マトリックスを映画館で観てきました。
いや〜大画面で観れるのは最高です。
マトリックスが20年前だなんて、衝撃ですね!
というわけで、マトリックス話をたくさんしたいのですが、、、、しませんw
*大画面で観たい場合はVRで雰囲気が味わえるとは思います!もちろんホームシアターというのも良いでしょうけど。
ただ、ひとつだけ!
モーフィアスの言葉がしびれました!
(いや、たくさんの言葉にしびれたのですが)
Neo, sooner or later you’re going to realize, just as I did, that there’s a difference between knowing the path and walking the path.― Morpheus(映画『マトリックス』)
(ネオ、遅かれ早かれ、お前も理解するだろう、俺のように。
道を知ることと、その道を歩くことは違うと)
*ネオというのは、キアヌ・リーブス演じる主人公のこと
深いな〜と思います。
そして、いつもあの映画を観て思うのは、僕らはNeoになりたいと思っていて、サイファーに甘んじてしまうのでは、ということです。
それはさておき、「道を知ることと、実際に歩くことは違う」というのは味わい深いです。
20年前の作品ですが、ネタバレを避けながら話しますが、、、、例えば、成功が約束されているとしたら、どうでしょう。
成功が約束されていなければ挑戦しない、みたいなヘタレ発言が聞かれたりしますが、でも実際は、成功が約束されていたら、やる気が失せてしまうのではないでしょうか?
ローランドさんが先の見えている人生なんか面白くないという意味のことを言いましたが、実際そのとおりだと思います。
先の見えない人生が怖いって?俺は先が見えてしまった人生のほうがよっぽど怖いね!(ローランド) 2019年06月27日
逆に成功は全く約束されていないどころか、確実に失敗すると分かっているけど、楽しそうだからやってみる、というのが楽しそうなマインドセットです。
というか、楽しいからついやってしまうというのが良い気がしています。
何度も引用して恐縮ですが、ニーチェが我々の脳内をEchoします。
(引用開始)我々は、自分自身を高く評価しているにもかかわらず、自分にはラファエロのような絵を描く才能も、シェイクスピアのような劇的な戯曲を生み出す才能もあるとは思わないので、彼らの才能は並はずれてすばらしいとか、めったにない出来事だとか、いまだ神を信じているなら、天上からの恵みだと思いこむ。こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する。彼らは我々とはまったくかけ離れた存在である、奇跡であると考えれば、彼らは我々を傷つけはしない(引用終了)
むしろ、自分には才能が無いと考え、凡庸な人間であると考えるほうが良いと思います。
(Marvelが意識して描いているHero像が凡庸な一人の人間が危機的状況に否応なく出会わされて、Heroになるというものでした。ヒーローとして生まれるのではなく、ヒーローにならざるを得ない環境に追い込まれるのです。そして凡庸な人間が生まれ変わるのです)
c.f.失業に向かってまっしぐらに進み、地球上でもっとも高い教養でもっとも低い収入を得る方法 2018年06月10日
才能は無いし、凡庸な人間だけど、自分の思う楽しいことをやる、と。面白い方向へ行く、と開き直るイメージです。
ちなみにIQにしても、身体能力にしても開花するのは10代までですので、それ以降の自分に期待するのはやめたほうが良いように思います(一方で、逆に言えば、開花していない人は、ちょっとでもできるようになると、満足感が高いので、トライするのはリターンが大きいです。満足度のリターンであって、成果ではありません。ただ金銭的にも報われることが多いです)。
何の話をしたいかと言うと、「能力の輪」の話です。
多くの人が能力の輪を「隠れた才能」のように誤解しています(いや、それは誤解ではないのですが、イメージしているものと大きくズレています)。
能力の輪が見つかれば、すべてうまくいくと思っている人も多くいます(実際にうまくいきますが)。
そして、「能力の輪」の中の「能力」が人並みの人もたくさんいます(ですので、他と比較して自分の「能力の輪」はこれでは無かったと思う人が増えるのです)。
人並みでも、能力の輪の中にあれば良いのです。いわゆる経済学の「比較生産費説」と同じ原理がここに働くのです。自分の中で最も効率が高いものに集中するのは、全体最適なのです。
何が言いたいかと言うと、「私の能力の輪を教えて下さい!」と聞く人は多いのですが、こちらとしては、「でも、君はそれを嫌がるかもしれない」とルー・タイスのマネをして言いたくなるのです。
