自分が怠惰で、能力がないような感じがすることがあります。
いやいや、実際に客観的に見ても、怠惰であったり、だらしかなったり、無知で、バカだと確信させられることがあります。
(これが長いこと構造的に続けられると、エフィカシーが下がり、そしてそれに対して反発しようとする気がなくなります。これが慣れた状態であり、耐性がついた状態であり、ホメオスタシス化した状態です)
(これもひとつのアディクションです)
*Work Outもひとつのアディクションです。上手に中毒をデザインすれば、欲しい結果が手に入ります。上手に中毒をデザインするのは、狭き門ですけど
*筋トレなどのWork Outが中毒だとよくわかるのは、身体を壊しても多くの人は続けるからです。βエンドルフィンハイであるランナーズ・ハイも同じです。踵や膝を壊しても、その中毒からは抜けられません。
しかし、もしそれが構造的な欠陥でしかなかったら?
あなたは怠惰でも愚かでも無知でもないのに、そう思わせるようなシステムの犠牲者だったとしたら?
我々は構造的な欠陥という車輪に押しつぶされているだけなのです。
車輪の下で息も絶え絶えとなっているのです。
違う車輪に乗り換えて、車輪の上で、遠くへ旅しましょう。
アインシュタインが言っていないのに、アインシュタインの言葉として広まっているとされるものにこんなものがあります。
人はみな天才だ!
しかし、魚を木登りで評価したら、魚は自分がバカだと思い込んで一生を過ごすことになる
(Everyone is a genius. But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid.)
c.f.GIZMODE:アインシュタインが言ってもいないのに広まってるアインシュタインの名言9つ
c.f.でも誰が言ったか問題ではありません。良い言葉なら。
どうやったらIQは上がりますか?「誰もが天才だ。 しかし、魚は...」 2013-07-31
「いやいや、自分は天才ではありません」、と思うかもしれませんが(たぶん、天才ではないと思いますしw)、そこにポイントはありません。
泳ぐことが得意なのに、木登りで評価されているのではないかということがポイントです。
(と言うと、時代性ってありますよね。かつては評価されていたけど、今は評価されないことってありますよね〜みたいな反応が返ってきますが、ポイントはそこにはありません)
構造的な欠陥と言ったのは、こういうことです。
たとえば、魚が今日は木登り、明日は壁をスパイダーマンのように這うこと、昨日はピアノで判断されたとしたら、何もできないという感覚を深めるだけ、ということです。
僕自身で言うと、自分に関してこんな夢想をします。
自分の上司がやってきて、
「美味しいラザニアの作り方を来週セミナーしてくれ」とか何とか言って、去っていく夢想です。
ラザニア、、、、
美味しいラザニアですか、、、、
ガザニガでしたら、来週にもセミナーはできますが、ラザニアって何ですか、、、
*知的に美味しいガザニガの食べ方(学び方)なら、来週にでも講義はできますが、、、
美味しいという言うくらいだから、たぶん食べ物だし、ラザニアについて僕が知っていることのすべては、それが美味しい可能性のある食べ物だというだけだな〜
とりあえずググって見るけど、、、
(というか、実際にググってみて、自分が思っているものと、世界がガザニガじゃなかった、ラザニアだと見做しているもの差分にちょっとだけ驚きました。僕を個人的に知っている人はご承知のとおり、僕は食品に対してはかなり常識がありません)
もちろん、美味しいラザニアを作れる人に指南いただいたり、もうその人を連れてきてしまって、講義してもらっても良いのかもしれませんが、それらはチーティングとして禁止されたら、、、
「やればできる、がんばれ!」とか上司に言われて、、、、
そうすると、一週間後には、きっと「なんとかでっち上げた」コンテンツができるか、木登りをさせられた魚のような気分になるでしょう。
木登りは得意な猿たちに任せておけば良いのです。
ラザニアが大好きな人がラザニアをつくればよく、それをシェアしたい人が美味しいラザニアの作り方をシェアすればよいのです。
僕がラザニアよりも、ガザニガが好きですし、ガザニガについてだったら、美味しく調理して、セミナーをする自信がありますし、「まといのば」のメンバーも僕から美味しいラザニアの調理方法よりは、楽しくガザニガから神経科学が学べる方が良いと思ってくれると思います。
それに最大の問題は「ラザニア講座」が上司の指示でやっているということです。
