寡占や独占よりも、自由な市場での競争が望ましいのは経済だけではなく、微生物の世界も同じです。
微生物の多様性が力の均衡を引き起こし、それが束(つか)の間の平和を約束します。
微生物に起因する感染や疾病というのは、実はこのバランスが崩れたときの現象ということです。
マイクロバイオータという細菌たちの楽園がいかに驚くべき多様性であるかは、分類学の視点で見ると良くわかります。というか、それくらいの抽象度でないと見えなくらいに多様すぎるのです。
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By 投稿者作成 - Cavalier-Smith, T (2004). “Only six kingdoms of life”. Proc. R. Soc. 271 (1545): 1251–1262. doi:doi:10.1098/rspb.2004.2705. PMID 15306349.Gribaldo S, Brochier-Armanet C (2006). “The origin and evolution of Archaea: a state of the art”. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci 361 (1470): 1007–22. doi:doi:10.1098/rstb.2006.1841. PMID 16754611.Bacterial/Prokaryotic Phylogeny Webpage, CC 表示 3.0, Link
我々というホモ・サピエンスという種はあとからやってきて、先輩方に取り囲まれている存在です。
それも膨大な多様性をほこる先輩方に囲まれています。
そして囲まれているだけではなく、共生しています。
神経伝達物質や免疫の多くを我々は微生物にゆだねています。それが共生ということです。
お互いが得意なことに集中して分業することで全体が豊かになるというまさにアダム・スミス的世界が微生物との共生です。
そして微生物同士も共生しつつ、競争をしています。
生き残り競争です。
マッキンダーは均衡こそが自由の基礎と言いましたが、まさにそのとおりです。菌を撲滅することではなく、その多様性を確保することが、我々ができることです(もし重篤な感染症に罹患したならば、とりあえずは撲滅するしかありません。抗生剤を否定しているわけではありません。パスツール以前の闇に戻ることは裂けねばなりません。しかし抗生剤の乱用が耐性菌の温床となり、我々は望まぬままに抗生剤が無い世界に逆戻りするというリスクは抱えています)
A balanced globe of human beings. And happy, because balanced and thus free.
(全人類の生活が均衡に達したとき、はじめて幸福な世界が生まれる。均衡(バランス)こそ自由(フリーダム)の基礎である。)
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寺子屋「地政学」で取り上げた一節です。
この均衡と自由の関係は地政学だけではなく、微生物の世界、そして微生物と細胞の世界でも成立します。
植物の根が微生物を養い、微生物が植物を養っているように、腸内細菌叢が人間を養い、腸壁は腸内細菌叢を養っています。共生という協力関係が微妙なバランスで成り立っています。
そして病虫害や感染に対しても、この絆が防波堤となるのです。植物の根の中にいる菌の中には強力な抗生剤として機能するものも多くいます(というか、抗生剤は微生物の代謝物から創られますし)。この共生関係を守るのは、微生物にとっても細胞にとっても利益になるのです。
唐突ながら、この微妙な均衡関係に節分を思い出します(*^^*)
節分というのは実は陰陽師が鬼を払うための儀式です。
節分というのは立春の前日であり、春夏秋冬という季節を分けるときなので、節分と呼ばれます。
もともとは旧暦晦日(みそか)の恒例行事である追儺(ついな)から来ています。
季節の変わり目に体調を崩すという人は少なくないと思いますが、これは環境が激変するからと我々は考えます。
平安の世では、年の変わり目に陰陽のバランスが失われると考えました。もちろんこのルーツは古代中国です。
年の変わり目を前にして陰陽のバランスが失われ、鬼が暗躍して人々に災いをもたらすので、鬼を追却(ついきゃく)するための「儺(おにやらい)」が行われました。
この際に陰陽師は祭文を誦みます。祭文(さいもん)とは祝詞のようなものです。
先頭には四つ目の異形のカタチをした方相氏(ほうそうし)を先頭に、宮中、京中の人が続き、「儺やらふ(なやらふ)、儺やらふ(なやらふ)」と儺声(だせい)をあげます。
今で言う「鬼は外」でしょう。
面白いことにこの四つ目の方相氏がなぜか「鬼」となり、追われる側にまわります。追い払う側が追われるという皮肉な現象です。
ポイントはここでもバランスを問題にしているということです。
バランスを逸したときに、鬼が現れて悪さをするのです。
鬼同士のPowers of balanceが取れていれば、悪さはしないのです。
ある種の偏りや勢力の均衡が崩れたときに問題が発生するというのは、マッキンダーも微生物研究でも同じです。
そしてそれを簡潔に表すのが陰陽であり、インドで言えばハタという拮抗関係です。
ハタとは太陽と月であり、2つの拮抗する力を表します。
もちろんこれは比喩であり、微生物の世界であっても、鬼の世界であっても、多種多様な異形のものたちの拮抗関係が目に浮かびます。
ナイーブな発言であることは重々承知ながら、あえて言えば、閉鎖的に完結することではなく、むしろ多様性を良いものとし、一瞬でバラバラになりそうな多様な小宇宙をまとめる力はやはり「ゴール」であり理想や夢だと思います。
マッキンダーはこう言います。
人類を誘導できるのは、ただ理想のもつ魅力だけである。
これは細菌たちにも鬼たちにも等しく当てはまるように思います。
そんなわけで、明日から開校する陰陽師養成スクールお楽しみに!!!
【書籍紹介】
安倍晴明―陰陽の達者なり (ミネルヴァ日本評伝選)/ミネルヴァ書房
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土と内臓 (微生物がつくる世界)/築地書館
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あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた/河出書房新社
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マッキンダーの地政学ーデモクラシーの理想と現実/原書房
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今やあらゆる組織がすっかり閉鎖的なシステムになってしまっている。そして諸君は、全体のバランスを変えることなしに、何物をも変えることができない。たまさかにどこかの風来坊が中途はんぱなことを考えてみても、それが役に立ちそうな世界はもうどこにもなくなってしまったというわけだ。が、このことが、はたして充分におわかりいただけただろうか?
ともかく、われわれは論理的にバランスのとれた考えかたをしなければいけない。が、同時にまた現実的で、慎重な行動を必要とする。
人類を誘導できるのは、ただ理想のもつ魅力だけである。キリスト教の教義や奇跡は、これまでさんざん批判されてきた。が、それでもこれらの障害をよく乗り越えて、一九世紀後の今日なお世界の大勢を支配しているのが、その何よりの証拠である。(略)むろん物事を建設的に考えるのは、破壊するのくらべてずっと難しいし、なかなか機械的に簡単にはゆかない。が、それにしても、せっかくの共同の体験を生かして、同じような規模の構想をもって平和の問題に対処する勇気を、われわれとして持ち得ないものだろうか?
ねえ、ブルータス、僕らがうだつが上がらないのはね、
なにも運勢が悪いんじゃない、僕等自身が悪いんだ。(中野好夫訳 シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」)
*この運勢とは星のことをあらわします。ここでも星が出てきます。
微生物の多様性が力の均衡を引き起こし、それが束(つか)の間の平和を約束します。
微生物に起因する感染や疾病というのは、実はこのバランスが崩れたときの現象ということです。
マイクロバイオータという細菌たちの楽園がいかに驚くべき多様性であるかは、分類学の視点で見ると良くわかります。というか、それくらいの抽象度でないと見えなくらいに多様すぎるのです。

