Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all 3544 articles
Browse latest View live

シュワちゃんの有名な言葉「今日もあの街角を見に行くぞ」の「あの街角」って情報空間のエッジのこと

$
0
0

「いつも自分の限界を超えましょう!」などと言っても、闇雲にがんばれば良いわけではありません。

大事なのはマインドの使い方です。

 

トム・プラッツはその限界を超える日をめがけて、気持ちを高めろと言います。

意志力を用いるのはその直前までの準備段階に用いるのです。

 

そしてその日を迎えたら、フローに入ります。

流れに乗るのです。

 

 

ルー・タイスは「自然の流れに身を委ねているとき、人は最もクリエイティブになれるのです(p.131)」と言いました。

自然の流れに身を委ねるのです。でもこの「自然」という言葉の使い方には気をつけてください。

 

この「自然」は徹底的に不自然なことを積み重ねた極限としてもたらされる「自然」なのです。

言い換えれば人工の極致が「自然」です。

 

「そのままでいいんだよ」「ありのままでいいんだよ」というスピリチュアリズムの甘い罠とは対極にあるのが、ルー・タイスの方法です。「そのまま」「ありのまま」とは現状肯定ですので、Status Quo(現状)を強めるための悪魔のアファメーションなのです。

 

 

 

ちなみに、もちろん例外はあります。

 

条件付きの愛しか信じられない人に対して、無償の愛が神様から降り注いでいますよ、ということを納得させるために、これらの言説を使うのは有効です。「自分は今のままでも愛される」「何か努力していなくても大丈夫」という感覚は必要なのです。その絶対的な信頼が宇宙に対してないと心にぽっかり開いた穴を埋めることはできません。なにものもその穴を埋めることはできません。逆にそのブラックホールに吸い込まれて魔境行きのバスに乗りかねないのです。

 

ルー・タイスが自然の流れに身を委ねよと言っているときの、その自然の流れとは流れるプールの流れのようなものです。

流れるプールというのは、人工的な流れるプールではなく、みんなで同じ方向に歩くことで作り出す流れるプールです。

意図的に人工的に膨大なエネルギーをつぎこむことで、流れができます。そして気づいたら自分が流れの原因にならなくても、勝手に流れに身を委ねられるようになります。

 

この流れに乗るのが「自然な流れに身を委ねる」ということです。

ですから、自然な流れとは意図的な人工的に作り出した究極としての「自然」です。

 

じゃあ、その流れをどうやって作れば良いのかと言えば、それは徹底したシュミレーションであり、ビジュアライゼーションであり、アファメーションであり、スマートトークであり、スマートウォークです。

 

 

トム・プラッツは明確に「成功するシーンを何度も何度も思い浮かべる。視覚化することが大切だよ」と言います。

 

大好きな女の子と初デートをするくらいに気持ちを高めるのです。

 

その日が待ちきれなくなり、デートがうまくいくように繰り返し考えます。

これはまさにルー・タイスの方法です。

 

ヒーラーがヒーリングをするときも、気功師が気功のセッションをするときも、それまでに十分に期待値を高め、そして待ちきれなくなり、成功するシーンを何度も思い浮かべることです。細かなところまで視覚化することです。

コーチがコーチングのセッションをするときもそうですし、セミナー講師がセミナーをするときもそうです。重要なのは準備段階です。

 

 

ちなみに「シュミレーションしようとしても、自分は思考がネガティブだから不安材料しか浮かばない」という人もいます。逆にそれはとても良い兆候です。

 

ネガティブなのではなくて、むしろ正常です。

シュミレーションしようとして、たとえば決定的に失敗したことを思い浮かべたら、そこからどうやって逆転ホームランを打つかを考えます。

たくさんの無理難題や障害やミスを思い浮かべ、不測の事態を思い浮かべられたらより良いシュミレーションになります。

 

そもそも何も考えずにすべてうまくいくような極甘なシュミレーションをいくら繰り返しても力にはなりません。

 

ゴルゴ13の名言に「俺は臆病だから成功した」というのがあります(ちょっとニュアンスが違うかな)。

 

あれだけ万能な人でもいつもありとあらゆるパターンの失敗を想定しているのです。神に助けを求めるのではなく、想定外まですべてシュミレーションしようとする意志と準備によって難局を乗り切ります(それでも想定外のことが起こります。しかし様々なパターンを考えてきて、準備してきたからこそ、「自然」と対応できるのです)。

 

成功するシーンを何度も何度も思い浮かべる。視覚化することが大切だよ

 

これはルー・タイスが言っているようですが、あのトム・プラッツの言葉です。

 

 

そして、デート当日、待ち合わせ場所に着いたときは、もうすでにデートは終わっているようなものなのです。そのデートでは視覚化したものを現実に変えるだけだからです。ルー・タイスと同じです。

この感覚が重要です。

 

デート本番であわてても遅いのです。むしろデート開始前に終わっているイメージです。

情報空間でありとあらゆるシュミレーションを臨場感高く行っているので、デート本番はその写像でしかないのです。

 

 

過負荷は根性論ではありませんし、「気合だ!」ということでもありません。

非常に注意深く繊細に積み上げてきて、完全な集中力によって実現するものです。

針の穴を通すような作業です。それもラクダを通すような作業ですw

もちろんその前に十分なシュミレーションは不可欠です。

 

ですから体力が必要ですし、健康が必要です。

 

疲労して、くたくたの状態でデートしてもうまくいかないように、くたくたの状態でスクワットをしても良いトレーニングはできません。

 

シュミレーションでは、当然ながら、過負荷によって、自分の限界を超えることをいつも想定します。現状の外へ行くことをシュミレーションします。

 

しかし、そのシュミレーションが十全に活かせるためには十分な体力と精神力のゆとりが必要なのです。

 

 

「自分を追い込め」と言うと、闇雲にがんばれば良いと思う人もいますが(僕もそうですが)、それではダメなのです。きちんと追い込むためには、十分な体力と精神力が必要です。

ですので、そのデートの瞬間以外は寝ててもいいくらいです。ほとんどの時間は休んでいて、ある瞬間にだけ爆発的な力を出せば良いのです。そしてシュワちゃんの言うように今日もあの街角が見えればいいのです。

 

あの街角とは、限界を超えた先に見える風景のことです。

 

情報空間のエッジまで移動することです。

フラットな地球の端に到達し、そこから海が宇宙へと流れ落ちる大瀑布を見ることです(むしろわかりにくい喩えだw)

シンプルに言えば、現状の外です。

 

 

そのためには十分な体力と精神力が必要なのです。

あと5レップ、あと1レップのためには、そこまでに費やしたもの以上のエネルギーが必要です。

内部表現の書き換えであと一歩、あと5分だけ全力でがんばればというときも、エネルギー量がゼロになっていても絞り出すための体力と精神力が必要です。

コーチングも同じですし、セミナーも同じです。

 

 

そしてその限界を超えない限りは、そこまで積み上げてきたものは無駄になります。

力尽きて9レップで終わるのと限界を超えた10レップ目を迎えるのには無限の差があるのです。

0か100かの世界なのです。

だからこそ、その本番において十分な体力は必要で、意志力もそこまでなるべくすり減らさないことが大事です。

 

そしてそれだけハードなギャンプルだからこそ、そのデートは自分のWant toなものでなければいけないのです。

人生を賭けるにふさわしいものである必要があります。

 

 

そして毎日そんな「あの街角」へたどり着く人が、結果的に大きなことを成し遂げます。

 

いつもいつも崖っぷちのシュミレーションを積み重ね、いつもいつも「大好きな女の子と初デート」の喜びに満たされている人になりましょう!!

 

 

そして本番になったらどんなに怖くても「自然な流れに身を委ねる」ことです。

どんなにうまくいったとしても、重要な瞬間が終わった直後は脚がガクガクするでしょう。

興奮もするし、緊張もするし、吐きそうにもなるでしょう。

 

グレッグ・ノーマンはジャック・ニクラウスにあこがれてゴルフをはじめました。そのジャック・ニクラウスとはじめてオーガスタの1番でティーショットを打ち(見事にフェアウェイに乗せ)、そのあとにジャック・ニクラウスから聞かれます。

 

「グレッグ、はじめてのマスターズでティーグラウンドに立った感想はどうだい?」

「興奮したかい?それとも緊張したかな?」と。

 

「ジャック、もう死にそうだったよ。ひざががくがく震えて、すごく緊張していた」とグレッグ・ノーマンは答えます。正直な感想でしょう。

 

でも、そんなとき、栄えある世界の檜舞台で自分の憧れの人(ジャック・ニクラウス)から、「その感覚、たまらないだろう?」と言ってもらえるでしょう。

 

トップレベルの人にしか見えない風景があり、そこにはたくさんの仲間が待っています。そして、それは「あの街角」の向こうにあります。

 

 

 

【書籍紹介】

 

*ルー・タイスを読んだあとにトム・プラッツを読み直すと、非常に感慨深いです。

 

「脚を発達させたいと思っている人がいるなら、こんなアプローチをするといいだろう。週に1度、脚の日を設けるんだ。例えば日曜日を脚の日にしたとしよう。そうしたら一週間かけて、日曜日に向けて気持ちを高めていくんだ。そうだな、大好きな女の子と初デートをすると思ったらいい。『今週の日曜日は、ジョディとデートだ!』ってさ。否が応にも日曜日が待ち切れなくなるだろう? スクワットもデートと一緒。誰だってデートがうまくいくように考えるはずだ。それと同じように、ジムでスクワットが成功するシーンを何度も何度も思い浮かべる。視覚化することが大切だよ。いってみれば、ジムへ行くときにはもうスクワットは終わったようなものさ。少なくとも僕のなかではね。ジムでは視覚化したものを現実に変えるだけ。それだけでいいんだ!」

 加えて、トムはこうも言っている。

 「世の中の人はウエイト、あるいはトレーニングが体を変えてくれると思っているけど、そうではない。すべては気持ち=心なんだ。ウエイトは道具にすぎない。強く思う気持ちが体を変えていくんだ。(トム・プラッツ p.28 トレーニングマガジンVol.44 特集 スクワットの極み)

 

*脚を太くすることは、本当に大変だとよく分かります。ちょっとスクワットしたくらいで大きくはなりません。むしろ細くなります。太いのは脂肪です。

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

【お知らせ】苫米地式認定コーチ6人によるコーチングフォーラム2018開催決定!!

$
0
0

「まといのば」出身で活躍されている方は多くいますが、気功師で苫米地式コーチング認定コーチの齋藤くんもその一人です。

 

その齋藤くんが仲間の苫米地式コーチ6人でコーチングフォーラムを開催するそうです!

 

以下は、そのお知らせです!!

 

 

*画像はイメージですw

 

 

****

 

初めまして。気功師、苫米地式コーチング認定コーチの齋藤です。

 

もともと「まといのば」で気功を4年ほど学び気功師として活動していました。

 

その後に苫米地博士の個人コーチングを受けて現在はコーチとしても活動しています。

 

4月7日に苫米地式コーチ6人でコーチングを体験してもらうイベント、コーチングフォーラム2018を開催することになりました。

 

今回、こちらの場でフォーラムの告知をすることを許可していただきましたので、宣伝させてください。

 

コーチングが日本に上陸して、10年ほど経ちコーチングという言葉は徐々に世間に広がり始めました。

 

ですが、知識や理論を耳にしてもコーチングを実際に体験した人はそう多くありません。

 

いくらコーチングを学んでも、「自分はゴールを達成できる」という確信と体験が生まれなければ意味がありません。

 

もし、あなたがコーチングを学んだのに

 

・幸せでない

・劇的に成長していない

・ゴールに向けて行動が変化していない

 

そうだとしたらあなたには「コーチング体験」が不足しています。

 

あるいはほぼゼロに近い状態です。

 

コーチングというのは密教です。

 

いくら知識だけを学んでもそれを超えた体験がなければ残念ながらあなたの人生が変わることはありません。

 

苫米地博士が書籍で書かれているように、コーチングを学ぶことと実際に受けることは違います。

 

コーチングフォーラムは苫米地式コーチ6人で、あなたにコーチング体験を獲得してもらうためのイベントです。

 

認定コーチ6人があなたにコーチングを行います。

 

あなたがフォーラムに参加すればコンフォートゾーンが移行して、ゴールに向けて行動し始めることが当たり前になります。

 

フォーラムにはこちらのページから申し込んでください。

https://peraichi.com/landing_pages/view/coachingforum

 

フォーラムのページから、苫米地式コーチングの理論を解説したセミナー動画を無料で配信しています。

 

あなたの抽象度を上げるために当然ながら、非言語の書き換えを行なっていますがこの特別セミナーは特に理論を重視しています。

 

なぜかといえばコーチングは理論通りに行わなければ効果が出ないからです。

 

なぜならコーチングは認知科学がベースパラダイムだからです。

 

科学実験と同じように、理論を知り正しい手順で行わなければ結果が出ないのは当たり前です。

 

逆に正しい手順を知れば、スピーディーに結果が手に入ります。

 

あなたがコーチング体験を手にするためにも、まずは動画セミナーで理論を丁寧に復習してください。

 

こちらのページから特別セミナーを受け取ることが出来ます。

https://peraichi.com/landing_pages/view/coachingforum

 

 

****

 

 

何事にせよ新しく始めるというのは、大変なエネルギーがいるものです。

 

ルー・タイスは「新しいスタートには不安がつきものですが、それはごく自然で、健全な反応」だと言いました。

 

ワクワクだけではない大変さや障害も多くあると思いますが(それも含めての期待感の高まりはありますね)、是非、がんばって欲しいと思います。

 

齋藤くんをはじめ「まといのば」で学ばれたすべての方が社会のそれぞれの場所で華やかに活躍されることを祈っています!!

 

ピーター・ティールのPayPalマフィアではないですが、未来を創り出す集団を目指しましょう!

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

ゴールを設定するときはもっとバカになる感じで、IQを意識的に下げて探した方がいいかも

$
0
0

ゴールを設定するときはあまり真面目にならないことです。むしろバカになるというか、アホになるというか、IQを下げるイメージのほうがうまくいきます。

なんというか無責任に気楽にふざけて探す感じです。

 

 

何か面白いゴールらしきものが見つかったら、そこから気楽に無責任に広げていきます。

気のおけない仲間たちと冗談を言うようなメンタリティーで広げていきます。

 

ゴール設定が真面目すぎると、どうしても現状に縛られますし、常識に縛られます。

そして実現可能性を脳が計算しだすと萎縮してしまいます。

 

子どもが無邪気に好き勝手を言うように、自分の心と口に無邪気に好き勝手に話させましょう。

そしてそれをできるだけ書き留めるようにしましょう。

 

 

「いやーこれはふざけすぎだよねー」と思うくらいが良いです。

「アリエナイー」と叫ぶくらいでちょうど良いのです。

 

もっともっといろいろとファンタジーを広げ、妄想を広げましょう。

 

何かやりたいことがあったら、それがすでに達成されたとしたら、次はどんな夢を見るだろうかと考えましょう。

 

 

ある人が「お金があるということは、可能性を広げられるということだ」と言いました。実際に可能性も広がりますし、未来を買うこともできます。健康もかなりの部分をお金で買えますし、知識も同様です(良い教育を受けられます)。

 

でもお金以上に可能性を広げてくれるのは、こうなったら良いなという良い意味での妄想を広げることです。

僕は冗談で「妄想の暴走」と言いますが、まさに妄想を暴走させましょう。

もっともっとはっちゃけて良いのです。もっともっと爆発させて良いのです。

 

 

我々は非常に深い制約の中で生きています。

物理的現実に縛られていますし、養わなければいけない家族や、いまの仕事もあるでしょう。

のんきに夢を見ている暇はないと思うかもしれません。

 

しかし、だからこそ妄想を暴走させましょう。

それは社会的な悪なことでも構わないし、道徳的に悪とされていることでも、倫理的にまずいことでも構わないのです(妄想は)。

どんなことでも良いので風穴が開けば、そこを蟻の一穴として、次々と新しい世界が見えてきます。

 

 

暇はないと思う瞬間にこそ、ゴール設定に時間を注ぎましょう。

 

(まあ、そんなときに心の中のルー・タイスが出てきて、「君は何にせよやらねばならないことなどない」と言わせるのは手ですね。「働かなくてもいいし、養わなくてもいい、遅刻しても、出勤しなくてもいいんだよ」と。「約束も破ってもいいし、赤ん坊の世話もしなくてもいい」と。

「でも、その責任は自分で負うんだよ」と。

 

「やりたくない」と思ったら、「やる必要など無い」と心に言い返しましょう。

やる必要など微塵もないけども、「やりたい」かどうかを自分に聞くだけです。

 

 

ルー・タイスの言うとおり、すべての「Have to」は張子の虎です。

Want toしかないのです。単にHave toだと思う心の働きがあり、それがまさに無明なのです。

 

心の中のルー・タイスに囁かせましょう。

 

「本当は走る必要なんてないんだよ」と。

 

本当は働く必要もないし、もちろん、本当はゴール設定をする必要もありません。

 

でもしたいから、するのです!!

