Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

世界を良い場所にしたいと思うならば、鏡の中にいる自分自身を見つめよう。そうすれば変化が起こる。

$
0
0

自分史上最高のパフォーマンスができて、それに対する賞賛も、喝采すら十分なのに、喜びも束の間で、圧倒的な寂しさと孤独感が吹き寄せてくることがあります。

 

逆に、自分の力が及ばなかったり、自分の怠惰さで失敗するならば、自分を責めて、そして失敗を繰り返さないと決めれば良いのですが、逆に成功したときほど、すぐに虚しさが押し寄せてくることがあります。

 

 

万年準優勝男と揶揄されたアンドレ・アガシがついに1992年にウィンブルドンで優秀したときに、こう語ったそうです。

 

優勝した私は、ごくわずかな人しか知りえないことを知りました。

勝利の喜びは敗北の苦しみにはかなわない。

そして幸せな気持ちは悲しい気持ちほど長くは続かない。

似ているとさえ言えません。

 

By Shinya Suzuki - https://www.flickr.com/photos/shinyasuzuki/6183297352/in/set-72157627752483782/, CC 表示 2.0, Link

*ともかくカッコいい印象しかないアンドレ・アガシ!!

 

悲願の初優勝のときのインタビューとは思えない暗さですが、、、とは言えアガシはテニスを好きであり、憎んでいたこともあるので、なんとも言えませんが、、、。

僕自身はこのエピソードよりも、タイガー・ウッズがサドンデスのときに、相手がパットを外して、自身の優勝が決まったときに、嫌な顔をしたという話の方が好きです。喜びは結果にあるのではなく、プロセスにあるのですから。

 

By Keith Allison from Hanover, MD, USA - Tiger Woods, CC 表示-継承 2.0, Link

 

まあ、それはともかく、、、逆に成功したときほど、すぐに虚しさが押し寄せてくることがあります。

もちろん、ゴールを達成してしまったときの症状でもなく、ゴールははるか遠くに更新されていて、いまはまだ一里塚ですらないこともわかっていても、虚しくなります。

 

 

このカラクリはシンプルだと思います。

 

グノーシス神話が描くように、我々は物理的な存在ではないのです。

 

我が心は石に非(あら)ず(高橋和巳)

 

我々の肉体は物理ですが、我々自身は我々をそれを超えるものだと認識しています。

マルクスガブリエルの言うように、我々が物理的な存在なのであれば、我々は生まれる前から存在し(原子の形で)、死んだ後も存在します(原子の形で)。

 

 

グノーシス神話では、我々の魂はプレローマ界にあり、悪魔ヤルダバオートの創造した悪の世界において、魂だけがプレローマ界を認識(グノーシス)することができます。

 

グノーシス神話が真理だと言っているのではなく、ここではグノーシス的な考え方を採用すれば、虚しさの根拠が視えてくるということです。

 

自分史上最高のパフォーマンスをしたものの、もっと先があり、もっと成長できて、もっと変われるはずだし、世界を変えられるはずだと輝かしいプレローマ界を想起して思うのです。

 

逆にこの「虚しさ」こそが重要で、他の情動や思考はほぼ無意味とまで断定しても良いかもしれません。

 

 

「虚しさ」とは空虚感であり、その空虚なるものを充溢(プレローマ)させようとするのが、want toの感覚です。wantとは名詞形で用いると欠落です。

 

欠落を埋めたいと思うのがwant toということです。

 

かつて村上龍さんは坂本龍一さんとの対談の中で、才能とは心の穴だと言いました。心の中にぽっかりと大きな穴が開いている、と。音楽家なら、ト音記号の形をした穴があり、小説家ならペンの形をした穴がある(とそんなことを言っていたように記憶します)。

才能とはギフトではなく、いや、たしかに神様からのギフトなのですが、我々が思うような意味でのギフトではなく、大いなる欠落なのです。

僕らは無意識のうちにその穴を埋めたいと思い(ホメオスタシス)、そこに時間もエネルギーも資源もすべてを注ぎ込みます。それが周りからは猛烈な努力に見えるだけで、実際はぽっかりと大きな穴があり、そこをふさぎたくて仕方ないだけなのです。

 

繰り返しますが、wantとは名詞では欠落であり、want toとはtoという突き刺す語感を用いることで、ぽっかりと空いた穴を埋めることなのです。

 

たとえば、卑近な例で考えてみましょう。

 

車が欲しいとか、新しいお洋服が欲しいと思ったときに、我々はまずその車を所有している未来像を描いていて(もしくはその新しいお洋服を着てお出かけするところを描いて)、その世界にすでにいるのです。

その世界をクリプキの用語を用いるなら可能世界と言えるでしょう。

そしてマルクス・ガブリエルの議論を用いるなら、その可能世界は存在しているのです。

そしてその可能世界を好ましいと思っているので、プライミングが起こります。

その可能世界の重要性が上がるのです。

 

 

そうすると、ふとひとつの物理的現実世界に戻ってくると、「あれ?まだ車がない」「あれまだ着ていない?」ということになります。

その欠落感がやばいので、購買行動に入るのです。

購買行動に入るときに、システム2なる存在がようやく介入してきます。

システム2はその新しい車やお洋服を買う理由を考えてくれます。そして決断を促します。

 

でも、、、、もう決断はすでになされているのです。ただ追認しているだけなのですが、一応、王様に決済のハンコを押させる儀式をしているだけなのです。

 

意識は傍観者なのか?

