば、神っぽいのです(唐突ですみません)
なぜなら、
マイケル・ジャクソンはこう歌います!
♫I can hear your prayers
Your burdens I will bear♫
(君の祈りが聞こえるよ
君の重荷は僕が背負おう)
Prayers(祈り)はもとより、ひっかかるのはburdens(重荷)です。
君の重荷は僕が背負おうって、イエスっぽいですよね。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)
というわけで、マタイ書の英語版を見てみると、お馴染みのキングジェームス版では、こうなっています。
28 Come unto me, all ye that labour and are heavy laden, and I will give you rest.
ここでは重荷は heavy ladenです。
しかし、たとえばChristian Standard Bibleだと、こうなります。
*28*“Come to me, all of you who are weary and burdened, and I will give you rest.
burdenが出てきます。形は違いますが、マイケルの詩とチョイス(選択)は同じですね。
♫I can hear your prayers
Your burdens I will bear♫
(君の祈りが聞こえるよ
君の重荷は僕が背負おう)
というわけで、冒頭の
Another day has gone
I’m still all alone
How could this be
You’re not here with me
(また一日が過ぎた
僕はひとりぼっちのまま
どうしてこうなったのか
君はここにはいない)
というこの失恋のような描写は実は「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、神よ、なぜ私を見捨てたもうたのか)」を表しているのではないでしょうか。
おそらくはこれは神と人との関係、それもイエスも同じ闇に落ちたところの「神の喪失」を表しているのではないかと推定できるわけです(強引かな)。
I'm still alone.
(ぼくはひとりぼっちのまま)
しかし、一転して、神の恩寵がもたらされます。恩寵(おんちょう)は言い過ぎかもしれません。
天使か神がささやきます。
Everyday I sit and ask myself
How did love slip away
Something whispers in my ear and says
That you are not alone
For I am here with you
Though you’re far away
I am here to stay
(毎日、僕は座り込み、自問自答する
愛はどうやって消えていったのか
何かが私の耳元で囁く
「あなたは一人ではない
私はあなたとここにいるから
遠く離れていても
私はここにいる」と)
Something whispersなのです。
何かが耳元でささやくのです。
誰かが、ではなく(←ここ重要w)。
そして、視点は変わり、そのSomethingがSubject(主語)になります。
But you are not alone
I am here with you
Though we’re far apart
You’re always in my heart
You are not alone
(でも、君はひとりじゃない。
僕は君と一緒にここにいるよ
離れていても
君はいつも私の心の中にいる
君は一人じゃない)
マイケルは「君はひとりじゃない。遠く離れていても、一緒だよ」と繰り返し叫びます。
(これはマイケルなのか、それとも神の人間に対する「愛」なのか)。
面白いのは、まず信仰が必要なんだ、君が手を差し伸べることが大事なんだという意味のことも言います。
But first I need your hand
Then forever can begin
(しかし、まず君の求めが必要です
そうすれば、永遠の救済が始まります)(←意訳しすぎかw)
ヒーリングパートはこう始まります(前半が孤独の絶望パートとしたら、後半は「きみはひとりじゃない」というヒーリングパートです)。
Just the other night
I thought I heard you cry
Asking me to come
And hold you in my arms
(つい先日の夜
君が泣くのが聞こえたよ
僕に来てくれと言っている
そして、私の腕の中であなたを抱きしめて、と)
Another day has gone
と
Just the other night
は見事な対をなします(たぶんw)
DayとNight、そしてAnother(One other)とThe otherです。
マイケルは歌います。
♬君が助けさえ求めれば、もしくは3つのワーズをささやけば(マントラを唱えれば)、僕はすぐに駆けつけるよ♬、と。
これはイエスの言う、
求めよさらば与えられん
たたけよ、さらば開かれん
ですね!
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(マタイ7:7)
マイケルはこう歌います。
Whisper three words and I'll come runnin'
And I and girl you know that I'll be there
I'll be there
(君が3つの言葉をささやいてくれたら、僕は走って君のもとへやってくるよ。
そして、僕は(そこにいるよ)、、少女よ、君は僕がそこに来るって知っているだろう。
僕がそこにいるって)
Whisper three wordsって、I Luv U(I love you)と言われますが、これは「私は神を愛しています」ともこの文脈では訳せます。「私は自分の人生に神を受け入れます」とも。
そして、「Whisper three words」というのが信仰告白であると共に、一方でマントラにも感じますね。もしくはゴール設定にも。
君が助けを求めれば(ゴールを設定すれば)、夢は叶うんだ、と。
で、ようやく(冒頭に紹介した)最後のオチに戻ってきます。
歌の最後に消え入りそうにマイケルが叫びます!
♫God done being alone♫
この言葉の意味は、God done (you) being aloneなのか、それとも神が一人ぼっちなのか、、、。
この歌詞の流れで、最後に神が私達を孤独にしているんだ、と言っていると思うと、かなりすごいことですし、、、。
とは言え、孤独の中で(ビリー・アイリッシュが言うように)、未来の自分を見つめられるのであれば、レモン(苦難)と同じく孤独もまた神の祝福なのかもしれません。
♫I know supposedly I’m lonely now
(いまの私は寂しいって分かっているよ)
Know I’m supposed to be unhappy
without someone
(誰かがいなきゃ不幸せってこともね。)
But aren’t I someone?
(でも、その誰かって、私じゃダメなの?)♫
c.f.♬だって私、恋しているの、私の未来と。彼女(未来の自分)に会うのが待ち遠しいの♬(ビリー・アイリッシュ) 2020年08月01日