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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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【募集開始!!】アルケミストのカラダ、ヒーラーの身体〜情報空間を操作するために必要な身体とは何か

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*本日、はじめての気功「美肌クリーム・美容整形」です!!お楽しみに!!

*木曜日はまといのば講座「誰も知らないルー・タイス」です!!こちらはヴァーチャル受講もあります!

*今週末は久々のヒーラー養成スクール2Daysです。情報空間を軽やかに移動し、情報を操作するために必要な身体鍛錬法を学びます!

 

 

ヒーラーにとって必要とされる理想の身体とはどんなものなのだろうか?

 

情報空間を操作するための身体性とはどんなものなのだろうか?

 

ヒーラーに要求される肉体は、どんなものだろうか?

 

どう鍛えれば良いヒーラーになれるのか。

 

どの方向で鍛えれば、情報空間を操作できるのか。

 

どのような肉体であれば、相手の身体に影響を与えられるのか?

 

これが今回のスクールのテーマです。

 

 

*今回は整体、タッチヒーリングはメインではありません。

 

 

気功の上達の早い人と遅い人がいます。

勘の良い人とそうでない人がいます。

 

これまではフワッと「そういうこともあるよねーー」という程度に思っていました。

向き不向きはありますし、才能というか、傾向ってあります。

 

まあ強いて言えば、「ダンサーって気功が上手だなー」という程度でした。

(より厳密にはなぜバレエダンサーは気功が上手かについてはいろいろと仮説を書いてきました。でもその情報って、バレエ経験の無い人にはそれほど役に立ちません)

 

 

そしてこれまで身体というと、ヨガであったり(ヨガスクール)、バレエであったり(MBA)、身体を高度に書き換えていくものであったり(身体デザインスクール)などでしたが、今回はちょっと趣向を変えて、良いヒーラーになるための身体とは何かをテーマにします。

 

別に猛烈に柔軟ができなくても、別に高くジャンプできなくても、ピルエットがまわれなくても、ブリッジや前屈ができなくても、ヒーラーにはなれます。

 

逆に、それらがしっかりとできたとしても情報空間にアクセスするヒーラーとしては足りない可能性もあります(可能性というか、実際に足りないですよね、たぶん)。

 

 

というわけで、ガツガツと「ヒーラーの身体」造りをしていきましょう!!

 

 

 

ちなみに僕が苦手なタイプのヒーラーというか、まあそういう関連の人というのは、言うなれば口だけ番長みたいな人です。なんか口は達者でロジックはペラペラと出て来るのですが、その言葉に重みがないというか身体性がない人はあまり好ましいと思っていません。

 

そういう人たちの「存在の耐えられない軽さ」がちょっと苦手です。

「ゴール」とか、「臨場感」とか、「ホメオスタシス」とか、「現状の外」とか、きらびやかに言葉は並びますが、、、、、残念ながら、言葉は踊る、されど(情報空間をゴールに向かっては)進まずという感じです(一応、書いておきますがパロディーです。「存在の耐えられない軽さ」はクンデラ、「会議は踊る、されど進まず」はウィーン会議)

 

そういう人に対しては、「いや、お前がまず現状の外のゴールを目指せよ」と突っ込みたくなりますw

経験していないことを引き写しで語ると言葉が空虚に木霊(こだま)するだけです。

 

言いくるめることや、盛り上げることが内部表現の書き換えだと勘違いしている人を、僕は好きではありません。

 

理論に精通しているような空気感で素人を煙に巻きながら、雰囲気だけで何かをしたようになるヒーラーやそれ関連の人が長く支持されるはずはないと思います(いや、むしろそう望んでいるに近いのかなw 自然淘汰はマーケットにも働くはずなので)。

 

僕は少し内部表現の書き換えについてロマン主義的なのか、イデア論的なのか分かりませんが、必ず内部表現書き換えの最適解の群があり、向かうべきゴールの可能世界(の群)は存在すると思っています。

 