 

まあ、傍観者という言い方が適切かはわかりませんが、決めたことをただ追認するシステムであるということは、リベットが鮮やかな実験で示しています。

 

自由意志はない(リベット)

 

 

ですので、たとえば我々が自由意志で何かを決める瞬間を、おそるべきことに事前に我々は神経科学の知見で知ることができます。自由意志で決める瞬間を、周りが先に知ることが有りうるのです。自由意志とは追認なのです(ちなみにこれと似た方法論をヒーリングではガンガン用います。たとえば相手が感じる前に、そのタイミングがヒーラーには分かります。なぜなら先に筋肉が反応し、そのあと脳が追認するからです)。

 

これが脳のカラクリです。

そしてwant toというのは文字通り欠落感であり、それを補償したいという脳の働きです。

とすれば、本質的な空虚感や虚無感というのはきわめて重要ということです。

 

宇宙はさみしいからつくった(苫米地英人)

 

しかし、一方で擬似的な欠落感は大きなノイズとなります。

もっと言えば、擬似的な補償というのはもっと大きなノイズとなります。

悪い意味でのヴァーチャルな達成感というのは、ノイズを通り越して、巨大スコトーマを構成し、心身を蝕みます。

 

尾籠(びろう)な話しで恐縮ですが、僕自身は内なるラッダイト運動として、ポルノの飛躍的な進化には大きな危惧を抱いています。いや、もちろんポルノがコンピューターとインターネットとVRを大きく牽引しているのは、百も承知です。それはコンピューターやインターネットやVRにとって良かったのですが、人にとってはどうだったのでしょう?

旧世代に属する人間の巨大なスコトーマゆえなのかもしれませんが、非常に危険だなと思っています。

 

(いや、社会としては揺れ戻しがあり、反動があるので、おそらく健全な方向に行くと思っています。

未来の人々は「昔はVRでポルノ見ていたらしいよー」と噂するのでしょう。「そりゃ、草食系、絶食系を通り越して、前頭前皮質が破壊されるよね」と会話しているのではないかと想像しています。かつての脳科学では前頭前皮質にはほとんど役割がないと思われていました。いまは違います。

まあ、ですから、社会としては心配してません。ただ心配しているのはその狭間で押しつぶされる個人です)。

 

抽象度を上げていくと、車や洋服もポルノも同列です。

 

資本主義を無闇に高く評価する気は毛頭ありませんが、これはシステムとしては欲望喚起システムです。

逆に言えば、穴あけパンチのようなもので、大衆の心に穴をどんどん開けていくシステムです。

そのうちに数割でも、その穴を埋めるために、購買行動を取ってくれれば、コストは回収できるのです。

これは心にとってはもちろん良くありません。

このマッチポンプが究極的に進化しているのが、いくつかのフリーミアムです。ポルノもそうですし、検索も同様です。SNSも。

(ちなみに、このブログ自体ももちろん良いヒーラーを育てるべく心に穴を開けるシステムです。ですからそこにゴールが無い人が読んでも有害なだけです。いや、そもそもそこにゴールが無ければ、読まないかw)

 

 

話が膨らみすぎているので、まとめていきますと、、、

 

 

いや〜まとまらないですね(笑)

 

 

ちなみに、今週開催の「速読講座〜知の地平を広げよ〜」では、この点についても踏み込みたいと思っています。

我々は「頭が良くなりたい」と思って本を読むのだと思いますし、実際に本から学ぶことは多くあります。

「本を読むと良い」、「もっと読みたい」、「もっと早く読めばいいんだ!!」と、速読を学びます。

なぜか近代合理主義的な、もしくは資本主義的な「効率」という概念を持ち込んで安易に速読法を習得したくなるのです。

 

しかしそれは本末転倒になりがちです(誤解してほしくないのですが、僕も速読法は好きですし、速読を使うこともたまにあります)。

 

それよりも知識がざるを水ですくうことにならないように、心の穴を埋めていく方が歩留まりが良くなるのです。

 

そして、本質的な空虚感にだけ絶望するようにすれば、我々は良い人生を送れるはずです!!(多分!)

 

 

というわけで、グノーシスと言えば、マイケル・ジャクソンの「鏡の中の人(Man in the mirror)」!!(男ではなくあえて人と訳します)。

 

 

*マイケル・ジャクソン「Man in the Mirror」

*鏡は三種の神器のひとつであることからも分かるように、古来より重要な瞑想の道具です。

 

 

I'm starting with the man in the mirror

(僕は鏡の中の人として一歩を踏み出そう!)

I'm asking him to change his ways

(彼にやり方を変えるように言うんだ!)

 

 

というわけで、世界を良い場所にしたいと思うならば、グノーシス神話を思い起こしながら、鏡の中にいる自分(それはプレローマの自分を想起させる)から変えていきましょう!!

(そのときに他の無限にある鏡を割ることも必要かもしれません)

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>