By 投稿者作成 - Cavalier-Smith, T (2004). “Only six kingdoms of life”. Proc. R. Soc. 271 (1545): 1251–1262. doi:doi:10.1098/rspb.2004.2705. PMID 15306349.Gribaldo S, Brochier-Armanet C (2006). “The origin and evolution of Archaea: a state of the art”. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci 361 (1470): 1007–22. doi:doi:10.1098/rstb.2006.1841. PMID 16754611.Bacterial/Prokaryotic Phylogeny Webpage, CC 表示 3.0, Link
我々というホモ・サピエンスという種はあとからやってきて、先輩方に取り囲まれている存在です。
それも膨大な多様性をほこる先輩方に囲まれています。
そして囲まれているだけではなく、共生しています。
神経伝達物質や免疫の多くを我々は微生物にゆだねています。それが共生ということです。
お互いが得意なことに集中して分業することで全体が豊かになるというまさにアダム・スミス的世界が微生物との共生です。
そして微生物同士も共生しつつ、競争をしています。
生き残り競争です。
マッキンダーは均衡こそが自由の基礎と言いましたが、まさにそのとおりです。菌を撲滅することではなく、その多様性を確保することが、我々ができることです(もし重篤な感染症に罹患したならば、とりあえずは撲滅するしかありません。抗生剤を否定しているわけではありません。パスツール以前の闇に戻ることは裂けねばなりません。しかし抗生剤の乱用が耐性菌の温床となり、我々は望まぬままに抗生剤が無い世界に逆戻りするというリスクは抱えています)
A balanced globe of human beings. And happy, because balanced and thus free.
(全人類の生活が均衡に達したとき、はじめて幸福な世界が生まれる。均衡(バランス)こそ自由(フリーダム)の基礎である。)

