子供の頃に言われたことがあるであろう「ひとつのことだけに集中しなさい」という教えは大人になった今も有効です。
意志力について我々が学んでいた時の結論もそうでした。
転職したばかりのときにダイエットをしてはいけないのです。
ストレス過多ということではなく(それもありますが)、意志力のリソースが十分に無いからです。
虻蜂取らずになります。どれも中途半端になってしまいます。
ですから、何かを始めるときは、何かをストップする必要があります。
というか、2つのこと、3つのことを一気にやらないことです。
新年の誓いが3日と持たないのは(いくつも理由がありますが)、同時並行してスタートしようとするからです。
「今年こそ運動をして、読書もして、人と積極的にあって、ダイエットもして、お金も稼いで、新しいことに挑戦したい!!」と思うのは自由ですが、もしそれを本当に実現したいのであれば、一つ一つクリアすることです。全部一緒にやれば、全部共倒れになります。
ポイントは意志力です。
意志力のリソースというのは有限です。有限というか希少です。
意志力を集中力と言い換えてもいいのですが、集中力は有限であり、それは分散投資できないものです(ここは重要なポイントです)。
” Don’t put all your eggs in one basket(たまごをひとつのバスケットに盛るな)”と言われますが、盛るしかないのですw
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何かをしながら、何かをするのは基本的にはNGですが、その「ながら」を勘違いして「並列思考」とか「並列処理」と思っている人がいます。
それは間違いです。
それは悪い意味で怠惰というか、集中を欠いているだけです。卵は全部割れています。
(ちなみに運動とかエクセサイズとか有酸素運動と呼ばれているものもすべて同様です。集中しないでやるなら、やらないほうがいいのです。テレビを見ながらちょこちょことかあり得ません。むしろ筋肉を減らしてしまいます。過負荷にならないからです)
余談ながら、並列思考とか並列処理なるものは、無意識の世界の話であることは理解されるべきです。意識的にやる行為を並列思考とか並列処理をしたら、ただの怠惰な「ながら」になってしまいます。本を読みながら、朝食を食べるのは、栄養にとっても、読書にとっても最悪です。どちらも身体に入ってこないのです。目にさらせば脳に入るわけではなく、消化器に放り込めば吸収して肉体になってくれるわけではないのです。
昔の人は「上品ではない」という理由で「ながら」で何かをすることを咎めましたが、そこには合理性があったのです。美しい所作や躾(しつけ)というのはその意味ではきわめて重要な脳を含める身体のOSなのです。
気功を仕事にしようとするときに厄介なのはこの「並列化」の問題です。
自分が学びたいと思って楽しく学んでいたときは、何も問題がありませんでした。
好きなときに考え、好きなときに実践し、好きなだけ気功をやれば良かったので。
飽きたらまた別なことをして、面白いブログ記事が上がったら、また気功を再開したりして、自由気ままでしたw
でも仕事となると別です。
自分が苦手な分野の勉強もしなくてはいけないし、要求水準は上がってくるので気功の鍛錬もかなり本気になります。自分の健康維持もあるし、日常生活もある。
たしかにお金は入ってくるようになるし、尊敬の念も集めるけど、どんどん自転車操業状態になっていきます。
自分のクライアントに質問されたら、最初の頃は即答できたのに、だんだん難しい質問になってきて焦ります。あわててググったり、ブログの過去記事を参照したり(読解に苦労したり)、書籍を探したりして奔走します。
最初の頃は見も知らぬ人にヒーリングを求められることも嬉しく、結果が出ることも嬉しく、そして喜んでもらえるのも嬉しいものです。
生きがいを感じ、気功師として一生やっていきたいと思ったりします(いわゆるハネムーン期ですね。気功とのハネムーン期ですw)。
しかしどんどん人気が出てくるにつれて、要求水準がどんどん上がり、高いレベルを求められ、ヒヤヒヤするようなセッションが増えてきて、タイトロープの上を全力疾走している気分です。そして先が見えない。一瞬先は闇です。闇の中をタイトロープを全力疾走していて、いつ奈落の底に落ちるのか分からないような精神状態になってきます。
もちろんダークサイドもどんどん増えてきます。アンチが増えてきて、ネットに変な書き込みが出てきて(それがどうしても気になったりして)、クレームのようなものもチラホラ散見され、疲れがたまってきて、体力も削られてきます。あんなに楽しかった気功の勉強が義務感と苦痛にまみれてきて、クライアントには悪態をつきたくなる衝動にかられます。その衝動にまた自己嫌悪したり、、、悪循環です。
気づくと時間がなく、能力がないことに気付かされます。
自分には十分な時間がなく、そしてクライアントのニーズに応えるだけの能力が無いことに、です。
時間がたっぷりあれば、質問に丁寧に答えられるし、勉強も間に合います。
そして能力が十分にあれば、クライアントのニーズにもきちんと答えられるのに、と思います。
