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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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次第に、私は名声を渇望する人たちに、吐き気、嫌悪、不信を覚えるようになっていった(タレブ)

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光が強ければ強いほど闇が深くなるもので、希望が見えてくればくるほど、闇が漆黒となりへばりついてくるようです。

 

今回の弱毒性の感染症に対する大騒ぎは、ある種のフラグです。何のフラグかと言えば、大きな激震がおこり、大きなパラダイム・シフトが起こるフラグです。本来は心配しなくて良いことを、無駄に騒ぎ立てて、大問題にしてしまうというオルテガの大衆論的現象はいまに始まったことではなく、つい最近の原子力の事故でも同様でした。原子炉はきちんと地震に対応して止まったことは評価されず、単なる電源喪失によって、テクノロジーの根幹が破壊されました(根幹とは研究者たちのモチベーションです)。

 

「まといのば」としては、本気で書き換えのできる人材をこの先数年でガチでかなりの人数、輩出したいと思っています。

 

PayPalマフィアではないですが、まといのばマフィア的な意味でそれぞれの業界を席巻してもらいたいと思っています。それだけのポテンシャルが今のメンバーにはあります(マフィアですので、出身はそれぞれ伏せて、特殊な挨拶の方法によって、同じ秘密結社に属していることを知ります、、って冗談です。

わからない人のために蛇足を承知で書けば、かつてのフリーメイソンリーにかこつけた冗談です)。

(ただ出身を伏せて、それぞれの業界で活躍して欲しいとは思っています)。

 

で、「まといのば」はかつてのようにギルド化したいと思っています。

良い仲間で切磋琢磨する中で、飛躍的な上達が期待できます。

 

ギルドの中は本当に楽しいでしょうし、それぞれギルドのアイディアを持ち帰って、神がかった施術や書き換えができるでしょう。

 

 

しかし、抽象度の高い世界が光であればあるほど、現実世界は闇が深くなります。

 

 

集められた魂は目覚める

霊(アートマン)の知識の中に

それは無知の者には暗夜である。

無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚める

それを彼らは日光だと思う。

だが見者にとってそれは暗黒である。

(バガヴァッド・ギーター2章69節)

 

オルテガであれば、大衆と貴族と分けるでしょう。もちろん精神性の大衆と貴族です。大衆のうちにも貴族がおり、貴族のうちにも大衆性の高いものがいます。

 

 

 

 

ソクラテスは洞窟の比喩(イデア論)でこのあたりの機微(きび)を上手(じょうず)に描いています。

 

地下にある洞窟状の住まいの中にいる人間たちを思い描いてもらおう。光明のある方へ向 かって、長い奥行きを持った入り口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの 住まいのなかで、子供のときからずっと手足も首も縛れれたままでいるので、そこから動くこともできないし、縛めのせいで、頭を後ろへ巡らすことができないので、正面しか見ることができない。(略) そのような状態に置かれた囚人たちは、自分自身やお互い同士について、自分たちの正面 にある洞の一部に火の光で投影される影のほかに、何か別のものを見たことがあると君は思うかね?(プラトン「国家」)

 

アホな聞き手のグラウコンは奇妙な囚人ですねと言いますが、ソクラテスはその奇妙な囚人こそが我々だと返します。

 

 

抽象度の低い洞窟の中で影絵を見ている者共はそれが世界だと思っています。しかし洞窟という牢獄から飛び出したものは、最初は光の強さに何も見えませんが、だんだん慣れてきます。

明るいところに慣れるということは、暗いところに盲目になるということです。

 

 

抽象度の高い世界に慣れるということは、抽象度の低い世界が全く見えなくなるということです。

 

無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚める

それを彼らは日光だと思う。

だが見者にとってそれは暗黒である。

 

無知な者が日光だと思うものを、見者は暗黒と感じます。

 

 

IQが上がればあがるほど、これまで見えていなかったいろいろなものが見えてしまい、嫌な部分が見えてきてしまい、絶望的になるということはよくあります。

「アルジャーノンに花束を」は早めに読んでおいてほしい本です。

このままのことを、まさに体験します。

 

 

一方で洗脳の巣窟となるのは以下のような世界です。

 

我々の小さな世界を既得権益層は虎視眈々と破壊しにきます。

 

イアーゴ お気をつけなさい、将軍、嫉妬というやつに。

こいつは緑色の目をした怪物で、人の心を餌食とし、

それをもてあそぶのです。

(ウィリアム・シェイクスピア『オセロー』)

 

脱洗脳で一番厄介なのは、この「嫉妬」をめぐるものです。

 

 

タレブはこんな風に書いています。

 

 

(引用開始)

学者(特に社会科学の学者)は、互いを信頼していないようだ。彼らはちっぽけなこだわり、妬み、氷のように冷たい憎悪の中で生きている。ちょっとした冷遇が積年の恨みへと変わり、コンピューター画面との孤独な対話や環境の不変性のおかげで、次第に化石化していく。あれほどの妬みは、ビジネスの世界ではほとんど見たことがない。私の経験からいえば、お金や取引というのは関係を浄化する。だが、「名声」や「評価」といった概念や抽象的な物事は、関係を歪め、永遠の敵対感を生み出す。次第に、私は名声を渇望する人たちに、吐き気、嫌悪、不信を覚えるようになっていった。

(引用終了)

 

 

 

彼らはちっぽけなこだわり、妬み、氷のように冷たい憎悪の中で生きている」というのは、非常に納得です。

 

なぜ、「お金や取引というのは関係を浄化する」のか、いぶかしく思う人は、ジェイン・ジェイコブズの2つの倫理(市場の倫理、統治の倫理)が役に立つかもしれません。

 

シェイクスピアですら、ベニスの商人で金貸しシャイロックを悪役として描きます。資本主義はその生まれから嫌われ者ですが、実際は「お金や取引というのは関係を浄化する」のです。

 

 

 

でもこれは、学者の世界だけではなく、タレブの好きな配管工も同じだと思います。シンプルに言えば、オルテガの言う大衆と貴族でしょう。

 

小さな商業を通じて寛容の道を行く少数者こそが、身銭を切る貴族だと思います。そんなことを言うと、タレブからSNSで叩かれそうですが。

 

いずれにせよ、少数者として生きるのであれば、緑の目をしたパノプティコンに圧殺される覚悟は必要です。覚悟さえしておければ、絡まった緑の蔦(つた)を燃やすこともできるでしょう(おそらく)。

 

 

 

【動画紹介】

 

 


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