 

したいから、するのであれば、楽しくやりましょう。

効果があるように、より生産的に、より楽しめるように。

 

ゴール設定においては、真剣に考えすぎず、ラップを口ずさむように、子どもたちがごっこ遊びをふざけながらも真剣にやるように、いつもと違う意識状態でやりましょう!!!

 

 

 

変性意識状態に深く入るとは、わかりやすく言えば瞑想に入るということ(*^^*)瞑想に入るとは、、

$
0
0

「オンラインメンターではトランスや深い変性意識状態に入ることを教えないのですか?」とオンラインセッションで聞かれました。

 

トランスや瞑想や深い変性意識状態というのはきわめて重要です。

 

教えないのかと言われると、、、たしかにカリキュラムとしては存在しません。

でも通奏低音としてはいつもそこにあるという感じです。

 

たとえば瞑想は非常に効果的です。

でも瞑想を教えることはありません。でも瞑想状態は重要だと考えています。

 

ポイントは瞑想とは何か、深い変性意識状態とは何かということです。

 

*今年度は久々にYogaスクールも開催します!!

 

我々は物理空間にいるように思っていますが、物理空間以上に情報空間にいます(物理空間もまた情報空間なのですが、いわゆる目の前の物理的現実世界を物理空間と呼び、未来であったり頭の中にしかない情報を情報空間と考えます)。

 

たとえば試験は目の前にないにもかかわらず、期末試験のために勉強している学生は物理空間以上に情報空間に存在しています。

来年の入学試験のために勉強している受験生は、いま自分がいる物理空間以上に時間を移動したまだ可能性にすぎない情報空間に高い臨場感を持っています。

 

僕らはこれを単に思い出しているだけだと考えていますが、実際は情報空間を移動しています(まあ「実際は」と言っても定義の問題なのですが、、でも「移動」にこだわる理由があります)。

 

 

 

たとえばこんな話があります。

 

素晴らしい風景などを思い出してもらって、そのときのバイタル(生体反応)をチェックするという実験がありました。

たておば、被験者がこれまでに言った最も素晴らしい風景の場所をリアルに思い出してもらいます。思い出している最中の、脈拍や脳波や呼吸などを調べます。

 

上手に思い出すと、呼吸は落ち着き、脈拍も落ち着き、脳波もたとえばα波支配の良い状態になります。

その実験が終わったときに、被験者はきっとこう言うでしょう。

 

「また、行きたいですね」と。

 

素晴らしい風景、素晴らしい体験をまた味わいたいというのは自然な感情です。

 

それに対して、実験者がこう返します。

 

「いや、あなはた今そこにいたんですよ」と。

 

この話は僕はとても好きです。

そしてこれはメタファーでは終わらない奥行きがあると思います。

 

 

神経科学(脳科学)を真剣に研究している人にとっては、これは「移動」なのです。

きちんと想起して臨場感を高めて、ありありと思い出し、それに身体のホメオスタシスのフィードバックが起きている(脈拍や脳波や呼吸)ということは、その風景に身を浸したのと同じであり、そこに「いた」のと同じということです。

 

我々が自由なのはこの能力によってです。

 

パスカルが人間の尊厳を考えることに求めたのも同様です。

 

 

だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。

 

ここでのポイントは物理空間と情報空間の対置があるということです。

われわれが満たすことのできない空間や時間」ではなく、「考えることのなか」に立ち上がらなければならないとあります。

 

情報空間の優位性、宇宙に対する人間の優位性を示すものとして、「知る」ということをあげています。

 

だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

 

単に宇宙物理学の視点で考えれば、人間も宇宙の一部なのに、なぜ人間と宇宙を対比させているのだろうと思いがちですが、人間の脳の中すなわち内部表現なり情報空間を考えれば、これは物理空間と情報空間の対置であることがわかります(いや、違うかもしれませんがw)。

 

 

 

で、何が言いたいかと言えば、物理空間と同様に情報空間も移動が可能です。

 

しかし、我々は自分の移動を制限しています。

 

その制限を取り払い、より遠くへ行こうとすること、行くことこそが「深い変性意識状態」であり、「瞑想」のポイントであるということです。

 

まあ、どれほど遠くへ行こうが孫悟空と同じく、お釈迦様の手の中でしかないのですが、それでも出来る限り遠くへ行こうとすることは大事です(なぜなら楽しいからであり、それ以外の喜びは多分無いからです)。

 

 

とすると、わざわざ深い変性意識状態やトランスの生成、もしくは瞑想などと考えなくても、シンプルに自分がやりたいことをゴール設定すれば、、、、それが情報空間の移動になるのです。

 

毎朝、ゴール設定をするたびに、「あなはた今そこにいた」のです。

成功の喝采を浴び、夢を叶えた興奮と感動を静かに味わっているのです。

そしてそれは情報空間の移動なのです。

 

そして情報空間を移動してみると、、、いま目の前に広がる物理的現実世界がその未来の理想世界の残滓(ざんし)で構成されていることがわかります。未来が原因であり、現在が結果に見えてくるのです。

 

小説リプレイのように、目の前に未来は広がっていて、でもそれは手付かずの未来であり、無限の可能性が広がっている未来です。

 

 

 

 

でも、未来を知っているので、走り出したくなるのです。輝かしい未来が待っていることを知っており、かつもっと素晴らしい未来にすることが分かっているから、走り出したくなるのです。

(そのときに脳内ルー・タイスは「君は走る必要はない。でも、走ることを選んだ」と言ってくれるでしょう)

 

ゴールを楽しく設定することが、深いトランスを生成し、深い変性意識状態を生成し、そして瞑想や座禅が目指す境地に連れて行ってくれます(そして魔境の心配もないのです)。

 

もちろん変性意識の生成や瞑想やトランスの訓練も重要ですし、大事です。

 

でも、すべてはゴールを設定することにかかっているのです。

楽しんでやりましょう!!

 

そこに移動しましょう!!

 

 

*トレーニングもまた情報空間の「移動」です。意識状態がすべてです。トム・プラッツの言うように、何をするか、何を食べるかも大事ですが、何を考えるかがもっと重要なのです。

 

 

 

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。

 

 

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

 

 

 

 

 

【今週末開催!】脚を動かしたいと思ったら、いや高くあげたいと思ったら腰を意識しましょう!!

$
0
0

最終回スペシャルとしてすべてのコンテンツを放り込んだスクールを今週末に開催しますが、そのコンテンツを練りながら試行錯誤していると、いろいろと面白いことが見えてきました。

 

これまでのすべてのスクールのコンテンツを総覧するということは、、、ヨガスクールからアルケミストスクールまですべてということです。陰陽師も風水師も結界師もすべてですw

MBA(バレエスクール)も身体デザインスクールもすべてです。美肌クリームを高度に使いこなす美肌プロ養成スクールもです。

美容からバレエから、身体から、かなり高度なIQ系までをすべて網羅していきます。

 

 

はっきり言えば無茶です。

 

でも無茶をなんとかしていくのが、人生の醍醐味です(*^^*)

これまでもそうしてきましたし、これからもそうしていきます( ー`дー´)キリッ

 

ひとつのスクールを1時間みたいなペースでやっていくとしても相当にキツキツです。

 

ですので、抽象度方向へ斜め上へ向かって移動していきます!

まったく違って見える2つの事象の裏にある共通しているものは何か、そしてLUBは何かを考えながら、情報空間を上下左右に自在に移動しながら、必要なアイテムをゲットして必要な装備を身に着け、必要な知識と理論を楽しく素早く習得してもらいます。

 

*是非、覚醒してください!

 

まあ、かなり楽しいと思います。

 

そのためにも身体も頭も極限まで使っていきましょう!!

 

 

ポイントは「極限まで使う」ということです。

 

これに関する数学的な定義が非常に興味深かったのですが(寺子屋「Deep Learning」などでやったのでしょうか?)、基本的な戦略としては、物理空間は地道に徐々に変えていくこと、情報空間は極限まで振り切ることが大事かと思います。

 

 

大事なことなので繰り返します(*^^*)

 

物理空間は徐々に変化させ、情報空間は素早く極地まで振り切ることです。

 

物理空間はゆでガエルが理想なのです。冷たい水から徐々に熱してゆでガエルにしてしまうというあれです。気づいたら大きな変化を生むようにします。一方で情報空間は徐々にではなく、一瞬で世界の果てまで到達するイメージです。

それでも小さな小さな世界しか動けないのです。小さな世界の小さな井戸の小さな部分が宇宙だと思っているという自覚は必要です。お釈迦様の手どころか、爪の中です。

 

 

繰り返しますがこれがポイントです。

物理と情報はここでも合わせ鏡(というか鏡合わせ)です。

 

*物理空間はエントロピーが増大し、情報空間は秩序が増大します。

物理空間はCopyにコストがかかり、情報空間はDeleteにコストがかかります。

鏡の国はすべてがあべこべなのです。情報空間も物理空間とそっくりなのに、すべてがあべこべなのです。

 

 

脚を動かしたいと思ったら、腸骨を意識して、腸骨から上げましょう。

 

股関節を使わずに腸骨で脚を動かすワークを何度か繰り返して、そして腸骨の重要ポイントである上前腸骨棘(ASIS)を胸骨の中心の膻中(ダンチュウ)という経穴に向けて近づけます。

胸の谷間に向けて腰を近づけるイメージです(余談ながら、、かつてパイレーツといえば、パイレーツオブカリビアンではなく、「だっちゅーの」で一世を風靡したお笑いコンビの名前でした。このコンビのネタであり流行語大賞も取った「だっちゅーの」とダンチュウをかけて覚えますって、、、、もう20年前なんですね、、、)

 

 

別なアプローチで言えば、「お腹が痛い」というのも使えます。

お腹が本当に痛くなった臨場感でお腹を押さえましょう。そのときの姿勢がそのまま脚を上げる姿勢です。これも胸と腰を近づけます。すなわちダンチュウとASIS(腰骨)を近づけることになるからです。

 

そうするとY字が可能になります。

 

 

Y字は上げたあとに、胸を張ります(ただ腹部は同じ感覚を維持します)。

キープするのは腹筋というか、腹圧によってです。

 

で、Y字をあげられると、ようやく歩くということが見えてきます。

 

Y字という極限状態を体験することで、ようやく目の前のことが見えてきます。

 

 

アルケミストスクールでも懸垂をしました。

 

懸垂をして、はじめて背中の意識が分かるのです。

 

やったことのない懸垂を無理矢理にでも10回やると、背中で踊るの意味がうっすらわかってきます。

「アームスを背中で支える」というような抽象的に感じる言葉の意味がわかります。

 

関節の可動域(ROM)も同じです。

 

まず極端なところまで可動域を増やしてから、小さな可動域が細やかに使えるようになります。

(ストレッチに関してはいろいろな議論がありますが、一種の意識状態ですので、ゴールにとって必要ならば、可動域は増やせばいいですし、必要なければ可動域は狭くてもいいかもしれません)

 

 

 

身体の可動域を増やせば、情報空間の可動域も増えていきます。

筋力が増えると、情報空間の書き換え能力も上がります。

 

 

駆け抜けるように「まといのば」の全スクールを総覧していきましょう!!!

 

 

【ヒーラー養成スクール 〜最終回!!学年末スペシャル?!〜】
【日時】 3月10日(土)13:00~18:00  12:00〜17:00(初日のみ1時間繰り上げます!)
     3月11日(日)13:00~18:00

【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

 

♬会えない日の恋しさもそばにいる愛しさも同じくらいクセになるんだ♬CrazyとはAddict

$
0
0

Crazy onesになるとは、いや自分の中のCrazyを探すとは、何かにAddict(中毒)するということでしょう。

 

 

*The Crazy onesが世界を変えるというメッセージと言えばこちらのCM。

*41秒にルー・タイスが(あ、違いました)。

*本来はJobs自身がナレーションをする予定で収録までしましたが、カリスマ化を恐れたジョブズがナレーター版に変えます。

*1997年です。もう20年が過ぎています。

 

 

熱中してしまう何かを探す、やりたいことを探す、気づいたら時間が過ぎてしまうような何かというのは、Addicitonです。

 

20年近く前の宇多田ヒカルさんのメガヒット曲がAddicted to youです。

Addicted to youは単純な「君のことが大好き」とか「君に首ったけ」とか「君に夢中」みたいな訳語が吹っ飛ぶ強烈な言葉です。

Addictは中毒ですし、Addicitonとはあまり良いニュアンスでは使われないものです。

(いや、Crazyもそうですね。でもCrazy for youだとAddicted to you と同じく甘さが漂いますね)

 

 

 

何かにAddictするのは良いことでもあり、悪いことでもあり、そして少なくとも自己破滅的なことです。

 

Addictと言えば、Drugです。

ドラッグと言うと、我々とは関係のない世界の話のような気がする人も多いでしょうが、お酒やタバコ、そして精製された糖(そしてオイル)は少なくともドラッグでしょう(そのうちにそこに肉も含まれるのでしょう)(加工商品はそう遠くない将来に)。

 

*肥満が問題なのではなく、それが自分が望んだ未来だったのかが問題です。

 

 

いまや議論の必要がないのはお酒とタバコです。

(しかしかたやお酒は百薬の長と呼ばれ、かたやタバコも本気で健康に良いと思われていた時期もありました。そのような研究もありました)

 

そしてお酒に関して言えば、一度中毒(依存症)になったなら、一滴でも元の木阿弥であると言われています(だからこそ、「二度と飲まない」ではなく、まず「今日一日は飲まない」をゴールとすべきなのでしょう)。

 

アルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous)と言えば、アルコール依存症の人々のための自助グループです。

アルコホーリクス・アノニマスですので文字通り読めば匿名のアルコール依存者ということでしょう。その団体がAAです。

 

(アノニマスと言えば、そんなハッカー集団もいました。文字通り匿名の集団です)

By david_shankbone - https://www.flickr.com/photos/shankbone/6157303489/, CC 表示 2.0, Link

彼らの標語「We are Anonymous. We are Legion. We do not forgive. We do not forget. Expect us.(我々はアノニマス。我々は大群。許しはしない。忘れはしない。待ち受けなさい。) 」のLegionは聖書ではレギオンですね(マルコ5:9)。レギオンと言えば、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた汚れた霊のことでした。豚に入り込み集団自殺します(いや、イエスによって豚に入れてもらい、浄霊の機会を得たというべきでしょうか。いずれにせよ無垢な豚さんにとっては良い迷惑ですが)。(もともとはLegionはローマの軍隊のことです。後にキリスト教はローマの国教になりますが、このときはまだ対立関係というか迫害される身です)。

 

 

ここではハッカー集団アノニマスではなく、アルコホーリクス・アノニマスの話です。

このスタートは非常に興味深いものです。

 

かつてアルコール依存症になったら二度と治らないと考えられていました。

 

不治の病です。ですので放置され、そして座して死ぬのを待つのみでした。問題を撒き散らすながらです。

 

*トレーニングも当然ながらAddictします。

身体を壊してもトレーニングしたいという自分に気付きます。踊りも同様です。武術も。

ランニングに関しては、ランニング・ハイという中毒名がすでに存在します。エミネムもランニング中毒になったそうで。

 

 

しかし、1935年にひとりの依存症患者がもうひとりの依存症患者と出会ったときに奇跡が起きました。お互いがお互いの飲酒の問題について、話をしたのです。そのときだけはなぜか飲まずにいられたのです。

どんなことをしてもダメだったのに、単に話をしているだけで、、、その瞬間だけはあれほど止められなかった飲酒を止められているのです。

 

この話はAddicitonとはケミカルな中毒ではないというあの話を思い出しますね。

 

Ratの実験でもたしかに水とドラッグ入りの水では、ドラッグ入りの水に中毒になります。でも、ネズミも友達と遊び放題だとドラッグ入りを飲まずに普通の水しか飲まない、と。

 

 

*字幕を日本語表示にすれば、スクリプトが出てきます!

