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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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♬だって私、恋しているの、私の未来と。彼女に会うのが待ち遠しい♬(ビリー・アイリッシュ)

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成長は強い痛みを伴うものですし、同時に多くの別れと辛い無理解にさらされます。

 

家族と別れ、友人と別れ、共同体から追い出され、そして過去の自分からも見捨てられる痛みを覚えます。

 

「まといのば」で学び始めるときにオススメするのは、「アルジャーノンに花束を」です。

成長するということは、シンプルに言えば、抽象度が上がるということです。

 

 

 

抽象度の階段を上がると、多くのものを捨てることになり、特に自分を捨て、過去の自分を殺し、過去の愛おしい自分を見捨てることになります。

 

すべての変化は寂しさをともなう。私たちが捨ててゆくものは私たちの一部なのだ(アナトール・フランス) 2016年09月11日

 

 

ビリー・アイリッシュがコロナ禍の中で作ったという新曲を発表しました。

 

 

‘Cause I, I’m in love
With my future
Can’t wait to meet her
And I (I), I’m in love
But not with anybody else
Just wanna get to know myself

 

(私は恋をしているから
私の未来と。
彼女に会うのが待ち遠しい
そして、私は、恋をしている
しかし、他の誰とでもない
自分を知りたいだけ)

 

*コロナはKapha(カパ:水)ドーシャの香りがしますね。

だからこそ、雨上がりが待たれます(リンディ効果を考えると、、、この集団発狂の長期化を覚悟しないとですが)。

 

って、ここで宮迫さんの「雨あがり」を貼り付けるのは悪ノリしすぎかもw

 

 

 

何かを考えるときは、極端な例を考えます。

 

それも実在の人物で。

 

 

たとえば、お釈迦様は理解されたでしょうか?

イエスは?

マホメットは?

 

イエスは最後まで無理解に苦しみ、そして頼りの神様からも見捨てられたと感じていました。

 

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46

 

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とは、「神よなぜ私を見捨てたのか?」という詩篇からの引用です。

神に見捨てられ、打ち捨てられた自分を呪うシーンです(いや、最後は神に感謝するのですが)。

 

わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

 

詩篇は旧約であり、ここで呼ばわれる神は旧約の神です。

しかし、新約の神のように「遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのです」。

イエスは最後の最後に神に見捨てられていたと嘆くのです。もちろん周囲も誰も理解しません。

(ちなみに、一緒に磔にあった罪人もイエスを理解しません。パラダイスバージョンはまた別です)

 

一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。(マタイ27:44)

 

ですから、人からは理解されず、神は答えずという絶望の中にあります。

 

ふるっているのは、エリ・エリ・レマ・サバクタニに続く章節です。

エリ・エリ・レマ・サバクタニと叫ぶイエスを見て、エセインテリ野郎だと思うのですが、知ったかぶって浅はかにもこう言います。

 

すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。

 

もちろんこの解釈は間違いです。エリヤを呼んでいるのではなく、詩篇の一節を叫ぶことで、神を呪っているのです(「呪っている」は言い過ぎですw)

でも、この浅はかな男は、ちょっと律法を聞きかじっており、預言者エリヤのことを知っていたので、イエスの「エリ・エリ」という叫びを聞いて、「エリヤを呼んでいる」と勘違いします。エリヤが助けに来てくれるのを待っているのだ、と。

 

こういうことを平然と書く聖書書記者というのはどんな気分だったのでしょう?

 

イエスが自分の絶望を叫び、神から見捨てられていると叫んでいるときに、周りの無能は「助けを呼んでいる」と誤解しているのです。猛烈な皮肉です。こんなことを平然と書くという聖書書記者は鬼畜で、サイコパスに感じます。しかし聖書の美しい場面の一つです。

 

何が言いたいかと言えば、抽象度が上がれば、どんどん誰からも理解されなくなるということです。

周りと仲良くしたければ、善意の道で舗装された地獄への道を歩くしかありません。

せっせとアルコール消毒をして、マスクをすると良いです。ジャンクでしかないニュースを頭に詰め込んで、テレビのワイドショーでも見れば完璧でしょう。

 

高橋和巳でしたか、「真に孤独なものしか連帯できない」と書いていましたが、本当にそうだなと最近は思います。

お互いに憎悪している同士が馴れ合っている様は地獄絵図だと思うのですが、本人たちは楽しそうなので、別に構うこともないでしょう。

 

マホメットは最初の奥さんが強い理解者であり、イエスにはおそらくマグダラのマリアがいたのでしょう。親鸞には法然がいて、ニュートンにはアイザック・バローがいて、ホーキングにはデニス・シャーマがいました(いや、しかし、それしかいなかったのです。そして、そこにあったのは理解ではなく、純粋な愛だけだったでしょう。師弟愛も含めた愛です。天才は理解されません。未来の天才によってしか)。

 

c.f.「ニュートン力学を最初に完全に理解したのは誰か?」〜錬金術の秘密 2017年07月01日

 

 

 

 

デカルトは未来の人に向けて文章を書くと言い、ガウスは秘密主義で有名です。

同時代人たちには理解されないことが前提でした。

 

しかし最も辛いのは、自分が自分を理解できないことでしょう。

(ゲーデルは自分が発見したものを理解できずに、神の存在証明に明け暮れて発狂し、最後は餓死しました)。

 

*ゲーデル。唯一の友達であるアインシュタインと共に。

 

 

ただ理解できないのは当然です。抽象度が違うからです。新しい自分は常に今の自分を超えるものであり(そうでない場合は別としてw)、それは古い自分には理解できません。

 

ですからビリー・アイリッシュは

 

‘Cause I, I’m in love
With my future

 

と歌います。

 

孤独の中で、自分の未来に恋に落ちるのであり、未来の自分とはまだ見ぬ自分であり(現在の延長線上に無く)、そしてその自分に会うことを楽しみにしているのです。

 

そのときに古い自分は乗り越えられ、打ち捨てられるのでしょう。

しかし、それで良いのです。

我々の選択肢は、成長するかもしくは成長するしかないのです。停滞というオプションはありません(笑)

c.f.物事というのは、安定している状態を保つことが一番難しい。人生も同じで、普段からそう考えているべき 2018年01月08日

 

 

もちろんそこに(変化には)一抹の不安が残り、一抹の悲しみが残るでしょう。

 

 

そのときは、冒頭に紹介したアナトール・フランスの一節でもつぶやきながら、その気分(ドーシャの過剰)をやり過ごしましょう!!

 

すべての変化は寂しさをともなう。私たちが捨ててゆくものは私たちの一部なのだ(アナトール・フランス)

 

 

 

【動画紹介】

歌詞の和訳です!

 

【書籍紹介】

 

 

橘玲さんの新刊で面白いですし、科学的な調査に基づいているのでしょうが、、、、違和感ばかりでした(笑)

まあ科学というのはそういうものだと言われればそうですが、、、まあ、参考程度に!

ただ、最新科学の知見はなるほどと思わされることが多いです(逆にアンケートベースのものは「??」となるものが多いです)。


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