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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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【募集開始!】身体の芯、心の奥底をときほぐす、聖なる骨の調整 〜仙骨、仙腸、腰仙〜

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昨日の「心の操作術」ではピエタとシルバーを用いて、呪術的に(もしくはケミカルに)心を理解し操作しました。
心は非常に操作されやすく、操作しやすいマシンです。
我々が考えている心のイメージと実際に分かってきた脳と心のイメージは大きく異なります。





たとえば人格ということを考えても、かつては統合された人格や、唯一の自我というイメージがありましたが、いまはそうは考えられていません。

独立した分割不可能な個人(Individual:分割不可能)からDividual(分割可能)へという大きな変化があります。

共同体 → 個人(Individual) → Dividual

という流れです。




もちろん伝統的共同体が雲散霧消することも、いわゆる個人や自己が消えるわけでもありません。ただ重みが変わるのです。

様々なSNSアカウントを使い分け、名前を使い分け、人種や性別や年齢や国籍すらもシチュエーションに応じて使い分ける分割された個人が今後の大きな潮流になるかと思います。


同様に心理においても、唯一の自我ではなく、いくつもの人格を破綻ないように束ねたものとしての「統合された」人格であって、それは本当に統合されているのではなく、統合をカモフラージュされているだけと普通に理解されるようになるかと思います。


人格を構成するのは記憶であり、記憶をいじれば人格を変えられるのはご承知のとおりです。

古くはトータル・リコールというSFがその主題を扱っていました。




記憶を埋め込めば新しい人格を手に入れることができ、記憶を失えばその人格を失うことになります。

最近の映画で言えば、Still alice(邦題:アリスのままで)が若年性アルツハイマー病を扱った名作です。自分でいられる時間が短いことを知り、苦悩する物語です。



記憶を失えば、母であることを忘れ、妻であることを忘れ、言語学者であったことを忘れます。それぞれの人格が失われるのです。

逆にある人格を失いたいと思えば、その記憶を忘却することです。
ある人格を得たいのであれば、その記憶を埋め込む(経験する)ことです。

記憶を転送する技術については、理論だけではなく実験でも検証が進んでいます(たとえば我が国初のノーベル医学生理学賞受賞の利根川進教授の研究など)。


そして、確認しておきたいのはカーネマンの経験の自己と記憶の自己です。TEDです。



たとえば、大学四年生たちが「思い出作り」と称して卒業旅行をしますが、まさに彼らが想像している以上にこの「思い出作り」という言葉は意義深いのです。
彼らは経験をしにいくのではなく、思い出を作りに行くのです。記憶の自己のための行為であり、経の自己のためのトリップではないのです。

このレクチャーの中でカーネマンは心理的時間は3秒と述べています。
極端な言い方をすれば、3秒ごとに人格が変わります(表情がころころ変わる赤ん坊を眺めているとそれが良くわかります)。



まあ、そんな話を昨日の講座ではしました。


経験の自己、記憶の自己、、、ここに欠けている視点があるとしたら、もしくは両者に共通しているのは、、、、それは肉体です。

経験しているときも、記憶を想起しているときベースは肉体です。

そして肉体の状態によって、経験も記憶も彩りが変わります。
美しい絶景を前にしても、お腹が痛ければ楽しめません。何かを思い出そうとする度に胃が痛ければ、楽しめません。

肉体は幸福の土台です。


*体力知力精神力、IQと気の力の土台は肉体。


心と身体がおなじもの(の別な表現形式)なのだとしたら、身体の芯を深くゆるめることで、心の奥底をゆるめることができます。

では身体の芯とはどこでしょう。


それは仙骨です。


By BodyParts3D is made by DBCLS - Polygondata is from BodyParts3D, CC BY-SA 2.1 jp, Link



仙骨を深くゆるめることで、圧倒的に快適な身体を実現します。


仙骨はかつてはHoly Boneとも言われ(今はSacrum)、聖なる骨とされます。漢字でも仙の骨と書きます。

ここは第一チャクラ、第二チャクラの座であり、体幹と下肢をつなぐ場所でもあります。

身体の要と書く「腰」の中心であり、クンダリーニを構成する脊椎の根本です。

この仙骨を深くゆるめることによって、圧倒的な体感と、身体の変化、そして心の変化を感じましょう。



「まといのば」ではかつてはこの「仙骨調整」だけでほとんどの施術を行っていましたし、身体系の施術では未だに最重要な技です。そんな技術を「はじめての気功」で初公開します!


