*「神の草」セミナーですが、ちょっと聞き直してみるとあまりに音がひどい、、、、Orz
音声が悪くても受講したいと言ってくださる方が多くいらっしゃっていて嬉しいのですが、ちょっとこれはセミナー教材としては厳しすぎると思っています。
というわけで、かなりいろいろと悩んだのですが、、、、
再撮影を行います。これは完全に収録のための撮影です(ライブ配信が無いということですね)。
現状では5月5日(火)19時を考えています(確定したら告知します!)
追加開催という形で募集もします!
内容はなるべく変えないつもりですし、、、コアになる部分は同じですが、いつもながら大きく変わると思います(笑)
というわけで、追加開催募集開始です!!!
市場というのは歪みを消すゲームです。
市場価格と本当の価格に乖離があれば、それを見つけて利ざやを稼ぐ人たちがいます。
あまりにも不当に低ければ、それを安く買って、高く売り抜ける人がいて、あまりに高く評価されているものは、空売りされます。
そうやって歪みを見つけては、儲けるけとで歪みを消していきます。
「楽に儲かる」という動機で始められるビジネスは、情報がオープンである世界では過剰な競争を発生させ 2018年07月06日
同様にワーム・ホールも見つかるとそこに人が殺到して、そのワーム・ホールは機能しなくなります。
殺到しなくても、ワーム・ホールはいつまでも開いていることはありません、、、、と去年の今頃に「予言」していましたが、、、、実際に穴はふさがったようです。
(なぜ「予言」と書くかといえば、それは予言ではなく、確率論的に当たり前のことだからです。「人はほぼ確実に死ぬ」というのは予言ではなく確率です)。
どのように塞がるかわからないけど、塞がることは分かるというのは、いわば確率論的な思考です(たとえばこれから1929年の大恐慌並の大恐慌が起こり、それが終わったのと同じように世界大戦で終わる可能性が高いのは事実でしょう。それは確率論的に蓋然性が非常に高いのです。それにどのような不況や恐慌であっても、今のように戒厳令が全世界的に起こり、経済をストップされることはありませんでした)。
今回のウィルス性感染が通常の季節性風邪となることも確率的に蓋然性が高いことです。
すなわちここには2つのほぼ確定した未来が含まれます。
第一に感染を封じ込めたり、ウィルスを撲滅するという未来はほぼありえないということ。
第二に未来においては、誰も怖がっていないということ(ゆえに論理的に考えれば、たとえば時間は未来から流れると考えれば、今も怖がる必要はないということになります)。
(以前も書いたように、新型インフルエンザ(A(H1N1)pdm09型インフルエンザウイルス )は遺伝子分析の結果、スペイン風邪と同じだったそうです)
とすると、季節性インフルエンザや季節性の風邪となるべきものに対して、恐れる必要はなく、いや、いま流行りの言い方で言えば「正しく怖がる」ことでしょう。
ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。
(略)
翌日の東京新聞で見ると、四月二十日(
以来の最大の爆発で噴煙が六里の高さにのぼったとあるが、これは信じられない。素人(しろうと)のゴシップをそのままに伝えたいつもの新聞のうそであろう。
日本だけに限って見ても、1月中旬に武漢(ウーハン)から戻られた方の感染が確認され、そして今や4月が終わります。指数関数的増大とか、重大局面とか、緊急事態という叫ぶ人たちは、数(かず)が数(かぞ)えられないのか、もしくは来るぞ来るぞと脅してきたのに、狼が来ない緊急事態に恐れおののいているのではないかと心配になるほどです。
為政者の皆さまや、いまや井戸端会議なのではないかと思う専門家会議の皆さん(緊急事態宣言なるものの解除を話し合っていないという報道が事実であれば、気が狂っているとしか言いようがありませんし、もしスーパーの感染うんぬんという報道が事実であれば、院内感染対策について議論しない理由を問いただしたい(笑))は、「行動変容を促したい」という言い方で語るに落ちています。すなわち人を操作したいという誘惑に抗し難い魅力を覚え、その権力の味にまいっているのでしょう。
権力を振りかざすのであれば、それ相応の責任が必要です。
そしてたまたま勝ち得た(というか棚ぼたの)権力を間違って行使したリーダーの首ははねられるべきと思います。
我々民衆側からも多くの犠牲が明確に出るのですから。
これはセミナーでも繰り返し話すことで、論理的というよりは、象徴的な議論になり恐縮ですが、、、今回のウィルス感染騒動の最初の死者は感染による肺炎などではありませんでした。