詳しくはこちらも!人はパンのみにて生くるにあらず 〜人は麻薬のみにて、中毒になるにあらず〜2015-08-21

 

上のアニメの元ネタとなったTEDレクチャーです。

*依存症の真の原因は何かがテーマです。

*1日に3回ヘロインを20日間やったらどうなるか、、、、ヘロイン中毒になる?それが古い理論です。膨大な社会的実験によって、薬物依存にならないことが分かっています(交通事故の被害者は高濃度のヘロインを注射され続けます)。

*糖質に極度に依存してしまい、脂質に極度に依存してしまうのは、もしかしたらさみしいからなのかもしれません(フラれたあとのやけ食いが続いているのと同じですねw)。ただこの先はより洗練されていくので、この先の世界ではアルコールやカフェインやタバコの方が(いやSugarですら)安全でナチュラルだったと言われることになるのでしょう。

 

 

 

で、話を戻して、このアルコール中毒の2人(ビル・ウィルソンとボブ・スミス)の出会いからはじまり、その環が広がったのがアルコホーリクス・アノニマスです。

この会は完全にアノニマス(匿名)とされます。名簿もなければ追跡調査も不可能な団体です(ビルとボブもアノニマス=匿名なのでしょうか。

AAなのでB(ビル)&B(ボブ)がスタートとしたのでしょうか?邪推しすぎでしょうか。

ちなみにエミネムも本名のM&MからEminemとなったと言われますね。かつてはM&Mで活動していました。

下のPVでもMy name is Marshaと本名を語っています)。

 

 

アルコホーリクス・アノニマスはミーティングと呼ばれる会合で(←変な日本語ですね)、自分の経験を語ります。反論も意見もなく語るだけです。そのことでビルとボブのように飲酒を止めます。

 

その雰囲気が伝わるのが、エミネムのWhen I'm gone(俺が死んだ時)のPV(プロモーションビデオ)です(←「俺が死んだ時」と訳語を当てると変な感じですね。やはりgoneはgoneです)。

 

 

*最初に紹介したのは2013年のスクールのためでした。

【8期・関連動画】「パパは仕事だ!」と叫び、男と女は別れ、天使は眺める 2013-02-10

 

 

エミネム自身も薬物中毒から抜けるために必死ですし、非常に臨場感のあるPVです。

アルコール中毒も深刻ですし、薬物中毒も深刻でしょうが、この歌から感じるのはワーカホリックの深刻さです(娘の溺愛もまたAddictionとなりうるのでしょうし)。

 

仕事に中毒になってしまったら、悲惨です。

いや「仕事に中毒になることが、成功への唯一の道だ」みたいな議論は理解しますし、それに近いことは僕も主張します。

しかし本当に中毒になってしまい、家族も顧みなくなったときは悲惨です。

 

「まといのば」ではよく「ゴールに恋に落ちる」と表現しますが、これも同じです。Addicted to your Goalなのですが、これもまた同じ狂気をはらんでいます。

(それをリスク・ヘッジするためには、GoalをGoalsにしてバランスホイールにしてしまうのが唯一の方法なのかもしれません)

 

ちなみにエミネムが溺愛し、PVの中にも(イメージとして)出てくる娘さんは今や大学生。

 

 

happy early birthday to me

Hailie Scottさん(@hailiescott1)がシェアした投稿 -

 

 

Addictする感覚は必要だと思います。

 

「ゴールを達成できない切なさも、ゴールを達成できた喜びも同じくらいにクセになる」と口ずさめるくらいには、Addictしましょう。

 

でも、我々はAddiciton(中毒)やHoric(中毒)には弱いのです。

 

僕はこのテーマを考えるといつもイエスの最後の言葉のひとつである「わたしは、かわく(ヨハネ19:28)」を思い出します。イエスもまた神の愛に渇いていたのでしょう(「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と詩篇を引きつつ「神よ、なぜ私を見捨て給うたのか」と絶叫します)。

 

ゴールを設定するとは、渇き続けることです。渇望し続ける困難な人生を選ぶことです。

でもそれは「クセになる」のです爆  笑

 

だからこそどのゴールに中毒にするかを慎重に選ぶことが大事です(そしてできるだけ多く選ぶこと)。

そしてベタですが人間の繋がり(Bond)を大切に(*^^*)(「お前が言うな」なのですが、これまでたくさんの繋がりを壊し続けてきたからこその助言としてw)

 

 

 

 

 

今週末は最終回スペシャル!!

 

 

【ヒーラー養成スクール 〜最終回!!学年末スペシャル?!〜】
【日時】 3月10日(土)13:00~18:00  12:00〜17:00(初日のみ1時間繰り上げます!)
     3月11日(日)13:00~18:00

【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

明日、最終回スペシャル!!そして今回もヴァーチャル受講あります!アルケミストスクールは鋭意編集中

$
0
0

*バタバタしておりますが、明日はヒーラー養成スクールの最終回スペシャルです!!

これまでの全てのスクールを総覧しながら、全てのスクールのエッセンスを凝縮しつつ、大きな絵を描きます!!かなり面白いと思います!!

これからお申込みも可能です!!

*ちなみに今回のスクールのヴァーチャル受講も受け付けます!!

お申し込みはこちら!

 

*前回のアルケミスト・スクールのヴァーチャル受講ですが、いま動画編集の最終段階です。かなり面白いと思います!!

お申込みはこちらから

 

 

というわけで、かなりバタバタしておりますが、明日はヒーラー養成スクール最終回スペシャルです。

ヒーラー養成スクールがこれまでの行き当たりばったりシステムから、年間スケジュールを出すシステムに変更の予定です(あくまでも予定です( ー`дー´)キリッ)。

ですので、今回は最終回スペシャルと銘打って、全部やろうと思っています。

 

 

いや、無茶な気はしているのですが、きっと受講生が超人的な集中力と抽象度で無茶を可能にすると思っています。

かなり面白いカリキュラムになりましたので、きっとジェットコースターのように「まといのば」の歴史を圧倒的なスピードで振り返られるのではないかと思います。

 

とは言え、大事なのはゴールです。

どんな自分になりたいのか、自分にどんな期待をするのかを、理想の未来の生活やあり方はどういうものかを思いっ切り描いておいてください!!

 

*太陽と月の結婚のイメージですね。もしくは拮抗、別の名をハタと言いますね。異なるものが同じ一なるものであることに気づくのが賢者の石です(多分w)。

*ハタはヨガだけではなく、美肌クリーム・ダイナミック版につながります。そのシンプルな解剖学的カラクリは拮抗筋です。

 

 

先月のアルケミストのカラダ・スクールの編集も順調に進んでいますが、なにせ膨大な量なのとワークが多めなので、まだまだ苦労しています。もう少しです!!

 

最近は動画編集で苦労させられることが多いです。

SDメモリのデータがランダムに音飛びしたり、途中で壊れたり(ウィルスかと最初は思いました)、コンピューターも見事に壊れ(修理に出しましたが、新しいのも購入)、外付けハードディスクはバックアップごと2台同時に壊れてしまいかなり面食らいました。悪夢すぎる事態が年末からずっと続いています。「悪夢もまた夢なり」ということで夢を生きるがごとく楽しみます( ー`дー´)キリッ

 

 

まあ、なるべく受講生の皆様に迷惑がかからないように(いや最小限になるように)がんばります!!

(一番迷惑をかけているのは、オンラインレコードですね。最終回の配信が半年近く伸びています)(いや、もっと迷惑をおかけしているのは、寺子屋ですね。1年ほど配信を待たせています)

(大変申し訳ない)

(でも、それだけに期待値をあげておいてください)

 

 

それはさておき、先月のヒーラー養成スクール「アルケミストのカラダ、ヒーラーの身体」は相当に濃く楽しかったです!!

 

 

 

そこで受講生のためにスクールで紹介した動画などをこのブログでまとめる予定が、、、かなり時間が経っていしまいましたが、復習がてら観ておいてください。

 

 

ちなみに美肌クリーム(美容整形)で女子のモデルになっていたのが、こちらのミランダ・カー。

 

目線、唇、仕草、そして顔面の筋肉の連動、臨場感空間の色合いの変化など、本当に勉強になります。パクりましょう!

 

 

 

 

 

自分の中のHeroを決めておくと、人生は楽しくなります。

 

僕にとってのHeroはたとえばこちら。

 

カイグリーンかっこよすぎます!!

 

 

 

そしてマッスル北村さん。

 

スクールでは別な動画を紹介しましたが、、、、こちらの方が本人の人柄もひたむきな性格も(狂気とも言うかもしれませんが)、すごい経歴も(東大理科2類から医科歯科大へ)、イケメンさもよく分かります。

彼を悪く言う人がいなかったという人格者であり、伝説の人物です。

 

 

スクールで紹介したのはこちら。

 

 

 

モデルにする人のマネをするってかなり大事です。

 

僕はマッスル北村さんはモデルですし、Jobsも中村元先生もモデルです。

 

 

 

 

北村さんも中村先生もにこやかですが、内に秘める狂気が美しく眩しいです。

 

 

バレエでザハロワに憧れるのはとても良いですが、僕らはザハロワは見えないのです。

 

 

 

 

このザハロワの動画はあまりに美しいですが、しかし我々にとってみたら、むしろプロを目指す女の子たちの動画のほうが自分を駆り立ててくれるかもしれません。

 

 

 

 

 

モデルシリーズでは、多言語ということと絡めて、久々のアインシュタイン博士w

 

 

スクールで紹介したのはこちら。

 

 

こちらも良いですね。

 

 

 

 

カイグリーンではないですが、たとえば1tのレッグプレスのロニー・コールマン。

 

 

僕が最近衝撃を受けたのは、Netflixで観た500kgのデッドリフトです。

トムプラッツのスクワットもそうですが、自分で少しでもトレーニングをしていると、彼らが到達した高みの凄まじさをわずかにでも理解できます。

 

 

そして言語がらみでは、2人を紹介しました。

 

まずは英語講座でもおなじみのマリリン・モンローから、ハッピーバースデーMrプレジデント

 

本当に素敵です。

 

 

 

そしてホーキング博士!

 

 

 

 

先月のヒーラー養成スクールもかなり多岐に渡り非常に本質的な内容だったかと思います(自画自賛すぎますが)。

ヴァーチャル受講もまだ可能です!!お申し込みはこちらから。

 

 

そして、明日からのスクールも相当に濃く楽しいものになると思いますので、是非お楽しみに!!!

 

 

明日は12時からスタートです!!!

 

 

【ヒーラー養成スクール 〜最終回!!学年末スペシャル?!〜】
【日時】 3月10日(土)13:00~18:00  12:00〜17:00(初日のみ1時間繰り上げます!)
     3月11日(日)13:00~18:00

【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

 

■3月のセミナー予定
3月10日(土)11日(日) ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」(初日12時スタートです!)

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」



パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは3月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

 

「たぶん鏡の国のミルクは飲めたものじゃないわ(鏡の国のアリス)」情報空間は物理空間と対掌的?

$
0
0

*明日開催です!!

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

 

 

鏡の国のアリスの冒頭でアリスが飼っている子猫ちゃんに話しかけるシーンがあります。

 

 

「鏡の国で暮らすのはどう?」とキティ(猫)に聞きます。

 

続けて「でも、誰かがミルクをくれるかしらね」と。

 

そのあとに有名なセリフが続きます。

 

それが、「たぶん、鏡の国のミルクは飲めたものじゃないわ」です。

 

 

これは非常に興味深い話です。

学生のころに化学で学んだ光学異性体を思わせます。

光学異性体とは、右手と左手のようにそっくりなのに鏡合わせなものを言います。

右手と左手は似ていますが、重なり合いません。

右手用の手袋は左手にはめられません。対称性ではなく、対掌性というやつです。別名キラルですね。

キラルとはそもそもギリシャ語で手を意味するχειρ(cheir) から来ています。

 

*わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。コリント第一の手紙13章

 

 

たとえば、グルタミン酸は化学的に合成すると光学異性体のL体とD体が半々でできますが、L体は美味しくても、D体は苦くなります(グルタミン酸だけではなく多くがL体です)。

 

ですから、この「たぶん、鏡の国のミルクは飲めたものじゃないわ」というアリスの発言はケミカルにもかなり正鵠(せいこく)を得ているのです。

 


というネタを良く化学の授業などで聞いたりします(僕自身もかつて高校化学を教えていたこともありました)。

 

アリス、シェイクスピア、聖書は英語圏の文化を理解する上で必須と言われますが、こんなところにも不思議と秘密がありそうです。

 

 

 

 

まあ、それはさておき、、、、

 

僕は情報空間というのは鏡の国のようなものだと思います。

 

たとえば神様がいらして、「じゃあ、これから君に情報空間を見せるね」とか言って、情報空間を見せてくれたとします。

 

何か非常に数学的な、もしくは表象が浮かんでいるような世界を想像していたら、意外と普通の日常的な世界が広がっていそうです。

 

すべてが自分が生きてきた物理空間と似ていて、でも何か違和感がある感じです(たとえばミルクが苦いとかw)。

 

 

情報空間は物理空間といわば対掌的なのです。その意味で鏡合わせです。

 

音楽CDをコピーしようとしたら、PCがあればほぼ一瞬で終わります。

でも、気に入った自動車をコピーしようと思ったら、まず自動車工場から作らなければなりません。

 

物理空間と情報空間の何が鏡合わせかと言えば、CopyとDeleteなのです。

これが真っ逆さまです。

 

情報空間のCopyのコストは(理想的には)ゼロです。一方でDeleteにコストがかかります(ここらへんについてはマックスウエルの悪魔などを参照してください)。

 

物理空間のCopyのコストは十分に大きく、逆に放っておけばピカピカの新品の自動車も、時間が立てばさびて土に返ります。エントロピーがDeleteを保証してくれるのです。

 

ここにだけ気をつけておけば、情報空間を渡り歩けます。

 

平たく言えば、物理空間で自由に動ければ、情報空間で自由に動けるのです。

物理空間で重たいものを動かせれば、情報空間で大きな情報量のものを動かせます。

物理空間で高く飛べれば、情報空間でも抽象度の階層を飛び上がれます。

 

 

 

じゃあ、なぜ500kgでデッドリフトできるアスリートが優秀なヒーラーではないのでしょうか?

相当に内部表現の書き換えに長けていそうなのに、ヒーラーとしてなぜ名をあげていないのでしょうか?

 

 

この回答はシンプルです。

 

彼らはたしかに定義上は優秀なヒーラーでしょうが、その内部表現書き換えの能力のすべてを(そしてそれ以上をも)自分の身体の書き換えに注いでいるからです。そもそもヒーリングということが彼らのゴールではないのです。

 

内部表現を書き換える力というものがあるとしたら、素晴らしいダンサーや役者、アスリート、ボディビルダーたちは皆、その力を持ち合わせています。しかしその力をそれぞれのジャンルで最大限活かしているのであって、ヒーリングに割くパワーは残されていないのです。

 

 

 

我々ヒーラーはその偉大な彼らの背中を追いかけながら、ちょっとだけトレーニングや身体鍛錬で地獄を観れば、書き換えパワーが増大し、ヒーリングパワーが増大します。

 

物理空間で肉体を自由に動かせれば、情報空間でも意識を自由に動かせるようになります。

(それと関連して、スクールでは科学的な開運方法、金運向上のためのヒーリングをやりましたね。開運やら金運ということを忌避してきましたが、そろそろセミナーなどで公開しても良いのかもw)。

 

情報空間は期待しているような、夢の国であったり、奇想天外な場所でないのは残念かもしれませんが、よくよく理解してみると夢の国であり奇想天外な場所です。最初はあまりに物理空間と似すぎていて、驚きますが、深く知るとやはり物理空間と違います。

 

 

Copyが容易なのは便利ですし、Deleteが困難なのは厄介です。

 

 

これについてケインズはこう言っています。

 

困難は、新しい思想にあるのではなく、大部分のわれわれと同じように教育されてきた人々の心の隅々にまで広がっている古い思想からの脱却にある。(J.M.ケインズ 一般理論 塩野谷祐一訳 序文)

 

新しい思想(情報)を導入(Copy)するのは容易なのです。でも、古い思想(情報)から脱却(Delete)するのは至難の技です。

 

ケインズについては、こちらの動画を見ておきましょう!!

アルケミストスクールと最終回スペシャルスクールでどちらも紹介できなかった動画です!