これはどうしてもhave toになります。
いや、もちろんそれをwant toにするテクニックもあるのでしょうが、それは単にテクニックで、どうしてもCreative Avoidance(創造的回避)となります。
生産性が下がるのです。
楽しそうに木に登る猿を尻目にエラでどうがんばっても厳しいのです。
いくらおだてても豚ならぬ魚の身では木には登れません。
奇跡が起きて、木に登れたとしても、猿たちと同じマーケット(市場)では戦えません(まあ、そもそも戦ってはいけないのですがw)。
ですので、さかなクンとしては(なんか別の人が浮かびますが)泳ぎで勝負すべきなのです(いや、だから勝負してはいけないのですが)。
泳ぎの楽しさや喜びをシェアすれば良いのです。
普段やっていることなので、十分に知識があり、そして苦もなくできることです。
それを猿や豚に丁寧にわかりやすくプレゼンして、ちょっとだけ水につかったり、顔を出して泳ぐ練習などをさせれば、十分にコンテンツになります。
(そのときに、「なぜ水の中で呼吸ができない!!」とか怒らないことですw
彼らにはエラがありません。
自分が簡単にできることで、相手が不可能なことはたくさんあります)
うまくいっているヒーラーのポイントは自分が得意なことしか、やらないということです。
(「まといのば」はいろいろなことに手を出している印象があるでしょうが、それは目眩ましされているだけです。巧妙に絞っています。「依頼されたことは全部答える!」「来た球は全部打ち返す」と公言していますが、ストライク・ゾーンに入ってきたものだけです。それ以外は、断っています。具体的にどんなものを断っているかと言えば、たとえば「美味しいラザニアの作り方」講座などですw)
これは逆向きに言えば、サラリーマンや官僚の皆さまがあれほど優秀な人材なのに、構造的に「木登りができない魚」にさせられている理由がわかります。
橘玲さんはこう書きます。
(引用開始)
日本の会社は「ゼネラリストを養成する」というお題目で社員をさまざまな部署に移動させるため、なにが専門なのかまったくわからない「サラリーマン」という奇妙な身分ができてしまいました。知識社会が高度化するにつれてより高い専門性が求められるようになり、「ゼネラリスト」がさまざまな場面でビジネスの障害になっています。(引用中断)(以下、すべて「働き方2.0vs4.0」より)
ゼネラリストというのは、毎日木登りやら壁登りやら、ラザニアのクッキングやらを迫られる魚というわけです。
(引用再開)
日本の会社が海外企業とコンテンツ契約を結ぶ場合、法務部が対応しますが、その社員は文学部や教育学部を出た学士です。それに対していまでは中国などアジアの会社でも、交渉を担当するのは国際法を学んだ弁護士資格者なのです。(引用中断)
プロとアマチュアが戦うことになれば、それは勝てません。
会社は構造的に自社の利益を毀損します。
そしておそろしいことにこれは官僚の世界も同じだと言います。
(引用再開)
しかしこれは、会社だけの問題ではありません。ほとんど知られていませんが、日本の官僚も国益を毀損しています。(引用中断)
グルーバルな会計基準を決めるときに、日本からは東大法学部卒の学士たちが官僚としてやってきて、他の国からはハーバードやスタンフォード、ケンブリッジなどの名門大学で軽座学の修士号、博士号を取ったスペシャリストがやってきます。
これもまた学士と修士・博士の戦いですし、大学の質も含めてプロとアマチュアの戦いになります。
日本に不利な条件を飲まされるのは、むべなるかなです。
なぜなら「専門知識がなく、それ以前に英語にも自信がないので、会議のあいだじゅうひと言も話せないから」と。
すなわち、「日本の官僚は世界基準では「低学歴」で、国際社会では相手にされていない」のです。
(以上、引用は橘玲さんの「働き方2.0vs4.0」より。Kindleだとページ数が表記されないので、、、ページ数はありません。該当箇所を読みたい場合は検索してください)。
では、どうすれば良いのか。
サラリーマンでも官僚でも、気功師やヒーラーでも、同じです。
カラクリはシンプルです。
want toだけをする、ということです。
(誤解されることが多い表現ですが)好きなことだけをするということです。
魚が泳げば良く、猿が木登りをすれば良く、スパイダーマンが壁を登ればいいのです。
逆に「まといのば」がラザニアの講義をしなければ良いのです。
スペシャリストがその専門性を活かして仕事をすればよいのです。
官僚ではどうなの?