自死でした。
これは非常に象徴的だと思います。
2月1日のことです。当然ながら、海外でも似た事例は相次いでいます。
内閣官房職員、飛び降り自殺か
埼玉の中国帰国者受け入れ先施設
2020/2/1 22:16 (JST)
©一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/596305341366977633?c=113147194022725109
そろそろ僕らは「皇帝の新しい着物など無い(王様は裸だ)」と叫ぶべきでしょう。
もう多くの人がうっすら気付いており、そして騙されたことに怒りを覚える人は増えていくと思います。
人生を壊滅的に破壊された人は多いでしょうし、今回のInfodemicというデマを信じる人は減っていっていくはずです。
もちろんほとんどの人はものを考えず、言われたことをそのまま鵜呑みにするでしょう。
ただ、いま「考えない」ことの代償は大きすぎます。平時であれば、普通に暮らせますが、現在のような緊急事態においては、考えなければ命取りです。
ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。
これは十分にこわがるに足ることだと思います。
呪いの楔(くさび)が打たれ、PTSDに多くの人が苦しみ、原因不明の病気が流行ります。
その原因はシンプルにInfodemicによる脳の汚染であり、心が病むことで、身体に現象化するのです。
病は気から
ということです。
僕らは言葉にすがりつきますが、本来は内なる論理性に頼るべきです。
丁寧に数字を見て、権威主義を一度エポケーして(棚上げして)、考えてみれば、スッと上の抽象度に移動できます。そこは暴風雨の中の一隅の凪(なぎ)であり、もしくは台風の目のような感じです。上空には青空が広がっています。
言葉というものは全く調法なものであるがまた一方から考えると実にたよりないものである。「人殺し」「心中」などでも同様である。
ヒーラーの多くが、誰かの受け売りなのか「これはただの風邪だ」と言っていますが、それはそれでもちろんアウトです。単なる権威主義や受け売りであれば、その報復を受けます。
根拠を示すべきです。
というか、すべての言説には根拠が必要です。自分がそう思うからそう思うでは、子供と同じです。もしくは独善的な為政者と。
「まといのば」としては、「今回のウィルス性感染が怖くない」と言っているのではなく、まっとうに評価すべきと言っています。そのときに最低限のリテラシーが必要なのです(今回のウィルス感染症に対する評価の詳細はこれまでの記事に書いています)。
すなわち、他の恐れるべきこと(感染症)との比較の中で相対的にそのリスクを評価すべきです。気分で判断すべきではないのです。
頭を使うことです。
余談ながら、リテラシーの全く無いのにあたかもリテラシーがあるように振る舞うヒーラーは市場から淘汰されます(これは予言ではなく事実です)。悪いことは言わないので、もっと技術をシンプルに磨きましょう。
僕は自分の先生から言われた言葉はずっとエコーしています。
「馬鹿なんだから、手を動かせよ」、と。
「考えているふりをするな」、と(笑)
*ロダンの「考える人」は考えているのではなく詩人が覗き込んでいる図ですw
頭が悪いのであれば、付け焼き刃でなんとかしようとしないで(虚構を演じないで)、腕を磨きましょう。
シンプルに練習を積み重ねれば上手になります(指摘されたことは二度と間違えないように岩に刻み、自分の体にも刻印しておきましょう)。
ヒーリングはかなりの部分がテクニックです。
技術は磨けば、磨かれます。
楽譜を手にしただけで、その曲を弾きこなせるはずと考える愚か者にかけるべき言葉はありません。
(伝授を受けただけで何かできるはずもないのです。練習、練習、練習です)
c.f.奥さんと愛人どちらを持ちたいか? 2012年11月14日
「学ばざりしぞ口惜しき。」これは怠け者の言いわけである。それなら勉強するがいい。(アラン「幸福論」)
バカが知ったかぶりをするほど醜いものはなく、自分に人が集まらないのは全世界的なパンデミックもどきのせいではなく、政府のせいでもなく、自分の耳と耳の間の臓器が機能不全だからであることに気付きましょう。
c.f.自分を過大評価しすぎなんです。 2012年11月15日
そして、黙って技術を磨きましょう。そこに喜びを見出し、狂ったように磨き続けましょう!
c.f.そこからわかるのは、仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこびであることだ(アラン) 2019年03月16日