 

 

*初出はケインズvsハイエク ラップで加速学習!2012-03-26

*5期ヒーラー養成スクールの事前学習のための教材でしたね。

 

 

「地球の歩き方」というガイドブックがありましたが、同じように「情報空間の歩き方」というガイドブックがあったとしたら、1ページ目にはまず情報空間は決して新奇な場ではなく、むしろよく見知った場所に似ていると書いてあるでしょう。そしてCopyとDeleteが真逆であることも書いてあるでしょう。その他は物理空間と同じルールが走っていることも。

 

 

その「情報空間の歩き方」をマスターし、情報空間を広く走破した勇者(受講生)の一人からフィードバックをいただきました。

 

というか、彼は終電ギリギリで盛岡まで帰ったために、無事の帰還報告を兼ねたフィードバックでした。

 

頭が良いことの一つの指標は圧縮力(要約力)だと思いますが、ここに見事なスクールの要約があります。

 

最終回スペシャルにふさわしく、全コンテンツを走破した風景が味わえるのではないかと思います。

 

 

(引用開始)

本日はありがとうございました。無事に盛岡に帰着しました。

 

えいやと飛び込んで、大きく前進しましたし、さらに進む推進剤を大量に手に入れて、ここに至るまでにかかるであろう凄まじいcostを短縮出来ました。

 

ラージャポールによる背骨周りの急速な開発、Y字、前屈、開脚、指懸垂、ブリッジと楽しすぎる身体開発。特にラージャポールとブリッジ(セフィロト)は感動でした。

 

イメージ筋トレ(ハタ、ダイナミック版)、dots、空海の身体、丹田先行、センター先行、爪先!による動きの洗練。

赤い糸、折れない腕で燃える男子達。

 

腎臓による回旋の回復。指先の魔術師。

 

センター、腸腰筋、三丹田、空海の身体をワークし合ったのも、全員の如実な変化が自分たちの気功の威力を認識出来ました。

 

居着き、結界の決壊、トリガー外し、蟲のワークも確かな気持ち悪さが気持ちいい体験でした。(三途の川での手洗いも)

 

駆け足になってしまった縁起操作は色々実験してみます。

 

そして、バフォメット召喚、と使いよう。非常に便利です。おまかせヒーリングの強力さの体験。

 

美肌クリーム、泣く女もコンディションを整えるという最重要任務につきます。

 

隠宅風水、新幹線の中でやりました。龍脈の感覚を味わいました。

 

写真、動画楽しみにしています。(寺子屋ブログの更新も)

またよろしくお願いします。(引用終了)

 

 

もちろんここに書ききれないことも膨大にあります。

 

しかし、これ以上に見事にまとめることはできないのではないかと思い、彼の許可をいただいて掲載させていただきました。

 

*そう言えばブリッジ未経験もいる中で、ブリッジもあっさり成功させていました。それも立った状態からのブリッジを。

 

 

「まといのば」で気功を教えるようになり、いまでも一番不思議に思うのはCopyです。

 

たとえば僕が10年かけて習得した技があるとします(そんなのばかりです)。

 

その技を戯れに「伝授」してみると、、、、ものの5分で受講生はものにしてしまうのです。

 

恐るべきことです。

 

でも、理論から考えれば、当然のことです。

Copyは情報空間において容易なのです。

 

音楽CDと同じです。一瞬でコピーできるのです。

しかし、、、驚かされますし、十分に絶望できますw(絶望ではなく、喜びですね)

 

 

もちろん主観的な世界の中で迷宮入りするのが嫌なので、「まといのば」ではともかく客観的な指標を重視します。自分たちの思い込みや共同幻想ではない何か確固たるエビデンスがいつも欲しいのです。ですので、前屈や開脚など身体にこだわって結果を求めます。

 

できなかった高度な身体操作ができるようになれば、そこには確実に何かがあるからです。

 

たとえば今回は受講生全員がバレエには興味がないという中で、全員が立位でY字を上げたのには驚かされました。寝た状態で足が耳の横にあるようになったというだけではありません。

立った状態でY字バランスを取れたのです。

 

 

 

そして、二日目は、、、、、スクール受講まで懸垂をやったことがないという人もいたのに、終了時には指懸垂を成功させていました(これはむしろ僕が驚かされました)

 

恐るべきです。

 

 

 

アルケミストの技も、陰陽師の技も、ヨーギの技も、風水師や結界師、魔術師の技もすでに手にしてしまった以上は、いかにゴールを楽しく大胆に更新するかにかかっています。

 

リニアモーターカーはS極とS極が反発することで浮き、S極と少し先のN極が引きつけ合うことで加速します。しかし、そのS極とN極がくっついてしまったら、、、静止します。

ゴール達成も同じです。現状の外のゴールは大事ですが、そのゴールがもし達成されてしまったら、、、リニアモーターカーは急停止します。

 

異常なゴールを抱いて、それをどうしても叶えないと思うからこそ、虎穴に入って虎子を得たのです。これからはもっと大きな虎穴に入っていきましょう。壮大なゴールを楽しんで(少しばかり狂って)設定していきましょう!!!

 

盛大な成功をおさめながら、「大変なのはゴールを達成することではなく、ゴールを設定すること」とドヤ顔で言いましょうw

 

そしてペットの子猫ちゃんに、「鏡の国(情報空間)のミルクはきっと飲めたものじゃないよ」、と言いましょう!!w

 

 

■3月のセミナー予定
ヴァーチャル受講募集中!! ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」

3月13日(火) まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」*ヴァーチャル受講はおそらくあります!

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」

*4月に追加開催を予定!!
パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは4月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

 

 

 


「現在私たちのロボットは上位20%以内にいて日本の6割以上の大学に合格できます」(新井紀子)

$
0
0

羽生さんや藤井6段よりも強いコンピューターが普通にいる現在も恐ろしいですが、低予算ながら叡智の結集でつくられたロボットがあっさりと日本の6割以上の大学に合格できる現在も十分に恐ろしいです。

(ちなみに、人間の大学進学率すらも50%を越すくらいです。過去最高であっても

 

シンギュラリティーはどう定義するかにもよりますが、我々が恐れていた(もしくは期待していた)未来というのは、もうすでにやってきたのではないかと僕は思います。

 

後ろからヒタヒタと追いついてきて、一瞬で追い抜いていったように思います。

 

 

人間のように意味を理解する知性はまだプログラムできないという言い方がありますが、人間は果たして「意味」を理解しているのでしょうか?

 

チューリング・テストに対する「中国語の部屋」を思い出します。

しかし、我々が自分の母国語に対して本質的には「中国語の部屋」なのではないでしょうか?(それほどI言語に対して過剰な期待を寄せる理由が分かりません)

 

この議論を突き詰めると、ロボットが認識できる程度の「意味」すら理解できない人間は知性を持たないのではないか、、、というめまいがするほどに懐かしく古めかしい議論に舞い戻るような気がします。

 

 現在 私たちのロボットは 上位20%以内にいて日本の6割以上の大学に 合格できます 東大は無理ですが でもホワイトカラーになる 人々の大部分より 上にいることに 注目してください(TED)

また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。マルコ5:9

*ロボットというかコンピューターは一瞬で複製が可能であり、そして大群で用いることが可能です。標準的なホワイトカラー以上の知性を持つ軍団が出現可能なのです(あ、すでに出現しているのか)。

*なぜ多くの人がまだ職業についているかと言えば、AIを雇うよりも安いからという資本主義の論理によります。決して人本主義とかではありませんw

 

 

*「私たちは物体検出技術をさらに近づきやすく 使いやすいものにしたいと思い モデルの最適化や ネットワーク・バイナリぜーション 近似を組み合わせることで スマートフォン上で 動かせるようにしました」

*TEDでのデモを見てもらうと分かるように、リアルタイムでスマホで動いています。これは恐るべきことです。サーバーとかスパコンとかハイスペックなPCとかではないのです。

 

 

*こちらは動画にYolo(You only look once)を使ったデモ。たしかに銃を携帯と間違えるところもありますが、我々はここまでは観れていない気がします。

 

 

 

数学的にはAIは不可能という結論がずいぶんと前に出ています。

それがR2-D2問題であり、計算量の複雑性です。

 

おそらくは数学者はビッグバン直後の宇宙を眺めて、ここから知性が生まれる可能性は0%と断定したでしょう。計算量の複雑性が宇宙の生命時間を明らかに凌駕するからです。

 

しかしそれは数学的なアプローチゆえです。

工学的なアプローチというものがあります。

 

チャイティンはこう語っています。

 

 

実際、理論的には問題が解けないということを理論家が証明できるというのはよくあることですが、ソフトウェアエンジニアは、普通はうまくいく、つまり適当な時間内に良い近似を与える巧妙なアルゴリズムを見つけ出すものなんです。私は、人間の知的能力というのはそれに近いものだろうと考えています。うまくまねができるようにわずかでも、少しずつ這い上がっていくのです。

(チャイティン「セクシーな数学」)

 

これは別名「進化」と言います。

進化は行き当たりばったりで、なんとか生き残るためのものです。

 

ああ、同じようなことを言っていた人がいました。

 

分業は素晴らしいデザインであり、市場も素晴らしいデザインだが、それは人間の叡智がそれをデザインしたのではなく、物と物とを交換するという人間の性質がゆっくりと達成させたものだ、と。

 

 

分業からはじつに多くの利益が得られるのだが、そもそもこの分業が始まったのは、それによって世の中全体が豊かになることを人間の叡智が見越してその実現を意図したからではない。それほど広範な恩恵に与れるなどとは誰も思っていなかった。分業は、人間の持つ、ある性向のせいで、きわめてゆっくりと、わずかずつではあるが、必然的に達成されたのだ。それは、物と物とを交換するという性向である。(アダム・スミス 「国富論」)

 

 

進化という視点は非常にエレガントに計算量の爆発を回避させてくれる秘密があります。

そもそも我々の脳だけが、このカーボンでできた不細工なコンピューターだけが、フレーム問題をクリアできると考えることが神をも恐れぬ傲慢さのような気がします(まあ、いらっしゃらない神様を恐れることはできませんが)。

 

我々の貧困は物理的なものではなく、情報的なものです。

想像力が貧困なのです。

 

シンギュラリティーがロマンなのかどうかはともかくとして、少なくとも自分の想像力は貧しいということを認めることからしか羽ばたけない気がします。

AIをめぐる議論について言えば、シンギュラリティーというものがどういうものかの定義次第ですが、いわゆる我々の世界を激変させるような意味でのシンギュラリティーはすでに起きていると思います。

 

自分の知性を超える存在はすでに静かに登場し、そしてこれから席巻しようとしています。

それは資本主義という「頭の先から爪の先まで、毛穴という毛穴から、血と脂をしたたらせながら生まれてくる」(マルクス『資本論』)存在と手と手を取り合って、ディストピアを実現していくでしょう。

 

 

 

そのときに僕らはきっと、、

 

「僕を見て! 僕を見て! 僕の中のモンスターがこんなに大きくなったよ。」

 

と叫ぶのかも(*^^*)

 

 

 

いや、冗談はさておき、そのような未来が来るのではなく、すでにそのような未来が来ているのです。

ただ僕らは砂の中に頭を突っ込んでいるから見えないのです。

 

その恐るべき現実を直視し、その上で、じゃあそのような未来において我々人類はどうするべきなのでしょうか?

 

 

「AI,人間もういらないってよ」ってことになるのか?

 

それとも「人間、もうIQいらないってよ」ってことになるのでしょうか?w

 

 

 

状況を俯瞰的に見て、情動を動かされずに、最適解を探せば、意外と楽しい未来が待っているような気がします。それは多くの人にとってディストピアであっても、少数の人にとってはユートピアなのではないかと思います。

 

 

まあ、いずれにせよお楽しみに!!!

 

ヴァーチャル受講も可能です!!!

 

【まといのば講座 新しい時代のスマートさとは? ~いまここにあるシンギュラリティー、人工知能が大成功する時代に求められるグローバル型のIQの形 ~チョムスキーの変形生成文法、Deep Learningの手法と脳、情報空間の最適解と物理空間の最適解、制約とランダム性とクリエティヴィティ~
【日時】 3月13日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;)) *本日開催!!
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 スクール修了生、もしくはそれに準じる方
【持ち物】 筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

(ヴァーチャル受講(ビデオ教材配信+希望者に遠隔伝授)も申込可能です)

 

 

 

【書籍紹介】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れたら、動かなくなる。そこには死後の世界も天国もない。

$
0
0

ホーキング博士の思い出と言えば、まだ車椅子に乗っておらず、しかしALSが発症して時間が経っており、窮屈そうに、でも満面の笑みで椅子に座る姿です。

いや、もちろん直接に会ったことはなく、子供の頃に雑誌のインタビュー記事で拝見しました。

 

 

小学生かその前だったか、科学者になりたいという僕の夢を知ってか知らずか、理系の父方の叔父が自分のコレクションであった雑誌ニュートンを全て譲ってくれました(まだ初代編集長の竹内均さんが全然お元気だったころです)。立派なフォルダに入った雑誌ニュートンがいくつもいくつも並んで壮観でした。

小学校に上がる前には宇宙物理学に魅せられていたので、読むものに困らず非常に助かった記憶があります。知に飢えているときは図書館までの道のりが遠いもので、手元にあるのは最高です。

 

その中にホーキング博士のインタビューがありました。当時であっても、発症してから十分な時間が経っており、いつ亡くなってもおかしくないと言われていました。

 

ホーキング博士を知り、すごい人がいるものだと思ったものの、一方で才能の限界をはっきりと感じた中学生のころに、物理学を志すのをやめた原因もまたホーキング博士でした。

彼が提唱する「ブラックホールは黒くない」や「ブラックホールは蒸発する」という議論は面白いと思ったものの、さすがに着いていけないと感じてしまいました。理解できないという意味ではなく(それもありますが)、パラレルワールドやベビーユニバースやインフレーション宇宙などがポンポン出てきて、物理学が安っぽいSFになってしまったような気がしたのです。

 

自分が愛した物理学はアインシュタインまでの古典的な物理学であったことを理解したのは、大学で科学哲学を学んだころでした。パラダイムシフトができなければ、歴史から振り落とされるものです。

 

*ブラックホールに飲み込まれる星

 

 

ホーキング博士は自伝の中で自身がガリレオ・ガリレイの死後きっかり300年後に生まれたことについて言及しています(そしてそれが何の意味ももたない、とも)。そしてまた同じようにアインシュタインが誕生した日に亡くなったのもただの偶然なのでしょう(寺子屋でも良く言うことですが、ガリレオ・ガリレイが亡くなった年にニュートンは生まれます。マルクスが死んでケインズが生まれるように)。

3月14日と言えば、ホワイトデー、、、というよりは円周率を思わせます。

 

 

 

 

ホーキング博士は脳はコンピューターのようなものだと言いました。

部品が壊れたら、動かなくなる、と。

 

だからこそ、壊れたコンピューターに死後の世界も天国もなく、それらは闇を恐れる人々のおとぎ話にすぎない、と。

 

 

I have lived with the prospect of an early death for the last 49 years. I'm not afraid of death, but I'm in no hurry to die. I have so much I want to do first ... I regard the brain as a computer which will stop working when its components fail. There is no heaven or afterlife for broken down computers; that is a fairy story for people afraid of the dark.

 

しかしコンピューターにとって重要なのは、そのシリコンでもカーボンでもなく、計算です(万能チューリングマシンであり、エミュレーターですね。移し替えることが可能ということです。我々の脳はまだエミュレートできませんが。出してきた数式を理解しようとすることはできます)。

 

アインシュタインではないですが、Equationsは永遠に不滅です。

 

 

Yes, we now have to divide up our time like that, between politics and our equations. But to me our equations are far more important, for politics are only a matter of present concern. A mathematical equation stands forever.(Einstein)

 

 

 

まあ興味深いことに、ホーキング博士は方程式(代数学)は数学において最も退屈な部分だと言っていますがw(むしろ数学の幾何学的な側面を観たいと)。まあこれは数学の中の話であり、本稿の話題にしているのは大きな意味でのequationsですが。

 

Equations are just the boring part of mathematics. I attempt to see things in terms of geometry.(Hawking)

 

いずれにせよ、その機能(function、計算)が重要であり、その機能はどこかのコンピューターで走らされる限りは永遠に不滅です。すなわち記憶があるかぎりその誰かの脳というコンピューターの記憶の中で生き続けます。

我々の脳の中でもホーキング博士は生き生きと生き続けるでしょう。

 

ただ、ホーキング博士から生み出されたであろう新しい計算はもう二度と見ることはできません。

 

それは非常に寂しいことです。

 

ヒーリングが簡単であることを実感すると、なぜ教養と体力を身に着けたくなるのでしょうか?

$
0
0

*来週は火曜日にリニューアル版寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」、木曜日に寺子屋新コンテンツの「はじめてのイスラーム」を開催します!!

*ちなみに「イスラーム」は4月3日(火)に追加開催を予定しています!

*「アインシュタインの一般相対性理論」は前回の特殊相対性理論の復習からスタートしますので、ご安心を!

