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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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夢は人に話していい?ー取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った

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夢を他人に語るべきか否かについては、いろいろと議論がありますし、公式見解も明確にあります。しかし、その議論の前提とされているものが気になります。

ここで言う夢というのは「ゴール」と同義ですし、理想の未来でも、理想の未来の自分でも何でもOKです。理想的な可能世界と読み替えていただいてもOKです(読み替えなくても構いません)。

公式見解というのは、夢は人に語ってはいけないというものです。
(まあ、コーチ以外にはという限定がありますが)。

昔話で言う初夢長者三郎の初夢ですね。

これはゴールという意味の夢というよりは、眠っているときに見る夢ですが(「まといのば」ではどちらも同じようなものと考えています。深い変性意識状態で見る表象という点では同じです)、これを話さない(手放さない)ことによって、幾度となく危機を迎えるものの、彼は大成功をおさめます。




By Gage Skidmore from Peoria, AZ, United States of America - Gal Gadot & Chris Pine, CC BY-SA 2.0, Link
*彼女の若い頃の夢が叶うならば、いまは法曹関係者でしょう。
たまたま出たミスイスラエルコンテストで優勝し、モデルの道を歩み、たまたま出席したパーティーで知り合ったスーパーマン(ガル・ガドット曰く)と知り合い、子供を生み、故郷を離れてロンドンに住みます。徴兵制ゆえのミリタリートレーナーが、スーパーマンvsバットマンのときの役作りのワークアウトに役立ちます。
唐突に出てきたワンダーウーマン役が好評で、今回の主演につながります。
人生はランダム・ウォークですし、禍福は糾える縄の如しです。そしてそれをひっくるめてのゴール設定であり、ゴールは決して偉大なソ連の5カ年目標ではないのです。



ちなみに公式見解としての、夢を人に話してはいけない理由はシンプルです。
エフィカシーとhave toです。

誰かに話すことでその夢をあっさり否定されることでエフィカシーが下がることを避けるということ、そして夢を人に話すことで、それが共有され、共有されたことで、自らの強制力として働くことを避けたいという2点があります。
二点目が言いたいのは、Want toがHave toになるということです。
やりたかったことが、ねばならないことに変質してしまうリスクがあるということです。

まあ誰かに夢を語って、その夢をその人の口から聞くと「なんか違う、、」という感じがするものです。そうするとしゃべらなきゃ良かったと思います。


ただもしドリームキラーに出逢っても、自分はエフィカシーは下がらないし、誰かに話すことでその夢がhave toにならないと確信できるのであれば、どんどん話せば良いと思います(どこからその確信が出てくるかは別として)。


エフィカシーというのは自分がそのゴールを達成できるという確信なので、そもそも今がどうかとか関係ありません。


「バレリーナになりたい」という夢を誰かに話したとして、「まだアンディオールも満足にできないのに?」とか言われたとします。
でも、いまの自分がどうかは関係なく、未来の自分が明らかに確実にバレリーナになっているのだ(確信している)としたら、、、その批判なりドリームキラーの戯言は無意味です。見当違いの批判ということになります。





ちなみに、この場合は確信というよりは、「知っている」に近い感覚です。自分はその未来がすでに起こっていることを知っており、ドリームキラーは知らないだけです。知識の問題なので、自分の判断がそれで変わることはありません。
(この感覚はArrival講座でやりましょう!)


たとえば、優秀な気功師が誰かから「気功なんてインチキですよね」と言われても、気にしません。気功師は実際にそれで仕事をしていて、結果も膨大に見ている以上は「そうですね、そういう考え方もありますよね」と流すことができます。その相手に証明する必要もなければ、その義理もないからです。
単に知識の問題であり、その知識をわざわざ訂正したり、アップデートしてあげる必要はないからです。

パン屋さんが、誰かから「パンなんて幻想でしょ」と言われて、それにショックを受け、翌日から「小麦粉すら信じられなくなった」なんてことはほとんどありえませんw
言われたことも忘れて、翌朝早くからパンを釜戸で焼くでしょう。



*パンを信じられなくなったパンドラ(冗談です)


