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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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情報から物理は連続的で、心と身体は一つとは言っても、心と身体はバラバラという感覚も必要かも

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現代物理学の偉大な結論の一つは、心は物理空間に反映するというものです。

というと、非常にスピリチュアルな感じやオカルトな感じがするのですが、平たく言えば量子論における二重スリット実験ですね。

観測するか否かが、結果を左右するというものです。

ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンが「量子力学の真髄」と称したものです。

 

 

ただ、もちろんこの実験から「願いは叶う」とか「引き寄せの法則」が演繹(えんえき)されるわけではありません。そこは何段階も論理の階梯(かいてい)をすっ飛ばしています。

 

*二重スリット実験ですね。

 

とは言え、筋膜はリリースしないけれど、筋膜リリースという方法論があるように(太陽は昇らず、我々という地球が自転しているのですが、日の出という現象があるように)、願いが叶ったり、引き寄せるような現象は存在し、そこに論理もあります。

(わざと回りくどく言って申し訳ないのですが、そこにある隠された論理が捕まえられた人は「筋膜リリース」も願いを叶えることも、いろいろなものを引き寄せることもできるということです)。

 

*彼の人生もまさに、、、

 

 

で、今回の本題はそこではなく、、、、

 

情報から物理は連続的で(松果腺においてbyデカルト、、、って冗談です)、心と肉体も一致しているのは事実でしょう。以前であれば魂と肉体と言ったのでしょうが、魂の単なる属性の一つである永続性が邪魔して、魂という言葉は嫌われていますね。永続性というニュアンスを放棄すれば、魂って言葉は便利だと思うのですが、、、、まあ一度ついた印象はぬぐえないですw

 

 

でも、魂は不死です。縁起が継続する限りは継続します。でも、それは僕らが考えているような意味での霊体ではなく、縁起の継続なので、情報が継続しているだけです(あなたが知らないところで、あなたの噂が広がっているようなものです。それが正しいか否かはどうでもよく縁起が広がっているのです)。

 

その意味ではもちろん心と身体は連続的です。

 

でも、、、、

 

ヒューリスティックには、バラバラに考えた方が良い場合があります。

気功整体をする上では、心と身体は別と考えるとうまくいくことがあるということです。

別に心と身体は別と信じる必要はなく、ただの作業仮説です。

 

 

たとえば、体力は十分に残っているのに、心が折れてしまって動けないケースがあります。

このときは身体は動くには十分なのに、心のせいで動けなくなります。

 

やる気が出ないときとか、ストレスの重圧に負けているとき、呪われている時などです。

 

そしてその逆もあります。

 

十分に心はやる気があるのに、身体がついてこないときです。

しかし、この状態を経験することが現代ではなかなか難しくなってきているので、、、、

 

そこで、筋トレのススメですw

 

 

というのも、オールアウトしたときの感触を覚えておくと役に立つからです。

 

やる気は十分にあり、筋肉に命令もきちんと出しているのに、その神経系からの命令を受け取っているのに、筋肉が全く反応できなくなっている状態です。

僕らが筋肉だとしたら、薄れる意識の中で、声が遠くから聞こえてくるようなイメージです(いや、むしろわかりにくいたとえかも)。

 

この状態はある意味で非常に面白いです。

 

心や意識と身体が乖離していることに気づけるからです。

 

心はやる気があるのに、身体がついてこないのです。

 

僕らは心と身体がほぼ一致している(と思えるような)世界で普段は生きています。

しかし、エッジに近づけば近づくほど、どんどん乖離していきます。

 

そしてその乖離なり、ギャップを埋めたいと思って、日々鍛錬します。

 

 

たとえば、イメージと肉体があっていないと考えて、ダンサーは踊りを練習します。

逆にイメージと肉体が一致している状態になれば、踊らなくても踊りの練習になります。

(合氣道で言えば、心身統一が近いイメージでしょう)。

 

この乖離を自覚するためには、まず乖離を体験するしかありません。

 

その意味では正しい筋トレは安全にその乖離を体験できます。とは言え、そこまで行くにはある程度の体力は必要となります。体力があり、筋トレに慣れてからようやくオールアウトが経験できます。

