気功というのは平たく言えば、脳と心、そして身体の上手な使い方です。
もしくはもっと平たく言えば、人生のコツです。
人生のコツなどと言うと、おばあちゃんの知恵袋のようですが、、
我々の知恵袋はだいたい2500年前くらいなので、相当なおじいちゃんおばあちゃん達から受け継いだ知恵袋です。
脳の上手な使い方、心の上手な使い方(心がもしあれば)、そして身体の上手な使い方をマスターして、人生をより良く生きましょうという人生のコツを学びます。
ですので、決して奇妙なことではなく、常識的なことというか、当たり前のことも多く含まれます。
というか、我々は「社会的洗脳」とも言うべき「常識」によって、能力を抑えつけられているのは事実です。そして、その抑圧を解除していくことで、どんどん成長していくというのが「まといのば」のテーマでもあります。
ただ方法論は奇妙なことばかりです。
なぜ奇妙かと言えば、社会的洗脳の常識から離れるからです。
また井戸の中から飛び出すからです。
我々の議論の前提となるのは認知科学であり、分析哲学です。認知科学や分析哲学の土台はもちろん科学であり、物理学であり、古代ギリシャ以来の哲学です。
一方で魔術や呪術の歴史にも多くを負ってもいます。それが風水であったり、陰陽師であったり、魔術であったり、錬金術であったりします。それらの巨人の肩というのは十分に大きいために、すこしかすめる程度であっても、大きな収穫となります。
(引用開始)芸術には、すべてを通じて、血統というものがある。巨匠をみれば、つねに、その巨匠が先人の長所を利用していて、そのことが彼を偉大にしているのだ、ということがわかる。ラファエロのような人たちが土台からすぐ生いそだつのじゃない。ちゃんと、古代および、彼ら以前につくられた最上のものの上に立脚しているのだ。(引用終了)(エッカーマン『ゲーテとの対話』)
*おなじみのアテナイの学堂もまたラファエロの作品です。
僕はいつ見てもラファエロは漫画に見えます。きれいな絵の漫画に。
ラファエロは年代順に見ていくと「先人の長所を利用してい」るのがよくわかります。というか影響受け過ぎでしょとツッコミたくなるレベルです。たとえばダ・ヴィンチを師としていたときは、そのままダ・ヴィンチとしか思えない絵を描いています。
彼は吸収の天才だったのです。自分の身にするのが早く、そして仕事も早かった(だから若くして死んでいるのに、多くの傑作を残しています)。
社会的抑圧の正体を見極めようとするのは愚かですし、一方で認知科学や分析哲学の全貌を先に理解しようとするのも愚かです。巨大すぎる山ですし、自分の人生すべてをかけてもその1%もクリアできないのです。
もっと気楽になりましょう。
重要なのは、「一体自分が何を望んでいるのか」という情報です。
この情報をもとにして、この情報が引力を持ち、他の情報を引っ張ってくるイメージです。
ちなみにこの「望み(Want to)」は仮で良いのです。
というか、むしろ最初は仮のゴールで練習しても良いかもしれません。
たとえば相撲レスラーになりたいと心から思ったとします(もちろん仮のゴールとしてです。ですので女性でもOK)。そして、そのシミュレーションゲームを楽しむことです。スコトーマが外れる喜びを味わうことです。
(そんな内容の記事がこちら↓)
「でも、あなた、気をつけて。ソクラテスが最後にどうなったかを知っている? 毒を飲まされたのよ」 2017-01-23
で、意外と皆さんスコトーマに入りやすいのですが、このゴール設定ごっこはとてもとてもとても重要です。自分がゴールに絶対しないようなことを、ゴールにして自分のスコトーマを外す練習をしておくと、、、、実利的なところで言えば、自分のコーチングに役立ちます。また自分のスコトーマを外すのに役立ちます。自分の抽象度を上げるのにも役立ちます!