c.f.「解決策はあるよ。でも、君はそれを嫌がるかもしれない」 「教えてください。どんな方法ですか?」 2019年02月08日
聞くと、おそらく確実に、あっけにとられ、そのあと聞いたことを後悔し、聞かなければ良かったと思い、そして、早く忘れようと決めるでしょうw(いや、大げさです)
我々の中にある矛盾がこういう矛盾を引き起こすのです。
我々は、自分自身を高く評価しているにもかかわらず、自分にはラファエロのような絵を描く才能も、シェイクスピアのような劇的な戯曲を生み出す才能もあるとは思わない(ニーチェ)
これはあとで書くように一種の自己嫌悪や自己憎悪です。自分を好きなようで、愛していないという結果です。
だから外側に絶えず評価を求め、内側がますます空虚になるのです。
余談ですが、というか脱線しすぎなのですが、、、、ちなみにめちゃめちゃ優秀な人の中には自分で何もできない人はたくさんいます。あることにだけ卓越しているので、他がすっぽり抜けているのです(そうではないタイプもいます。何でも自分でできてしまう人もたくさんいます。本当に何でもできてしまう人です。僕のかつてのボスもそうでした。何をやらせても優秀でした。そして周りが自分に着いてこれないことが理解できていなくて、いつもイライラしていました。難しいことを言っているのではなく、子供のお使いレベルなのに、と)
でも、自分で何もできない人も実際にいます。
ラスト・エンペラーの溥儀(ふぎ)が自分で服のボタンすら締められないのと似ています。
周りが先回りして、全部やってしまうので、自分では何もできなくなります(まあ、サバイバルものを見ていると、程度問題ですけど。絶対にジャングルでは生き残れません)。
逆に自分は自分の得意なことに集中すると決めているので、他のことは他の人に任せたいというのもあります。それを繰り返しているうちに自分で何もできなくなります。
そのときの周囲の人間は「普通」のことを「普通」にやって、大きなリターンが得られる場合があります。
そんな「地味な起業」についての本が面白かったです。
ある意味で発想の転換です。
自分の得意や好きを仕事にできるのは一部の特殊な人で、これからは自分が主役になる必要も、自分が大きなリスクを取る必要もない、と。資金も0円でも今からできる、、、www
それは「自分が好きな人を応援する」という起業です。
詳しくは書籍を読んで欲しいのですが、基本的には同感です。
![]() | 僕たちは、地味な起業で食っていく。 今の会社にいても、辞めても一生食いっぱぐれない最強の生存戦略 1,448円 Amazon |
ただ、僕自身は冒頭に書かれている言葉がかなり強く真実だろうな〜と思いました。
どんな優秀な学生でも、会社で5年も働けば、ただの人になってしまうよ
という(著者の)先輩からの一言です。
この「地味な起業」のスタンスというのは、みんなが会社で普通にやっていることが、実は場所を変えれば(たとえば起業家集団にとっては)、圧倒的な付加価値になるということです。
たとえば、エクセルが使えるとか、パワポで資料を作れるとか、サイトを作れるとか、集計できるとか、リサーチとか、そういうことを想定しています。
個人的には、たとえばタクシーを呼ぶとか、会場を手配するとか、集金するとか、そういうことも苦手というか、そういうことに時間を割きたくない人もたくさんいます。そこをマメにフォローできれば、圧倒的な付加価値になるという話です。
(ただ、僕自身の個人的な感想で言えば、会社勤めしている人は「使えない」という印象です。スピード感が遅すぎ、危機感がなさすぎ、つまらないところに真面目になり、そしてプライドだけが高い、と。これは完全に「少数の法則」ですので、僕の目が曇っているとは思います。まあ、もしかしたらこれが「ただの人」になるということなのかもしれません)。
ですので、この「地味な起業」が想定しているような、きちんと先回りして相手のニーズを捉えて、誰でもできることをきちんと積み重ねていくってかなりすごい能力だと僕自身は感じます。
ただ「まといのば」でも常々言っていますが、自分がカリスマになるのではなく、他人の悩みや問題点を解決していけば、それがビジネスになるというのは全くその通りかと思います。
(ちなみに、カリスマになるリスクはネガティブラポールのマネージメントが面倒だからです)
気功関連で言えば、たとえばすべての気功技術の使い方と機能をきちんと説明できるとか(すべては言い過ぎでも主要なものに関してだけでも)、もしくは初心者がつまづきやすいポイントを網羅して情報提供されているとか、そういう落ち穂拾いみたいなことを熱心にやれば、すぐに成功すると思います。