と思うかも知れませんが、別に他国の官僚が優秀なわけではありません。
他国では合理的に構造的に問題を解決しているのです。
専門家に交渉を依頼すれば良いのです。
猿に木を登らせれば良いのです。
喜々として登るでしょうし、国益も損ねません。
(引用開始)
これを解決するには、日本の官僚制度を解体して、アメリカのように大学や民間の専門家が官庁の要職に就いたり、官僚が民間企業の幹部になったりする「リボリビングドア」にしなければなりません。じつは小泉政権のときにこうした官庁改革が試みられたのですが、国民の圧倒的な支持で「官邸支配」をしていたときですら、官僚の抵抗でなにひとつ変えられませんでした。
こうしていまでは政治家もあきらめてしまって、都合の悪いことはみんな「グローバリストの陰謀」にしているのです。(引用終了)
*絶望的、、、、と思うかも知れませんが、、、そんなことはありません。
大丈夫です。
壁の向こうからやってくるAIという巨人がすべて駆逐してくれます。
エストニアが掲げるゼロビューロクラシー(官僚ゼロ)は未来の姿なのです。
*同時にタクシーにイライラしている人々も、そのイライラできるのは今だけです。快適な自動走行車に切り替わった未来では、この「タクシーにイライラ」するという体験すらも懐かしいです(きっとそれを擬似的に味わえるというサービスもAIが提供してくれそうです。レトロ趣味の人々のために)
という話を良くセミナーでもするのですが、どうしても木に登りたい魚がいて、水の中で呼吸したい猿がいます。
もっとシンプルに、「自分の好きなことを突き詰めてコンテンツにすれば?」と言うのですが、猿マネが好きな人もたくさんいます。
魚が猿に憧れても仕方ないですし、、、いや憧れても良いのですが、ビジネスはまずは「泳ぎ方」からスタートさせましょう。
「いやいや俺のまわりは最初からみんな泳げたし」とか言うのはやめましょう。
(そりゃ魚ですから、みんな泳げたでしょう)
自分の周りには自分と似た人が集まるだけです。
そこで抽象化して俯瞰して見ることができれば、自分にとって簡単で仕方ないし、息を吸うようにできることも、他の人には魔法のように見えることってたくさんあるのです。
(僕にとって「ラザニア」がつくれることは魔法です)
そしてそれを求める人もたくさんいます。
これがブルー・オーシャンビジネスです。
ブルー・オーシャンは自分の中にあるのです。
リルケが自分の中を熱心に掘れと言った理由はそこです。
(引用開始)
自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと。深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。(引用終了)(リルケ『若き詩人への手紙』)
多くの人が誤解していますが、リルケはこれを詩の書き方としてアドバイスしているだけではありません。詩人ビジネスの成功法則として語っています。
資本主義を毛嫌いする人が多いですが、アダム・スミスが喝破したように、我々が社会に機能を果たした対価として金銭的報酬があるのです(対価は様々です。金銭はその1つであって、全てではありません)。
誰かの役に立ったから、それに報われる形で金銭的報酬があるのです。その意味でシンプルなのです。
「美味しいラザニアをつくるセミナーを来週開催せよ」とボスに言われたら(そして逆らえない空気なら)、即刻辞表を出して、僕はブログでも立ち上げます。
【書籍紹介】
橘玲さんは面白いので、是非ハマってください!
ハマれば光速で読破できます!
そのうちに繰り返しが出てくるので、聞き慣れたメロディーを楽しむようにして、読破していきましょう。
橘玲さんはきちんと元ネタを提示しているので、興味ある部分は元ネタも参照して、自分の血肉にしましょう!
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