それは我々の外にあり、そこにアクセスすることができたら、明確に分かると確信しています(というか、日々、その実践のつもりでいます)。「明確に分かる」とは身体感覚として明瞭にサインがあるということです。

 

 

ゴールの世界、もしくは理想世界というのは厳としてすでに存在しており、我々はそれを見出すだけだと考えています。だからこそ、内部表現書き換えというのは(僕の私見ですが)、崇高な行為であるべきなのです(宇宙の原理としてのイデア論をいまさら持ち出す気はありませんが)。

 

自分の勝手な思い込みや独善を避けて、非常にテクニカルにそして真摯に情報空間を読み取ることではじめて内部表現書き換えという作業は可能になり、そしてそれがどれほどの時間がかかるか(計算が終わるか)は計算してみないと(はじめてみて終わらないと)分からないと思っています。

 

まあ、もう少し単純に言うと(単純なのかな?)、、、、かつて狂しいほどに何かを求め、しかしそれが絶対に手に入らないことに苦悶した経験が無い人が(そして奇跡的に紅海を割くように夢を叶え続けていない人が)、内部表現の書き換えとかゴール設定のサポートとか無理でしょ、とか勝手に思います。

 

その狂気こそが、Want toであり、現状の外であり、ゴール設定であり、Creativityです(と僕は考えます)。

 

ルー・タイスがボクシングリングとレフリーとグローブとゴングとドリンクを興行の5日前に奇跡のような「弱い紐帯の強さ」の中で見つけたように、です。

 

Creativityというのは、本当に奇跡をCreationします。

 

 

城南予備校か何かの広告で、「僕のムボウよ、キボウに変われ」というようなコピーがありました。でも、その先にキボウをゼツボウにするだけの現状認識が必要かと思います。現状認識とゴールの世界に関する知識です。そのゼツボウの中になんとかして光を見つけようともがくのが「現状の外のゴール」です。

「自分は無力で、チャンスを盛大に逃してきてしまった」という絶望の淵でしか見えない風景があります。

 

 

 

ゴールを設定するだけで、ワクワクな人生が待っているなどと伝えるのは、、、、なんというか物事の反面しか見せていません。いやほぼ全面をあえて覆い隠しています。いや、もしかしたら本人に経験が無くて、知らないのかもしれません。

 

ゼツボウの中に咲く花だからこそ美しいのです。そして絶望の中に本当に実際に咲くかどうかもわからないからこそ美しいのです。

 

 

まあ、それはさておき今回のスクールのテーマである、「ヒーラーの身体」、そして「アルケミストのカラダ」です。

 

今回は久々の真っ直ぐなヒーラー養成スクールを開催します。

 

それも身体にフォーカスします。

 

というのも、最近のオンラインメンター受講生の皆さんの進化っぷり、成長っぷりが素晴らしく、ちょっと予想以上であり、少々驚いています。それを踏まえての開催です。

 

オンラインメンターのように直接対面ではない通信講座で(でも月1回はLINE通話でのオンラインセッションが15分あります)、かなりの結果を出し、成長できるのであれば、対面でがっつりと学べるスクールであればもっと長足の進歩を遂げられるはずです( ー`дー´)キリッ

 

オンラインメンターの受講生がもう一つ成長するために不可欠なのは「身体」です。

皆さん頭は良いですし、熱心に勉強していますし、気功技術の理解も習熟も速く、実践も真面目です。

ただもし欠けている部分があるとしたら(それは彼らの問題ではなく、オンラインメンターというシステムの構造上の問題ですが)、「身体」について教えることが難しいということです。

 

誤解を恐れずに言えば、我々は脳ではなく、身体で情報空間にアクセスします。脳は嘘と言い訳ととやったフリが得意な金食い虫の(エネルギー効率の悪い)臓器です。それに比べて(脳を除く)身体は実直ですw

 

 

「頭で分かる」とか「腑に落ちる」とか「腹落ちする」みたいな言葉がありますが、気功や内部表現の書き換え、情報空間の操作は「頭で理解できました」では何もできないのです。

畳の上の水練みたいなものです。

 