 

そのオールアウトのときの肉体と精神(心なり意識)の乖離を体験すると、普段のときも実は乖離していることに気づけます(多分)。

 

身体とイメージ(霊体)みたいなものが、ざっくりと見ると完全に一致しているような感じなのですが、細かに観ているとぬるぬるとズレているのが分かります。そして分かってしまうと(スコトーマが外れると)、気になって仕方なくなります。

 

幽体離脱というのは、角回と運動野が同時に発火して起こる脳内現象と言われますが、体験した人にとっては、まさに幽体離脱ですw

幽体が肉体から離脱します。

 

 

幽体離脱した人の主観的な体験としては、自分の身体がまさに透明な幽体となって、上に猛烈に引っ張られるそうです。でも途中で怖くなると、身体が重くなり(いや、その幽体が重くなり)、地上に引っ張られるそうです。そして、自分の身体に戻ろうとすると、うまくフィットしないで非常に苦労するそうです。

 

幽体と肉体が一致しなくて焦るそうです。

 

傍から聴いている分には笑い話ですが(笑っては失礼ですがw)、体験している本人としては必死でしょう。というか、もしも一致できなくて、身体に戻れなかったら、自分はもう戻れない(死んでしまう)と思って、軽くパニックになりそうです(笑)(いや、笑い事ではないのですがw)。

 

で、なんでこの話を長々としているかと言えば、幽体離脱という寝ぼけ体験はどうでも良いのですが、その主観的な体験こそが、イメージと肉体の乖離とその調整に使えるということです。

(ちなみに、よく意識がない状態で幽体離脱して、いろいろと見てきたという証言があります。よくあるのが手術中に全身麻酔で幽体離脱して、いろいろと見てきたというケースです。そしてそれが意外と当たっているという話です。

このカラクリは耳だと思います。聴覚ですね。聴いているということです。死ぬ瞬間も最後まで残ると言われる感覚ですね)。

 

自分はこう動きたいというイメージがあり(こういう身体のラインが良いというイメージでも)、そのイメージからのズレ(乖離)をいつも修正していくのがポイントです。

しかし、そのズレが最初に生じていないと、修正ができません。

 

 

これは「理想と現実」みたいなざっくりとした話ではなく、もっと具体的なものです。

 

もっと非常に手触りのある具体的なものです。そして分かる同士以外にはなかなかシェアできないものです。

 

解剖直観を得たあとに、ARを多用します。ARというのは、技術の名称ですが、そのクライアントさんの理想の状態を現状にかぶせるというイメージです。

かぶせて比較することで、修正を加えます。

 

これは視覚的なものだけではなく、触覚的なものを多用します。

 

 

たとえば、本来はこれくらいゆるんでいて良いというイメージをかぶせて、それに対してまだこれくらい筋肉が硬いので、一挙に技を使ってゆるめるという風に使います。

 

そのときに繰り返しますが「理想と現実」という比較ではなく、幽体離脱した魂と肉体を一致させるようなリアルさでやりたいということです。

 

そしてそれは翻って自分に対しても課していきます。そしてその過程が喜びに包まれるようにデザインすると、猛烈に楽しいです。

 

 

 

というわけで、情報から物理は連続的ですし、心と身体はたしかにコインの裏表です。

たとえば心が参っているときに、肉体から働きかけて改善することは可能です(アップデート版のアディトレですね)。

ただ、心と身体はべったり一致していますが、ヒューリスティックには乖離(かいり)しているという認識をしたほうが、施術がうまくいきます。

同じビルの部屋同士であっても、一階は五階とは違います。ただし地続きというか、連続的ではあります。連続的だけど、違うという点にフォーカスすると、いろいろと面白いことができますよ、という話でした。

 

 

そして、栄養状態が改善してくると、気分も変わり、身体も動かしたくなりますので、そうしたら身体を動かしましょう。そしてもっと身体を動かしたいと思ったら、是非パーソナルトレーニングに。

そこで、オールアウトをしっかりと経験することで、身体と心のズレを味わうと、いろいろと道がひらけてきます!!という話でした!!

 

 

 


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