*本日、ファインマンの量子電磁力学です!!
気楽に楽しくいきましょう!なんか量も内容もすごいことになっていますが、きっと大丈夫でしょう!!物理学の見通しが大きく変わると思います!!
*そして、木曜日は久々の速読講座です!自分の知の水準をコンスタントにアップデートするための非常にわかりやすい戦略を提示します。我々がどうしても賢くなれないのは、おそらくは学校教育のせいだったのでは??という驚きの提案と、そこからの脱洗脳法も提示します!
どうしても来れないという方のためにヴァーチャル受講も可能とします!!
*そして今週末(そして月末、年度末w)は、総決算スクールです。あとにも先にも無い豪華なコンテンツと高い抽象度で一気にスクールを行います。今後を占うコンテンツが3割強くらいです!
お楽しみに!!!!(ヴァーチャル受講は非常に悩んでいます!wwwスクールは時間が膨大で編集にかなり時間がかかるためです!ただ希望者がいる場合は検討します!!)
今日はファインマンの量子電磁力学です!
寺子屋のリニューアルもだいぶ大詰めになってきました!
あと数回を残すところですね。
そうしたら、新規の寺子屋も徐々にスタートできそうです。
(ちなみに寺子屋の最初の頃は毎週開催でした、、、、それが隔週になり、毎月になり、半年に1回になり、、、)(最初の頃はすさまじかったですねー。若かったwww)
まあ、教養はとても大事です。
(メンターの受講生から「教養とは何ですか?」という質問をいただきましたが、、、、難しい質問ですね)
プラグマティックな視点から言えば、教養はそのままヒーリングの力につながるからです。
知は力なり(フランシス・ベーコン)
とは言え、教養が与えてくれるのは問いであり、疑問であり、謎です。
いや、そう考えた方が良いのです。
謎は解かれるためにありますが、あるステージをクリアするとまた次のステージが待っています。
謎を解くと、また次の謎が出てくるのです。
そして我々は人生を謎として捉えて、謎を解くことに喜びを覚えるのです。
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。(藤村操:華厳の滝で自死、その際の遺書の一説)
*北海道出身の旧制一高の生徒。華厳の滝で自殺。夏目漱石の生徒であり、漱石は藤村の自殺からよりノイローゼを深めたとも。その後、4年の間に後追い自殺者が185名(既遂40名)
謎を解くことに喜びを覚えるか、それとも恨みを抱くか(藤村操)で、行動指針は変わってきます。
しかし、本来は謎解きは楽しいのです。
スフィンクスの謎を解いて英雄となり、先王の犯人探しの謎を解いて絶望の中、自分の目を突いて死んだオイディプス王もいます。
物理学を虚心に学ぼうと思ったときに知っておくべきことがあります。
それは、ファインマン先生のこんな叫びです。
ファインマン先生は一般の人に物理学を教えることを好んでいた風があります。
今回の参考図書である「光と物質の不思議な理論」もファインマン先生が「物理学の至宝」と呼ぶところの量子電磁力学(QED)を一般の人に教える講義録です。
とは言え、この内容は大学院の三年目か四年目に教えることであり、皆さんにこれを説明しても、理解はできないでしょう、と言います。
この講義の意味は理解ではなく、食わず嫌いにならないことにある、と。
我々が理解できないだけではなく、大学院の4年生も「ほんとうにはわかっていない」と言います。
なぜなら、この私(ファインマン)にもわからないからであり、そもそもほんとうにわかっている人などどこにもいないと断定します。
不可知論と思わずに、このファインマン先生の断定を味わいたいものです。
第一私の大学の物理の学生だって、ほんとうにはわかっていないのです。なぜかと言えば、この私にだってわからないからで、そもそもほんとうにわかっている人などどこにもいはしないのです。(リチャード・ファインマン p.12「光と物質の不可知論理論」)
「ほんとうにわかっている人などどこにもいはしない」というのは美しい議論ですね。
とは言え、萬有の眞相は「不可解」なのではありません。
完全情報が無いと言っているだけです。
謎の階層性はあり、解けた謎があり、解けた謎の土台にもっと不可思議な謎が出てきて、その謎を解いても、より深い謎が現れるだけです。
*アイザック・ニュートン
そうやって、僕らは真理の大海を前にして、砂浜の美しい貝殻を愛でているだけで人生を楽しく終えることができるのです(ニュートンですね)
たまにショートカットしたいなと思ったときに、巨人の肩にどんどん乗っていきます!(同じくニュートンのフックへの手紙)。
(巨人の肩と言えば、テニスのゴールデンスラムのアンドレ・アガシの自伝の中に美しい一説がありました。下に引用します。ちなみにゴールデンスラムとは、グランドスラムとオリンピックのゴールドメダルを取ることです。アガシの奥さんのシュテフィ・グラフが獲得してこの言葉ができました)。
*アンドレ・アガシの代名詞となった「Image is everything」のCMです。もう20年前Σ(・∀・;)
私見ですが、ショートカットしまくることを教養を得ると言うのだと思います。
そうすると、On the edgeにたどり着くわけです。
人類がまだ誰も開拓していない、端にたどり着けます。
そこから一歩踏み込むことができたら、それは人類にとっての偉大な一歩ですし、過去の偉大な巨人たちに報いることができるのです!
