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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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「じゃあ、黙って走ったらどうなんだ?君は走る必要はない。でも、走ることを選んだ」(ルー・タイス

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プロのヒーラー、コーチとして活躍しているメンター受講生から、こんな質問をいただきました。

 

「クライアントさんに共感できない場合はどうすれば良いですか?」と。

 

何か相談されていて、イライラすることってあります。

 

*これは持論だが躾に一番効くのは痛みだと思う。今のお前に一番必要なのは言葉による「教育」ではなく「教訓」だ。(『進撃の巨人』)

 

クライアントの悩みとか愚痴を聞いていて、「いや、それって悪いのは会社の上司とかではなく、あなた自身でしょ」と言いたくなることはよくあります(僕はそう言いますけど)。

 

「ゴール設定をしていて、アファメーションもしているのに全然効きません」と言われて、「いや、バカには気功もアファメーションも効果は無いんだって知らなかった?」と言いたくなることはよくあります(僕はもう少しオブラートに包みますが、そう伝えます)。

 

そもそもゴールの世界は抽象度が高く、気功も見えないものをあたかも存在するかのように操作するので、どちらも高いIQは前提になります。

 

これは「言ってはいけない」ことなのかどうかよく分かりませんが、多くのヒーラーやコーチが言いたくても言わないことです(もしくは本人たちも分かっていないのかも)。

 

文字すらまともに読めない猿にはそもそも気功もゴール設定も無理なのです。(レバーを引けば、バナナが出ることに気づいてしまって、ひたすらレバーを引いている猿たちがたくさんいますが、早く言葉を理解して人間にならないと、行き詰まります)。

 

*まあ、たしかに僕自身も猿でしかありませんw

 

 

繰り返しになりますが、何か相談されていて、イライラすることってあります。

うまく共感できないことがあります。

(ちなみに余談ながら、この「イライラ」って大事です。抑圧せずに、その原因を深く無機質に探っていくと金鉱にたどり着けます)

 

 

まあ、そういうよくあることを上品に質問すると、「クライアントさんに共感できない場合はどうすれば良いですか?」となるのでしょう。

 

 

共感は難しい問題ですね。

 

 

これに対しては2つの回答がありえます。

 

ひとつは「ココロの読み取り方」講座で紹介した方法であり、もうひとつはルー・タイス方式です。

 

まず一つ目から!

 

ジョン・グリンダーかリチャード・バンドラーが言っていたと思うのですが、「我々は人を理解することはできない」のです。これが大前提です。

ひどいことを言っているようですが、そのとおりです。

 

これは「言葉に意味はない」と同じたぐいのものです(意味は状況に埋め込まれています)。

 

その人がどんな経験をしてきて、どんな事を考えてきたのかを完全に知りえない以上は、我々は完全に理解することはありえません(神すらも不可能かも)。

 

NLPの創始者たちが言うのは、理解できないからこそ、理解できているフリをせよ、と言います。これは非常に正しいと思います。

理解できるというのは傲慢ですし、しかしクライアントの治癒なり変化を求めるならば、相手が「私は理解された」と感じることが重要だからです。ここにパラドキシカルな構造がありますが、視点をきちんと移動できれば、パラドックスではなく、オーソドックスなことに変わります。

 

 

これが「ココロの読み取り方」講座における最重要テーマでした。

理解できないことを前提として、理解されたと感じさせよ、と。

もしくは共感できないことを前提として、共感されたと感じさせよということです。

平たく言えば、misleadingということですね。

 

ですので、1つ目の回答としては、自分が共感できなくても、相手が共感されたと思うようにデザインすれば良いということです。

(共感できないと、ヒーリングができないという人も稀にいますが、それは趣味のヒーリングです。プロならば、共感などを前提にしないことです。それにその共感は明確に独りよがりです)

 

相手が共感されたと感じるためのトリックのためには、自分の情動を使います。

「喜怒哀楽」という手法を使いますが(手法というか気功技術ですが、マントラだけでは召喚できません)、これはかなり高度です。

 

それよりはまず、相手のココロの揺れを素早くフィードバックできる鏡のように自分がなることが大事です。鏡になるのです。

 

そのための非常な有効な技術は、○○○の○○○ですw

(〇〇クリームの〇〇整形という技術です)

 

 

この気功技術をひたすら自分に使うことで、相手にとっての良い『鏡』になります。自分の心理状態を可視化してくれる鏡です。

 

我々は鏡に惹かれます。

鏡に惹かれるのは、ナルキッソス(ナルシス)だけではないのです。

 

*水鏡に映る自分に恋したナルキッソス。隣りにいるのは森のニンフ(妖精)のエコー。

 

永遠の謎であり、最も知りたいものは「自分とは誰か」です。それを与えてくれる「鏡」は重宝されます(だからこそ、三種の神器であり、古来より祭祀に使われます)。

 

鏡のように反応が返ってきます。それも相手にとっては意外な情報が返ってきます。

(いわゆる本物の鏡を見て、自分の予想通りということは無いですよね。髪型であったり、顔色であったり、リップであったりを確認します。想定外な情報に価値があるのです)。

 

 

ですので、この技術をガンガン使うことで、相手にとって「共感された」と感じさせられるのです。

 

もう一つがルー・タイス方式です。

 

これはシンプルですし、非常に汎用性があります。

 

ただ達人の技であり、素人が下手に真似をすると、炎上して終わりですw

 

 

再び我々の聖典を紐解いてみましょう。

 

そこにはこうあります。

 

