映画Jokerのテーマは「本来の自分になる」ということでした(たぶん)。
彼は身銭を切ることに決めたのです。
(コソコソとこっそりと人を殺すのではなく、衆人環視のもとで殺すことに)
これまで他人を楽しませようと、お母さんを喜ばせようと無理をしてきて、理想の子どもになろうと(理想のパパに向けて)がんばってきたことの全てが無駄だったことに悟って、アーサーはJokerは生まれ変わります。
*今回の暴動をJokerの映画と重ねる方がいますが、、、表層的な見方の極みですね。
暴動は、模倣が模倣を呼ぶミメーシスの擬似的な興奮です。
ただ暴動による破壊や窃盗は犯罪ですから、それは差別とは全く関係ありませんし、自分で自分の犯した罪を償うべきでしょう。
*これは政治的には言ってはいけないことなのでしょうが、、、、デモやストライキに対しては、古臭さと非効率さしか感じません。もし本当に社会を変えたいのであれば、リスクを取って起業家になることです(とティールも言っていました)
*いわゆる環境団体もディカプリオが後押ししたドキュメンタリーを信じるならば、グリーンピースやピンクリボンですら、大手食品メーカーのスポンサーシップのために、口を封じられています。対外的に威勢の良いことを言ったり、捕鯨船にアタックするのも良いですが、それはマーケティングでしかないということです。本気で環境のことを考えているならば、是非、スポンサーに都合の悪いことを言う過激な集団であって欲しいと思います。
「本来の自分」というとスピリチュアリズムがよだれを垂らして喜びそうなので、使いたくないのですが、、、、、タレブを借りれば身銭を切るということです。
身銭を切るとは、、、
自分の実世界に対してリスクを背負い、よい結果と悪い結果のどちらに対しても、その報いを受けるということです。
当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、人にはやらせておいて(たとえば「自粛」とか)、自分はその責任を一切取らない人々がゴロゴロいます(しかし彼らは自粛もマスクもしません)。
普通、子どもはリスクを取って怪我をしながら、身体の使い方を学びます。
我々も同じです。
しかし、リスクを取らず、しかしアップサイドからは利益を奪い、ダウンサイドは人に押し付ける人たちがいるのです。ロバート・ルービン取引ですね。
タレブが言う干渉屋や知的バカたちがそれに当たります。
そして、それを加速させるのが、「政府の介入」です。
一般的に政府の介入そのものが、身銭を切らなくてすむシステムを生み出している(ナシーム・ニコラス・タレブ)
(友人からの連絡によれば、尾身先生と同じように西浦先生も億単位で研究費を厚生労働省からもらっているようです。彼らがどちらを向いて仕事をしているかがよく分かります)。
(というか、想像以上にすごいみたいですね、、、)
(あんな人の良さそうな顔をしているのに、、、)
政府はそもそも介入することなどないのです。
そして、そのお金は政治家が汗水たらして稼いだお金ではありません。
誰かが稼いだお金を掠め取ったお金(血税)を、ばらまいているだけです。
病院が倒産の危機だそうです。
コロナのために準備したら、コロナ患者がそれほど増えずに、赤字が膨らんでいる、、としたら、それは明らかな見込み違いですので、身銭を切った結果として、市場から退場すれば良いことです。
もっと上手な病院経営者が跡地に入るでしょう。
他の業界ではそのような自然淘汰が普通なのに、なぜ政府が尻ぬぐいをしなくてはいけないのか、、、、あ、日本は世界で最も成功した社会主義国だからですね(いや、日本だけでしょうか?)
ちなみに、不要不急な緊急事態宣言なるものによって、不要な倒産に追い込まれたところはたくさんあります。売上ゼロで固定費により負債が膨らみ(助成金などで足りるはずもなく)、廃業するところは多くあります。病院や大企業だけが助けられるべきでしょうか?
赤狩りと言われた共産主義のときも似たような議論がありました。
似たようなというのは、感染が拡大するという議論です。
ドミノ倒しのように共産主義が広がる、と。
どこかの指数関数的増大とそっくりです。
人間を単純化して考えすぎなのです。
*赤狩りをリアルに描いた「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は面白いです!