セミナーで行うワークは、、、

仙骨の調整
仙腸関節の調整
腰仙関節の調整
腸骨の調整
下丹田
腸骨筋
大殿筋

の実習を行います!!

今回は盛りだくさんです。


まさにスクール並の内容ですが、、、、、それもそのはずです。

今回の内容は次回の「気功整体師養成スクール」のイントロダクションとして行います。

次回の気功整体師養成スクールのテーマはジョイント(関節)です。人体を関節で構成されていると考え、主要な関節を順番に徹底的にゆるめることで圧倒的に軽やかに強くなれる気功整体を目指します。
そのジョイント(関節)のうちで最重要なのがこの仙腸関節です。
こちらもそろそろ正式に告知はします。お楽しみに!

というわけで、不可思議な心の底の底を支える、そして身体の芯の芯であるSacrum(仙骨)を自在に操って、心を軽やかに変えていきましょう!

脚の操作性だけではなく、腰が軽くなり、上半身が自由になり、頭が軽くなります。
非常に面白いです!

ダンサーはもちろんのこと、ヨガをされる人にとってもかなり得る部分は多いのではないかと思います。壁を突破するためのヒントに満ち溢れているかと思います。


是非、お楽しみに!!

【はじめての気功 『身体の芯、心の奥底をときほぐす、聖なる骨の調整 〜仙骨、仙腸、腰仙〜』】
【日時】 7月18日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。



【映画とスピーチ紹介】
話題になっていたオクジャを見ました!
非常に面白い。
そしてオクジャと女の子がかわいいです。





そして、マーク・ザッカーバーグのスピーチ!

このスピーチでマーク・ザッカーバーグが好きになる人は多いと思います。本当に素晴らしい。



こちらは和訳付き!


僕が好きなシーンはこちら。

But let me tell you a secret: no one does when they begin. Ideas don't come out fully formed. They only become clear as you work on them. You just have to get started.(全文はこちら


人類を突き動かすような、衝撃を与えるような、大きなことなど自分にはできないよと尻込み人に対して、ザッカーバーグはこんなアドバイスをします。

秘訣を教えよう。
何かをはじめるときに、そのアイデアを完全なカタチで手にしている人なんていない。
成功者はまずはじめて、それをやり続けるなかでアイデアがだんだんクリアになってくるんだ
だから、始めよう!



スタートアップのメンバーがすべて離れていくというハードな時代についてもサラッと触れながら、全体を通して熱いメッセージです。きちんとジョークが笑えるのも面白いです!

明るく若く偉大なヒーローですね!


【スピンオフ始動】「まといのば」は入り口が分かりにくい、、迷宮だと思えば冒険を楽しめる?!

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「まといのば」は入り口が分かりにくいと良く言われます。





まあそう言ってくださるのは、入り口から入ってきた人のみなので、きっとたくさんの人が入り口にたどり着けずに終わっているのかもしれません。



すみません。





まあ、でも入り口に至るまでもまた迷宮だと考えれば、その冒険も楽しめるかもしれません、、とか勝手なことを言ってみます。



一応、お問い合わせフォームはあります。

またinfo@matoinoba.comなどにメールをいただければ、お問い合わせや質問は受け付けています。



また入り口となる講座は、、、「はじめての気功」講座です。
月に1回か2回開催しています。
(たまに半年とか開催しないこともこれまでにもよくありました)

オンラインレコードというセミナーも入り口となるヴァーチャル教材(動画教材の視聴により受講します)です。


ちなみに、かつては完全紹介制でした。
いまもそれは代わりませんが、いまは自己紹介でも可となりましたw
ですので、まといのばに知り合いがいなくても、ブログを読んでくださっているのであれば、申込み可です。



あ、それから「寺子屋」講座も入り口となります。

寺子屋というのは大人の教養セミナーみたいなものです。
ただ最近は非常に難解な内容になっている印象ですね。初回から挑戦するのはなかなか大変かもしれません。まあいまちょうどやっている寺子屋リニューアル版から徐々に慣れていくのがお薦めです。






寺子屋と言えば、今日から寺子屋スピンオフブログをスタートしました!