 

オンラインメンターでもヒーラー養成スクールでも、最初に全部の気功技術をあえて渡してしまっています。

 

 

もちろん取り扱い注意な技術もたくさんありますし、気功技術に目がくらむ可能性もあるのですが、そこはそれぞれのセンスや良識を信じる感じです。

というのも、たとえば必要な技術を必要なときに手にしたいと思っても、セミナーを待っていてはよほどラッキーではないかぎり、その技術を手にできませんし、セミナーが開催されても予定があわなければアウトです。

 

気功技術というのはアイテムのようなものです。武器と言っても良いでしょう。

本来は、その人の成長に合わせて、順々に渡していくべきものです(オンラインメンターについてはその方式に変更しようか悩んでいます。最初に基礎的な技術を渡して、順次12ヶ月かけて全技術を渡す方が良いのかもしれないと、検討中です。それからオンラインメンターの受講料は早めに値上げも考えています。年間60万から最大で120万ほどに変えたいと思っています)。

 

*マトリックスの武器庫です。この極端な感じが情報空間っぽいですね。

 

ただ「まといのば」では、最初にすべての武器とアイテムを渡してしまいます。

(大概はそれまでに長い人で何年もブログを読んでいて、一通りの理解ができているからという理由もあります)

 

なぜかと言えば、何かをやりたいと思ったときに、すぐにその技術を使える方がきっと便利だと思うからです。何事もタイミングですので、そのタイミングで使えた方が、飛躍的に成長できるからです。3日とか一週間とか一ヶ月とか待つと、、、その熱が冷めてしまうことがあります。

 

だからこそ、すべてを手にしていた方がいいのです。

いわば、ドラえもんがいつも待機している方が良いのです。

 

いろいろな技術をすぐに出してくれます。

 

 

ただドラえもんに頼むときのポイントは、、、、、、ゴールです。

 

 

ご承知のとおり、ヒーリングにおいて重要なのは気功技術ではなく、ゴールです。

それはセルフヒーリングであれ、他者に対するヒーリングであれ、同じです。

 

ゴールについては、また4月にゴール設定に関するセミナーを開催します。

多くの人はゴールの内容に注目しすぎて失敗しがちです。

 

図と地のようなもので、ゴールの中身にこだわりすぎて、大事なもう半分が見えていません。

すなわち、自分の反応です。自我の変化、もしくは内部表現の変化が見えていないのです。

 

*壺か顔か

 

あるAというゴールを設定したときに、そのAを理性的に分析するよりも、そのAを自分の内部表現世界に臨場感高く投下したときに、どんな反応が自分の内部表現に広がるかが重要です。

 

Aが荒唐無稽なのか、それとも現状肯定的なのかとかということは、実は本質的ではないのです。どう自我が反応するかが全てです。

 

テンションが上がるか、焦燥感にかられるのか、絶望できるのか、居ても立ってもいられなくなるのか、そういうのが大事です。

 

*もう脳が爆発しそうな感じが重要です!

 

逆にAというゴールを投下したところで、同じ内面世界が広がるのであれば、別なゴールを投下した方が良いでしょう。

 

そして慣れもあります。かつてとても良かったゴールがすでに慣れてしまって、刺激にならないこともあります。だからこそ自分の身体反応が大事になってきます。

 

*トレーニングも悪い意味で慣れてはいけません。いつも新鮮で新しい刺激を投下しましょう!

 

 

ゴールがしっかりと設定されると、世界が一変します。

しかし、この「しっかりと設定」も厄介な言葉です。

自分の感覚として「しっかりと設定」ではなく、シンプルに結果が出たか否かで判断します。

自分としてはゴールもしっかり設定しているし、アファメーションもしている、ビジュアライゼーションもしている、、、、でも結果が、、、、というときは、結果に対して盲目になっているのか(フィードバックがうまくとれていないのか)、もしくは設定が失敗しています。

 

逆に自分としてはゴールが良く分からないし、全然うまく設定できていないのに、、、、ガンガン気功技術が召喚されて、どんどん現実が変わっていく人もいます。

これは自分の主観が誤っており、ゴール設定が意図せずに成功しているケースです。

 

 

ゴールを設定すると、勝手に技術が召喚され、どんどんチャンスが目の前に見えてきて、次々と現実が変わるようになると、、、、、「ああ、ヒーリングとかって簡単なのだな」と気付きます。

 

ヒーリングは簡単というか、シンプルなのです。

 

 

 

しかしやっていくうちに一方で自分に圧倒的に足りないものに気付きます。

 

それは知識であり、体力であり、テクニックです。

 

とは言え、それは致命的な問題ではありません。

簡単に言えば、知識は学べば済むことですし、体力は鍛えれば良いことです。テクニックは簡単に言えば反復して、フィードバックを丁寧に取ることで向上させられます。

 

 

内部表現というのは内なる宇宙であり(それは外の宇宙を包摂しますが)、そのサイズを決めるのは(誤解を恐れずに単純化すれば)知識の量です。

 

僕の先生は「バカにはヒーリングはできない」と言っていました。

 

何がバカで、何がそうでない状態なのかを判定するのは難しいですが、ただ確実なのは教養を身につけることです。教養を身につけるというとフワッとした物言いですが、きちんと大人の勉強をするといことかと思います。

 

「アインシュタインもニュートンもホーキング博士も知らなくてもヒーリングはできる」とうそぶくことは可能です。

 

実際にその通りです。クォンタムヒーリングみたいなものは大はやりです。量子の何たるかを明らかに誤解したままで看板を出して、いろいろと語っているのは微笑ましい限りです(科学の用語は科学の用語なので、厳密な定義があります)。

量子論が生まれて100年以上が過ぎたので、きっと「量子」は適度に人口に膾炙しているためでしょう。

さすがに相対論ヒーリングが無いのはアインシュタインが古典であることは知っているのかもしれません。

そのうちメンブレンヒーリングとかが出てくるのかもしれません。

 

 

でも、アインシュタインもニュートンもホーキングを知らずにやっているそのヒーリングだと限界が来ます。

 

そして、いわゆる科学や哲学や数学を知らないと大きすぎる壁に阻まれて、実力が発揮できないことに気付かされるのです(気付け無いまま生涯を終えるのもまた幸せなことなのかもしれませんが)。

 

 

ただヒーリングの世界は(他の人生と全く同じように)ある種のロールプレイングゲームです。

 

敵はどんどん大きくなります。課題は困難になるのです。

最初にもらったおもちゃのような武器だけで戦えるのは最初のうちだけです。

 

そのうちに自分の武器がすべて陳腐化していることに気付きます。

 

そして自分のレベルアップをしたいと思ったら、教養と体力と新しいレベルの高い技術を身に着けようと考えます。

 

ジャンク情報から自分を遠ざけ、歯ごたえのある確かな教養を身につけるのが王道です。

そして、チャンスを目の前にして、体力切れにならないような骨太の体力は欲しくなります。

もちろん新しいレベルの高い気功技術もです(高いレベルの気功技術は自分のレベルが上がらないと召喚することすらできません)。

 

 

ヒーリングはシンプルです。

 

そしてシンプルであり、ある意味で簡単であることを実感すると、何よりもベースとなる基礎を拡充したいと感じるものです。その基礎とは体力であり、教養です。

 

 

というわけで、来週は寺子屋週間です!!

 

お楽しみに!!!!

 

【リニューアル版寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」】
【日時】 3月20日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者(気功初心者でもOKです。情熱さえあれば道は開けます!)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

一年ぶりの新コンテンツ!!!

 

イスラームへの招待!

 

【寺子屋「イスラームへの招待」】
【日時】 3月22日(木) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者(気功初心者でもOKです。情熱さえあれば道は開けます!)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

恋に堕ちるのは重力のせいとは言えない、、、って、そもそも重力って時空の歪みなの?

$
0
0

相対性理論で有名なアインシュタイン博士に「相対性」って何ですか?と聞いたときの話です。

 

アインシュタイン博士はこう答えました。

 

 

可愛い子と一緒にいることを考えてごらん。

1時間だって1分くらいにしか感じないはずだろ。

 

でもね、熱いストーブの上に1分でも座ってみよう。1時間よりもはるかに長く感じるだろ。

 

これが「相対性」さ!

 

 

僕はこれをはじめて聞いたときは、冗談か都市伝説の類(たぐい)なのだと思っていました。

さすがに、相対性理論の相対性とは何の関係もなさすぎます。

 

しかし、、、Wikisourceにはしっかり引用がありましたw

 

When a man sits with a pretty girl for an hour, it seems like a minute. But let him sit on a hot stove for a minute and it's longer than any hour. That's relativity.

 

 

のちにアインシュタインが名うてのプレイボーイだったと聞いて、なんだか納得しました。

 

 

彼は本当に魅力的な人です。

 

たとえば隣の家の女の子に数学を教えていたそうです。家庭教師をしていたらしいのですが、その子があるときアインシュタインに聞きます。

 

「おじさんは何をしているの?」

 

アインシュタインは答えます。

 

「物理学を勉強しているよ」

 

それに対して女の子は

 

「あら、まだ物理をやっているの?私は去年終わったわ」と

 

 

これもきっとアインシュタインの手にかかって、素敵な逸話として広がっていったのかもしれません。

その子もそのお母さんも、親切な隣の住人がまさかあのアインシュタイン博士とは知らなかったそうです。

あるときテレビに出ているのを見て、あわてたそうですが、アインシュタインは「私は教える以上のことを学んでいる」と言って、家庭教師を続けたとか。

 

 

僕らは苦虫を噛み潰したように「神はサイコロを振らない」と繰り返す偏屈なおじいちゃんとしてアインシュタインを理解していますが(違うか)、実際は魅力的な人です。

 

 

双子のパラドックスという思考実験があります。

 

双子の弟が地球に残り、兄が宇宙船に乗って旅立ちます。

 

お互いにお互いの運動は相対的です。

自分が止まっていて、相手が動いていると主張します。

 

ですので、お互いに相手の時計が遅れているように観察できます(←これがパラドックスです)。

 

では、長い長い旅から帰ってきて、2人が再会したときに果たしてお互いはどんな姿なのでしょう?

 

 

 

僕らは相対性理論を特殊相対性理論だけで考えがちです。

 

しかし特殊相対性理論は素晴らしい理論ですが、相対性理論の前哨戦に過ぎず本丸は一般相対性理論です。

 

一般相対性理論は重力理論とも言われます。

 

このパラドックス自体も実はアインシュタインが言い出したものです(アインシュタインは時計のパラドックスと言いました)。

 

自分で出したパラドックスですが、自分で解いています。

このパラドックスの肝は自分が慣性系にいるか加速度系にいるかは体感で分かるということです。

 

ロケットで移動した兄は加速と減速を二度経験します。一度目は地球を離れるときと、最接近するとき、もう一度目は折り返すときです。そのときに猛烈なGがかかります。この加速するときに、時間が遅れます。

しかし地球に残った弟はずっと慣性系にいます(正確には慣性系に近似できるような加速度系にいます)。

 

ですのでこのパラドックスは崩れ、実際は兄が若いままなのです。

 

ちなみに地球も加速度系です。いや重力とは加速度なのです。

 

 

アインシュタインのお得意の思考実験で考えると、重力下にいるか、それともロケットで急上昇しているかは区別がつかないのです。

もちろん現実にはロケットで急上昇していたら、すぐに光速を超えてしまいます。

僕らのこの地球が実は平べったい宇宙船でずっと加速しているという可能性はありません。

しかし、本質的には加速度と重力は区別がつかないのです。

 

地上に置いてあるエレベーターの一室と、ロケットで急上昇しているエレベーターの一室では区別がつかないのです(厳密には頭の天辺と足裏では重力が異なります。ですから正確には異なります。ただ、そんな微妙な差異を検出できる能力はまだ人類にはないでしょうけど)。

 

しかしこのエレベーターを考えると、なぜ光が重力場で曲がるのかを直感的に理解できます。

なぜなら、重力場と加速度は同じだからです。同じだからこそ、まっすぐ進む光は曲がって観測されるのです。

 

そもそも光子は重さゼロと習います。重さが無いものが、重力によって引っ張られるのは不思議な話です。光も吸い込まれると呼ばれるブラックホール。でも巨大な重力ですべてのものを飲み込むのであって、重さがなければ吸い込まれないのでは??と思ったことはないでしょうか?

 

王様は裸だ!

 

に近い感覚です。

 

物理学において、王様は裸だと堂々と言えたのが、特許局の役人であったアインシュタインでした(特許局をやめるときに、上司からどこに転職するのかと聞かれて、「大学の先生になります」と答えたら、「冗談だよな」と呆れられたという話があります。もうすでに特殊相対性理論は発表され、評価されていた時期です)

 

話を戻すと、重力というのは重さの話ではなかったのです。

 

光に重さはありません。しかし、重力の影響を受けます。

重力とは加速度です。

 

 

アインシュタインは錬金術の末裔なのかと思うほどに、鮮やかに2つの異なるものを1つに統一していきます。

 

たとえば天と地をつないだのは(月とリンゴをつないだのは)ニュートンでした(万有引力の法則)。

 

同じように時間と空間をキスさせ(ミンコフスキー空間)、質量とエネルギーをキスさせました(E=mc^2)。

 

Falling in love is not at all the most stupid thing that people do ― but gravitation cannot be held responsible for it. ー Albert Einstein
(恋に落ちるのは愚かなこととは言えないが、重力にその責任を押し付けるわけにはいきません)

 

そればかりか重力と加速度をつなぎ合わせ、重力とは時空の歪みであること(そして光も物質もその最短距離=測地線を移動していることを)示しました。

 

リンゴがまっすぐに落ちているように、月も空間の歪みに対してまっすぐに(測地線に沿ってという意味で「まっすぐ」に)落ちています。光も(測地線に沿って)まっすぐに進んでいるので、我々には曲がって見えます。

 

 

 

重力というのは不思議な力です。

重力以外の力が働かない状態というのは、自由落下ですが、自由落下のときは重力を感じません(無重力状態と言うくらいです)。

 

ファインマンさんはこれに対して、重力とは見かけの力だと言いました。

 

重力が、、、見かけの力???

 

 

たとえば2次元空間を考え、それが閉じているとします。

球体に閉じています。

 

 

この空間ではある種の平行線はすべて一点で交わります(正確には二点で交わります)。その特異点が北極と南極です(緯度は明らかに平行な直線であり、その平行な直線の推薦の経度同士も平行な直線です)。

 

北極から鉄砲玉をそれぞれ90度の角度で打ち出すと、両者はどんどん離れていきます。どんどん離れていきますが、ある地点から不思議なことにどんどん近づいていきます。

ある地点とはご承知のとおり赤道です。

 

赤道を越すと、永遠に離れ離れになるかと思われていた2つの鉄砲玉は近づいていきます。

 

このとき、鉄砲玉同士は自分たちに数奇な運命を感じるでしょう。引き合わせようとする不思議な力を感じるでしょう。そしてそれを万有引力などと名付けてしまうでしょうw

 

しかし、そこには引力など存在せず、2つの鉄砲玉は単にまっすぐに走っているだけなのです(そして最後に衝突します。まさに引きつけあっているのです)。

 

これが重力の本質であり、この小さな逸話で分かるように引力など存在せず、重力とは見かけの力なのです。

 

 

 

物理学や数学や哲学を学ぶとは、新しい言語を学ぶようなものです。

新しい言語にはもれなく新しい能力がついてきます。

(という映画がありました。Arrivalですね)

 

 

 

我々はわずかであっても新しい言語を学ぶことで、全く新しい能力を手にすることができます。

世界の見方が変わるということは、新しい能力を手にするということです(見えれば操作可能なのです)。

 

フランシス・ベーコンはそれをScientia est potentia(スキエンティアエストポテンティア)と呼びました。knowledge is power(知は力)ですね。

 

 

楽しんでアインシュタインが見出した新しい言葉を覚えましょう!!

 

そしてニュートンやガリレオ・ガリレイたち偉大な人が見出した新しい言語を垣間見ましょう!!

 

 

 

【リニューアル版寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」】
【日時】 3月20日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者(気功初心者でもOKです。情熱さえあれば道は開けます!)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

 

そして、一年ぶりの新コンテンツ!!!

 

イスラームへの招待!

 

【寺子屋「イスラームへの招待」】
【日時】 3月22日(木) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))

 

追加開催決定!!4月3日(火)19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))


【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者(気功初心者でもOKです。情熱さえあれば道は開けます!)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

 

「世の中、バカが多くて疲れません?」、、、って、ハンマーしか持ってないと、全てが釘に見えるかも

$
0
0

ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束」の主人公チャーリー・ブラウンゴードンのように、急激に頭が良くなると、周りの人々に対して幻滅することがあります。

 

平たく言えば、周りがバカばっかりに見えて、イライラしてしまうのです。

そして「なんで突然、こんな風になってしまったんだろう」といぶかしく思います。

 

通常の生活ではなかなかIQが乱高下するということはありませんので、チャーリーの話は単なるお話しで終わりがちです。しかし、実際にある種の方法論によって、飛躍的にIQを上げると、世界が一変します。

 

周りがアホに見えてしまうのです。

 

これはなかなか衝撃的です。

 

 

*後ろに幼稚園児たちが歩いているのが、非常に示唆的ですねー。

 

 

最初は自分の感覚を疑うのですが、そのうちに周りを疑い始めます。

 

自分だけが、何か異世界に迷い込んだような不思議な感覚に襲われ始めます。

 

 

 

そのうち怒り出します。

 

「なんでバカばっかりなんだ!!」と。

 

最初に否認があり、怒りが続きます。

 

そして取引の段階が続きます。

神と取引をするのです。

「神よ、彼らにわずかでも知性を与えたまえ」とw

 

しかし残念ながら、その神との取引がまったく功を奏さないことを知ると、怒り出します(まあ、いないから仕方ないのですが)。そして取引の段階が続きます(以下、エンドレスリピート)。

 

その後、抑鬱状態に陥り、最後にバカを受容するようになります(これをキューブラー・ロス博士はバカの受容の5段階と、、、、、、言っていません。すみません。悪い冗談でした)。

 

 

 

まあ、でも似たような感じです。

 

 

衝撃を受け、否認し、逃げ出し、否認も逃げることもできないと怒りだします。

 

 

*僕らはYogaについても、バレエの視点であまりにバッサリと切りすぎていたかもと最近ちょっと反省しています(まあ「ちょっと」だけですけど)。

 

 

メンターの受講生や「まといのば」メンバーはこの状態に陥っている人が多いように感じます。

 

IQの向上により起こる副作用によって、周りに対する怒りが収まらないのです。

 

「なぜ、こんなことが分からないのでしょうか」

「どうして、職場の同僚は何度言ってもわからないのでしょう」

「彼らと話しても意味がない」

「悪意があるのではないかと思うほどに、頭が悪すぎる」

 

 

などなどのフィードバックをいただきます。

 

 

これは明らかにアルジャーノン効果です(そんな名称はありませんが、いま勝手につけました)。

 

自分のIQが上がっても、それを認められず、相対的に下がった周りを攻撃しだす症状です。

 

一様に口にするのは「突然、周りがアホになった(見えるようになった)」ということです。

 

処方箋はシンプルで、自分のIQが上がったことを自覚せよということにつきます。

 

 

 

 

ただ周りをアホ扱いするのはちょっと早計です。

 

 

古い格言を思い出します。

 

if all you have is a hammer, everything looks like a nail.