「赤狩り」ほど明確な形ではないにせよ、魔女狩りはいつも行われています。必見です(特にブレイキング・バッドを楽しんだ人にとってはw)。
*この特典映像は面白いです。予告編とこの特典映像だけでも見て欲しいと思います。
*思想信条に関係なく仕事を続けることは大切だと思います(人との距離を開けろだとか、家にいれば救える命があるだとか、自分の頭で考えたことのない奴隷たちはクリエイティブに文明を破壊する方法を思いつくものだと感心します)。
*僕自身も風呂場で仕事をするので、トランボに共感します。そして周囲の人間を巻き込んで破壊していく様も(彼は幸いにも、奥様のおかげで、家族と離散しなかったようですが)。
しかし、今や世界中がコミュニストに支配されたかのようです。
皮肉なことです。
中国やロシアがしっかりと(見た目はどうあれ)資本主義になったのに、世界が共産主義になりました。
国がなぜか損失を補填し、助成金を出しています。
資本主義なのだから、休業要請による閉店であっても、自分で何とかしろ、と言って欲しいものです。そういう無茶振りがCapitalismです(共産主義的な世界に住んでいるピケティには絶対に分からないでしょうが。多分)。
新宿にあるデパートに入ろうとしたら、呼び止められました。
顔面フェイスシールドをした店員が近づいてきて(あの顔の前の透明なやつは何かの罰ゲームなのでしょうか?ご本人たちはどうやってあんな恥ずかしい格好で仕事をしていて、正気を保つのでしょうか?いや、僕らも解剖のときは使いますが)、ささやくように「マスクを持っていますか?」と来ました。
「持っています」と答えました。つけろとは言われていませんし、その意味も感じませんし。
最近、気づいたのは本当に恐れている人が意外と多いということです。
そろそろ本気で自分の頭で考えないと、まずいことになります。
さんざん振り回されたあげく、全部はしごを外されます。
あなたに指示をする人は、どんどんと言うことを節操なく変え、一貫性も論理性もありません(テレビも政府も)。
そのあげくに健康も人生もお金も奪われます。
多くの人の言うことに従って誠実に生きていけば一生が終わる時代は過ぎています(そんな時代があったのかは別として)。
自分の頭で考えるべきです(それで間違える人もいますが、それはそれで身銭を切れば良いのです。自分の撒いた種を自分で刈り取れば良いことです)。
私は選ばずに信じたのです。私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。(カズオ・イシグロ『日の名残り』)
カズオ・イシグロの『日の名残り』は切ない小説です。
戦中、そして戦後にかけて執事として活躍した人物の物語です。
彼はJokerになることができず、自分の心を殺して、職務に忠実に生きることが「品格」だと考えていました。
自分の本音を抑圧しているうちに、自分の本音が分からなくなります。
(そのことが彼を愛する周りを傷つけるということも)
胸をかきむしられるような哀しみが広がる作品です。
自分に忠実に生きていかないと、大事な瞬間を失うことで、人生を失うのです。
全てを失う覚悟を持って(自分の生命ももちろん)、身銭を切ることです(なかなか難しいですが)。
*僕自身は小説から先に読んだので、執事のスティーブンスの印象は主演のアンソニー・ホプキンスとは全然違ったのですが(もう少し痩せぎすの神経質そうな印象で)、、、小説世界をうまく映像化していて、非常に良い映画です。
ポストコロナセミナーでのポイントは、身銭を切るということでした。
今後のビジネスモデルでは顔が無いビジネスなどありえないのです。
身銭を切ったリーダーが率いるのです。
アップルにはJobsの顔が刻印され、Amazonにはベゾス、Facebookはマーク・ザッカーバーグの顔が見えます。マイクロソフトは依然としてゲイツの顔が見え、ソフトバンクの孫さんや、楽天の三木谷さんも同様です。
この先の幸せも成長も、身銭を切る中にあります(これまでもそうでしょう)。
身銭を切らない人がさんざん妨害をしてきますが(その意味で我々は言論の自由を無邪気に信じられる世代ではありません。自由な言論が民主主義を、、、って)、我々は頑固な少数者でありましょう。
偽名でローマの休日の脚本を書いた(その上、アカデミー賞まで取った)トロンボのように、それでも仕事をすることです(仕事は取ってくるものですし、異常な努力を長時間続けるものです、、ということがよく分かります)。
*余談ながら、トロンボもそうですし、『日の名残り』でもそうですが、本当によくお酒を飲み、煙草を吸います。そういう時代ですね。車でも飛行機でも電車でも煙草は普通でした、お酒もw。(まあ、最近のドラマ「スーツ」でもしょっちゅうお酒を飲んでいますが)
真正面から闘っても無意味です。
隠れて生きましょう。たまに布マスクをしたり、手指消毒をしたフリをしたりして(^o^)
(偉大な尾身先生に倣って、鼻を出せばずいぶんと楽です)。