【書籍紹介】
今日の寺子屋の教科書です!
授業後に是非読み返してみてください!
![]() | 光と物質のふしぎな理論―私の量子電磁力学 (岩波現代文庫) 1,080円 Amazon |
![]() | ファインマン物理学〈5〉量子力学 4,644円 Amazon |
アガシに興味がある人は是非読むと良いと思います!
![]() | OPEN―アンドレ・アガシの自叙伝 Amazon |
*かつて「インナーゲーム」という言葉が大流行しました。
今風に言えば、これはビジュアライゼーションや内観、瞑想ということになりますが、アガシの自伝はまさにこの「インナーゲーム」にあふれています。外から見たアガシと内から見たアガシがあるとして、内から見たアガシを徹底的に描いています。非常に面白いです。
内観や瞑想、ビジュアライゼーションに関する誤解というのは、デカルトの呪いに立脚しています(って、デカルトの呪いとは僕の造語ですw)。すなわち、心身二元論であり、内と外はバラバラという呪いです。
真実はシンプルです。インナーゲームを変えれば、世界は豹変するのです。
(というコンテンツを今月の総決算スクールで扱い、そして来月の瞑想スクールでやります)
(で、老婆心ながら、この先の展開を記しておきます。
大きくわけて二通りになります。
ひとりはこの力に最初のうちは驚き、楽しみ、そのうちに慣れてきて、どんどん使うようになる人がいます。これは望ましい例です。
もうひとりは心を変えると世界が変わることに驚き、驚きすぎて、怖くなり、怖くなりすぎて、その力を封印するか、自分を邪魔するためだけに使いだします。ちなみにこの後者の人がとても多いのが事実です。自分を信じることができないか、状況を楽しむことができないか、エフィカシーが低いのか、トラブルを愛しているのか、苦しみの中にしか自己を認識できないのか、何なのか知りませんが、そういう人は多いですね。
「自分の想念や考え方1つでこれほど世界が変わるなんて、信じられない、、、」と良くおっしゃるのですが、「いやいやまだあなたの深い井戸の中すらほんのわずかしか変えられていないですよ」としか言いようがありません。でも、強烈な体験なのです。
そのうちに、その力を使わない方向に力を用い(魔法を魔法が効かないように使うということですね)、「やっぱり私が思っていたとおり、そんな瞑想の力も気功の力もなかったんだ」と安心して、自分のスコトーマを深くします。その意味で心から望んだことは何でも叶うのです)
(引用開始)
アンドレ、君を変えようとは思わない。これまでも、誰も変えようとしたことはなかったからね。変えるのなら、自分を変えるだろう。だが君に講義したり、君が達成したいと思う青写真を授けたりすることはできると思う。農耕用の馬と競技用の馬との間には違いがあり、それを同じに扱うことはしない。同等に扱うことの大切さについての話はよく聞くだろうが、同等が同じを意味するのかは疑問だ。僕にとって、君は競技馬である。競争する馬として君を扱うだろう。僕は確固とした信念を持っているが、フェアだ。指導はするが強要はしない。僕は感情をはっきりと表現するような人間ではないが、今かはこのことは知っていてほしい。始まったということを。始まったのだ。僕の言っていることがわかるだろ? 僕らの戦いは始まったのだ。そして君は、戦いの最後まで僕を頼っていい。空のどこかには、君の名前の付いた星があるだろう。君がそれを見つけるのを手助けできないかもしれないが、僕にはかなり頑丈な肩がある。君がその星を探している間、僕の肩の上に立っていい。聞いているかい? 君が望む限りは、僕の肩に立って、その星をつかむんだ。(pp.237-238 アンドレ・アガシ著『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』)