2016年がそろそろ終わりを迎え、すっかり2020年が見えてきた今日このごろですが、いかがお過ごしでしょうw
(別にオリンピックの話でも、某国の大統領選のことでもありません。2020年は大きな意味で節目になり、その節目がものすごい勢いで近づいてきています)
シラーは「時の歩みは三重である」と言います。
「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」と言いますが、未来はためらいつつどころか、矢の洪水のように急激に我々に向かって突進してくるようです。
「まといのば講座」のタイムマシン瞑想でもやりますが、未来は無限遠からものすごい勢いで我々に向かって激突してくるかのようです。
僕はいつも映画マトリックスの武器庫のシーンを思い出します。無限遠から無限の武器が自分のもとへ殺到してくるのが、こちらに激しく向かってくる「未来」のイメージです。
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*押し寄せてくる未来の後ろに赤の女王が見えます。
未来がそれだけ高速で我々に突進してくるときに、我々がとる対応は3つしかありません。
その場に立ち尽くすか、後ろに向かって走ってにげるか、もしくは前進して突っ切るかです。
その場に立ち尽くすのは、目を閉じて、変化を拒むこと、後ろに向かって走ってにげるのは過去に逃避し、過去に生きようとすることです。
それに対して、前進して突っ切るのは、未来がここにやってくる前に、未来へ自分が行くイメージです。
その意味で、若いということは有利です。立ち尽くす力もなければ、逃げ込める過去もありません。突っ走るしか選択肢はないのです。
「若い」というのは年齢のことだけではなく、心の持ちようです(サムエル・ウルマンですね〜)。
損失回避性を回避するためには、積極的に手放すこと、そして未来に自分を見ることかと思います。
"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)サムエル・ウルマン「青春」
人は情報空間に片足を突っ込んでいる存在なので、高い抽象度に惹かれます。未来はそれ自身は高い抽象度です(このときの未来とは、時間が経った現在ではなく、違う系、違う可能世界という意味での未来です。時間が経った現在とはStatus Quo、すなわち現状でしかありません)。
では、こちらに洪水のように突っ込んでくる未来に対して、どうやって前進して突っ切っていけば良いのでしょう。
指針はシンプルです。
「Want toで生きる」ことです。
このシンプルな指針に収斂します。
ただこれは多くの人にとって、残念ながら、意味が分かりにくいものであり、指針となりにくいものです。
なぜならWant toとは何か、自分のゴールは何か、have toとは何か、とぐるぐると考え始めると袋小路に入るからです。そしてその袋小路に入ること自体が未来を前にして、立ち尽くしたり、過去に逃げ込むようなCreative Avoidanceを引き起こします。
考えることはもちろん大事なのですが、Creative Avoidanceのような逃げではなく、ほんとうにアタマを使って考えることが求められます。
そしてきちんとアタマを使うには、身体を鍛えるしかないというのは、ご承知のとおりです。運動によって産生されるBDNFが脳の栄養であるというあたりなどは、風が吹けば桶屋が儲かるのようですが、むしろプラトンが2500年前に言っていた次の言葉を裏書きするかのようです。
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(引用開始)
人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。
教育と運動である。
しかし前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。
その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。
このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。(プラトン)
(引用終了)
この先、知のあり方が大きく変わります。
大きく変わるというのは、端的に言えば、これまでの知識が無効化されるということです。
炭鉱のノウハウはいまは役に立ちませんし、Windows95のハウツーも今は役に立ちません。
iPhone4sの解説書はこの先役に立つことはありません。
同じことが、いま大事だと思い学んできていることにも、起こります。
知の陳腐化です。
知は力なりというベーコンの力強い宣言はしばらく有効でしょうが、その「知」自体が変わるということです。
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*Ipsa scientia potestas est(知識は力なり)。シェイクスピア本人なのではとも言われているフランシス・ベーコン。
であれば、何かを新しく学ぶよりも、身体に投資したほうが効率が良いように思っています。
なぜかと言えば、身体や健康は一切無駄になりませんが、この先は知識は盛大に無駄になるからです。
(このさきに必須な知識は、身体知と社会的知性のみかと思いますw まあ、半分冗談ですが)