*現在だったら、セクハラ疑惑で映画界を永久追放されていたであろうヒッチコック

 

 

オリンピックゴールドメダリストへのコーチングの風景です。

彼が必ずレースの最終盤で激痛に襲われるので、その解決を手伝って欲しいと依頼してきたときのことです。

 

会話の中でこんなやりとりがありました。

 

「僕が何のために走っていると思っているんですか?」


「まったくわからないな。 いいかい? 私が走らないことは知っているだろう? 私だって、あの痛みは我慢できないさ」

 

ルー・タイスもバカではありませんし、もちろん常識は兼ね備えています。

オリンピックの長距離選手が何のために走っているのかくらいは百も承知でしょう。

しかし、そういう常識を取っ払えば、なぜ何のために走っているかは「まったくわからない」が正解なのです。

理解も共感もゼロです。

 

しかし、自分が選んだ以上は、Have toはどこにもなく、黙ってやればいいとシンプルな原則を持ち出します。

 

 

僕にとってはイエスの言葉以上に脳内の記憶の宮殿に響き渡ります。Echoし続けますね(ちなみにナルキッソスの隣にいるのが、かわいそうなニンフのエコーです。日本風に言えば木霊でありやまびこですね)

 

じゃあ、黙って走ったらどうなんだ? 君は走る必要はない。でも、走ることを選んだ。

私になぜ走りたいかを話した。それは君自身の考えだ。本当は無理して走る必要などないんだよ。レースを終える必要なんてないんだ。いつだって止まることができるんだ」(ルー・タイス『アファメーション』)

 

僕の中では、サマリア人の譬え以上に響きます!

*「じゃあ、黙って走ったらどうなんだ?」はイエスの「あなたも行って同じようにしなさい」(ルカ10:37)と僕の中では呼応します。

 

*レンブラント『善きサマリア人』

 

ただこれは達人の技です。

素人が猿真似したところで、飛び散るだけです。

知識として知っておくことは大事ですし、アルゴリズムとして、後ろに走らせるのは大事ですが、猿真似厳禁です。

 

(これも余談ながら、「分をわきまえる」というのは非常に大事です。萎縮はダメですが、傲慢もダメです。

というか、もっとシンプルに無邪気に一心不乱にゴールを目指せないものでしょうか。

 

以前もオルテガの「大衆の反逆」の一節を紹介しましたが、もっと怖い先輩や怖い先生がガンガン怒ればいいんでしょうけど、そういう時代でもないかなと思っています。少なくとも僕は最近はそういう役割からは降りています。コストパフォーマンスが悪いので)

 

c.f.「この新しい大衆は、彼をとりまく世界に甘やかされてきたのである」(オルテガ) 2015-12-14

 

 

 

(引用開始)
誰かを甘やかすというのは、彼の欲望になんの制限も加えないこと、自分にはいっさいのことが許されており、なんの義務も課せられていないという印象を彼に与えることである。こうした条件のもとで育った人間は、自己自身の限界を経験したことがない。外部からのいっさいの圧力や他人との衝突のすべてから守られてきたために、そうした人間は、ついには、自分だけが存在していると思い込むようになり、自分以外の者の存在を考慮しない習慣、特にいかなる人間をも自分に優る者とはみなさない習慣がついてしまう。自分よりも優れた人間がいるという感じを彼に実感させうるのは、彼よりも強い人間が、彼に欲望の一つを放棄するように強制し、分を守り控え目にするように義務づけることができた場合だけである。
(引用終了)(オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」pp.80-81)

 

c.f. 躾に一番効くのは痛みだと思う。お前に一番必要なのは言葉による「教育」ではなく「教訓」だ 2017-12-03

 

*これは持論だが躾に一番効くのは痛みだと思う。今のお前に一番必要なのは言葉による「教育」ではなく「教訓」だ。(『進撃の巨人』)

 

僕はリヴァイとルー・タイスが重なって見えます。

目が悪いのでしょうが、重なって見えます。


ルー・タイスのど迫力で「じゃあ、黙って走ったらどうなんだ? 君は走る必要はない。でも、走ることを選んだ。」と言った時に、ルー・タイスという「彼よりも強い人間が、彼に欲望の一つを放棄するように強制し、分を守り控え目にするように義務づける」のでしょう。

 

平たく言えば、甘ったれたことを言うな、ということでしょう。

痛みなくして、ゴールドメダルも欲しい、とは甘ったれなのです。

自分がフォーカスするのがゴールドメダルならば、そして走る必要がないのに、走ることを選んだのであれば、「黙って走れ」なのです。

 

 

というわけで、「共感」に関してはそんな感じです。

 

 

【書籍紹介】

「共感」については、こちらを以前も紹介しました。

もっとも大きな害をもたらすのはつねに善き人である:反共感とネットフリックス躍進の秘密 2018-12-03

 

最近、話題のこちら↓

 

 

橘玲さんは面白いです。

 

堀江さんも薦めていましたし、「まといのば」でも以前紹介しました。

ただ、アドラーはもう時代遅れですので、学術的価値は無いと思います。読み物として面白くはありますが。

*アドラーをブログではいつ紹介したかなと思って検索したら、、、、やくざ者として紹介していました。ユング先生のアドラー紹介ですw

自らを自身のゴールの牢獄に閉じ込め、鞭(むち)打とう! 2015-04-18

 

 

忘れていましたが、ルー・タイスの名著

 

 

オルテガの憎悪しか感じませんでしたが、、、w

 

 


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