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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。(ドストエフスキー)

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気功で重要なのはイメージですし、より正確にはビジュアライゼーションです。

 

とは言え、ビジュアライゼーションが全くできないような抽象的なもの、ヴィジョンが描けないものもたくさんあります。そのような場合は、言霊ではないですが、言葉によって世界を再構築することで、情報空間に対して命令を出します。

 

 

いろいろと相談を受けることが多いのですが、、、いつも思うのは、気功はたしかにイメージを多用しますし、畢竟するにイメージだけです。しかし、イメージでは気功は発火しないということです。

気功は確かにイメージを多用します。そのイメージを補完するために動作であったり、言葉を実際に発したりします。

 

その言葉や動作をシンボルやマントラなどと言いますが、言葉や動作はあくまでも補完でしかありません。重要なのはイメージです。

イメージというとあやふやな感じがするので、トリガーと呼んだり、情報空間の移動と言ったりします。

 

 

とは言え、気功をイメージで行うことはありますが、イメージでは気功はできません。

この違いは重要です。

 

○ 気功 → イメージ

✕ イメージ → 気功

 

は全く違うものです。

似て非なるものです。

 

 

イメージしたものを気功だと勘違いしている人が多すぎます。

 

気功をやろうと決意した人が、きちんと学び、きちんと実践して、その上でイメージを使うのであって、イメージでふわっと気功ができるわけではありません。

 

この違いはわずかですが、重要です。

 

気功でイメージを使うことがあっても、イメージで気功を使うことはできません。

ましてや自分がふと思ったこと程度のことで、気功が発動することなどありません。

 

自分が邪悪なことを思ったから、、、、

どうしても悪いイメージから逃れられない、、、

失敗しかビジュアライゼーションできない、、、

 

 

などと相談を受けますが、、、、

 

正直、気にしなくて全く大丈夫です。

 

そんなことで情報空間は書き換わりません(というか、そんな力はそもそも持っていません)。

 

(ガチで答えるならば、邪悪なことを思い、悪いイメージしか持てず、失敗しかビジュアライゼーションできなくても、もっと言えば、ネガティブセルフトークばかりで成功している人はたくさんいます)

 

 

 

ましてやサイキックアタックであったり、呪いであったり、深いレベルでのゴールの設定であったり、自分が情報空間で何かを攻撃する、、、、みたいなことが、自分がわずかにイメージしただけで起こることなど有りえません。

繰り返しますが、気功ではイメージを使いますが、イメージが勝手に気功的に働くことはありえません。

 

とある隣国のことを自分が少しでも考えたり、誰かを憎んだりすることで、隣国や誰かを傷つけることなどできません。

 

幼いSF的な世界観のままで気功の世界に入ってきて、中途半端な教師から中途半端に気功技術を伝授され、中途半端な教師から中途半端な理論を教わっているので、本当に悲惨なことになっています。

 

 

何が悲惨かと言えば、中途半端であっても気功技術の伝授を受け、中途半端でも理論が渡されると、それは武器として機能するのです(いまや「まといのば」由来の気功技術はコピペを繰り返され続け、メルカリで出品されていたりするそうです。どこでも手に入るのです)。

 

本人は全く気功ができないにも関わらず、銃はトリガーを引けば銃弾は出るのです。

身体を全く鍛えていないのに、銃や剣を振りまわしているようなものです。

 

そして、気付いたら妄想の中で誰かと戦っている気分になったりするのです。

 

でも、軟弱なイメージでは、気功は全くできません(繰り返しますが、それでも伝授を受けていれば、気功技術を発火させることはできます。でもそれは闇夜の鉄砲でどこにも当たりません。いや、自分の膝を砕いたり、つま先を打ってしまうかも)。

 

自分が呪われているとか、自分がサイキックアタックを受けているみたいな相談もよく受けますし、自分が洗脳状態にあるという相談も受けます。

 

理論的に真っ直ぐに答えれば、本当にその方が呪われたり、洗脳状態にあれば、本人は気付けません。逆にもし気付けたらな、その「気付き」に至る論理的な道筋をたどれば洗脳状態から逃れられます(そんなに簡単ではありませんが、理論的には可能です)。

 

というか、情報空間をさっと僕が眺めただけでも、明らかに呪われてもいないし、サイキックアタックも無いにも関わらず、それを強く確信している人が多くいます(面白いもので、僕を頼って、僕の力をおそらくは信じて、相談してきているにも関わらず、僕が「観た」ことを一切信用しません。僕のアドバイスを採用することもほとんどありません。ご自身が聞きたい答え以外はスコトーマに入るのでしょう。それならば、そもそも相談しなければいいのに)。

 