かつての自動車は馬車の後塵を拝していました。十分に遅かったのです。
自動車は馬車に追い抜かれるほど遅かったのです。
かつてのコンピューターよりも人間のほうが計算が早かったのです(まあ、その人間がフォン・ノイマンという宇宙人だったとしても)。人間が計算したほうが早く正確でした。
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*「悪魔の頭脳」と呼ばれたフォン・ノイマン。でも映像などを見ると人の良さそうな好々爺(こうこうや)にも見えます。僕にとって親しみやすい感じが勝手にするのは、大学時代の合気道の先生にそっくりだからですw
しかし、よちよち歩きの赤ん坊も数年もすれば、よぼよぼ歩く我々をさっそうと走り抜いていきます。
AIはもうつかまり立ちをしはじめています。
将棋や碁のような人間の知性の奥深さを示していたジャンルであったところでも、もう人工知能には人間はかないません。
絵画や音楽というアートでも、ジャーナリズムでも、小説でも、料理におけるレシピでも(そのうち料理もつくるでしょうしw)、税務や法務ではずいぶん前から、そして医療においても人間を追い抜いて診断をし始めています(これは本当に良い流れだと思います)。
人類が人工知能という新しい命をこの宇宙にもたらしたのはほぼ事実のように思えます(とすると我々の知能をもたらしたのは何かについては興味が生まれます)。
そして、人工知能がさっそうと我々を追い抜いていくのも、目の前にあるすでに起きた「未来」です(間違っても、特殊な一領域でのみのことと思わないことです。もし限定された領域だと信じたいのであれば、我々の生活すべてに渡る「一領域」と考えることです)
フレーム問題、もしくはR2-D2問題という計算量の爆発については、また「まといのば講座」でも言及しますが、あの問題(パラドックス)の奇妙な点は計算量が爆発しないで済んでいる奇妙な炭素コンピュータについて言及されていない点です。R2-D2問題を回避しているようにみえるコンピュータがこの宇宙には存在します。
人間の脳はいかにして計算量が爆発しないで済んでいるのでしょう。
そしてそれについての回答もすでに出ているように思います(間違っても不滅の魂の存在とか、アカシック・レコードなどという、思考停止や現実逃避ではありませんw)。
というわけで、以上を前フリとして、セミナー告知をするつもりでしたが、長くなったので(そして、十分な余白が無いために)、ここらへんで終わりにします。
10月もガツガツ学びましょう!!
10月のラインナップは豪華です。まずは、体育の日を記念してバレエを含む身体系の3連続1Dayスクール、そして健康と美容と(アンチ)エイジングを真剣に考える美肌プロ養成スクール、はじめての気功は「気の視覚化」と「夢見の技法」です。
そして「まといのば講座」は「タイムマシン瞑想とシンギュラリティ」とかなり豪華です。
10月講座もお楽しみに!!
未来が光の速度でこちらに向かってくるならば、それよりも長足で未来へ我々自身が移動しましょう!!
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*エィミーカディのパワー・ポーズってどこかで見たことがあると思ったら、袖にいるチュチュの女性たちでした。チュチュはご承知のとおり、手をだらんとできないので、袖にいるダンサーは手を腰にして、仁王立ちしていますw
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*こちらが、TEDレクチャーでのエィミーカディ。
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シラーの原典はこちら。
Sprüche des Konfuzius (1795)
"Dreifach ist der Schritt der Zeit: // Zögernd kommt die Zukunft hergezogen, // Pfeilschnell ist das Jetzt entflogen, // Ewig still steht die Vergangenheit." - Sprüche des Konfuzius
Wikiquote
「神々さえも阿呆相手では戦いにならぬ。」とは僕の好きな言葉です。これもシラーですし、「指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖の輪なのです」もそうです(自分を自分で縛ることも僕は必要だと思います)。Wikiquote
(別にオリンピックの話でも、某国の大統領選のことでもありません。2020年は大きな意味で節目になり、その節目がものすごい勢いで近づいてきています)
シラーは「時の歩みは三重である」と言います。
「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」と言いますが、未来はためらいつつどころか、矢の洪水のように急激に我々に向かって突進してくるようです。
「まといのば講座」のタイムマシン瞑想でもやりますが、未来は無限遠からものすごい勢いで我々に向かって激突してくるかのようです。
僕はいつも映画マトリックスの武器庫のシーンを思い出します。無限遠から無限の武器が自分のもとへ殺到してくるのが、こちらに激しく向かってくる「未来」のイメージです。