 

「ハンマーしか持っていないと、すべてが釘に見える」のです。

 

 

これは強く心に刻んでおかないと、我々は闇に落ちていきます。

 

ある視点においては、誰よりも自分は優秀かもしれませんが(そう思えるのは幸せなことですが)、ただそれはそのことについてのみです。

 

しかし、それ(そのジャンル)だけを見つめていると、それが分からない人は愚かに見えてしまうのです。

 

でも、自分が知っているのはほんのわずかであり、自分が興味を持ち、自分が好きなところについて詳しく知っているだけであるという視点が必要です。

 

 

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。(コリント書13章

 

 

 

もっと幼子のごとくあれば良いように思います。

 

 

余談ながら、ご承知のとおりホーキング博士は「宇宙がある法則によって支配されているという確信を持っている」と言います。そして「現在、私たちはこれを部分的にしか理解していませんが、そう遠くない将来に、完全に理解できるであろうと思っています」(『ホーキングの最新宇宙論』)と言います。部分的にしか理解していないが、そのときに完全に理解できるであろうというホーキング博士の確信の裏に聖書の一節を感じます。

 

わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。」(コリント書13章

 

ますます余談ながら、、、、チャイティンに言わせれば、宗教も科学も魔術も同じ確信を抱いている(「宇宙がある法則によって支配されている」)と言うでしょうし、ゲーデルの帰結から考えれば「完全に理解」などあり得ないでしょう。

 

ただ、「人間の知性に絶望するよりも、完全な理解を求めて努力するほうがずっとよいでしょう」というホーキング博士の意見には大賛成です。終わりがないからこそ、最期まで楽しめるのです。

 

 

 

まあ、それはさておき、我々はもっと幼子のごとくで良いのです。

 

 

たとえば、ある子どもが電車が大好きで、全国の列車と駅を次々と覚えたとします。

 

 

By 東京特許許可局 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

 

 

その子が大人に向かってこんな風に言うでしょうか?

 

 

「え?幸福って名前がつく駅のこと知らないの?

 

いや、いまはもう全国で一つしかないんだけど、、え?知らない??まじ?

 

いや、たしかにかつては北海道にもあったけど、いまは廃線になったんだよね。

 

唯一の駅は熊本にあるんだけどね、おかどめ幸福駅ってやつ、え?知らない?え?」

 

 

とか言わないでしょう。

 

 

ましてやそれを知らないことで、「こいつ、人間失格だなー」とか思わないでしょう(たぶん)。

 

「真剣に幸福について考えたことがあったら、幸福駅についても必ず思い至るはずだ」とかカントみたいなことを言わないでしょう(カントも言わないか)。

 

 

「こいつマジで話が通じないな」とか、「今まで生きてきて、鉄道の恩恵をたくさん受けているはずなのに、全然感謝が足りないな」とか子どもは思わないでしょう。

 

「すべての鉄道はローマに通じるって、分かってないのかな」とかも言わないでしょう(そもそも通じてないし)。

 

 

 

重要なのは我々の視野は猛烈に狭いという事実です。

 

そしてハンマーしか持っていないので、すべてが釘に見えるだけだということです。

 

 

水泳のターンをひたすら練習している人は、水泳のターンが下手な人をアホだと思うし、ダンスでアイソレーションをひたすらに練習していると、アイソレーションができない人を不思議に思いがちです。

 

 

でも、相手も同じように考えている可能性があります。

 

 

ルネッサンスの万能人みたいな幻想はどこにも無いのです。

 

我々は細切りの知識と細切りの技術をかき集めながら、ほそぼそと、しかし楽しく生きていくしかないのです。

(メンバーの皆さんはよく知っているように、僕は野菜や食べ物の名称が全く覚えられず、九九と漢字がかなり苦手です。一般常識の9割近くは欠損しています。本を読みながら数行で爆睡することはよく有ります。社会的にはなかなか生きづらさを抱えています)

 

 

聖書を引いて「人をさばくな。自分がさばかれないためである」(マタイ7:1)と考えてもいいのですが、それよりは自分の持っているハンマーは何だろうかと考えるのも良いかもしれません。

 

自分にとって有益な技術や情報や知性が、残念なことに一方で巨大なスコトーマを生じさせているのです。

 

自分の愚かさと限界が見えていれば、人には優しくなれますし、間違っても傲慢に陥ることはなくなります(いや、少なくなります)(まあ、「お前が言うな」なのですがw)

月もリンゴもホーキング博士も!「真空の中では、一本の綿毛も一片の黄金も相等しい速度で落下します」

$
0
0

*明日は一年ぶりの寺子屋新コンテンツです!!!

「はじめてのイスラーム」!!

お楽しみに!!

 

 

ジョブズならこう言ったかもしれません。

 

 

重力とは不思議な言葉だね。

 

力だと思っている人たちがいる。

 

しかしよく考えてみれば、そうではないことが分かる。

 

重力だけしかかかっていない状況を想定してみてほしい。

君たちはそれを無重力と呼んでいる。

 

 

NASA

 

 

自由落下している状態は物理学的には重力が働いている状態ですが、我々はそれをなぜか無重力状態と呼びます。

強い重力下で重力を感じない唯一の方法は、重力に従って落ちていくというパラドキシカルな状況があります。

 

 

余談ながら、こんな小咄を思い出します。

 

パリの哲学者か文学者か忘れましたが、エッフェル塔の建設に猛反対していた人がいました。パリの美観を損ねる、と。

 

しかしエッフェル塔が建設されてみると、彼はなぜか足繁くエッフェル塔に通い、そこのカフェでお茶をしています。

 

ある人が「なぜあれほど毛嫌いしていたエッフェル塔に通うのですか?」と聞いたら、彼は答えていわく「ここだけが、醜悪なエッフェル塔を見なくて済むからだ」と。

 

 

そんな小咄を思い出させるエピソードです。

(いや、思い出さないかな)

 

 

しかし、そもそもニュートンがF=maを出したときに想定していたのは、力とは不可思議なものでとらえどころのないものだから、a(加速度)に注目せよ、ということでした。

 

(ニュートン自身、仇敵のライプニッツから「重力という遠隔力を設定すること自体がオカルトだ」と批判されます。興味深いことにニュートンはこの遠隔力を否定するような手紙も残しています)

 

魂をもたない野卑な物質が、物質的でない他のものの媒介なしに作用するとか、相互接触なしに他の物質に影響するとかは考えられません。

 

 

まあ、それはともかく、F=maとは、加速度があるところに、力ありということです。

 

ファインマンはそれを「cherchez la femme(犯罪のかげに女あり)」と表現しました。

(femmeの頭文字がForceと同じくFであるのがまた洒落が効いています)

 

 

ニュートンの意図は、もし加速があれば、その力を生み出す物理的なものを探すべきであるということであった。(略)第二法則は「cherchez la femme」の精神で与えられたものである。(p.72 リチャード・ファインマン『ファインマン講義 重力の理論』)

 

 

ですので、自由落下自体は重力を感じないとしても、そこに加速がある限りは力があるということになります(ですので、月は浮いていないのです。猛烈な加速度で落下しています。人工衛星もホーキング博士も落下しています)。

 

しかし話はこれで終わりません。

 

 

ガリレオ・ガリレイはピサの斜塔で有名な実験をしました。(これ自体は逸話だとしても)。

 

重い球と軽い球の2つを同時に落下させて、同時に着地することを示したのです。

 

これはアリストテレスに対する公然とした批判です。

(そのためガリレオ・ガリレイは「プラトンは私の友、アリストテレスは私の友、しかし、最大の友は真理」であると自作の望遠鏡に、、、、書いてないですねwこれはニュートンの言葉)

 

重いものが速く落ち、軽いものはゆっくりと落ちるというのが当時の常識でした(いや、アリストテレスの主張でした)。

それに対して重いものも軽いものも一様に加速して落ちるはずだというのがガリレオ・ガリレイの主張でした。

 

それはピサの斜塔の実験によって示されたわけではありません。

(重いものが速くおちるわけではないという仮説の反例としては有効な実験かもしれませが)。

 

そうではなく、アインシュタインと同じく思考実験によって実際の実験より先に示したのです。

 

 

2kgの物体と1kgの物体があったときに、2kgの方が1kgの二倍速く落ちるというのがアリストテレスの主張でした。重い物は速く落ちると。

 

そこで江戸っ子のガリレオ・ガリレイさんがこう言います。

 


そんじゃなにけえ

 

重いものが速く落ちるってことは仮に良いとして、

 

じゃあ、1kgのおもりと1kgのおもりをこう紐かなんかででつなげたとしたら、どんな速度で落ちるってんだい?

 

1kgのときの速度、それとも2kgの速度かい?

 

 

と反論したのです。

 

10kgの重りがあったとしても、それを仔細にみれば1kgの集まりです。

1kgの重りが落ちるのと、1kgを10個落とすのと、1kgを10個まとめてくっつけて落とすのでは区別がつかないのです。

 

重い物が速く落ち、軽いものがゆっくり落ちるというのは直感的ですが、実際は空気抵抗によって減速されているのを誤解しているに過ぎません。

 

真空では等しい速度で(加速度で)落ちていきます。

 

この実験をニュートンは錬金術師らしい美しい描写で描いています。

彼の主著であるプリンキピア・マテマティカの一節です。

 

どう描いているかは、是非読んでみてください( ー`дー´)キリッ

 

というのは冗談で、こう書いています。

 

 

「真空の中では、一本の綿毛も一片の黄金も相等しい速度で落下します」

 

 

一般的注解の冒頭です。

(ニュートン『プリンキピア・マテマティカ』 p.560 世界の名著)。

 

一本の綿毛と一片の黄金というのが美しすぎます。

 

*黄金のリンゴも月も等しく落ちます。

 

 

自由落下するエレベーターの中での体験は無重力体験であり、無重力空間にいるのか、重力下で落下しているのかの区別はつきません(もし窓がなければw)。

 

同じく停止しているエレベーターと、無重力空間で激しく加速しているエレベーターロケットとの区別もつきません。

 

高層建築のエレベーターなどで、一気に高層階まで上がると身体がズンと重くなったりします。

床に押さえつけられるような感覚です。

「Gがかかる」などと言ったりします。

 

これは比喩的な意味ではなく、まっすぐに一般相対性理論的な意味なのです。

 

というわけで、昨日のリニューアル版寺子屋でも紹介した空軍パイロットのG-force Testです。

 

いや、すさまじい。

 

 

 

 

 

アインシュタインはこの等価原理を自分史上最高の発見と言っています。

 

人生で最高の瞬間です。

 

(それ以外の楽しみは、、、きっとゲーデルとの散歩だったのでしょう)

 

*アインシュタインとゲーデル

 

 

冒頭の話題に戻りますが、ファインマン博士がジョブズのような物言いをしたら、

 

重力とは不思議な言葉だね。

 

力だと思っている人たちがいる。

 

しかしよく考えてみれば、そうではないことが分かる。

 

重力だけしかかかっていない状況を想定してみてほしい。

君たちはそれを無重力と呼んでいる。

 

 

 

と言うでしょう。

 

そしてそれ(重力)は見かけの力なんだよ、と教えてくれます。

 

重力現象というのは不可思議な遠隔力ではなく、時空の幾何学なのだ、と。

 

2つの孤独な粒子が近寄ってくるとき、そのとき2人は引き合っているのではなく、彼らはそれぞれに時空の歪みにそって走っているだけなのです。

 

北極からボールを同時に投げたとします。それも90度の差をつけて(それも第一宇宙速度で)。

*第一宇宙速度なら、人工衛星のように周り続けます。

 

 

ひとつのボールは経度0度の上空をひたすらに飛び続け、もう一つのボールは経度90度の上空をひたすらに飛び続けます。

お互いにどんどん離れていきます。

方やグリニッジ天文台を通過し、アフリカをかすめていき、かたやロシアやモンゴル、中国の上空を飛んでいきます。

 

しかし赤道を超えるころに奇妙なことが起こります。

どんどん離れていっていたボール同士が近づいてくるのです。

徐々に近づきます。

しかし、両者に引力は生じていません。不思議な遠隔力も生じていません。

ただ、ひたすらにまっすぐに飛び続けた結果として、どんどん近づいていくのです。

 

そして、奇跡が起こります。

 

南極で2つのボールは不可避的に激突するのです。

 

 

これが引力です。

 

曲率のある空間では、まっすぐに進んでいっているにもかかわらず(測地線に沿っているにもかかわらず)、平行な直線は交わり、2つの物体は引き合います。

 

万有引力とは引力ではなく、幾何学だったということです。

 

 

そう言えば、ホーキング博士も数式は数学のうちで最も退屈な部分だと言いました。

 

それよりも物事を幾何学的に観たい、と!

 

Equations are just the boring part of mathematics. I attempt to see things in terms of geometry.(Hawking)

 

 


 

「ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください」〜僕がバレエを選んだんじゃない、、、

$
0
0

*お待たせしました!!!
2月に開催したヒーラー養成スクール「アルケミストのカラダ、ヒーラーの身体」の配信がいよいよ開始です!!

かなり面白くディープな世界が広がっていますので、お楽しみに!!