寺子屋「地政学」で取り上げた一節です。
この均衡と自由の関係は地政学だけではなく、微生物の世界、そして微生物と細胞の世界でも成立します。
植物の根が微生物を養い、微生物が植物を養っているように、腸内細菌叢が人間を養い、腸壁は腸内細菌叢を養っています。共生という協力関係が微妙なバランスで成り立っています。
そして病虫害や感染に対しても、この絆が防波堤となるのです。植物の根の中にいる菌の中には強力な抗生剤として機能するものも多くいます(というか、抗生剤は微生物の代謝物から創られますし)。この共生関係を守るのは、微生物にとっても細胞にとっても利益になるのです。
唐突ながら、この微妙な均衡関係に節分を思い出します(*^^*)
節分というのは実は陰陽師が鬼を払うための儀式です。
節分というのは立春の前日であり、春夏秋冬という季節を分けるときなので、節分と呼ばれます。
もともとは旧暦晦日(みそか)の恒例行事である追儺(ついな)から来ています。
季節の変わり目に体調を崩すという人は少なくないと思いますが、これは環境が激変するからと我々は考えます。
平安の世では、年の変わり目に陰陽のバランスが失われると考えました。もちろんこのルーツは古代中国です。
年の変わり目を前にして陰陽のバランスが失われ、鬼が暗躍して人々に災いをもたらすので、鬼を追却(ついきゃく)するための「儺(おにやらい)」が行われました。
この際に陰陽師は祭文を誦みます。祭文(さいもん)とは祝詞のようなものです。
先頭には四つ目の異形のカタチをした方相氏(ほうそうし)を先頭に、宮中、京中の人が続き、「儺やらふ(なやらふ)、儺やらふ(なやらふ)」と儺声(だせい)をあげます。
今で言う「鬼は外」でしょう。
面白いことにこの四つ目の方相氏がなぜか「鬼」となり、追われる側にまわります。追い払う側が追われるという皮肉な現象です。
ポイントはここでもバランスを問題にしているということです。
バランスを逸したときに、鬼が現れて悪さをするのです。
鬼同士のPowers of balanceが取れていれば、悪さはしないのです。
ある種の偏りや勢力の均衡が崩れたときに問題が発生するというのは、マッキンダーも微生物研究でも同じです。
そしてそれを簡潔に表すのが陰陽であり、インドで言えばハタという拮抗関係です。
ハタとは太陽と月であり、2つの拮抗する力を表します。
もちろんこれは比喩であり、微生物の世界であっても、鬼の世界であっても、多種多様な異形のものたちの拮抗関係が目に浮かびます。
ナイーブな発言であることは重々承知ながら、あえて言えば、閉鎖的に完結することではなく、むしろ多様性を良いものとし、一瞬でバラバラになりそうな多様な小宇宙をまとめる力はやはり「ゴール」であり理想や夢だと思います。
マッキンダーはこう言います。
人類を誘導できるのは、ただ理想のもつ魅力だけである。
これは細菌たちにも鬼たちにも等しく当てはまるように思います。
そんなわけで、明日から開校する陰陽師養成スクールお楽しみに!!!
【書籍紹介】
安倍晴明―陰陽の達者なり (ミネルヴァ日本評伝選)/ミネルヴァ書房

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土と内臓 (微生物がつくる世界)/築地書館

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あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた/河出書房新社

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マッキンダーの地政学ーデモクラシーの理想と現実/原書房

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今やあらゆる組織がすっかり閉鎖的なシステムになってしまっている。そして諸君は、全体のバランスを変えることなしに、何物をも変えることができない。たまさかにどこかの風来坊が中途はんぱなことを考えてみても、それが役に立ちそうな世界はもうどこにもなくなってしまったというわけだ。が、このことが、はたして充分におわかりいただけただろうか?
ともかく、われわれは論理的にバランスのとれた考えかたをしなければいけない。が、同時にまた現実的で、慎重な行動を必要とする。
人類を誘導できるのは、ただ理想のもつ魅力だけである。キリスト教の教義や奇跡は、これまでさんざん批判されてきた。が、それでもこれらの障害をよく乗り越えて、一九世紀後の今日なお世界の大勢を支配しているのが、その何よりの証拠である。(略)むろん物事を建設的に考えるのは、破壊するのくらべてずっと難しいし、なかなか機械的に簡単にはゆかない。が、それにしても、せっかくの共同の体験を生かして、同じような規模の構想をもって平和の問題に対処する勇気を、われわれとして持ち得ないものだろうか?
ねえ、ブルータス、僕らがうだつが上がらないのはね、
なにも運勢が悪いんじゃない、僕等自身が悪いんだ。(中野好夫訳 シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」)
*この運勢とは星のことをあらわします。ここでも星が出てきます。