本人は呪われていたいし、洗脳状態であって欲しいし、サイキックアタックを受けていたいのです。

自分の不遇な状況が、外にある圧倒的な悪意の犠牲であると思いたいのです。

(ちなみに、洗脳や呪いやサイキックアタック自体がこの世に存在しないと言ってはいません。単にその方がそれに該当していないと言っているだけです。そして、実際に深い洗脳に苦しみ、サイキックアタックに苦しみ、呪いに苦しんでいる人もまた実際にいらっしゃいます。その場合はそのように伝えます)。

 

 

でも、自分の外にある圧倒的な悪意は、ほとんどの場合は、あなたに興味を持たないのです(もっと大きな枠組みでの社会的な洗脳というのは別です。でもこれは個別具体的な洗脳ではなく、場に対して行うものです。ですので、相談されている内容とは全く違います)(興味を持たれるのは、よほどの巨大な大周天の人です)。

 

失礼な言い方ですが、まだ何者でもない無名の一般人が「自分の不遇な状況が、外にある圧倒的な悪意の犠牲」と考えることそのものが傲慢であり、創造的回避です(繰り返しますが、社会の制度的な洗脳はまた別です。でもそのときは洗脳者はあなたのことを一顧だにしていません。虫けらのように十把一絡げで、数千万人単位で洗脳しますので。恨みを持って個別に攻撃するなんてことはありません)。

 

体調が悪い、頭が動かない、誰かに監視されている、攻撃されている、サイキックアタックされて苦しい、呪われていてキツイ、、、、、、

 

これらの不調の原因が自分の中にあります。

そこから脱出するための階梯(かいてい:階段)は論理です。

 

論理の階段を一段ずつ上がっていけば、自分の愚かさが自分の不遇を招いていることに気付きます。それも痛いほどに。

 

身体の使い方を変える、考え方を変える、思考パターンを意識的に変える、食べているものを変える、食べる時間を変える、運動や休息を変える、、、、、そんなシンプルなことで一歩一歩改善していきます。

(そのときに「社会的洗脳を解いていきましょう」とは言います。良かれと思って、自分に害をなしてきていることはよくあります。それは明確に洗脳によるものです。それは個別具体的なものではなく、もっと薄く広いものです。具体的にはテレビやインターネットや地域社会や家族からなされたものです)

 

このとき一つ一つのワークに対して、原因を示すこともできますし、変化を実感することもできます。フィードバックを取れるのです。

ですから、自分の足元を照らしながら、着実に一歩一歩改善できるのです。

 

 

一歩一歩改善できれば、果てしない先にはゴールが待っています。

(でも、そんなには待てず、短期的な結果を求めるので、また「呪い」が自分の不遇の原因だと思いたがるのです。もしそのような「呪い」が本当にあるとしたら、、、自分を呪って、自分を苦しめているのは自分自身です)。

 

神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。(ドストエフスキー)

 

 

スピリチュアリズムに深くハマっていて、そこから抜け出てきた方なども多くメンター生にいます(ハマると言っても、占い番組を見ているとかそういうレベルではなく、コミューンなどで共同生活をしているレベルです。ドラッグを密かに服用されるレベルでの話です)。

 

そんなレベルであっても、洗脳の傷は正直それほど深くありません。それよりもご自身のエフィカシーであったり、ブリーフシステムに改善点がある場合が少なくありません(ご本人もそれは分かっているので、むしろ分かっているからこそ、急速に力をつけていきます)。

 

ですので、考え方を変えることで、不遇や辛さからは、十分に逃れられるのです。

それも非常に論理的に明確に変化を観測可能なのです。

 

 

でも、冒険物語に盛り上がっている人は、巨大な敵が勇敢な自分を苦しめる物語であって欲しいのです。

そしてそれを一発で解決してくれる白馬の王子様を求めてしまうのです。

必要なのは白馬の王子様ではなく、冷静な観察と着実な変化、怜悧な論理、そして丁寧なフィードバックです。

亀の歩みに感じるでしょうし、こんなにゆっくりでは人生が終わってしまうと思うかもしれませんが、急がば回れです。

 

 

 

たとえば、彼らへのアドバイスは、まずは姿勢を正し、呼吸を深くして、外を歩きましょう、というものです。歩くのに飽きたら走り、走るのに疲れたら休めば良いし、のどが渇いたら水を飲みましょう。

 

 

自分に過剰に関心を持ちすぎることをやめて、身体の不調は単なる姿勢の悪さと、自傷行為への耽溺にあることを認めることです。

 

 

そして結果を出したいことがあるならば、、創造的回避として気功を「溺れるものがつかむ藁(わら)」として使うのではなく、まっすぐに努力をしましょう。まっすぐに努力をする延長線上に、その努力を加速させてくれるツールとして「気功」は存在します。


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