お申込みは可能です(受講料23万円、遠隔伝授及び1時間のパーソナルセッションがつきます)。

 

スティーブ・ジョブズの名言で、よく引用するもので、こんなものがあります。

 

*テクノロジーとリベラルアーツの交差するところというのは、まさにAI以後の世界の標語のようにも感じます。

 

 

デザインというのは妙な言葉だね。 

 

見た目のことだと思っている人もいる。 

 

でももちろん、もっと深く考えれば、 機能ということになる(スティーブ・ジョブズ)

 

 

 

これをもじって、ゴールについて考えると、

 

ゴールとは妙な言葉だね。

自分が選ぶと思っている人もいる。

でも、もちろんもっと深く考えれば、自分が選ぶのではなく、むしろ自分はゴールから選ばれるのだと分かる

 

ということになるかもしれません。

 

 

ゴールというのは、自分が選ぶものではなく、自分が選ばれるものだという視点は大切かと思います。

 

 

モーセは神さまの依頼を何度も断っています。

 

*モーセは神さまからの依頼を何度も断るどころか、神さまとタメ口は利くは、神さまをいましめたり、神さまをそそのかしたり、最後には神さまから頂いた大事な契約の石版を怒りに任せて割ったりします(これがそのときの様子↑)。

ちなみにアブラハムの神さまも、かわいそうなヨブをいじめた神さまも、モーセの神さまも、イエスの神さまも、ムハンマドの神さまも全員同じ神さまです。

 

 

アブラハムは神さまからの「子どもを授けよう」というありがたい申し出を、高齢の自分にそんなことは不可能だと鼻で笑っています。

 

同じくムハンマドも何度も神さまからの伝言を拒否しています。

 

 

大事なことなので、繰り返しますが、ゴールというのは、自分が選ぶものではなく、自分が選ばれるものだという視点は大切です。

 

神なり、運命なり、時代なりが、あなたをむんずとつかみ、否応なしにその道を走らせるのです。

 

熊川哲也さんは、「僕がバレエを選んだんじゃない。バレエが僕を選んだんだ」と言います。

名言ですおねがい

 

 

 

モーセは神さまから何度も何度も説得され(そのたびに固辞し続け)、そして最後の最後にもこう言います。

 

ああ、主よ、どうか、ほかの適当な人をおつかわしください

 

誰か他にも適任者はいるでしょう。自分では全く荷が重いのですと言い募ります。

そもそも自分は口が達者なほうではないので、リーダーには向いていません、と。

 

 

オンラインメンターなどでは、こちらから「こんなことをしてみたらどうですか」とかなり具体的に提案します。メンターの受講生としては、モーセのように「他にできる人がいるでしょう」と言いたくなると思います。

でも、その企画なり、アイデアというのは、その人のものであり、そのタイミングでのみ花開くものです(アイデアやチャンスには賞味期限があります。その瞬間につかまないと、後悔のみが永遠に残ります)。

 

もちろんだからと言って、「メンター」において、言われたからそれを絶対にやれということではありません。自分の直観と思考を信じてください。

あまり公開していませんが、チャンスをあえて先送りするというテクニックも存在します(講座などでは、将棋の大山15世名人の言葉を引いて紹介しています。一度目のチャンスにはあえて乗らないのです)。

 

 

我々はフランスを救ったオルレアンの乙女のようにはいかないのです(いや、ジャンヌ・ダルクもまたモーセのようなぐちゃぐちゃと悩み、断る時期があったのかもしれません)。

 

*火あぶりにされるジャンヌ・ダルク

 

 

ただポイントはシンプルです。

 

我々は食べ放題のバイキングで何を選んだらいいか悩むように、ゴール選びで悩みます。

 

「ゴールはたくさんあります!」と言われることもしばしばあります(優先順位をつけましょう。そしてその一つ以外は叶わないと考えましょう。その一つにすべてを注げば、パラドキシカルですが、自分が想定した以上の願いが叶います)

 

それは事実なのでしょうが、もっと良いゴールは、自分が選んだものではなく、自分が選ばれたものです。

 

GodならぬGoalがあなたの襟首をむんずとつかみ、そして否応なしに人生の荒波に放り込むものが本来のゴールです。

 

気づいたら、その道をひた走っていたと感じるものです。ひた走っていたというか、神や運命から走らされていたという感じです。いくら逃げようとしても、逃げられないものです。

 

なぜなら心と世界にぽっかりと大きな穴が開いているからです。その穴を埋めたいと感じてしまい、そしてその穴は埋めようにも、黒すぎるのです(ブラックホールという意味です)。

むしろ埋めれば埋めるほど、引力が強まります(事象の地平面も大きくなります)。

時間とエネルギーと献身を注ぎ、自分の人生のすべてを注いでも足りないほどです(ですので他人を巻き込みますw)。

 

*ブラックホールに飲み込まれる星

 

その穴を欠落(a want)と言います。

want toとは、「〜したい」ではなく、「足りない」という叫びなのです。

その意味でhave toとは、すでに持っている(have)ものなのです。

 

もしゴールに向かっている最中に「〜せねば」と思ったら、自分はそれをしたいと言い換えるのは有効です。ルー・タイスの方法ですね。

 

そして、ルー・タイスとジョブズが新結合(イノベーション)すると、、、

 

ゴールとは妙な言葉だね。

自分が選ぶと思っている人もいる。

でも、もちろんもっと深く考えれば、自分が選ぶのではなく、むしろ自分はゴールから選ばれるのだと分かる

 

となります。

 

たぶんw

 

 

最後に余談ながら、そして蛇足ながら、寺子屋「イスラーム」の予告です。

 

多言語学習において、英語を中心にするのが悪手であるように、宗教を学ぶ際にキリスト教を中心にするのは悪手のような気がしています。

 

逆にイスラームはあまりに純粋に、そして赤裸々に宗教というものを映し出してくれる鏡のように思います。

 

余談ながら鏡はグノーシスを貫くテーマです(そして空海の愛した華厳経のテーマでもあります)。水鏡はギリシャ神話のナルキッソスの物語であり、ダイアナとアクティオンの物語でもあります。時間と空間を超えて、華厳経のようにキラキラとお互いがお互いを写すのです。

 

 

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。(コリント人への手紙)

 

 

もちろん完全に知ることなどは到底できませんが、しかしかなりくっきり観ることができます。

 

これまで聖書学、神学、比較神話学、仏教、グノーシスなどを寺子屋で取り上げてきました。

 

それらを綺麗に写す鏡として、イスラーム、そしてムハンマドという魅力的な預言書が我々の前に立ち現れるように思います!

 

ぼんやりとおぼろげに見ているものを、重ね合わせながら、よりぼんやりするようで、何かが心の中にくっきりしていくのです。

 

まさに錬金術の精神ですねw

 

曖昧なることを説明するに一層曖昧なることを以って、未知なるものを説明するに一層未知なるものを以って(obscurum per obscurius, ignotum per gunotius)

 

 

というわけで、追加開催もお楽しみに!!(受講生から聞かれたのですが、今回ももちろんヴァーチャル受講も可能です。フォームに載せ忘れていました!)

 


【寺子屋「イスラームへの招待」】

【日時】 3月22日(木) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))

追加開催決定!!4月3日(火)19:00~21:00(21:30まで質疑応答!22時半までやっていることも多いです(・_・;))


【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者(気功初心者でもOKです。情熱さえあれば道は開けます!)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

 

■3月のセミナー予定
ヴァーチャル受講募集中!! ヒーラー養成スクール 「最終回スペシャル、学年末スペシャル!!」

*ヴァーチャル受講も募集中!! まといのば講座「新しい時代のスマートさ、求められるIQとは?」

3月20日(火)リニューアル寺子屋「アインシュタインの一般相対性理論」

3月22日(木)いよいよ寺子屋新コンテンツ!!「はじめてのイスラーム」

追加開催 4月3日(火)!!
パーソナルセッションも随時募集中です!(単発受講料5万4千円、5回25万円)

1年間でプロのヒーラーになる気功の通信講座であるオンラインメンターは4月生を募集中!!! お申込みはこちらから。

 

 

昨年の夏からまといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
友だち追加
*スマホでクリックしてください!
もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。

 


【募集開始】4月のセミナースケジュール、スクール年間予定!!ますます進化しましょう!!

$
0
0

今回は連絡のみで!!

 

まず4月のセミナー・スケジュールですが、以下の通りです!

4月3日(火)寺子屋新コンテンツ「はじめてのイスラーム」追加開催!(受講料3万円) お申込みはこちらから!!


4月17日(火)まといのば講座「はじめての手帳2018」(受講料3万円) お申込みはこちらから!!


4月19日(木)はじめての気功「IQ、チャクラ、クンダリーニ、大周天、遮那」(受講料3万円) お申込みはこちらから!!


4月24日(火)リニューアル寺子屋第15回「ゲーデルの不完全性定理 (対角線論法の風景)」(受講料3万円) お申込みはこちらから!!


4月予定のヒーラー養成スクールはちょっと変則的な日程ですが、GW中に開催します!(ですので、5月は2回スクールがあります!)


5月3日、4日(祝・木、祝、金)メディテーション(瞑想)スクール 〜美肌瞑想から遮那、ヴィパッサナー、ラージャに至るまで〜(受講料23万円)

お申込みはこちらから!!

です!

セミナーは19時開始、スクールは13時開始です。

*ヨガスクールもいよいよ再開です!!

スクールの年間予定は以下のとおりです!!

 

4月  ヒーラー養成スクール(瞑想スクール)(5月3日、4日 祝木金)

 

5月 内なる覚醒スクール

 

6月 リニューアル12セット+リニューアル1期

 

7月 ヨーガスクール(初級、中級、上級)+身体デザインスクール

 

8月 美肌プロ養成スクール

 

9月 (今年は開催しません)ヒーラー開業スクール

 

10月 MBA(まといのばバレエアカデミー)スクール(10月6日、7日予定)

 

11月 気功整体師養成スクール

 

12月 (今年は開催しません)シークレットスクール

 

1月 魔術・アルケミスト養成スクール

 

2月 風水・陰陽師養成スクール

 

3月 総決算スクール*

 

4月から翌年2月まではこれまで通り受講料23万円ですが、3月の総決算スクールのみは36万円です(まさにこれまでのスクールを全部やります!!)。

「全部学びたいーーー」という方は最終回(3月)を受講してください!

もちろん全講座を数年かけて学んでもOKです!

 

ちなみに開催月はそれぞれ思い入れのある月をチョイスしてあります。そのスクールに関わりのある月ですね!

 

 

当初のイメージでは、隔月で年間6回やろうと思っていましたが、、、、全部のコンテンツをきちんと網羅しようとしたら、そんな回数では全然足りませんでしたOrz

 

足りなすぎて、ところどころでは2つのスクールの合わせ技になっています。

基本的にはどのスクールも従来のスクールの数個分と思ってください!

 

これを毎年繰り返す予定ですので、「今年は難しいけど来年に!!」ということは可能です(多分!)(まあ、予定なので気が変わる可能性もありますが、一応この縛りでいきたいとは思っています)。

 

ですので、オンラインメンターやオンラインレコード、もしくははじめての気功を通年で受けていただいて、力をつけてからスクールに挑戦されるのが良いかと思います(スクールの受講資格はいずれかのセミナーを受講していることです)。

 

 

オンラインメンターも少し軌道修正の予定です!

かなりの成果を上げていますので、よりパワーアップすべく多少変更します!

当初はこの4月からのシステムリニューアルにあわせる予定でしたが、唐突すぎるので少し移行期間を設けます!(おそらく6月から変更します)

 

 

ということで、今回は連絡のみで失礼します!!!

 

 

*バレエスクールも10月開催です!!

瞑想と運動はとても良く似ている。きちんとやれば猛烈に結果は出るが、その方法はほとんど知られてない

$
0
0

瞑想と運動はとても良く似ていて、本気でやればどちらも強烈に効果を出しますが、適当にやってもそれなりの満足感があります(その満足感が地獄への道を舗装しています)。

 

ただ適当にやることによる機会損失は甚(はなは)だしく、適当な運動であれば筋肉を溶かし、瞑想であれば寝ているのと変わらない(いや寝れるならまだマシかも)ことになりかねません。

 

瞑想に関して、もっと言えば、被暗示性が高い変性意識状態になるので、変な書き込みをされかねませんし、自分で自分に対して恐怖を刻印してしまったりしたら目も当てられません。

 

 

そもそもニルヴァーナ(涅槃)体験というのは存在するというのは前提としましょう。

ジル・ボルト・テイラーの言い方をすれば、左脳が機能を止めたときに、ニルヴァーナ体験が起こります。

 

 

これは非常に面白い定義です。

たとえば死にゆくときに猛烈に幸福を体験することは、よく知られています(死んだ人から聞いたわけではなく、死にかけた人たちの経験からです)。

 

 

これは脳が壊れるときに、猛烈な量のホルモンが分泌されるからと言われます。ですので、「死が怖くない」というのは実は「快楽」ゆえということです(我々が恐れるのは死ではなく、喪失です。現状が永遠に変わってしまうことを恐れているのです)。

 

このとき時間と空間の感覚が失われたとジル・ボルト・テイラーは言います。カントによってアプリオリとされた時間と空間という思考形式が左脳と共に失われるのです。

 

これがいわばニルヴァーナ体験です。

 

 

空間がなくなるとは、自分と宇宙を分けるものが無くなるということです。平たく言えば宇宙と一体化を経験します。時間がなくなるとは、過去現在未来の区別が消え、今という瞬間が永遠となるということです。

これはそれぞれの概念が、梵我一如を思わせ、アインシュタインを思い出させ、ゲーテのファウストのラストシーンを思い出させてくれます(詳しくはまた)。

 

すなわち、ある人々にとっては、ニルヴァーナ体験は既知であったということです(「ある人々」ではなく、全員そうだと僕は思います。ただ忘れているだけで)。

 

 

スピリチュアルの文脈で言えば、Now Here(今、ここ)であり、NowとHereの間のスペースを取ることでNowhere(どこでもない)と言われるものです。まさに「今、ここ」という体験をするのですが、ポイントは今でも、ここでも無いということです。今もここも時間と空間を前提としています。それが全く存在しない「存在」の感覚が「いま、ここ」です。

 

そして、このニルヴァーナ体験は神秘体験であり、主観的な体験であり(のちほど主観的ではないと示しますが、本人の体感として主観的といことです)、共有が難しいゆえに、個人の中に閉じこもります(宇宙と一体化を経験することで個人の中に閉じこもるというものパラドキシカルです)。

 

ただこれは猛烈に平たく言えばドラッグ体験なのです。

いやいや正確にはホルモン体験です。ドラッグがホルモンのまがい物です。すなわちホルモンによるディープな中毒に陥るといことです。

Addiction(中毒)ですね。

 

だからこそゴールが必須なのです。

その体験そのものを至上のものとして、その感覚をゴールとしてしまうと、、、、、ただの中毒でしかないからです。

 

瞑想というのは平たく言えば、情報空間を猛烈に移動する技です(そしてそれには快楽のおまけまでつきます。なぜなら進化論的に考えて情報空間を移動できたほうが適応できるからです。ですので、情報空間を移動したらそれに報酬が与えられるのです)。

 

しかし、ゴールがなければ、同じところを猛烈にぐるぐる廻るだけで終わってしまいます。

 

 

ヒーラー養成スクール(瞑想スクール)では2つの大きなポイントがあります。

一つは現状の外のゴール、そしてもう一つは正しい瞑想の理論と正確な実践です。

 

現状の外のゴールは自分で設定するものですので、しっかりと見据えておいてください。

 

瞑想の正しい理論と正確な実践に成功すれば、これまでバラバラだった様々な知識や体験、自分の内なる神秘体験などがしっかりとつながっていきます。壮大なタペストリーが完成します!

 

是非お楽しみに!!!

 

 

【ヒーラー養成スクール(Meditation School)美肌瞑想から遮那、ヴィパッサナー、ラージャに至るまで
【日時】 5月3日(祝・木)13:00~18:00
     5月4日(祝・金)13:00~18:00

【場所】 まといのばセミナールーム(四ツ谷)
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具と動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

 

 

 

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」〜神の子であっても、神から見放されたと絶望することもある

$
0
0

「まといのば」は基本的にはセミナーとスクール、そしてパーソナルセッションの3つ構成されています(セミナーによってはバックナンバーでビデオ受講できます)。

 

スクールは土日開催のことが多く(もしくは祝日ですね)、セミナーはいまは火曜日と木曜日の19時から21時半です(とは言え、22時半まで伸びること多々あります)。

 

昨年の11月からスタートしたのが、気功の通信講座であるオンラインメンターです。これはセミナーとスクールとパーソナルセッションが融合したような非常に特殊な講座です。

かなりマンツーマンな指導ですので、面白いように結果が出ています。

 

一番驚いているのは、受講生ご本人だと思いますが、僕自身もこれまでたくさんのヒーラーを育ててきたものの、オンラインメンターの結果には驚かされています。

 

そこで見えてきた結論は、、、シンプルなことをシンプルに繰り返すのは最強だなということです。

 

大事なことなので、もう一度言いますが、、、シンプルなことをシンプルに繰り返すのは最強です爆  笑

 

 

すでにヒーラーとして活躍されている方はますます活動の幅を広げ、全くゼロベースで飛び込んできた方も、ガンガン活躍され始めた方もいます。

かなりすごい感じなので、、、普通に紹介しても、おそらくとうてい信じてもらえないレベルの方もいます。

 

オンラインメンターの質問のレベルも非常に多岐にわたり、面白いです!

最初の頃は質問をシェアしていたのですが、それが余計な刺激になってお互いを意識しだしてしまったので、最近は控えています(控えすぎですが)。

ただ、どこかでメンターに寄せられた質問集をブログでシェアするようにしたいと思っています。

かなり多くの人に参考になるかと思うからです。

 

オンラインメンターという企画のプリンシプルはシンプルです。

ゴールが全てであり、ゴールが運もチャンスも機会も人も気功技術も引き寄せるというものです。

メンターでは、「ゴールが(気功技術などを)召喚する」と言います。

ゴールが気功技術もチャンスも呼び出すのです。

 

 

とは言え、ゴールから見放されたように感じ、ゴールが何かバカげた書割(かきわり)のように感じてしまう闇の時間が来るものです。

 

スピリチュアリズムで言うところの「魂の闇夜」というのが訪れることはあります。

 

「訪れることがある」というよりは、シンプルに確率論的に考えれば、死と同じように、長期的には確実に訪れます(何回もサイコロを振れば確率論的にいつかは確実に「1の目」が出るようなもので)

 

 

そのときは我らが先輩であるイエス様の深い絶望を思い起こしましょう。

あれほど神に愛された方も、あれほど大成功をおさめた方も深い絶望と悲しみに落ちることがあるのです。天井なしのハイエフィカシーに見える御大(おんたい)におかれましてもです。

 

その絶望や悲しみとは、象徴的には、いわゆるゲッセマネの祈りであり、十字架にあっての「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、神よ、なぜ見捨てたもうたか)」(マタイ27:46)という絶叫です。

 

 

14:32 さて、一同はゲツセマネという所にきた。恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた(略)

14:34 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」(略)

14:35 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、

14:36 「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。

 

*天使に慰められているところですが、、、、

慰められてなお「イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」のです(ルカ)。

 

 

 

これほどまでに苦しむのであれば、ゴールなど抱かなければ良かった、ヒーラーなどならなければ良かったと思う瞬間(瞬間で終わらず、永遠に続くかのように感じます)があるものです。

 

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである」と思い、「もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈り」たくなる瞬間です。

 

僕はイエスが悲劇だと思うのは、あれほどまでに自信にあふれていた青年が、神から見放されたと感じ、そして文字通りに読むならば絶望の中で死んでいったことです。

 

神よ、なぜ見捨てたのか!」と絶叫して絶命するというのは明白な悲劇です。

 

とは言え、もちろん異なる考え方もあります。ご承知のとおり、イエスの口から出る言葉はほとんどが律法であるところの旧約聖書からの引用です。エリ・エリ・レマ・サバクタニも詩篇の一節の冒頭であり、この一節の意味は神から見放されていると感じ、絶望の中にいるが、しかし私は神の愛と恩寵を信じているというものです。ですからイエスも、単純に「なぜ見捨てたもうたのか」という意味ではなく、詩篇の本来の意味で使ったのかもしれません。とすると、意味は逆になってきます。

 

とは言え、いずれにせよ、それほどの深い絶望と悲しみの中にあったのは事実です。

 

 

あれほどまで神に愛され、神の愛を一心に受け止めたかに思えたひとり子ですら、苦しむのですから、我々も苦しみましょう。

 

いや苦しんだときは、イエス先輩のことを思って、踏ん張りましょう!!