毎日更新の予定です。


このまといのばブログの中から寺子屋に関係するものだけのスピンオフブログです。
リニューアル記念として、寺子屋スピンオフブログ開始です!

http://ameblo.jp/matoinoba-terakoya/

かなり面白いと思います。


スピンオフブログには他にバレエブログ、美容ブログ、ヒーラーブログがあります。


バレリーナのためのまといのばブログ

美しくなるためのまといのばブログ

ヒーラーのためのまといのばブログ


どれも面白いかと思います。

内容的に古かったり、今と見解が違う部分も見受けられますが、そのままにしています。


ちなみにフェイスブックページもありますが、それはバレエブログのリンクが飛ぶだけのものです。


バレエ系のメルマガもありましたが、長期休刊中ですw
たくさんのメーリング・リストもありますが、寺子屋以外は開店休業状態です。


そんな感じの全くやる気のないぐでたまみたいな感じのSNS戦略です。






でも、新しい寺子屋スピンオフブログは多分面白いです( ー`дー´)キリッ



閑話休題


まあ一度でも、「まといのば」の中に入るとそんなに複雑怪奇ではないと思うのですが、、、


ちょっとまとめます。

入り口は「はじめての気功」講座 or 寺子屋、そしてオンラインレコードです。
イメージとしては、それらを1年か2年くらい受講していただいて、その先の興味があればスクールを受講します。またスクール修了生はより専門的な「まといのば」講座なども受講できるという感じの流れです。

もっともっと専門的にもっともっと特化して学びたいという場合はマンツーマンで学べるパーソナルセッションもあります(8月くらいに募集再開します)。


図示すると、


はじめての気功 or 寺子屋 or オンラインレコード → 各種スクール → まといのば講座 →パーソナルセッション


みたいな感じです。


シンプルです。









とすると、、、入り口をまとめるならば、、


・リアル受講

はじめての気功セミナー受講

寺子屋受講



・ヴァーチャル受講(動画教材の視聴による受講)

オンラインレコード

寺子屋バックナンバー

です。

(ただスクールを受講したい場合はどれでも良いので一度はリアル受講してください)


そんな感じです!




まあ、とは言え、迷宮から抜け出るアリアドネの糸はご自身のゴールです。

ゴールがあれば、なんでもできます!!

セミナーやパーソナルセッションを受講しなくても、公開されているテキストにほとんど全てのことが書かれていると思います。

宝の山を目の前にして、迷宮だと諦めるか、宝を持ち帰るかはゴール次第です。
リラックスして、楽しんでください!!


新しい寺子屋スピンオフブログも同様に楽しんでください!



【募集中!】何ヶ月ものあいだ闇の中で躓きながら、さまよったからこそ到達できるクライマックス

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まずは寺子屋へのご質問への回答から!
(あ、まといのばの寺子屋に特化した寺子屋受講生のための寺子屋スピンオフブログもお楽しみに!)


寺子屋「数論(旧「はじめての算数」)の予習をしていたところ、リーマン予想に関する板書のくだりがよくわからなかったとのことです。

式変形は分かるものの、『「ゼータ関数の自明でない零点の実数部のすべては 1/2 である」という定義が何を意図したものなのかよくわからなかった』というご質問と、

また、オイラー積って何ですか?
リーマン予想が素数とどんな関連があるのですか?


というご質問でした。





参考になるのは、たとえば、こちらの記事『【寺子屋】先日の「算数」講座の補講であるリーマンゼータ関数の音声教材も配信中 2013-07-13』などです。


ポイントはシンプルです。

まず「リーマンゼータ関数のすべての非自明な零点の実部は 1/2 である」というこの言明は定義ではなく、予想です。


すなわち正しいと思われるけれど、まだ証明されていない仮説という意味で予想です。



*リーマン、リーマンと言ってもサラリーマンではありません。名前です。偉大な数学者です。
僕はフェルマー、マクスウェル、リーマンの3人が真に偉大な天才だと思います。


ちなみにこの予想の意味についてはさらっと確認しましょう。

零点というのは、=0となるような解のことなので、方程式を解くときと同じです。
f(x)=0のときのxの解みたいなものです。これが零点

そして非自明な零点に対して、自明な零点というのは負の偶数のことです。負の偶数以外の解が奇妙なことに、A+Biという複素数のカタチでその実部のAが二分の一ということです。

リーマンゼータ関数って何ということを含めて詳しくは、こちらの記事『【寺子屋】先日の「算数」講座の補講であるリーマンゼータ関数の音声教材も配信中 2013-07-13』を参照してください。



