「まといのば」が再定義しようとしているAddicitonを別な言い方をすれば、習慣ということになります。
習慣のポイントは苦痛に対する耐性です。
やらねばならないことは存在しますし、それをやるだけの動機があっても、最初のうちは嫌なものです。
他の誘惑は多く、そのことの報酬はとても少ないものです。
しかし、ある熟達のシステムを信じている人は(そして実践している人は)、そのパターンを熟知しています。
最初はゆっくりであっても、そのうちに加速しだすことを知っているのです。
アインシュタインが宇宙で最も不思議な力と言ったのはPowerはPowerでも複利の力でした。
複利の力とはフィードバックループの力です。
「まといのば」がフィードバックをうるさく言う理由は、このフィードバックループにあります。
自分がやった気功の結果を自分が認識することで、指数関数的に気功が上達するのです。
認識しなければ、初期値のままなのです。それはささやかなものでしかないのです。
c.f.
雪だるま(スノーボール)は最初は小さな雪玉であっても、十分に長い坂があれば、少しずつその表面積を大きくしながら、指数関数的に巨大になるのと似ています。
(引用開始)
ウォーレンが九歳の冬のことだった。雪の降る庭で妹のバーディーといっしょに遊んでいた。
ウォーレンは雪片を受けとめていた。それを玉に固めた。雪の玉(スノーボール)が大きくなると、地面に置いた。玉がゆっくりと転がりはじめた。ウォーレンが押すと、玉に雪がくっついてきた。芝生の上をずっと転がして、雪をどんどんくっつけた。すぐに庭の端まで行った。ほんの一瞬迷っただけで、ウォーレンは進みはじめ、雪の玉を隣の庭まで転がしていった。
そのときからずっと、ウォーレンは雪でいっぱいの全世界に目を向けて、進みつづけている。(アリス・シュローダー『スノーボール ウォーレン・バフェット伝』)
*「雪でいっぱいの全世界」にある雪とは完全情報を持たない人間の集団による市場の歪みのことでしょう。
雪玉を転がしていけば、雪がつくのです。
そして玉が大きくなればなるほど、効率が良くなっていきます。
最初から大きな雪玉の人を見てやる気を失うのではなく、自分がこれから起こそうとしているシステムを知っていれば、手のひらに乗るサイズの雪片であっても、淡々と大きくするだけです。
この熟達や熟練していくシステムを子供時代に身に沁みて知っている人は、どれに対してもこれを当てはめます。
それに対して、甘やかされて育って、最初から巨大な雪玉を渡されてきた子供は、社会に出て、小さな雪片から始めるとなると、途方にくれて、泣きわめきます。泣きわめく子供に対して、保護してくれるのは親か、国家だけです。
でも甘やかされた子供は、親や国家が渡すそこそこの雪玉をはねつけて、自分の運命を呪ったりします。
僕らは雪玉ならぬ気の玉からスタートして、その雪玉を巨大にしていきましょう。
雪玉を転がすというのは、たとえばチェーンのマッサージ店につとめて、ひとりひとり施術していくことです。
自分の頭の中だけ完結して、「自分は偉大なヒーラー」だと何度もつぶやいても、偉大なヒーラーにはなれません。
ヒーラーとは機能の名称であり、機能を果たすことです。具体的にヒーリングをすることではじめて雪玉が少しだけ転がせます。
熟練していくシステムを子供の頃から身に沁みて知っている人は、何かに熟達することの楽しさと難しさを知っています。
子供が楽器や武術をやるのが良いのは、いくら泣きわめいても上手にはならないからです。
楽器も身体も、人間のように交渉ができません。
保育士や、親に対するように気を引いたり、好意につけこむことができないのです。
巨大な壁のようなもので、残された方法は自分が変わることだけです。
そうやって、雪玉を転がすことを覚えます。
そのうち痛みにも退屈にも耐性がついてきて、そして雪玉が少しずつ大きくなることに喜びを覚え、気付いたら指数関数的に成長していくことに気づきます。
余談ながら、親御さんの中には子供をバレエや武道を習わせながら、この雪玉を知らない人がいます。いや、塾に通わせながら、子供の勉強が芳しくないと教師や子ども自身に文句を言う親がいます。子供が努力していることを全く無視して、なんでこんなものが分からないとばかりに頭をひねる親御さんがいます。
僕はずっと以前に塾講師をしながら、そんな親に対しては、「子供の勉強はいいから、お母さん(お父さん)がラテン語でも独習したらどうですか?」と言っていました。
まったく新しい内容を学んでいく大変さを知らない傍観者ほど、戦うものに対して過酷になります。
ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう(中島みゆき『ファイト』)
*満島ひかりさんの歌う「ファイト」(中島みゆき)、カロリーメイトのCM
雪玉を転がす大変さを知っている人は、他人に優しくなるものです。
これほど熟練した技を身につけるまで、どれほど血のにじむような努力をしたかを人々が知ったら、さほど感嘆しなくなるんだろう(ミケランジェロ)
夢に夢中になっている人、夢の実現に中毒している人は、猛烈な努力をいとわないものですし、逆にそれを止めるような抵抗に対してどんどん麻痺してきて、耐性がついてくるものです(その結果が悲惨なこともあります。人間関係は壊れ、人生が壊れることも)。まさに中毒なのです。
*メンター受講生が夢中と中毒をアンビグラムで示してくれました。お見事です!
*アンビグラムと言えば、令和発表からすぐに平成と令和のアンビグラムが発表されていました。
「平成」がさかさにすると「令和」になる文字を作りました。#アンビグラム#平成#令和#新元号 pic.twitter.com/IY5DbVXYUB
— 野村一晟 画家アンビグラム作家 (@IsseiNomura) 2019年4月1日
そこまで好きになれなければ、他に好きなことを探した方が良いのです。
好きならば、それに狂えば良いことです!!