*押し寄せてくる未来の後ろに赤の女王が見えます。
未来がそれだけ高速で我々に突進してくるときに、我々がとる対応は3つしかありません。
その場に立ち尽くすか、後ろに向かって走ってにげるか、もしくは前進して突っ切るかです。
その場に立ち尽くすのは、目を閉じて、変化を拒むこと、後ろに向かって走ってにげるのは過去に逃避し、過去に生きようとすることです。
それに対して、前進して突っ切るのは、未来がここにやってくる前に、未来へ自分が行くイメージです。
その意味で、若いということは有利です。立ち尽くす力もなければ、逃げ込める過去もありません。突っ走るしか選択肢はないのです。
「若い」というのは年齢のことだけではなく、心の持ちようです(サムエル・ウルマンですね〜)。
損失回避性を回避するためには、積極的に手放すこと、そして未来に自分を見ることかと思います。
"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)サムエル・ウルマン「青春」
人は情報空間に片足を突っ込んでいる存在なので、高い抽象度に惹かれます。未来はそれ自身は高い抽象度です(このときの未来とは、時間が経った現在ではなく、違う系、違う可能世界という意味での未来です。時間が経った現在とはStatus Quo、すなわち現状でしかありません)。
では、こちらに洪水のように突っ込んでくる未来に対して、どうやって前進して突っ切っていけば良いのでしょう。
指針はシンプルです。
「Want toで生きる」ことです。
このシンプルな指針に収斂します。
ただこれは多くの人にとって、残念ながら、意味が分かりにくいものであり、指針となりにくいものです。
なぜならWant toとは何か、自分のゴールは何か、have toとは何か、とぐるぐると考え始めると袋小路に入るからです。そしてその袋小路に入ること自体が未来を前にして、立ち尽くしたり、過去に逃げ込むようなCreative Avoidanceを引き起こします。
考えることはもちろん大事なのですが、Creative Avoidanceのような逃げではなく、ほんとうにアタマを使って考えることが求められます。
そしてきちんとアタマを使うには、身体を鍛えるしかないというのは、ご承知のとおりです。運動によって産生されるBDNFが脳の栄養であるというあたりなどは、風が吹けば桶屋が儲かるのようですが、むしろプラトンが2500年前に言っていた次の言葉を裏書きするかのようです。