「まといのば」のワークの中にゴールスワッピングというのがありますが、これは文字通りゴールを交換します。自分のゴールと相手のゴールを交換して、それぞれが相手のゴールを自分のものとして、なぜそれを求めているのかを熱く語るというワークです。これも仮のゴールでの練習と構造的には同じです。
是非試して組みてください。
そして、なぜこれをしつこく言うかと言えば、多くの人がゴール設定を素晴らしいツールとしてではなく、創造的回避という悪魔の餌として使うからです。創造的回避はどんな素晴らしいものも、ゴミにしてしまう悪魔です。
「なかなかゴールが見つからなくて、、、」
「自分のゴールは現状の中だと思うんですよね、、、」
「現状の外のゴールって、原理的に視えないですよね、、、」
みたいな、本人は真剣なのはわかりますが、創造的回避という悪魔くんに乗っ取られている場合が多いです。
真剣に真剣に墓穴を掘ってしまうのです。
墓穴まで行かなくても、轍(わだち)になってしまいます。
そこから抜けられないのに、そこに固執してしまいます。
ですので、スルッとその轍から抜けましょう。
それが上記の方法です。
仮のゴールを設定したり、スワッピングしてみたりして、とりあえず先に進んでしまうのです。
動けば、新しい空間に移動できます。新しい空間では、新しいアイディアが降ってきます。
でも、現状の中にずっといるのはずいぶんと快適なのです。
茹でガエルになってしまうことがわかっていても、死ぬまでは熱めの温泉に浸かっているようなものですし、仲間も大勢います。
「まといのば」ではぬるま湯からすぐに飛び出せる方法をブログでもたくさん提供していますし、その機会もたくさん渡しているつもりです。
でも、そのことでゴールがどんどん達成したり、IQが望むレベルまで上がったり、夢がかなったりすると、、、最初のフィードバックはこんな感じです。
いや、最初のというか、最初の巨大なフィードバックです。
以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私に知能や知性がそなわったゆえに私を憎んでいる。なぜだ? いったい彼らは私にどうしろというのか?(アルジャーノンに花束を)
いや、まあ彼らは自分の視界から出ていって欲しいと願っているだけです。
以前は嘲笑し、軽蔑したのに、彼らが求める知能や知性が備わると憎むというのは、何度も繰り返される「物語」です。
そしてあまりに繰り返されるので、その構造を知るだけで、予言者になれるほどですw
そして続くセリフが以下の通りです。
この知性が私と、私の愛していた人々との間に楔を打ち込み、私を追放した。私は前にもまして孤独である(アルジャーノンに花束を)
パスカルでしたか、「人は世界中から称賛されたいと願いながら、周りの数名から褒められると満足する」というようなことをパンセに書いていました。
学生のころは、「人間って単純」って思って読んでいましたが、いまは別な風景が拡がります。
たとえば、こんな風景です。
すなわち、世界中から称賛される人は、周りの人から褒められていないことが多いのです。それは親かもしれないし、パートナーかもしれないし、親友たちかもしれません。そしてその評価を渇望し続けて(渇望のあまり膨大なエネルギーを注ぎ)、結果として世界から称賛を受けるのです。
しかしどこまでも渇いたままなのです。なぜなら一番評価されたい人からは、いつまでも評価もなければ、称賛もなく、理解も、リスペクトすら得られないことが多いからです。
私は前にもまして孤独である(アルジャーノンに花束を)
世界から称賛を受けるなら、まだ幸いです。
同時代から称賛を期待できないことが分かると、未来に託します。
それはイエスも、オイラーも、おそらく釈迦も同じでしょう。
どこまでも孤独なのです(でも未来には期待をしているのです)。
で、何が言いたいかと言えば、気功を使おうと決めて、楽しく実践しているうちに、その地獄を味わいますよ、という警告というか、予言です。
以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていまは私に知能や知性がそなわったゆえに私を憎んでいる。なぜだ? いったい彼らは私にどうしろというのか?
とつぶやくかもしれず、
この知性が私と、私の愛していた人々との間に楔を打ち込み、私を追放した。私は前にもまして孤独である(アルジャーノンに花束を)
と自分がつぶやくかもしれないのです。
逆にその覚悟があれば、是非、気功の世界に(というか、「まといのば」に)飛び込んでみてください!!!