で、この予想が何を意図しているかと言えば、、、、、、、難しい質問です。

逆にこの予想が証明できれば、素数の世界がもう少し分かるのではないかと期待しているという状態です。


そもそも素数に関しては、その出現の割合にせよ、出現頻度にせよすべてがランダムです。

分かっていることと言えば、古代ギリシャから変わらずです。

唯一、素数は無限にあるということだけです。
(あとは自然数が素数とその合成数だけで構成されていることは自明でしょう)

素数についてはとっかかりがほとんどないと言っても良い状態です。


その唯一のとっかかりがこのリーマン予想なのです。

数学者としては、このリーマン予想という割れ目から上の次元を目指せるのではないかと期待しているのです。


*ほんのわずかな裂け目から、上の次元へワープするきっかけをつかもうとします。


またオイラー積をなぜ出すの?という質問ですが、これは級数という和の状態をオイラー積という積の状態に書き換えることができるという驚くべき等式です。



これだとよくわからない場合は、上記のシンタックスに対して、セマンティクスを書いてみるとわかりやすくなるかもです。




観念的には和と積は同じものと我々は理解していますが、それを実際に現実に実現したのがこのオイラー積です。
積のカタチにすると便利なことがたくさんあります。
そのために積にします。

これもなぜこのようなことをするのか?というよりは、いろいろといじっていたら面白い性質が分かったという感じのものです。



リニューアル1期ヒーラー養成スクールでもやりましたが、基本的には情報空間の歩き方は「手探りとランダム」なのです。

真っ暗闇の中を手探りで歩き、そしてランダム性をひとつの指標として使って、ランダムウォークします。

素数について知りたいと思ったら、まずは素数をエラトステネスの篩(ふるい)にかけて探し出すところから始めます(いまだに巨大な素数をコンピューターを使って探し続けています)。

そしてその分布や出現頻度をあーでもないこーでもないと探し、何か素数の秘密を解こうとしているのです。


繰り返しますが、素数に関しては、古代ギリシャからほとんど進歩がないのです。


情報空間の歩き方、そして情報空間の冒険というのは、ランダムな手探りです。
闇雲にいろいろと試し、ここに何かありそうだという直観だけを頼りに、掘り続けるしかないのです。

余談ながら、情報空間をなにか観光地のようなものと誤解している人が多いのですが(そう誤解させている部分があるのかもと少し反省していますが)、観光地は人を楽しませるためだけの楽園です。それは安全なフェイクです。いわばラスベガスのようなもので。そこで世界一周旅行の気分だけを味わうのも悪くはないのですが、気功やヒーリングやコーチングで仕事をするということは、安全地帯を飛び出して、全く手がかりのないジャングルを手探りでサバイバルすることです。他の仕事と同様にいつも命懸けなのです。



CC 表示-継承 1.0, Link
*ラスベガスには何でもあります!ピラミッドも自由の女神もエッフェル塔も!



フェルマーの最終定理(正確には予想というべきですが)を解いたアンドリュー・ワイルズはこう語ります。

(引用開始)最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な闇です。
それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の配置がわかってきます。
そうして半年ほど経ったころ電灯のスイッチが見つかるのです。
電灯をつけると、突然に部屋のようすがわかる。
自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりとわかるのです。
そうなったら次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。
突破口は一瞬にして開けることもあれば、一日、二日かかることもありますが、いずれにせよ、
それは何カ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよったからこそ到達できるクライマックスなのです。
(引用終了)(サイモン・シン『フェルマーの最終定理』)
*詳しくはこちらの記事『どうやったらIQは上がりますか?「誰もが天才だ。 しかし、魚は...」2013-07-31)を参照!


ちなみにこの家具や電灯のスイッチが最初からあると考えるのが、数学で言えば実無限の立場であり、家具や電灯を我々が見出した瞬間にこの宇宙に産み出したのだと考える量子論の観測問題のような立場がアリストテレスがそうであった可能無限の立場です。

円周率はすでに無限にあるのか、それともいま計算したところまでが発掘されたのか(そしてそれ以降は誰が計算しても一意的にそれになる)という2つの立場があります。


我々は実無限の立場が思考のショートカットとして便利に使いつつ(それをプラトン主義と名付けつつ)、可能無限の立場に立とうとしています(直感的ではないのですが)。

実無限という立場はかつてであれば可能な立場ですが、今の我々は情報が物理とつながっていることを知っているので、無限の情報=無限の物理量という状態を信じられないからです。


まあ、そんなわけで、質問への回答などなどでした。



*ラファエロのアテナイの学堂のプラトンとアリストテレスです!