(引用開始)
人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。
教育と運動である。
しかし前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。
その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。
このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。(プラトン)
(引用終了)
この先、知のあり方が大きく変わります。
大きく変わるというのは、端的に言えば、これまでの知識が無効化されるということです。
炭鉱のノウハウはいまは役に立ちませんし、Windows95のハウツーも今は役に立ちません。
iPhone4sの解説書はこの先役に立つことはありません。
同じことが、いま大事だと思い学んできていることにも、起こります。
知の陳腐化です。
知は力なりというベーコンの力強い宣言はしばらく有効でしょうが、その「知」自体が変わるということです。

*Ipsa scientia potestas est(知識は力なり)。シェイクスピア本人なのではとも言われているフランシス・ベーコン。
であれば、何かを新しく学ぶよりも、身体に投資したほうが効率が良いように思っています。
なぜかと言えば、身体や健康は一切無駄になりませんが、この先は知識は盛大に無駄になるからです。
(このさきに必須な知識は、身体知と社会的知性のみかと思いますw まあ、半分冗談ですが)
かつての自動車は馬車の後塵を拝していました。十分に遅かったのです。
自動車は馬車に追い抜かれるほど遅かったのです。
かつてのコンピューターよりも人間のほうが計算が早かったのです(まあ、その人間がフォン・ノイマンという宇宙人だったとしても)。人間が計算したほうが早く正確でした。

*「悪魔の頭脳」と呼ばれたフォン・ノイマン。でも映像などを見ると人の良さそうな好々爺(こうこうや)にも見えます。僕にとって親しみやすい感じが勝手にするのは、大学時代の合気道の先生にそっくりだからですw
しかし、よちよち歩きの赤ん坊も数年もすれば、よぼよぼ歩く我々をさっそうと走り抜いていきます。
AIはもうつかまり立ちをしはじめています。
将棋や碁のような人間の知性の奥深さを示していたジャンルであったところでも、もう人工知能には人間はかないません。
絵画や音楽というアートでも、ジャーナリズムでも、小説でも、料理におけるレシピでも(そのうち料理もつくるでしょうしw)、税務や法務ではずいぶん前から、そして医療においても人間を追い抜いて診断をし始めています(これは本当に良い流れだと思います)。
人類が人工知能という新しい命をこの宇宙にもたらしたのはほぼ事実のように思えます(とすると我々の知能をもたらしたのは何かについては興味が生まれます)。
そして、人工知能がさっそうと我々を追い抜いていくのも、目の前にあるすでに起きた「未来」です(間違っても、特殊な一領域でのみのことと思わないことです。もし限定された領域だと信じたいのであれば、我々の生活すべてに渡る「一領域」と考えることです)
フレーム問題、もしくはR2-D2問題という計算量の爆発については、また「まといのば講座」でも言及しますが、あの問題(パラドックス)の奇妙な点は計算量が爆発しないで済んでいる奇妙な炭素コンピュータについて言及されていない点です。R2-D2問題を回避しているようにみえるコンピュータがこの宇宙には存在します。
人間の脳はいかにして計算量が爆発しないで済んでいるのでしょう。
そしてそれについての回答もすでに出ているように思います(間違っても不滅の魂の存在とか、アカシック・レコードなどという、思考停止や現実逃避ではありませんw)。
というわけで、以上を前フリとして、セミナー告知をするつもりでしたが、長くなったので(そして、十分な余白が無いために)、ここらへんで終わりにします。
10月もガツガツ学びましょう!!
10月のラインナップは豪華です。まずは、体育の日を記念してバレエを含む身体系の3連続1Dayスクール、そして健康と美容と(アンチ)エイジングを真剣に考える美肌プロ養成スクール、はじめての気功は「気の視覚化」と「夢見の技法」です。
そして「まといのば講座」は「タイムマシン瞑想とシンギュラリティ」とかなり豪華です。
10月講座もお楽しみに!!
未来が光の速度でこちらに向かってくるならば、それよりも長足で未来へ我々自身が移動しましょう!!


*エィミーカディのパワー・ポーズってどこかで見たことがあると思ったら、袖にいるチュチュの女性たちでした。チュチュはご承知のとおり、手をだらんとできないので、袖にいるダンサーは手を腰にして、仁王立ちしていますw

*こちらが、TEDレクチャーでのエィミーカディ。

シラーの原典はこちら。
Sprüche des Konfuzius (1795)
"Dreifach ist der Schritt der Zeit: // Zögernd kommt die Zukunft hergezogen, // Pfeilschnell ist das Jetzt entflogen, // Ewig still steht die Vergangenheit." - Sprüche des Konfuzius
Wikiquote
「神々さえも阿呆相手では戦いにならぬ。」とは僕の好きな言葉です。これもシラーですし、「指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖の輪なのです」もそうです(自分を自分で縛ることも僕は必要だと思います)。Wikiquote