聖書の中のイエスは笑ったことがなく(ただ正典として採用されなかった外典では、笑うイエスが見られますが)、彼が心から喜んだのはたったの2度だけです(多分)。
一度目はともかく二度目は十字架の上です。
あの有名な、
いま、君はパラダイスにいる!私と共に!
today you shall be with Me in Paradise.
というシーンですね。
ゴルゴダの丘に磔刑(たっけい:十字架での死刑)にされたときに、イエスは他の2人の犯罪人と共にいました。
1人がイエスを煽り、もう1人がイエス様には罪がないと言います。
怖いおまわりさんと優しいカツ丼をくれるおまわりさんのような粋な演出ですw
まんまとイエス様は喜んでしまい(笑)、最高のお言葉をこの優しいおまわりさんもとい犯罪者Bに言い渡します。
それが上記の言葉です。いま(今日)君はパラダイスにいるだろう、と。
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聖書を再読してみたいという方のために、引用しておきます。
犯罪人Aの叫びは、その後のキリスト教に投げかけ続けられた言葉です。
「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」
いや、何よりもイエスが帰依していたはずのユダヤ教から最も投げかけられた言葉です。なぜなら救世主は殺されるはずがないからです(逆に殺されるようであれば、救世主ではないというのがユダヤ教の教義でした)。
(引用開始)
23:39 十字架にかけられた犯罪人のひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」と、イエスに悪口を言いつづけた。
23:40 もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
23:41 お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
23:42 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
23:43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。
(ルカ23:39)(同様のローマ百卒長の話がマタイ8:5にも)
これが最後から1度目のイエスの歓喜です。
もう一つは、、、そして先に残念なお知らせですが、イエスが弟子たちに満足したことは一度もありません(ただ、外典であるユダの福音書では唯一、ユダを弟子として認め、また他の外転であるマリアの福音書では、マリアが唯一、イエスの理解者として描かれています)。
もう一つはローマ百卒長に対してです。
実はとあるローマ百卒長に対して、彼は最高の賛辞を贈ります。
あまり評価されることが少ないシーンですが(サマリア人のたとえや山上の垂訓に比べると)、重要なシーンでしょう。
さて、問題です!
(というか、今日の受講生への問題です)。
「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」とイエスが言いますが、「これほどの」とは何を示しているでしょうか、そしてなぜ「これほどの信仰」とイエスは言うのでしょうか?
なぜ読解問題を出すのかと言えば、シンプルです。
文字が読めないと、文章が読めず、文春だと読めないと身体を読めないからです。
ロゴスを「まといのば」では重視しますが、ロゴスとは言葉であり、論理を指します(そもそも言葉は論理を内包するのです。現代のように言葉が符牒のように扱われる事態は異常です)。
解剖直観とは、「直感」ではなく「直観」です。そこにはアルゴリズムがあります。
アルゴリズムを止めて観ることが求められ、そのための助走として、文章を正確に読解することが求められます。
知識がないのは補えますが、論理がない場合は訓練しましょう!
というのも知識の欠如は分かりやすいのですが、論理性の欠如はなかなか気付け無いのです。
レジュメではお馴染みのこちらを教材としましたが、、、、
私たちは、私たちは学ばないということを私たちは学ばないということを自然とは学ばない(ナシーム・ニコラス・タレブ)
この文章の構造をリニアに読みながら、構造化するのが重要です。Echoの真髄もそこにあります。機械的に論理構造を取り、可視化することです。
というわけで、以下がローマ百卒長の物語です!!
再掲しますが、問題は以下の通り。
「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」とイエスが言いますが、「これほどの」とは何を示しているでしょうか、そしてなぜ「これほどの信仰」とイエスは言うのでしょうか?
(引用開始)
7:1 イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。
7:2 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。
7:3 この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。
7:4 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。
7:5 わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。
7:6 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。
7:7 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。
7:8 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
7:9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
7:10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。
脱洗脳とは荷物を下ろすことです。
邪魔をしている情報を外に出すことです。
なぜ多くの人が脱洗脳のチャンスがあっても、脱洗脳しないのでしょうか。そして脱洗脳されても、すぐにもとに戻るのでしょうか(見知らぬ天使よりも、昔馴染みの悪魔が好き)。
それは、どんなに邪魔でもそこに愛着があるからです。いや、アナトール・フランスの言うように、私達の一部だからです。
c.f.すべての変化は寂しさをともなう。私たちが捨ててゆくものは私たちの一部なのだ(アナトール・フランス) 2016年09月11日
余談ながら、荷物を下ろすで思い出すのは、次の小話(こばなし)。
大きな荷物を持って師弟が坂道を登っていました。
弟子が師匠に質問しました。
「悟りとは何ですか?」
師匠は何も言わず、立ち止まり、荷物を足元に下ろしました。
弟子は何事かを悟り、再び質問します。
「悟りを得たあとの人生とはどんなものですか?」
師匠は何も言わずに、おろした荷物を背負い、再び歩き始めました。
この物語を理解した上で煎(せん)じ詰めると、「悟ったお方はホームレスと変わらない」というドクターの命題に行き着きます。
何も変わらないけれど、大きく違うのです。
あとはひたすらに機能を果たすだけです。中観ですね!
というわけで、気功整体師養成スクール(脱洗脳編)の最終日もがんばりましょう!!!
【まといのば講座『ドーシャ・コントロール 〜「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」の科学』】
【日時】 7月30日(木)19:00~22:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 30,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生、OnLine MenTor受講生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから!!
*ヴァーチャル受講もしくはライブ受講(Zoom受講)も可能です!!
〜スクール予定一覧、7月、8月、9月、10月〜
【気功整体師養成スクール(BootCamp選抜①)】(受講料23万円 7月18日(土)13時から、7月19日(日)13時から)
【美肌プロ養成スクール --透き通る肌の向こう側--】(受講料23万円 8月22日(土)13時から、8月23日(日)13時から)
【メンター養成スクール --脱洗脳とゴール設定--】(受講料23万円 9月19日(土)13時から、9月20日(日)13時から)
【まといのば主宰「ハワイ大学医学部解剖実習スクール」(受講料396,000円、10月2日(金)、3日(土)、4日(日) 〜ハワイ大学医学部現地集合、現地解散。飛行機やホテルの手配は別途必要です!)
(解剖実習のみは定員のため、キャンセル待ちを受け付けています)。
*10月のハワイ大学医学部解剖実習はアメリカ本土のコロナ禍を受けて、暗雲が立ち込めています。基本的には延期の方向です。ただいずれにせよ開催はしますので、お楽しみに!
(具体的には、ハワイが渡航制限を今月15日に再延長したこと。ハワイから帰国した際に2週間の隔離を強制されること。そしてハワイ州の指導により、解剖実習室でも密を避けねばならないという状況があります)