メンター生たちがマッサージ店で勤務して、まさに働きながら気功を実践されています。
実際に全く知らない他人に手加減なしにジャッジされる場で気功をガンガン試せるのは、成長にとって非常に良いことです(そのジャッジが正しいとは限りませんが)。
本人が自覚している以上に、ヒーラーとしてメキメキと成長されます。
このシステムはとても良いと想います。
先日も、地方からヒーラーを目指して、オンラインメンターで学んでいる方が、東京に進出したと紹介しました。その方が依頼されてセミナーを開催!そして成功したという嬉しい報告がありました(おめでとう!!!!)。
次回開催も決定しているそうで、そうやって地道に進歩し続けている人はチャンスがやってきます!
というわけで(どういうわけだ)、別のメンター生からこんなご質問をいただきました!
(引用開始)
お疲れ様です。
筋肉をずらす用に意識して施術すると施術した10人以上のお客さんのほぼ全員が寝落ちしました。
あとペットボトル気功や筋肉や骨をイメージしたりなど試したりしたのですが、自分にはシンプルに気を流すのが今のところ1番合っているようです。
これは気を流すやり方が間違っているからでしょうか?
(引用終了)
さらっと書いていますが、10人以上のお客さんのほぼ全員が寝落ちってすごいですね。
そして、質問の件ですが、間違っているどころか、大正解ですね。
ど真ん中のど直球クラスの大正解です。
いろいろと試した上でシンプルな施術に戻すのは良いと思います。寝落ちさせるだけの深い変性意識状態へもきちんと誘えています。
「秘伝功では無限の気を使えるので全然疲れない」という言い方がありますが、、、、
「だから、気を流しても疲れないし、ますます元気になる!!」というのはあまりに短絡的な発想です。
というか、真っ直ぐに書くならば、そもそも自分の気を使ってしまって、死にかけ体験した人にしか、秘伝功のありがたみなど分かりません。
その人からすれば(秘伝の気を使ったことがない人からすれば)、秘伝の気が使えたときに、鬼が金棒を持ったような全能感を得られます。
全く疲れない!!!と叫ぶでしょう!
でも、それはそれ以前に何度も死にかけているからです。死ぬほどきつい体験を何度もしていて、その上で秘伝の気を導入されると、本当に天国です。
でも、それは秘伝の気を使わないで長いこと気功師をやってきたから分かるありがたみです。
インターネットが無い世界から来た人でないと、インターネットのありがたみが分からないのと同じです。電気が無い世界から来た人でないと、電気のありがたみが分からないのと同じです。
別にありがたみが分からなくても良いのですが、理解が浅いと厄介なことに巻き込まれます。
結論から言えば、気功は疲れます。
とても疲れます。死ぬほど疲れますwww
それは自分の気を出してしまって、死にそうになるのとは違います。
頭を使うから疲れるのです。
多くの気功師は頭を一ミリ秒も使わないで、偉そうにマントラだけを唱えているから、その程度の結果しか出ないし(でも、できない人からすれば神様みたいなものなので、お客さんは集まります)、それで自分はすごいと思ってしまいます。もう二重三重に救いようがないのですが、「まといのば」もそんな救いようがない俗物を多く生み出してしまったという反省はあります。とは言え、まあ、自己責任だと思いますし、彼らのゴールが地を這うほどに低かったというだけですが。ちょっとした奇術で人を驚かせたり、感心してもらうことのために、気功を学んだのでしょうか?初心はもっと華々しかったと思うのですが、、、、まあ、円谷幸吉ではないですが、走るのに疲れてしまうのでしょう)。
古くから「まといのば」のブログ記事を読んでいただけている人はご存知のように、気功整体師養成スクールなどは、かつては医療従事者や国家資格取得者のみに限定していました。
最低限の知識も臨床経験も無いのに、2日でプロの気功師になろうなんていうのは虫の良い話です。
多くの人はとんでもない努力を積み重ねて、何事かを成し遂げようとしています。しかし本人はそれを頑張っているとも、努力とも感じないのです。なぜなら、周りにもっとやっている人が多くいるからです。
ですので、「まといのば」としては、最近のマッサージセラピストブームは良いことだと思っています。
医学部入学から卒業そして国家試験通過の膨大な努力には比べるべくもないですが、それでも少しはヒーリングの現場を体験できます。
自分の実力の無さも痛感できますし、自分の不勉強さにも絶望できます。
「まといのば」でチラッと学んで、すぐにセミナーを開くのは悪いことではないのですが(というか、むしろ奨励していますが)、自分がスカッスカであることを理解して、自分が受講生に何を提供できるだろうかと考えるのであればOKです。でも、その逆になる人がなぜか多くて、非常に不思議に感じています。