というわけで、基礎から発展までジェットコースターのように楽しめるリニューアル版寺子屋「数論(旧「はじめての算数」)をお楽しみに!!!

かなり面白いです!



【リニューアル寺子屋第7弾『数論 〜整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである(クロネッカー)〜』】
【日時】 7月25日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円(銀行振込、もしくはPayPal決済)
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と熱い情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。


*数を丁寧に数えましょう!



【映画・小説・漫画紹介】
ちなみに、昨日紹介した「悪」ということについての参照資料です。




悪の教典〈上〉 (文春文庫)/文藝春秋

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悪の教典 上・下巻セット 全2巻 (文春文庫)/文藝春秋社

¥価格不明
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悪の教典(1) (アフタヌーンコミックス)/講談社

¥価格不明
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アントキノイノチ (幻冬舎文庫)/幻冬舎

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フェルマーの最終定理 (新潮文庫)/新潮社

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友人から薦められた「リベンジ」でも見ようかと思います!


スピンオフ?「私を殺さないものが私を強くする」〜世界最高のコーチから学んだ事〜タレブの反脆さって

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スピンオフって何ですか?というご質問をいただきました。

「スピンオフって、派生ってことです」と答えたら、もっと分からないと言われたので、、(・_・;)

他の説明として、、「たとえばある海外ドラマがあって、その登場人物やエピソードなどで、また別のドラマがつくられるとそれをスピンオフドラマなどと言います」とか説明しようかと思いましたが、、、もっと分かりにくい、、、踊る大捜査線の『交渉人 真下正義』みたいな感じですね〜

ブレイキング・バッドのスピンオフ作品はベターコールソウルです。


*Breaking Badの登場人物でも、ラグビーコーチでもありません。そんな風貌ですけど、、、ブラック・スワンで有名なナシーム・ニコラス・タレブです。


いや、でもそうですよね。僕らは自分が関心のある領域以外については全然分かりません。

子供からカードゲームのキャラクターについて説明されても、哲学の授業よりちんぷんかんぷんです。

期せずして、錬金術師のように「曖昧なることを説明するに一層曖昧なることを以って、未知なるものを説明するに一層未知なるものを以って」行ってしまいました(・_・;)

ちがうか


Obscurum per obscurius, ignotum per gunotius
(曖昧なることを説明するに一層曖昧なることを以って、未知なるものを説明するに一層未知なるものを以って)



で、寺子屋スピンオフブログというのは、「まといのば」の記事の中から寺子屋関連の記事だけを選んで、順番に公開している新しいブログです。


かなり面白いです。

「まといのば」のブログを読んでいる方で、『「まといのば」は悪くないんだけど、あのオカルト趣味がなければねーーー』と思っている方は多数いると思います(いま、ギクッとしました?w)

「学問とかでは良いこと書いているんだから、陰陽師とか風水とか錬金術とか言わなきゃいいのにってw」
まあ、オカルトやスピリチュアルを書くなというその気持ちは分かります(『まといのば』はオカルトやスピ批判の立場ですが、、、)。

というわけで、話を戻して、スピンオフ企画です。寺子屋関連の記事だけのブログをスタートしました。今年から寺子屋をリニューアルして第1回からリニューアル開催していますので、良いタイミングなのだと思います。
当時のままで十分に役立つし面白いと思うので、そのまま載せています。

で、読み直しながら、予約投稿していたら、、、ふと気付いたら検索に引っかからない記事がたくさんあることに気づきました。


そう、それがアメンバー記事です。アメンバー記事というのは、、なんというか、秘密記事です。アメンバー登録しないと読めない記事です。アメンバーになるためにはアメブロにも登録しないといけません。手間です。
当時、ちょっとしたトラブルがあったためもあり、結構多くの記事がアメンバー記事でした。


これまでも、気付いたらアメンバー記事は解除するようにしていたのですが、結構ごっそりと残っていました(最近は何年もアメンバー記事を書いていないのに、なんでいまでもアメンバー申請が来るんだろうって訝しんておりましたが、ようやく理由が分かりました)。

で、先日、アメンバー記事を次々と解除したのですが、、、その度に更新情報が飛ぶらしく、何人から「たくさん記事書いている??」という連絡が来ました。

そんなわけで、アメンバー記事は引き続き解除しますが、一応驚かせないように節度を保って、少しずつ解除します(「いや一気に読みたい」という方はアメンバー申請してください)。


寺子屋ブログでは、1日1記事で1年くらいでたぶんほぼ全ての記事を投稿できるので、毎日一記事ずつ読み進めると相当な教養になるかと思いますので、よろしければ読者登録してくださいm(_ _)m


もちろん興味を持ったものから順にバックナンバー受講していただくのも良いと思います!!
いや、というか、是非リニューアル版寺子屋にお越しください( ー`дー´)キリッ


寺子屋スピンオフブログ


ということで、また本題に入らないまま終わりそうですが、、、、、


本題について、ざっくりと話すと、タレブの最新刊のテーマは、


私を殺さないものが私をいっそう強くする
Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.



