学問の世界で偽書として知られているもの、、、たとえばアリストテレスが書いたとあるけれども、アリストテレスが実際には書いていないとほぼ確定している書などを偽アリストテレスなどと言ったりします。
たとえばかつてシークレットスクールで紹介した一節は(アリストテレス全集に出ているのですが)、偽アリストテレスのものです。
神はただ1人でありながらも多くの名を有する。神自身が次々と生み出すすべての様態に基づいた名で呼ばれるからである。(アリストテレス「宇宙について」第7章p.299)
「神はただ一人でありながらも、多くの名を有する」ってかなり面白い感じがしますが、古代ギリシャ世界を考えれば一神というのは考えづらいのかもしれません。
同じようにアインシュタインの言葉として知られていますが、実際にはアインシュタイン自身ではないものは多くあります。
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c.f.誰もが天才だ。しかし、魚が自分の能力が木登りで評価されるとしたら、一生涯、自分が間抜けだと信じる 2019年08月18日
(これもアインシュタインの言葉として人口に膾炙していますが、違うそうです)
可愛い子にキスしながら車の運転ができる人間は、キスに十分集中していない
(Any man who can drive safely while kissing a pretty girl is simply not giving the kiss the attention it deserves)
シンプルに言えば、僕らは2つのことを一度にできないのです。
できているつもりになることはできます。
ただし、猛烈に切り替えスイッチを使っているのです(そしてそれが擦り切れてしまうとも言われます)。
そもそもシングルタスクなのですが、マルチタスクを偽装することができるのが我々の脳です(無意識下であれば、また別です)。
ですので、マルチタスクというのはシングルタスクを猛烈に切り替えて、マルチタスクを偽装しているだけです。ということは、、そうコンピューターと同じです。コンピューターも一度に1つしかできないのですが、それをも高速で行い、高速で切り替えているので、のんびりした我々の目にはマルチタスクに見えます(これもひとつのユーザーイリュージョンですね)。
ですから、なるべくマルチタスクに自分を持っていかないようにすることです。
気が散るようなものを置かないことです。
集中できる環境を強制的につくることです。
それに関連して言えば、たとえばお酒をやめたいと思ったら、お酒を近くに置かないことです。酒屋さんの側を通らないことです。
多くの人は努力と言うと、ダイエットしたいと思いながら、近くにお菓子を置いておいて、それを精神力(もしくは意志力)で我慢することだと思っています。
違います。
目につくところに置かないように環境にアクセスすることです。
そして、ミネラルウォーターをそばに置いたり、新鮮な果物や野菜などが手に取れるところにあることが重要です。
プロテインシェイクを飲むのであれば、ジューサーと冷えた水とプロテインがいつもキッチンにセットされていれば良いのです。
手を伸ばせば飲めます。
トレーニングなどをしたいと思ったら、一緒にトレーニングをする人を探すか、トレーナーをつけてしまうことです。トレーナーをつけて、トレーニングの予約を入れたら、さすがに行かなくてはいけません。
これを自分の意志力に完全に委ねるのは、自分に対する課題な要求すぎます。
先程のマルチタスクということで言えば、ジムと契約してジムに通うというのは悪しきマルチタスクになりがちです。
「選択の科学」ではないですが、ジムに行ってトレーニングするという可能世界(未来)とジムをサボってしまう可能世界(未来)の両方がある状態というのは、悪しきマルチタスク状態です。
ある瞬間は「きちんと行こう」と思い、次の瞬間は「でも、休息も必要かな〜」と考えます。
このマルチタスクを交互にやっているうちに、意志力は完全にすり減ってしまうのです。
学校や会社がとても良いと思うのは、「行かなくてはいけない」という前提があるからです。
(これをWant to、Have toの議論と混同するのはやめましょう。気分とゴールは異なるからです。本当に学校や会社へ行くことが心からHave toでしかないと思うのであれば、やめましょう。それを朝の気分にもたれてぐちゃぐちゃとCreativeAvoidanceするのは時間と意志力の無駄です)
行かなくてはいけないので自動的に行きます。
トレーニングや鍛錬などもこの「自動的」に委ねることです。
甘やかされた王様のように、自分をしないことです。
「今朝のご気分はいかがですか?」
「今朝はトレーニングはされますか?それとももう少し休まれますか?」
などとスポイルしてくる執事(CreativeAvoidance)に質問させないことです。
歯を磨くように習慣にすることです。
今日は歯を磨こうか、いや手が疲れるか磨かないで置こうかなど悩まないでしょう。
今日は靴を履こうか、紐が面倒だから、今日は裸足で出かけてしまおうかなどと悩まないでしょう。
ゴールに向けての全ての取り組みもそうデザインすることです。
いちいち選択をするような状況に自分を追い込まないことです。
逆にシングルタスクに自分を追い込むのです。
キスをするならキスを、運転するのであれば運転を!
「ながら」はどちらもダメな方に流れていきます。