自分が経験したことでもなく、自分が切り拓いた道でもないことを、さも自分のことにように語り募るからすぐに馬脚を現すのです(って、何度書いても、全然伝わらないのですが、伝わっている可能性もあると信じて書きます)(というか、その程度のゴールで満足できるのかと問いたいw)
もっと自分の経験や自分の考えに重きを置くべきです。
ですので、メンター生には口を酸っぱくして言っているのは、「いまを記録しておけ」ということです。いま感じていること、今の喜び、今の焦りなどを全部克明に記録しておけば、それは未来の貴重なタイムカプセルになります。
そして人の心を動かすのは、その人の本気の想いでしかありません。
どこかで聞いたようなことを綺麗にまとめてパッケージされても、「タダならもらうけど、、、」程度のリアクションしか得られません。
ですので、本当に地味だと感じても、自分が楽しいことをどんどんやり、当たり前のことと感じても、今の気付きを大事にすることです。
先日、アディトレスクールで、とある技術を使ってワークしていて、あるベテランさんが、「はじめて気の球の感触というものが分かりました、、、、、今頃、、、、」とおっしゃっていました。
少し顔が青ざめていたようにも見えました。
さんざん気功を長くやってきて、そして、いまようやく初歩の初歩が体感できたということに恥じ入ることはないのです。むしろそこに気づけたことが大きなブレイクスルーに繋がります。
赤飯を炊いてお祝いしたいレベルなのです。本当に。
周りと比較しすぎず、もっと自分の経験や気付きや喜びを重視しましょう。周りなどモブキャラでしかないのです。
先輩や同僚たちを見ていると、華やかに活躍しているように見えると思います。
でも、華やかに活躍しているように見える人は、地味なことを地味に楽しんでいるのです。
小さなことをずっと楽しそうにやっていて(実際に楽しくてしょうがなくて)、それがたまたま大きな結果に結びついているだけです。
オンラインメンターは8月から気功基本12セットを本当にシンプルなものにします。
これも、最初に大きな技術を渡してしまうと、その技術に目が向いてしまうからです。
ドレミも覚えてないのに、ショパンの弾き方を教えてくださいと言われているように感じます。
逆にうまくいっている人ほど、どんどんシンプルになってきます。
シンプルだけど、そのシンプルさに深みがあるのです。
このシンプルに気を流すのも体力と集中力がいるなーというのが今の実感です。気を流すだけでもまだ30分すら保たないのが現状です。
30分すら保てないというのは、僕らの体感ともとても似ています。
ですので、ヒーラーたちはせっせと身体を鍛えます。
(これも全く身体を鍛えたことないか、ちょっと習っただけで偉そうなことを言うヒーラーが多くて、鼻白みます。とは言え、気功師の視点をもって、アスリートにアドバイスすると、アスリートは結果を出します。そうすると、、、、お互いに麗しい誤解をするのです)。
セッションを3人やったら、翌日寝込んだというヒーラーさんがいましたが、それは異常事態ではなく、正しく気功をやったという正常な状態です(もちろん、そんなことばかりを言っていられないので、彼らは鍛え続けています。体力勝負なのです。知性を支えるのは体力なのです。プリズナートレーニングと同じで、鍛えなければ死ぬから鍛えるのです)。
じゃあ、ヒーラーはどんなことを考えるのでしょう?
どうして、疲れるほど考えるのでしょう?
気功師って単に気を流すなり、気功技術を流せばいいんじゃないのでしょうか?
秘伝の気のパワーと、アルゴリズムである気功技術の完成度があまりに高いので、それだけで多くの問題は解決してしまいます。その光に注目しすぎると、闇が深くなります。
私があまりに光をみつめたので
私の影は夜のように暗かつた(谷川俊太郎『六十二のソネット』)
ですので、早めに闇を見つめる練習をしましょう!
そのときにはじめて灰色の脳細胞が動き出します。
頭を使うということを始めるのです。
そうすると5分でぐったりします。いや30秒でもぐったりします。
これは筋トレみたいなものです。
だんだん慣れてくればより大きな負荷に耐えられるようになります。
宇宙は面白い設計で、能力が上がれば上がるほど、課題のレベルも上がります。
宇宙は高負荷トレーニングのトレーナーのようですw
*高負荷トレーニングの苦しさから逃れたいと思って「自重筋トレをします!!」という人がいますが、なぜ「まといのば」が高負荷トレーニングを薦めているかと言えば、自重筋トレがはるかに難しく、はるかに苦痛(とより大きな喜び)に満ちているからです。
自重を舐めている人は、まず懸垂からやりましょうw自重筋トレのイメージを変えましょう。
これはもちろん術者側からの視点であり、お客さんサイドからすれば、自分を救ってくれる人を血眼(ちまなこ)で探しているので、高い能力を持つ人を嗅ぎ分けて見つけるのです。
まあ、いずれにせよ、その闇を見つめるといはどういうことか、、、、それを次回の「はじめての気功」ではやりましょう( ー`дー´)キリッ
乞うご期待!!!!