しかしこの「時間と能力」にまつわる幻想は幻想です。すっぱい葡萄でしかありません。
かつては十分な「時間と能力」があったのです。素人として活躍しているときは、時間と能力が十分にあり、だからこそプロとしてやっていこうと蛮勇をふるえたのですw
しかし仕事は別です。
仕事なると、もしくは社会に機能を果たそうとがんばれば、すぐに「ピーターの法則」の壁、すなわち無能の壁にぶち当たります。
最初の頃は十分に「時間も能力」もあるのです。しかし、すぐにクライアントのレベルが跳ね上がり、自分のいまのレベルを追い抜いていきます。
そして、そのときは自信たっぷりのヒーラーであったはずの自分が、新しい要求水準の高いクライアントにとっては完全に無能な存在となるのです。
この「壁」のことを「まといのば」ではいつも「絶望」と呼んできました。「絶望」は良いことなのです。自分が何者でもなく、能力も無ければ、可能性もほぼ閉ざされているということをきちんと知るのはいいことです。それは社会が教えてくれるのです(「まといのば」の言い方で言えばロゴスの声が教えてくれるのです)。
この「絶望」をきちんと骨の髄まで味わったうえで、それでもなお自分はこれをやりたいと思うことが真の意味でのwant toであり、全く根拠はないし現状はむしろ絶望的なのにも関わらずなぜか自分はできると確信するのがエフィカシーです。
ですから、ひとり孤独に絶望の底で血反吐を吐き、涙を流していないところでの、want toやエフィカシーなど存在しないのです。
苦しみの中にあってのかけがえのない信仰のようなものがwant toやエフィカシーです(ここをもし勘違いしたとしたなら、結果に結びつかないのは当然です)。
そしてこの壁を打破する方法論を提供するのが、「まといのば」のスクールであり、今回は特にAssetという視点で、いかにプロのヒーラー初心者が出会う壁を打破するかの方法を、たっぷりとしたワークと共に提供します!!!
(というわけで、次回は具体的な中身について書きます!!)
【ヒーラー養成スクール21期 ~肉体、知性、技術のトリニティをアセットとして運用する~】
【日時】 9月10日(土) 13:00~18:00
9月11日(日) 13:00~18:00
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】 230,000円(銀行振込)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
ピーターの法則 創造的無能のすすめ/ダイヤモンド社
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¥1,512
Amazon.co.jp
ピーターの法則については上記の書籍を読むと良いと思いますが、Wikipediaにはこうまとまっています。
(引用開始)
ピーターの法則は、「あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、やがては失敗する」という、ありふれた現象の特別な事例である。
この「一般ピーターの法則」とも言える法則は、ウィリアム・R・コルコラン(William R. Corcoran)博士が、原子力発電所で行われた是正処置プログラムにおいて見出した[要出典]。
コルコランの場合、この法則は物に適用されている。たとえば、掃除機が吸引機の代わりとして使われたり、「安全性評価」といった管理のためのマニュアルが、経営評価に適用されていた。たとえ有効範囲を超えているかもしれないとしても、人は、以前何かに有効だったものを使いたくなる誘惑に駆られる。ピーター博士は、この現象を人間関係に見い出した。
ピーターの法則を実社会の組織に適用すると、現在の仕事の業績に基づいて、ある人材が今後も昇進できるかどうか判断することができる。すなわち、階層組織の構成員はやがて有効に仕事ができる最高の地位まで達し、その後さらに昇進すると無能になる。この地位はその人材にとって「不適当な地位」であり、もはやさらなる昇進は望めない。
このようにして、ある人材はその組織内で昇進できる限界点に達する。人は昇進を続けてやがて無能になるが、必ずしも高い地位がより難しい仕事であるという意味ではない。単純に、以前優秀であった仕事と仕事内容が異なるだけである。要求される技術をその人材が持ちあわせていないだけである。
たとえば、工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ不適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。(引用終了)Wikipedia
でもこれってもっと大きな枠組で言えば、「あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、やがては失敗する」ということに還元されますし、もっと大きな枠組で言えば「赤の女王」に還元されます。
ということは、この法則から逃れる方法は選択的に成長せよということになるかと思います(たくさんのことを諦めて、資源を注ぐべきことに注ぎ込むこと、ということです)。