 

アリストテレスは友、プラトンは友、でもイエスも友です( ー`дー´)キリッ

 

 

 

【参照引用】

いやーーーー、やはり、お酒は冷酒に限る物語は悲劇に限ると思います。

 

以前にも紹介しましたが、

 

胸をかきむしりたくなるような強烈な絶望と悲しみをいくつか、、

 

まずはエリ・エリ・レマ・サバクタニから、

 

22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

 

自分を助けてくれていたインスピレーションの源から情報が来ない、沈黙しか返ってこないということはあることです。特にその源からの情報によって(神の言葉によって)、これまで人生を加速させてきた人にとっては、この沈黙は裏切りにも感じるでしょう。

逆のこの感覚は、何か絶対的な外部から情報が来たことがあると確信した人以外には意味不明なものです(余談ながら、その回路をこじ開けるのが、瞑想スクールであり、「はじめての手帳」講座ですね、、多分)。

 

そして詩篇と言えば、こちら

 

詩篇137章
137:1 われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。
137:2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
137:3 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。
137:4 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。

 

平たく言えば、いじめですね。

故郷を追われた人々に対して、主をあがめる歌をうたえというのはいろいろな意味で鬼畜な所業です。

 

 

そして、ラストがゲッセマネの祈りです。

 

14:32 さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。

14:33 そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、

14:34 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。

14:35 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、

14:36 「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。

14:37 それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。

14:38 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。

14:39 また離れて行って同じ言葉で祈られた。

 

 

神からも裏切られて、弟子からも裏切られたとイエスは感じたでしょう。

 

 

*石版割っている場合じゃない気がしますけど

黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に

$
0
0

*明日は寺子屋の実に一年ぶりのコンテンツである「はじめてのイスラーム」の追加開催です!!

是非、お楽しみに!!

もちろん駆け込み受講も歓迎です!!

 

*そしてディープすぎて映像化が困難なのではないかと言われていた(どこで?)まといのば講座「新しい時代のスマートさ」とはも早くも動画配信が始まっています!!

お申し込みはまだ可能です!!

 

移り気なボスのもとで働く部下は大変です。

 

ボスに愛と忠誠を誓ったばかりに、そしてそれを忠実に実践したために、ボスの不興を買うというパラドキシカルな展開になることもあります。

 

町工場や中小企業の話ではありません。

 

神さまとルシファーの話です。

 

ある日、神さまがやってきて、「わしは今から地上に代理者を設置しようと思う」(コーラン1.28)と言います。

代理者とはアダムのこと、すなわち人間を創ることを宣言します。

 

ここで天使たちは一同が抗議します。

 

「いやいや、人間はまずいでしょ」って天使が大抗議するのです。

全員でデモしてしまったりします。

「人間の創造、ハンターイ」とか言って反対運動が巻き起こります。

神さまに対する反乱ですね。

 

でも主張は非常にシンプルですし、(人間の我々から見ても)その通りの主張なのです。

 

地上に悪をはたらき、流血の災いを巻き起こすような者を汝はわざわざ作り給うのか」(同上)と。

 

ここでの、ポイントは天使が一同抗議したということです。

 

 

ところが、このあと神さまは姑息な手段を用いて、天使たちを懐柔します。

 

姑息な手段とは、こんな手段です。

反対運動を無視して、アダムを泥からつくったあとに、そのアダムにあらかじめすべてのものの名前を教えます。そして、そのあとに、天使たちにいろいろなものの名前を聞くのです。

でも、天使は教えられていないので、名前を知りません。

 

イメージとしては、超難しい試験問題の回答をAくんにだけ教えておいて、それを一斉にテストして、天使くんたちは0点で、Aくんことアダムくんは100点にさせたというチーティングです。

そんな方法で納得させたということです。

 

その上で「跪いてアダームを拝せよ」(コーラン1:32)と言います。

するとすべての天使はその知識に恐れおののいて、跪拝(きはい)します、、、、いや、ただひとり天上で最も美しい天使を除いて。

 

 

それがルシファーであり、クルアーン(コーラン)においてはイブリースと呼ばれます。

 

 

わがままな神さまは「俺以外に頭を下げるな」と言います。

金の子牛を拝礼しただけで、皆殺しにしてしまう神さまです。

(なぜか首謀者だけは免除されますが)

 

 

ルシファーも神を愛し、神を尊敬していたからこそ、人間には頭を下げられなかったのです。

 

これはイエス様によってきっと是とされたでしょう。

 

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。(マタイ6:24

 

ですので、ルシファーのあり方が正しいと思うのですが、移り気で変わり気で、瞬間湯沸かし器な神さまにとっては、自分の言っていることの矛盾点よりも、自分の言うことを聞かない方がはるかに許せないことです。その怒りのままに、ルシファーを地獄の底へ突き落とします。

 

そして哀れなルシファーはサタンと名前を変えて、悪魔の王として、いまも地獄の底で引きこもっています。

 

最近だと引きこもりの家庭訪問には、ウェルギリウスの手引でダンテという人が行ったそうです。

 

*ちょっとこの写真ではわかりにくいかもしれませんが、手前の方にウェルギリウスとダンテが小さくいますね。

 

なぜそこに引きこもっているかと言えば、今でも神さまの声が反響するからだそうです。

 

「お前なんて、地獄へ落ちてしまえーー落ちてしまえーー落ちてしまえーー

 

という愛しい神さまの声が地獄の壁という壁に永遠に反響しているのでしょう。

 

 

呪いの言葉であると同時に、愛すべき神の自分にかけてくれた最後の言葉であるというのがまた泣かせます。

 

DV男とメンヘラ女のカップルが、、、、いやこれ以上は宇宙を敵に回しそうなのでやめます。

 

ただ、罵倒してブロックされたLINEを日に何度も眺めてしまうとか、最後の留守電の怒鳴り声を何度も聞いて涙してしまうような、哀しみがサタンにはありますね。

 

 

天使の中で最も神を愛し、そしてそれゆえに人間に跪拝するのを拒んだルシファーこそが、最も義とされるはずだと思います。そもそも神の子であるイエスの言うように「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。」からです。

 

 

2人の主人に兼ね仕えることはできないという点においては、イスラームは徹底しています。

 

イスラームとは「絶対服従」ということであり、何に服従するかと言えば神(アッラー:The God)にです。ということは地上も天上もすべての権威に服従しないということでもあります。

ですので数多の神々の偶像を破壊し、アッラーの偶像化も許しません。

(大天使ガブリエルという神の代理は良いのかという問題についてはとりあえず不問に)

 

 

 

で、本稿のポイントはこのよく知られた話の解説ではありません。

 

罵倒がリフレインしてしまうことについてです。

我々もまた神ならぬ他人の罵倒が脳内にいつまでもリフレインし、そして自分のネガティブセルフトークを構成しています。

 

 

トラウマとは何でできているかと言えば、言葉によってできています。

厳密にはネガティブセルフトークによってできています。

それは誰かの罵倒であったり、嘲笑であったり、皮肉であったり、「君には無理だよ」というドリームキラーの言葉が脳内でリフレインすることによってできています。

 

ルシファーことサタンはあえてリフレインさせて、哀しみの深みへ沈み込んでいますが(地獄の底まで)、我々も同じことをしてしまっているということです。

 

サタンのやっていることは、我々がやっていることの写像(写し絵)なのです。

 

 

で、もっと話を巻いていきます!

 

じゃあ、なぜそんなネガティブなのか?

トラウマを増幅させるような、エフィカシーをだだ下がりするようなことを我々は無意識にしてしまうのでしょうか?

 

この結論はシンプルです。

 

それが進化における適応だからです。

 

そのような「トラウマを増幅させるような、エフィカシーをだだ下がりするようなことを無意識にしてしまった」人間が生き残り、それ以外が自然に淘汰されたからです(全部が全部ではありません。そもそも恐怖心という回路が壊れているサイコパスな人もわずかにいます)。

 

なぜそんな自然淘汰かと言えば、その方が生き残れる可能性が上がるからです。

記憶とは失敗のコレクションです。失敗だけをコレクションしておけば、次に同じ失敗を繰り返さず済みます。

逆に成功だけをコレクションしていると、何度も火に触ってやけどし、針に身体を突き刺し、刃物を足に落としてしまうオッチョコチョイが出てくることになります(そしてすぐに死んでしまいます)。

 

ですので、我々が失敗ばかりを脳内コレクションしてしまい、それを増幅させてしまう機能があり(その方がケガや死を遠ざけられるので)、サタンのように呪われてしまうのはゆえあってのことです。

 

 

ですので、自分だけこんな暗い性格と思わないことです。

そうではなく、みんなルシファーなのです。ルシファーであり、サタンなのです。

 

でも理性の力を使って、逆向きにすることもできます。

失敗をコレクションする性質はNaturalなものなので変えることはできませんし、変える必要もありませんが、逆向きの性格を付与することはできます。

 

それが、それが呪いをエコーさせるのではなく、祝いをエコーさせます。

 

誰かに褒められたこと、評価されたこと、成功した喜びなどを脳内にエコーさせます。

気持ちよさや喜びをエコーさせるのです。

ポジティブなリフレインです。

 

コーランもそうですが、ポイントは声に出すことです。

声に出して読誦(どくしょう:どくじゅ)することが大事です。

 

ポジティブな成功体験の脳内エコーも同様です。

声に出すことが肝要です!!

 

 

*そのネガティブなセルフトークを一瞬でも止める方法、そして心の静寂を一瞬でも得る方法が瞑想であり、その実践の一つの形態がヨーガです。無限ループするネガティブセルフトークを強制終了する方法論はいくつもありますが、そのカラクリはシンプルです。

そしてそのカラクリが解脱とか涅槃とか、Nowhereとかnirvanaと呼ばれるものです。別に死ぬことが涅槃なのではありません。心の状態のことです。

 

 

【書籍紹介】

 

 

 

 

 

 

アブラハムはユダヤ教徒でもなかった、キリスト教徒でもなかった。 全きムスリムだった(クルアーン)

$
0
0

ユダヤ教のひとつのカルト集団として生まれたイエスとその弟子たちの教えが、なぜかユダヤ人でありローマ人である一介のテント職人に居抜きされてできたのがキリスト教です。

 

たしかにパウロは使徒と名乗りますが、それは自称でしかなく、イエスの教えを請うたこともなければ、会ったことさえありません。

 

いやいや砂漠の中ではたしかに会いました。

 

こんな話でした。

 

昔、昔あるところに、サウロというローマ市民がいました。イエスが磔刑で殺され(話によると復活し)たのちのことです。弟子たちが必死で活動するも結果は出すけれど、創始者を失い、右往左往している時期です。

 

このサウロはどんな人だったかと言えば、、、、端的に言えばサイコパスです。

 

サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。(使徒行伝8:3)

 

さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、

ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。(9:1-2)

 

主(イエス・キリスト)の弟子たちに対する脅迫、殺害に息をはずませながら、、、とはかなりのサイコパスです。

 

このサウロがキリスト教を惨殺して悦に浸っていたのは、しかしそこまでです。

 

砂漠の道を急いでいたら、天から光が射し、彼は倒れます(日射病ですねw)。

熱中症も併発して彼は幻想を観ます。

イエスがサウロに話しかけるという幻聴です。

 

彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(9:4−5)

 

「なぜわたしを迫害するのか」と下手に出るイエス様ですが、やっていることは鬼畜です。

まず目を潰し、三日三晩断食させ、転向せよと迫るのです。

 

そしてサウロが転向すると、目からウロコが落ちます。

 

するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。

 

豚に真珠も目からウロコも意外なようですが、聖書の言葉です。

 

 

サウロはパウロになります。

 

しかし、パウロはイエスと出会っていないのです。日射病と熱中症でうなされて幻影を観て、幻聴を聞いたかもしれませんが、、、、、

 

ただ彼は誰の承認も得ずに(イエスからのご指名は頂いたと確信していたので)、使徒を名乗ります。

 

ここに2000年続く偉大な宗教であるパウロ教もといキリスト教がスタートします。

イエス・キリストの教えを換骨奪胎して、整理して、わかりやすくして、ユダヤ教化して、大衆化したのがパウロです。

 

わかりやすさは大事です。わかりやすいがゆえに大衆に広がり、そして迫害していたローマの国教となり、ローマ飲み込みます(時代が下ると力関係は逆転します。神聖ローマ帝国のローマ皇帝の即位を認めるのはローマ教皇です)。

 

キリスト教にとってはこの世の春であり、世界制覇目前であったときに、ありがちですが内ゲバが起こります。

その四分五裂に乗じて、出てきたのがイスラームでした。

とは言え、当のムハンマドにはその気はなかったのですが。

 

アラブの砂漠の中から出てきた一人の孤児が不思議なことを語りだしたかと思うと、その新宗教があれよあれよという間に広がります。

 

シリアを取り、エジプトを取り、メソポタミアを取り、ペルシアを取り、インドを取り、北アフリカを取り、遂にはスペインまで見る見るうちに席巻してしまった(p.18『イスラーム生誕』)

 

それも百年たつかたたぬうちに、そしていずれもが大文明を誇る重要な地域です。

最後のスペインだけはさすがに取り返そうと怒りの十字軍でレコンキスタ(国土回復)します。でも取り返せたのはスペインだけです。

 

 

イスラームの影響は宗教だけではなく、思想や科学、そしてルネッサンスへの影響も大きいのはご承知のとおりです。数字は我々もアラビア数字を使っています。

 

なぜこの奇妙で圧倒的な宗教が忽然と生まれたのでしょう??

 

それに対するシンプルな回答が今回の寺子屋新コンテンツの「はじめてのイスラーム」でした。

 

イスラームは特殊な宗教と感じ、コーラン(クルアーン)に我々は馴染みがないかもしれません。

 

しかし、一枚神秘のベールを脱がすと、全く違う風景が見えてきます。

 

ムハンマドはイエスと似ており、モーセやアブラハムと似ているのです。

アッラーはヤハウェそのものですし、アッラーは新約の神であり、旧約の神なのです。

そしてその教義は実際はユダヤ教やキリスト教を純化したものであり、非常に馴染み深いものです。

偶像崇拝の禁止は金の子牛を持ち出すまでもなく、ユダヤ教においてもキリスト教においても禁止です(でしたというべきか)。

唯一神はモーセがエジプトから脱出したときから変わりません。

 

ムハンマド自身、イスラームは新しい宗教なのではなく、もっとも古い宗教だと言います。

 

アブラハムはユダヤ教徒でもなかった、キリスト教徒でもなかった。
彼は純正な信仰の人(ハニーフ)、全き帰依者(ムスリム)だった。偶像崇拝者のたぐいではなかった。(
『コーラン』第3章60)

 

 

アブラハムはムスリムと言い切るところに、イスラームの魅力があります。

そして、イスラームから兄弟子ならぬ兄弟宗教のユダヤ教とキリスト教を見ると、くっきりと見えてきます。そしてイスラームとその前のアラブの騎士道精神とも言えるジャーヒリーヤを観てみると、その共通点からブッダの思想が透けて見えます。

鏡に写すように、そっくりだからこそ、キリスト教はイスラームを憎悪します。我々もまた中途半端にキリスト教文化圏なので、その近親憎悪をひきずっています。でも虚心にイスラームを見ると、魅力的な宗教なのです。

 

 

Viewing all 3544 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>