松本潤さんや石原さとみさんでドラマ化された漫画の「失恋ショコラティエ」にこんなシーンがあります。
クリームを泡立てながら、はじめてクリームを泡立てたときを思い出すシーンです。
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ケーキ屋の息子に生まれて、幼い頃にクリームを泡立てた経験が彼にとっての重要なマシュマロ・テストになっていたのです。
平たく言えば、成功のための忍耐力をつけたということです。
ただ、これは単なる忍耐ではなく、微妙な変化を感じ取りながら、今自分がどこにいるかを感知する能力であり、絶望的な状況に見えるときほど役に立ちます。蛮勇ではなく、冷静な判断です。
失恋ショコラティエは一人の若きパティシエ(お菓子職人)の物語です。
いやパティシエというよりチョコレート専門のショコラティエですね(漫画のタイトル通りに(^o^))。
(ちなみに非常に面白いのは、彼がほとんどチョコレート作りに悩むところが無いことですw
あふれる才能と見事にお膳立てされた環境と、素晴らしい出会いによって、ありがちな障害はすべて取り除かれています。
でも、チョコレート作りの中で成長していくというテーマであれば、これほど受けなかったと思います。ありふれているので)
その中でこんなシーンがあります。
主人公のソータくんがクリームを泡立てているところです。
子供の頃を思い出し、はじめてクリームを泡立てたときの気持ちを思い出します。
こんな液体が本当にくふわふわの生クリームになるのか心細くなり、永遠に液体のままなんじゃないかと思います。
今でこそ手で泡立てる人は多くない気もしますが、たしかに手で泡立てているとちょっと絶望的な気分になります。
でも、ある瞬間から確実な手応えがあり、一気に仕上がる時が来ます。そうなると楽しいのです。
けど、一度
手応えが来れば
後は早い
さっきまでの
長い不安をよそに
力強く立ち上がるホイップクリームの出来上がりだ (水城せとな『失恋ショコラティエ』第1巻)
この感覚はとても大事です。
主人公のソータくんはこれを恋愛に応用し、「いずれ時期が来る」し、「手応えを不意に感じる時が来る」からそれまではかき混ぜ続けようと決意します。
(タレブに言わせれば、そのブラック・スワンがもしかしたら生命時間を超えて来るかもしれないとも言います。すなわち、生涯では足りない、と。しかし、それはそれで満足なのです)
c.f.アインシュタインのことは嫌いになっても、相対性理論のことは嫌いにならないでください〜狂気は真の友 2019年04月08日
(チャイティンは何事かを成し遂げようとしたらその最小単位は一生だと言いましたw)
(本当に余談ながら、普通の人が一生かけても絶対に獲得できないであろうことを、セミナーやスクールではふんだんに伝えています(^o^))
解剖直観などもそうですが、繰り返し繰り返し触っているうちに、不意にすべてがクリアに見える時が来ます。
隣の人がやすやすと獲得しているのに、自分だけ中間広筋に直接触れられなかったり、どうやっても烏口突起が探せなかったり、、、、、永遠に液体のままなんじゃないかと思う時期はありますが、一度わずかにでも手応えが来ると、どんどんと加速していきます。
力強く感覚が立ち上がるのです。
この感触を若いときに獲得していると、成功体質になります(と断言しておきますw)。
それを残酷にも測ってしまうのが、マシュマロ・テストでした。
マシュマロ・テストのポイントは現在に対して、未来の臨場感をどれだけ上げられるか。
そして現在の生理的な衝動をいかに抑え込めるか(抑え込むというよりは、気をそらすが近いですね)。
若きソータくんははじめてクリームを泡立てながら、こう考えます。
こんな液体が本当に
あのふわふわのかたまりに
なるのかなって、
心細い気持ちで
延々(えんえん) 泡立て器を回してた
このまま永遠に
何も変わらないんじゃ
ないかって思いながら
自分が努力を費やし、時間もエネルギーを費やしているにも関わらず、全てが無為に終わるのではないかという恐怖には誰もが囚われます。
このまま永遠に
何も変わらないんじゃ
ないかって思いながら
大きなスケールで言えば、イエスのゲッセマネの祈りはまさにその絶望の中で行われました。
ソクラテスが人民裁判にかけられたときも、同じ絶望は襲ってきたのではないかと思います。いや彼は達観していました(しかし、彼にはまだ小さな子どももいて、一人は成人していましたが。妻のクサンチッペ同様に残していく家族に対しては、一抹の不安と無念さはあったと思います)。
この間永遠に何も変わらないんじゃないかって思いながら、何の保証もないなかで(そしてこの液体があのふわふわになるとは到底信じられない中で)延々と作業するのはキツイことです。
でも、まさに一度手応えがあれば、その手応えをアリアドネの糸のようにたぐっていけば、あっさりとホイップクリームが完成します。
ホイップクリームは泡立て器ですぐにできるじゃないかと思うのは、世界をスクリーンの向こう側に見ている万能感にあふれた人の戯言です。
自分が主体になるとそう思えないものです。
逆にいかに不可能かということを論理的に自分で証明してしまったりします。
幽霊が自分が死んでいることを科学的に証明してしまうような感じです(むしろ分かりにくい比喩だ。「証明」しようとつとめている時点でその幽霊は生きていますw)。
実際、理論的には問題が解けないということを理論家が証明できるというのはよくあることですが、ソフトウェアエンジニアは、普通はうまくいく、つまり適当な時間内に良い近似を与える巧妙なアルゴリズムを見つけ出すものなんです。私は、人間の知的能力というのはそれに近いものだろうと考えています。うまくまねができるようにわずかでも、少しずつ這い上がっていくのです。(p.20 チャイティン『セクシーな数学』)
c.fゴールと目標の違いはその不可能性にある。No wayとつぶやきたくなるときにこそズルズルと粘る 2018年02月06日
c.f.人生にレモン(苦難)が多いならレモネードを作ればいい!人生が苦しみなら悟ればいい?! 2017年08月24日
コーチングというか、メンタリングをしていて、多く接するのはこのケースです。
「自分にはゴール達成が不可能であること」を、とうとうと説明してくる人が多くいます。
Creative Avoidanceと言います。
でも、そんなのはどうでも良いのです。
「できるからやる」なんてダサいと思った方が良いです。
不可能に挑戦することこそがかっこいいという厨二病で行きましょう。
(ありふれた言い方で言えば、できない理由を探すのではなく、できることを探すことです。それ以前にできたらどんな気分になるかをシャワーのように全身に浴びることです)
どうしてもやりたいことをやりましょう。
どうしてもやりたいことだけをやりましょう。
そうすると「少しずつ這い上がって」いけるのです。
そのためにはクリームをかき混ぜ続けましょう。手を動かし続けましょう。