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*集中して取り組んで、たくさんの卵を孵(かえ)しましょう。
意志力について我々が学んでいた時の結論もそうでした。
転職したばかりのときにダイエットをしてはいけないのです。
ストレス過多ということではなく(それもありますが)、意志力のリソースが十分に無いからです。
虻蜂取らずになります。どれも中途半端になってしまいます。
ですから、何かを始めるときは、何かをストップする必要があります。
というか、2つのこと、3つのことを一気にやらないことです。
新年の誓いが3日と持たないのは(いくつも理由がありますが)、同時並行してスタートしようとするからです。
「今年こそ運動をして、読書もして、人と積極的にあって、ダイエットもして、お金も稼いで、新しいことに挑戦したい!!」と思うのは自由ですが、もしそれを本当に実現したいのであれば、一つ一つクリアすることです。全部一緒にやれば、全部共倒れになります。
ポイントは意志力です。
意志力のリソースというのは有限です。有限というか希少です。
意志力を集中力と言い換えてもいいのですが、集中力は有限であり、それは分散投資できないものです(ここは重要なポイントです)。
” Don’t put all your eggs in one basket(たまごをひとつのバスケットに盛るな)”と言われますが、盛るしかないのですw

何かをしながら、何かをするのは基本的にはNGですが、その「ながら」を勘違いして「並列思考」とか「並列処理」と思っている人がいます。
それは間違いです。
それは悪い意味で怠惰というか、集中を欠いているだけです。卵は全部割れています。
(ちなみに運動とかエクセサイズとか有酸素運動と呼ばれているものもすべて同様です。集中しないでやるなら、やらないほうがいいのです。テレビを見ながらちょこちょことかあり得ません。むしろ筋肉を減らしてしまいます。過負荷にならないからです)
余談ながら、並列思考とか並列処理なるものは、無意識の世界の話であることは理解されるべきです。意識的にやる行為を並列思考とか並列処理をしたら、ただの怠惰な「ながら」になってしまいます。本を読みながら、朝食を食べるのは、栄養にとっても、読書にとっても最悪です。どちらも身体に入ってこないのです。目にさらせば脳に入るわけではなく、消化器に放り込めば吸収して肉体になってくれるわけではないのです。
昔の人は「上品ではない」という理由で「ながら」で何かをすることを咎めましたが、そこには合理性があったのです。美しい所作や躾(しつけ)というのはその意味ではきわめて重要な脳を含める身体のOSなのです。
気功を仕事にしようとするときに厄介なのはこの「並列化」の問題です。
自分が学びたいと思って楽しく学んでいたときは、何も問題がありませんでした。
好きなときに考え、好きなときに実践し、好きなだけ気功をやれば良かったので。
飽きたらまた別なことをして、面白いブログ記事が上がったら、また気功を再開したりして、自由気ままでしたw
でも仕事となると別です。
自分が苦手な分野の勉強もしなくてはいけないし、要求水準は上がってくるので気功の鍛錬もかなり本気になります。自分の健康維持もあるし、日常生活もある。
たしかにお金は入ってくるようになるし、尊敬の念も集めるけど、どんどん自転車操業状態になっていきます。
自分のクライアントに質問されたら、最初の頃は即答できたのに、だんだん難しい質問になってきて焦ります。あわててググったり、ブログの過去記事を参照したり(読解に苦労したり)、書籍を探したりして奔走します。
最初の頃は見も知らぬ人にヒーリングを求められることも嬉しく、結果が出ることも嬉しく、そして喜んでもらえるのも嬉しいものです。
生きがいを感じ、気功師として一生やっていきたいと思ったりします(いわゆるハネムーン期ですね。気功とのハネムーン期ですw)。
しかしどんどん人気が出てくるにつれて、要求水準がどんどん上がり、高いレベルを求められ、ヒヤヒヤするようなセッションが増えてきて、タイトロープの上を全力疾走している気分です。そして先が見えない。一瞬先は闇です。闇の中をタイトロープを全力疾走していて、いつ奈落の底に落ちるのか分からないような精神状態になってきます。
もちろんダークサイドもどんどん増えてきます。アンチが増えてきて、ネットに変な書き込みが出てきて(それがどうしても気になったりして)、クレームのようなものもチラホラ散見され、疲れがたまってきて、体力も削られてきます。あんなに楽しかった気功の勉強が義務感と苦痛にまみれてきて、クライアントには悪態をつきたくなる衝動にかられます。その衝動にまた自己嫌悪したり、、、悪循環です。
気づくと時間がなく、能力がないことに気付かされます。
自分には十分な時間がなく、そしてクライアントのニーズに応えるだけの能力が無いことに、です。
時間がたっぷりあれば、質問に丁寧に答えられるし、勉強も間に合います。
そして能力が十分にあれば、クライアントのニーズにもきちんと答えられるのに、と思います。
しかしこの「時間と能力」にまつわる幻想は幻想です。すっぱい葡萄でしかありません。
