本当かどうかは分かりませんが、アインシュタインの言葉として知られているものに、
私の権威に対する軽蔑を罰するために、運命は私を権威にしてしまった。
という、うまいセリフがありますw
この皮肉というのはとてもパンチが効いています。
「まといのば」もスピリチュアリズムを徹底的に嫌いながら、やっていることは傍から見ていてる限りでは、スピど真ん中であるという認識はあります。
ただ、それはあくまでも認知科学に基づきながら、言葉だけを伝統的な呪術や気功(や風水や魔術)から借りているだけで、伝統を換骨奪胎しているだけ、と主張してきました。
いや、スピリチュアリズムとは違うと自負していますが、奇妙なことをやっているという自覚はあります。情報空間というのは、物理空間同様に本来は奇妙な空間なのです(物理学を真剣にやっている人なら、物理空間の奇妙さをよく知っています)。
とは言え、最近はミイラ取りがミイラになっているのではないかと思う気もします。
チャイティンの言うように、科学と魔術は同じ信念を共有していると嘯(うそぶ)くことも可能かな、と思っています。ただ、科学とも魔術とも違い、あくまでも僕らはプラグマティックで、ヒューリスティックな職人の道を歩いていると思います。職人というと聞こえは良いですが、平たく言えば、結果さえ出れば何でも良いという立場です(ですので、BootCampはギルドです)。
*科学と魔術とは、通常の現実が本当の現実ではない、日常の見かけの後ろにより基本的な何かが潜んでいるという信念を共有しています。どちらも、隠れた秘密の知識の基本的な重要性に関する信頼を共有しています。(チャイティン『知の限界』p.129)
*チャイティンは数学者。ゲーデルの不完全性定理をLispを用いて数学全般についても不完全性が成り立つことを証明した。
メンターの修了生の方から質問をいただきました。
今回のセミナーやスクールに関連してのご質問です。
「なぜ「超能力」のような大きな力を求める人がいるのでしょうか?」
その力をコントロールできずに振り回されて人生を失うかもしれないのに、という趣旨のご質問でした。
これは非常に重い質問ですし、まさにそのとおりと言えます。
もちろん超能力というのは言葉の綾で、気功の延長線上ですが、とは言え、傍から見れば圧倒的すぎる能力で「超能力」という言葉にふさわしいような技術群を3月のスクールでは提供します。
そして、この質問の回答はシンプルです。
興味や関心や、知的好奇心だけでは、実は説明ができないのです。
興味、関心や知的好奇心だけでは、さすがに命を賭けられないのです(いや、賭ける人もいますが)。
それだけのリスクを犯してもなぜ特殊な能力を得たいかといえば、、、
どうしても助けたい人がいるのです。
それはもしかしたら時間軸を超えているかもしれません。未来であれば希望がありますが、過去であることもあります。
あのとき、この力があれば助けられたかもしれないという深い後悔といまさら悔やんでも仕方ないという深い絶望が、駆り立てているケースが意外と多いのです。
助けたい人がいるということが大きなモチベーションになっています。モチベーションというか、使命感ですね。
だからこそ、毒を食らわば皿までの勢いで、どっぷりと火中の栗を拾いに行きます。
自分のことは二の次なのです。
強烈な覚悟です。
で、話を戻して、、、、
「まといのば」では幾度か、脱スピ的な試みをしてきました。
たとえば、気功技術をすべて封印して、すべてを理論で行うべく伝授をやめたりもしました。
(そして、反動が来ました)
最近で言えば、一気に気功整体というか解剖学に思いっきり振ったのがそれに当たります。
その前数年で、魔術や呪術や陰陽師や風水というコンテンツを絞りきったということもありますし、メンター生の活躍の場として、サロンでのセラピストが増えてきたので、情報提供が増えてきたということもあります。
ただ、かなり物理や肉体よりの情報提供をして、蟲や呪いや脱洗脳から離れようとしたことは事実です。
しかし、腐れ縁というのは腐っても縁なようです(笑)(ってか、意味わからん)
そして、振り捨てれば捨てるほど強大になって帰ってきます。
これもまた反動ってやつですかね?w
最近もVIPの方へのパーソナルセッションで、そんなことがありました。
長いクライアントさんです。
ご本人のリクエストは身体のラインやスタイルの改善でした(ご本人はすでにモデル並かそれ以上とも言える体型なのですが)。
肩のあたりが少し不調ということだったので、大胸筋、広背筋系を一気にゆるめる最近お気に入りの施術をやって、自信満々で「ちょっと肩を動かしてみてください」と言ってみると、、、
全く効果なしw
滝汗です。
筋肉自体は触診でゆるんでいるのが分かっているので、結果につながると思っていたので、全身汗だくで、まるでシャワー後みたいになりました。
やっぱり施術は一期一会であり、一発勝負の真剣勝負だなと思いながら、必死で取り繕いつつ、ローテーターカフを疑い、僧帽筋を疑いと戦線を拡大していきました。
戦況が悪くなったら、盤面を複雑にするというのが羽生流です(って、誰も分からないか)
(余談ながら、昨日が「将棋界の一番長い日」でした。一年に渡る順位戦の最終日です。渡辺明さんが全勝というのはすごすぎます。一昨年、驚きのA級陥落でした。そこから順位戦は全勝です)
(そしてアゲアゲさんこと折田アマのプロ編入も嬉しすぎるニュースです)。
ということで、局面を複雑にしていたら、見えてきたのが蟲とか呪いの類いでした。。。。
実際にどんなに通常の整体でやってもゆるまないし、結果が出ないケースでも(クライアントさんに伏せて)蟲駆除をすると、即座にゆるむし、不快感や痛みも下がります。
こういう時はヒーラー冥利に尽きるというよりは、やはり「蟲駆除」や「脱洗脳」なんだな〜とため息をつきたくなります。
お釈迦様の手のひらで踊らされるような気分です。
お釈迦様ならぬサタンかもしれませんがw
そのあとは方針を変更して、クライアントさんに状況を話して、ガンガン蟲駆除と脱洗脳を繰り返し(久々に召喚魔術という巨大浄化と、千という大量浄化も投入し)、施術を続けました。
当然のように、不思議なことが次々と起こりながらも、とりあえず端緒にはつけたというところで時間が来ました。
問題の巨大さがうっすらと見えたという感じです(結果としては、ウエストが細くなったり、足の緊張が抜けたり、蟹の身ではないですが抜け感が良い意味であったり、呼吸が深くなったりしており、悪い施術ではなかったと思います)。
とは言え、蟲から逃げて逃げて、地の果てまで来て、明かりがついている宿屋に救いを求めて入ったら、店主が蟲だったというくらいの衝撃です(伝わるのか、これ?)。
まあ、とは言え、我々としては蟲に対しても、プラクティカルにヒューリスティックに付き合いましょう。科学的に取り扱うということです。
そしてその仮説が不要になったら、捨て去れば良いので。
でも、BootCamp組はともかく解剖学と施術のルーティンをきちんと学び、きちんと結果を出していってください。解剖が強ければ強いほど、蟲や脱洗脳にも強くなります。なぜなら、蟲は筋肉に隠れるからです(って、こういうこと書くから、スピと思われるんですよねwでも、まあ結果につながるので、気にせず書きます)。