「世界は存在しない、しかし世界以外はすべて存在する」というマルクスガブリエルの議論は非常に面白いのですが、その手触りまで感じることで、我々は世界の手触りを得られます。
存在しない「世界」の手触りとは矛盾しているようですが、情報場の手触りと言い換えるべきかもしれません。
情報場はいつまでもアカシックレコードにたどり着くことなく、部分集合にとどまります。全体が無い部分集合ということです。
同じ現実を見ても、人によって解釈が違う、、、と言ったら、理解しやすいと思います。
たとえば芥川龍之介の名作『藪の中』などがあります(リンクはお馴染みの青空文庫)
すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。(『藪の中』)
死体発見から物語が始まりますが、ホームズも明智小五郎も懐かしのドラマ『メンタリスト』のパトリック・ジェーンも現れず(サイキックならぬ巫女が出てきて、被害者から供述を得られますが)、真相は闇の中にwww
藪の中は極端と思ったら、、、以前、こんな小咄を紹介しました。
c.f.三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。 2014-07-14
天文学者と物理学者と数学者が一緒に仲良く列車の旅を楽しんでいて、お互いに同じものを見ているのに、お互いに違うものを観察するという話です。
(引用開始)
天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。
(引用終了)
実は四人目は生物学者で、「いやあれはヤギだよ」と言うというオチもあるそうでwww
しかし、これらも前提となるのは確固たる現実世界があり、その観測者によって言い分が違うというものです。この「確固たる現実世界」を突き崩すのが重要です。
「確固たる現実世界」など存在せず、観測者に応じた宇宙が存在すると考えたのが、とあるドイツ系天才ユダヤ人でした。
ある観測系では同時に起きる事象が、別の観測系では別々に起こります。同時刻の相対性が相対性理論の端緒でした。
とは言え、唯識論の立場を取り、すべては観測者次第というのは、また極端だとガブリエルは考えます(量子論の結論は一見すると唯識論の立場のように見えます。でも見えるだけです)。
たしかに観測するか否かで物理的現象は変わりますが、それは観測者の自由ではありません。観測者が思いのままにできるのではなく、観測者もまたパズルのピースの一つです。
唯識でも唯物でもなく、その両極端を排した第三の道が「ユニコーンは存在する。およそ考えうるものはすべて存在するし、考えられないものも存在するが、世界は存在しない」という新しい実在論です。
とは言え、情報空間ではそれほどの異同は無いでしょうと思うかもしれませんが、厳密を誇る数学宇宙にあっても、同じものを見て、別なものを見るものです。
そして数学宇宙は物理宇宙よりはるかに大きいのです。
(引用開始)
すなわち、宇宙のなかには存在しない対象が数多くあるということです。つまり、宇宙は思われているよりも小さい。少なくとも数千億の銀河と、とんでもなく数多くの亜原子粒子とでできているのだとしても、それでも宇宙は思われているよりも小さいということです。宇宙は、エネルギーに満ちているとも言い伝えられているし、いまだに研究されていない事実もたくさんある。それでも数ある限定領域のひとつ、世界全体の存在論的な限定領域のひとつにすぎません。(引用終了)(マルクスガブリエル『世界はなぜ存在しないのか』)
「宇宙は思われているよりも小さい」とは情報宇宙は物理宇宙を包摂すると我々は言い換えます。そしてその情報宇宙全体が存在しない、と(=「世界は存在しない」)。
まあ、それはともかく、以下の数学の小ネタも何度か紹介していますが、味わい深いです。
(引用開始)
三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。
すると、幾何学者は「立方体です」と答え、グラフ理論学者は「一二の辺で結ばれた八つの点です」と延べ、位相幾何学者(トポロジスト)は「球です」と答えた。
このジョークは、それぞれの分野に携わる数学者の世界観を端的に表している。三人とも物事の見たい側面だけが見えており、ほかのことは眼中にない。トポロジストには、興味の対象となる物体の角度も距離も、形状の細かな特徴も目に入らないーーーというか存在しないのである。
(引用終了)(ジョージ・G・スピロー「ポアンカレ予想」p.83)
数学者というカテゴリーが非常に雑な集合に感じるくらいに、幾何学者とグラフ理論学者とトポロジストは違うものを見ています。もちろんそれぞれの中でも細かな分類があるのでしょうが。
立方体が球体に見えるというのは、お馴染みですね。
コーヒーカップがドーナツと同じカタチに見え、立方体は球体と同じカタチに見えるのがトポロジストです。
とは言え、それぞれが適当なことを言っているわけではありません。
それぞれの意味の世界の中で妥当な観測をしています。
陰陽師も同様です。
陰陽師は好き勝手に式神を出し、好き勝手に蟲を見ているのではなく、そこには厳密な因果関係の鎖があり、ロゴスに絡め取られているのです。
観測する自分自身もまた巨大なパズルのピースであるという自覚が必要なのです。
そしてその見方を徹底するならば、他の見方は取りにくくなります。
物理学者と天文学者と数学者では見ている世界が違うのです。
ということは、違う世界を見ているということです(ここではとりあえず「世界」という言葉を慣用的に用いていますが)。
そもそも最初に「三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。」と書いてありますが、これがまずミスリードです。
それは鵺(ぬえ)のようなものであって、「立方体」ではないのです。
立方体と名指すということは、何らかの意味の場にその存在を絡みとっているからです。
ですので、より正確を期するならば、「3人の数学者があるインクのシミを見せられて、これは何かと尋ねられた」、とか
「3人の数学者があるものを見せられて、これは何かと尋ねられた」、などのほうが本来は適切です。
我々は立方体だと最初にロックオンされてしまい、それ以外で考えられなくなります。
グラフ理論学者やトポロジストに共感できなくなるのです。
そうすると思考の轍(わだち)に入りやすくなります。
逆に極端な理論や世界観を持っていると、轍から抜けやすくなります。
たとえば、陰陽師などの世界観は有効です!!!
(陰陽師ならば件の図を見て、晴明紋と九字のミックスした曼荼羅を観るのかもしれません←好い加減なことを言っているのでスルーしてください)
というわけで、陰陽師・風水師養成スクールがいよいよ今週末開催です!!
(これが最後!!とまでは言いませんが、来年度以降しばらくは陰陽師や魔術からは遠ざかります!また新しい展開をお楽しみに!!どうしてもそれらのコンテンツを学びたい場合はOnLine MenTorが最適です!1期でプロとなり、2期で魔術や陰陽師や錬金術や風水の秘密に迫り、その技術を自分のものにしましょう!!)(もしくは年度末の総決算スクールへ!)
【書籍紹介】
文庫版が出ているのですねー
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