かつては十分な「時間と能力」があったのです。素人として活躍しているときは、時間と能力が十分にあり、だからこそプロとしてやっていこうと蛮勇をふるえたのですw
しかし仕事は別です。
仕事なると、もしくは社会に機能を果たそうとがんばれば、すぐに「ピーターの法則」の壁、すなわち無能の壁にぶち当たります。
最初の頃は十分に「時間も能力」もあるのです。しかし、すぐにクライアントのレベルが跳ね上がり、自分のいまのレベルを追い抜いていきます。
そして、そのときは自信たっぷりのヒーラーであったはずの自分が、新しい要求水準の高いクライアントにとっては完全に無能な存在となるのです。
この「壁」のことを「まといのば」ではいつも「絶望」と呼んできました。「絶望」は良いことなのです。自分が何者でもなく、能力も無ければ、可能性もほぼ閉ざされているということをきちんと知るのはいいことです。それは社会が教えてくれるのです(「まといのば」の言い方で言えばロゴスの声が教えてくれるのです)。
この「絶望」をきちんと骨の髄まで味わったうえで、それでもなお自分はこれをやりたいと思うことが真の意味でのwant toであり、全く根拠はないし現状はむしろ絶望的なのにも関わらずなぜか自分はできると確信するのがエフィカシーです。
ですから、ひとり孤独に絶望の底で血反吐を吐き、涙を流していないところでの、want toやエフィカシーなど存在しないのです。
苦しみの中にあってのかけがえのない信仰のようなものがwant toやエフィカシーです(ここをもし勘違いしたとしたなら、結果に結びつかないのは当然です)。
そしてこの壁を打破する方法論を提供するのが、「まといのば」のスクールであり、今回は特にAssetという視点で、いかにプロのヒーラー初心者が出会う壁を打破するかの方法を、たっぷりとしたワークと共に提供します!!!
(というわけで、次回は具体的な中身について書きます!!)
【ヒーラー養成スクール21期 ~肉体、知性、技術のトリニティをアセットとして運用する~】
【日時】 9月10日(土) 13:00~18:00
9月11日(日) 13:00~18:00
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】 230,000円(銀行振込)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
ピーターの法則 創造的無能のすすめ/ダイヤモンド社

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ピーターの法則については上記の書籍を読むと良いと思いますが、Wikipediaにはこうまとまっています。
(引用開始)
ピーターの法則は、「あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、やがては失敗する」という、ありふれた現象の特別な事例である。
この「一般ピーターの法則」とも言える法則は、ウィリアム・R・コルコラン(William R. Corcoran)博士が、原子力発電所で行われた是正処置プログラムにおいて見出した[要出典]。
コルコランの場合、この法則は物に適用されている。たとえば、掃除機が吸引機の代わりとして使われたり、「安全性評価」といった管理のためのマニュアルが、経営評価に適用されていた。たとえ有効範囲を超えているかもしれないとしても、人は、以前何かに有効だったものを使いたくなる誘惑に駆られる。ピーター博士は、この現象を人間関係に見い出した。
ピーターの法則を実社会の組織に適用すると、現在の仕事の業績に基づいて、ある人材が今後も昇進できるかどうか判断することができる。すなわち、階層組織の構成員はやがて有効に仕事ができる最高の地位まで達し、その後さらに昇進すると無能になる。この地位はその人材にとって「不適当な地位」であり、もはやさらなる昇進は望めない。
このようにして、ある人材はその組織内で昇進できる限界点に達する。人は昇進を続けてやがて無能になるが、必ずしも高い地位がより難しい仕事であるという意味ではない。単純に、以前優秀であった仕事と仕事内容が異なるだけである。要求される技術をその人材が持ちあわせていないだけである。
たとえば、工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ不適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。(引用終了)Wikipedia
でもこれってもっと大きな枠組で言えば、「あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、やがては失敗する」ということに還元されますし、もっと大きな枠組で言えば「赤の女王」に還元されます。
ということは、この法則から逃れる方法は選択的に成長せよということになるかと思います(たくさんのことを諦めて、資源を注ぐべきことに注ぎ込むこと、ということです)。

*集中して取り組んで、たくさんの卵を孵(かえ)しましょう。