かつて多くいた(失敗した)「まといのば」のメンバーは背伸びをして、自分がなりたい自分になろうとしすぎました。
自分を本来の自分ではない誰かに変えようとして成功した人はいない。
成功したのは、本来の自分になろうとした人である(ピーター・ドラッカー)
自分一人でやるゴール設定の儀式の中では誇大妄想は歓迎ですが、ビジネスの現場でホラ吹きになってどうするの?とは思います。
誇大妄想だと気づいていないレベルで頭が不自由なら仕方ありませんが(市場が淘汰してくれるので)、そうでない場合は問題です。少なくともウソという自覚があるでしょうし、その場合、うまくいきません。短期的にはウソをつけるでしょうが、長期的にはウソをつき続けるのは、無理だからです。
(そして余計なことを言うようですが、あまりに一貫性が無さすぎるのは、ログが残るブログでは致命的だと思うのですが)
デッドプールのようなハチャメチャコメディに見えるものですら、主演脚本監督のライアン・レイノルズは成功の要因は「ほんものであること」と言いました(厳密には「一作目をつくることによって得た教訓で、第2作の役に立ったものがありましたか?」という質問に対しての答えです)
c.f.失業に向かってまっしぐらに進み、地球上でもっとも高い教養でもっとも低い収入を得る方法 2018年06月10日
c.f.成功も失敗も終わりではない。肝心なのは続ける勇気だ(チャーチル) 2018年06月12日
なぜ、それほどまでに自分を大きく見せようとするのか意味不明でしたが、理由はおそらくシンプルです。
利己的な人は、自分を愛しすぎているのではなく、愛さなすぎるのである(エーリヒ・フロム)
フロムはむしろ「憎んでいる」と言います。
ここでの「自分」というのは、この文章からだけは読み取れないのですが、「本来の自分」です。
そしてここからが話は厄介になるのですが、多くの人は、自分を嫌うあまりに「自分を本来の自分ではない誰かに変えようとして」失敗します。そして「本来の自分」になる道筋を説かれたところで、それを頑なに拒否します。
自分が嫌いで、憎んでいるからです。
能力の輪の問題はここにあります。
能力の輪の問題と言っても、能力の輪自体が問題なのではなく、能力の輪にまつわる我々の側の問題です。
その状態で、自分の「能力の輪」を提示されたところで、嫌いな自分を提示されるだけなのです。がっかりな自分がそこにいるだけのように見えてしまいます。
少し結論を急げば、その人の能力の輪を最大限活かすためにはGoldという名のギルド集団が不可欠になるのです(ジム・ロジャーズが自身の経験も交えて、徒弟制度の重要性を語っているのが印象的でした)。
というわけで、そんなスクールを10月に開催します。「ギルド=ゴールド」スクールです。
結局、エミリン鞘を巻いてくれるのは、個人の限界までの努力もありますが、その場をつくるような共同体も不可欠です。
で、同じく「能力の輪」をテーマにして、今月も1Dayスクールを開催します。
10月のテーマは「ギルド(共同体)によって天才を共同作業で生み出すこと」、9月は「能力の輪」そのものです。
9月は能力の輪自体を知らない状態(Unknown)でも結果を出すということに挑戦してもらいます。10月が共同体によるチームプレーに対して、9月は完全なる個人プレーです。
というわけで、まとめます!!
以上見てきたような「能力の輪」にまつわるいろいろな問題を一挙にクリアしているのが、モーフィアスエフェクトです(いま、勝手に命名しました)
there’s a difference between knowing the path and walking the path.
(道を知ることと、その道を実際に歩くことは全然ちゃうねん)
「未来を知ってしまう」問題、能力の輪の中の自分を嫌うという自己憎悪問題、天才崇拝問題などの様々な落とし穴をクリアするのが、「道を知ることと、歩くことは別」という感触です。
天才的な解決法だと思います(ネタバレを含まずにこれ以上話すのは無理ですが)
才能を全うに開花させるというのは、非常に難しいものです。
様々な偶然が絡み合って、絶妙な状態で開花します。
しかし条件が揃えば、意外とシンプルになるものです(多分)。
そのときはおそらくマトリックスの外に出る決断をしなくてはいけません。
やはり幻想の中に包まれているのは気持ちが良いものです。
彼ら(天才)は我々とはまったくかけ離れた存在である、奇跡であると考えれば、彼らは我々を傷つけはしない(ニーチェ)
のです。
逆に傷や痛みを引き受けることができるならば(その覚悟があれば)、夢は叶います!!(多分)
というわけで、9月、10月と能力の輪がらみでスクールをします!
お楽しみに!!!