歌舞伎の外郎売(ういろううり)は早口言葉で有名ですが、ここでの「ういろう」というのはあのお菓子のういろうではなく、お薬のういろうです。
そして、お薬の「ういろう」は中国から入ってきたのですが、実際のお薬の名前は別です。
では、「外郎(ういろう)」とは何かと言えば、その薬を日本にもたらした中国人の医師の名前でした。
この薬の「ういろう」と併せて食べる甘いお菓子が僕らが知る「ういろう」です(ちなみに羊羹の初めです)
(この薬の名称は霊宝丹(れっぽうたん)のちに天皇から「透頂香(とうちんこう)」の名を賜っています)
この薬の効能はすごいもので、二代目團十郎(だんじゅうろう)が声が出なくなったときに、この外郎で助かったとか。そこで作られたのが市川家の歌舞伎十八番の外郎売(ういろう売り)です。
これはいわば富山の薬売りのような訪問販売ですが、、、、実は実際には外郎はこのような訪問販売はしていなかったそうです(笑)
海老蔵さんが休演されて、ご子息の勸玄(かんげん)君がひとりで舞台をつとめました。幸いにもその舞台を観ることができました。今月の公演はどれも非常に良くて、勸玄君もそうですが、心を打つものがありました。
6歳だからということではなく、役者魂というものに心打たれました。
彼の長台詞の間、微動だにしない周りの先輩の役者さんたち、その中で獅童さんと児太郎さんが(役柄もあるのかもしれませんが)じっと見守っていたのが印象的です(この二人は本当に素敵な役者さんです。中村児太郎さんは玉三郎さん演出の歌舞伎で主演されていて、それですっかり魅了されました)。
また午前の部で海老蔵さんの代役を急遽つとめられた右團次さんは本当に見事すぎます。是非、裏話を聞けたらと思いますが、一晩でセリフを覚え、踊りを覚え、芝居を覚えたのだとしたら、、、驚異的です。本当に見事に演じられていて、違和感は一切ありませんでした。
以前、子煩悩の右團次さんが先の公演でご子息の出番を子煩悩に眺めていたのが印象的です(演出ではあるのですが、一番高いところから写メを撮りまくっていらっしゃいました)。
ここにも驚くべき役者魂を見た思いがしました。
そして、ボリス・エイフマン!!!!!
ボリス・エイフマンの率いるエイフマンバレエが21年ぶりの来日公演でした。
前評判も上々でしたが、舞台は想像以上に素晴らしいものでした。
「ロダン」という作品では、あの彫刻家のロダンと弟子であり、天才彫刻家のカミーユ・クローデルとの関係を扱っています。
ロダンとロダンの妻と若きカミーユとの三角関係です。
15年も続いた三角関係ののちにロダンはカミーユのもとを去ります。
その三角関係を描いたのが、下の作品。このあとカミーユは発狂します。後半生を精神病院で過ごします。
天才はなんと残酷な仕打ちをするのかと思うかもしれませんが、それは凡人の感慨でしかありません。
バーナード・ショーはこう言いました。「真の芸術家は妻を飢えさせ、子どもを裸足でいさせ、七〇になる母親を働かせて生活を工面させ、自分の芸術以外のことは何もしない」と(引用は「残酷すぎる成功法則」より)
*ロダンを妻がさらっていき、それを裸のカミーユが手を引こうとします。
*カミーユはこの作品を示して、ロダンに向かって「このひざまずく女性は私。あなたを支え続けた私なのだ」と書いています。
c.f.アインシュタインのことは嫌いになっても、相対性理論のことは嫌いにならないでください〜狂気は真の友 2019年04月08日
このカミーユの「分別盛り」もまた踊りで表現されていました!!
*以前、こちらの映画も紹介しました!これもまたカミーユとの物語です。
この悲痛な天才を巡る物語をボリス・エイフマンは見事にバレエに昇華していました。
構想も振り付けも素晴らしいのですが、何よりダンサーが素晴らしい。
ダンサーの肉体が鍛え上げられていて、内面も磨き上げられています。
どこを切り取っても絵になるのです。
あるバレリーナが「彫刻のような身体」と評していましたが、まさに男性も女性も彫像のようでした。ロダンが作り出した彫像のような肉体を惜しみなく使い切っていました。
我々も短い生涯を悔いなく輝かせていきましょう!
【書籍紹介】
(引用開始)
二代目市川團十郎が体調を崩し、喉を痛めたとき俳句仲間であった外郎家の隠居意仙さんの薦めで、〈ういろう〉を服用したところ、薬効によって見事に復活しました。二代目は感謝し〈ういろう〉の薬効を早口言葉のセリフに載せ、舞台に掛けたところ大評判を得、今でもこの早口言葉はアナウンサーの勉強に使われています。(引用終了)(十二代目市川團十郎)
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(引用開始)
正平二十二年(一三六八)に中国から渡来した外郎氏の活躍は多岐にわたり、博多・京・小田原を結んで、日本の中世史、近現代史に大きな足跡を残していた。(中略)
陳外郎の名は、室町時代に京都で活躍した中国人の医師が代々名乗ったことに始まる。中国で元朝が滅び、官人であった陳延祐は明朝に仕えることを拒んで日本に亡命。そのとき霊薬・霊宝丹(れっぽうたん)を携えてきた。阿仙、龍脳、人参、薄荷脳、麝香、甘草など十一種の生薬を秘伝によって練り、粒状に成形して銀をまぶしたものだ。のちに天皇から「透頂香(とうちんこう)」の名を賜った。今も当時のままの製法で作られている薬の〈ういろう〉である。
菓子の〈ういろう〉も、現在の小田原の名産品だ。黒糖と米粉を使った棹菓子は、室町時代に外郎氏二代の宋奇が客の接待用に考案した。上品でしっかりとした味わいの〈ういろう〉の製法も当時のままだという。これが「羊羹」の初めだと知る人は、そう多くはない。(引用終了)