で、本題です。

そもそも論として、以上の議論で前提となっているのは、ゴールなりDreamと言ったものが言語化できるという盲信です。


僕はいつもここが不思議に感じます。

きちんとゴール設定をしたり、ゴールを更新し続けていたら、そもそもゴールを言語化するなんていうことは、不可能だと知っているからです。

イチゴを食べたことが無い人にイチゴの味を教えるのと同じだからです(この元ネタはご承知のとおり、お釈迦様です。梵天勧請ですね)。


不可能なのです。


「じゃあ、なぜゴールを手帳に書けと言うんですか?」などという反論がありそうですが、、、、(考えないで脊髄反射で言葉が出てくる人はたくさんいます)






カラクリはシンプルです。


自分のためのトリガーとして言語化するのです。
手帳にゴールを書くのは、トリガーのためです。
それは他の人からすると本来は意味不明なのです。

(だからそもそも共有可能なことをゴールとして手帳に書いている時点で、おかしいのです。リニューアルスクールでも、取り上げましたが、「役を演じる」「手帳に書く」「繰り返し唱える」「関係する写真を貼る」「夢の宝地図」みたいなものはすべて有効なゴールの臨場感を高める方法です。
非常に有効です。
しかし、そもそもそのゴールが間違っていたら、、、その描いたゴールがゴールではなく、現状最適化だったら、、、、方法論が正しいだけに、ギアをバックにいれてアクセルを思いっきり踏んでいるようなものです。、、、、この比喩は正しいのか?)。



それは自分のための暗号や符丁のようなものであって、そのアンカーは言語化を徹底的に拒む抽象的な観念です。

自分のためだけであり、共有は不可能なのです。
(共有が可能なのは、達成したときだけ。すなわち物理次元に写像されたときだけです)


共有可能なレベルのものはゴールというよりは、目標であり、そこまで降りてくると(もしくは自分が上がっていくと)、人にシェアできるようになります。
でもそれは単なる目標であり、自分をドライブするものではないので、他人が批判しようが何しようが、別に傷つきもせず、エフィカシーも下がりません。

そしてそもそもゴール自体はその意味では原理的にシェアが不可能なのです。

だからこそヒーラーやコーチというのは非言語や内部表現書き換えなどと言われる方法論を用いて、言語化できないゴールを共有し、サポートし、補強し、その達成を助けようとするのです。





多くのヒーラーやコーチを眺めていると、見ている地平が少し間違っている気がします。


武術と言ったときに小学校時代の友人の空手着姿しか思い浮かべられず、バレエといったときにお遊戯の延長しか思い浮かべられず(もしくはお笑いで股間に白鳥をつけているアレです。バレエと言うと二言目にはこれを言い出す無教養人たちの群れは、自分のバカをさらすことで何か得をするのでしょうか?)、数学というと子供の頃の計算ドリルしか思い浮かべられない人々と、言葉は通じても、情報空間は共有できません。

同様に自分が発している言葉の本当のところを知らないならば、情報空間は共有できていません。そして力も持ちません。

ただのコピペならば、オウムですら可能です。



*これはカナリア


だからホンモノを知り、ホンモノを学び、自らを鍛え続けないといけません。
(「まといのば」がホンモノだなどとは一言も言っていません。「まといのば」はホンモノを紹介しようと試みるナビゲーターとして役割を果たしたいと思っています)


非常に狭い世界でのことですが、この井戸の中において、以前に比べて気功が一般化したことはとても嬉しいことですが、無知に毛が生えた程度でお金を頂けるお仕事になるのが、この遅れた気功の世界の特長です(もちろん自戒を込めて)。

それを自分の偉大さゆえと傲慢に陥る方々がたくさんいるのも事実です。
無知と無茶をバラ撒きながら、傲慢さが醜く肥大していくのを見るのはとても悩ましいものです。
自らが生み出したモンスターが、野獣性のみを肥大させ、王子に戻ることなく、肥え太るのは残念です。
自分の身体も心も知性も不自由な人間が、人様を自由にできることなどありません。

そのような方々が市場原理の神のもとに駆逐されることをいつも祈っています。


18:9 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
ルカ書





カオナシもやり直せたので、エゴが肥大した彼らも市場から駆逐され、地獄を見たあとに、もしかしたらやり直せるのではないかと思っています。

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そんなわけで、いま静かに真剣に誠実に学んでいる人々がもっと静かに世の中に出て、その役割によって喝采をもって受け入れられた時に、僕の夢の一つは叶うと確信しています(*^^*)






*鍛えましょう!!


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