身体を変えて、身体で情報空間にどっぷりと入らないと観ることのできない世界です。

 

そして情報空間という大海に飛び込むには、それ相応の訓練された身体が必要です。

その方向性を示し、実際に鍛錬もするのが今回の企画です。

 

 

 

今回のスクールのゴールというか着地点はかなり壮大で、アルケミストの秘密に迫りたいと思っています。アルケミスト(錬金術師)の極度な理想主義はそれこそ極端な原理主義であり、もう少しその基準を緩めたほうが良いのではないかと思わせるほどです。

 

彼らは高い抽象度の情報ともっと低い抽象度の物理が繋がっているばかり、同じものだと考えます。「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」(エメラルド・タブレット)です。これは比喩ではなく、直接的なのです。

すべての比喩表現を比喩ではなく、直接的な経験だと考えるのは我々の感覚からすると馬鹿げています。

 

ちょっと古い映画ですが、「バックトゥーザフューチャー(Back to the future)」の中でドクとマーティーのこんなシーンがありました。

 

 

*マイケル・J・フォックスですね。何度も観た映画です。

 

その中でタイムトラベルして、お父さんの高校に紛れ込んだマーティン(マイケル・J・フォックス)がドク(クリストファー・ロイド)に向かってこう言います。

 

「いやーこれはヘビーだね」

 

強いて訳すなら「めっちゃ大変な状況だねー」とでも言う感じですし、公開当初ならともかくも「heavyだね」とは最近は日本語でも使います(劇場公開時は1ドル250円!!)。

 

それを聞いたドクが「そうか未来は重力が変化しているのか」とつぶやきます。

 

いや、「そのheavyじゃなくて」と観客は突っ込みたくなるシーンです。

 

すべてのことを物理学に演繹して考えてしまい、比喩や誇張が存在しないドク(晩年のアインシュタインがモデルの典型的なマッド・サイエンティスト)らしい考え方です。

 

 

で、このジョークを笑えないのがアルケミストの視点です。

というか、ドクに共感できるのがアルケミストの視点です。

 

さすがに現代のアルケミストも重力定数が時間で変わるとは思っていません。

(重力定数が宇宙空間において不変であるというのは、いまのところ物理学というゲームのルールだからです。ルールという言い方に違和感があれば法則です。チャイティンに言わせれば公理です。新しい公理を追加したのは神ではなくニュートンやアインシュタインたち人間です)

 

彼らにとっては「heavyだな」と言ったときにそれは「モノが重い」のと同じと感じるのです。

そこには明確なカラクリがあります。

 

たとえば筋肉が硬直すると、弛緩と収縮による筋出力が弱くなるために、カラダも重く感じます。それは意志の命令に対して出力が弱いからです。もしくは結果が期待以下だからです。それって何かを持ち上げようとして、想像以上に重かったときと同じ現象なのです。「落ち込んで身体が重い」と言ったときにそれは比喩ではなく、正確な記述なのです。同様に「冷たい人」「暖かい人」に関してもカラクリがあります。そしてそのカラクリは逆用できます。

 

*鏡にうつる「私」や鏡それ自体はグノーシスから日本の記紀神話まで重要なポイントです。

ではその鏡とは何かと言えば、情報空間を移す鏡である肉体です。

 

 

ポイントはモーダルチャネルであり、情報空間であり、臨場感であり、言語の不思議です。チョムスキー、クリプキ、そしてアインシュタインを取り上げつつ、情報空間を操作するために必要な肉体鍛錬をがんばりましょう!!

 

世界の観方が根本から変わり、気功技術に頼らずとも、職人のようにその場で気功技術を作り出しながら書き換えることが自在にできるそんなスーパーヒーラーを目指しましょう!!

 

 

 

 


【ヒーラー養成スクール「アルケミストのカラダ、ヒーラーの身体」 〜情報空間を観て、操作するために必要な身体鍛錬法〜】
【日時】 2月17日(土)13:00~18:00
     2月18日(日)13:00~18:00

【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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