ということで良いのではないかと思います。

タレブ??

という方もいますよね、、、、ナシーム・ニコラス・タレブです。




あのブラック・スワンの著者です。

ボディガードのような肉体(本人曰く)の人です。
デッドリフト150kgだそうです。

ブラック・スワンは寺子屋でも取り上げました〜




Antifragileなるなんというかダメな感じのキーワードで語ろうとしているのは(ちなみに邦訳はもっとダメな感じで「反脆さ」、、、、もうこれ自体が脆(もろ)い)、ニーチェの精神かと思います(と思ったら、本人もこの言葉を引いています。しかし批判的に。その批判の内実は個とシステムは異なるということですが、、、まあ、そんなのニーチェも分かっていたと思うぞとか思います)。



ブラック・スワンというキーワードは最高でした。





でも、この本は必読かとは思います。

酔っ払っているかのような文体で、こちらも酔いが回りそうですが、読書体験なんてそんなもんです。

ブラック・スワンで不明な点や、説明不足なところを補ってあまりあります。素晴らしいです。



ちなみに、この「私を殺さないものが私をいっそう強くする」は僕は好きな言葉です。


タレブも指摘しますが(誰でも分かっていると思いますが)、これは実際にそのときに殺される可能性があったということです。
学ぶというのは死を賭して行うものですし、生きるというのは死を賭して行うものです。


最近、武蔵を描いたバガボンド(放浪者)を再読しながら、剣の道を生きることが時代遅れになったときに、武蔵と闘い殺された人々は幸いだなと思いました。

闘いで死ぬというのは、自分が望んだ生きた道を全うするという生き方の一つの極みですし、剣を交わしたどちらかが「私を殺さないものが私をいっそう強くする」となるのです。それがこちら側かあちら側かは神のみぞ知るです。




ヒーラーという職業も基本は命懸けですね。



もうひとつのテーマである「世界最高のコーチに学んだこと」については機会をあらためます。
ちなみにコーチと言ってもゴール設定のコーチングのコーチではなく、プロスポーツのコーチです。

そのコーチの言葉がいちいち面白かったのですが、その一つが「疲労で死んだやつはいない」でした。(「いや過労死ってあるでしょう」ってツッコミはできませんでした)

「エネルギーが足りない」とか「早く動け」とか「走れ」と怒鳴らないで、そうやらざるを得ない状況に追い込む、と(なぜ怒鳴らないのか、なぜ怒らないのかと言えば、それが機能しないからだそうです。それらは行動を変えないから、と)。

試合よりも過酷な練習をすべきというのは良く分かりますし、誰よりも自分は地獄を見たという確信が必要なのもよく分かります。ただ、現代ではそれはなかなか難しいのも事実です。
まあ、難しくても、やるべきでしょうけどw



「まといのば」で良く引く喩えで言えば、セロ弾きのゴーシュのかっこうのセリフですね。


途中で飽きてしまってセロの演奏を止めるゴーシュに向かって、かっこうはこういいます。

ぼくらならどんな意気地のないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。


この世界最高のコーチの言いたいこともまとめるならば(まとめる意味があるとは思いませんが、その個別具体的な部分に神が宿るので)、


私を殺さないものが私をいっそう強くする

Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.




でしょう。


数多の屍(しかばね)を超えていきましょう。
我々もまた遅かれ早かれ屍(しかばね)になるのですから。



【書籍紹介】
森野くんがブログで紹介していたのを見て、邦訳を知りました。

反脆弱性[上]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方/ダイヤモンド社

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反脆弱性[下]――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方/ダイヤモンド社

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ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質/ダイヤモンド社

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ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質/ダイヤモンド社

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強さと脆さ/ダイヤモンド社

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セロ弾きのゴーシュ (角川文庫)/角川書店

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ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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バガボンド コミック 1-37巻セット (モ-ニングKC)/講談社

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とは言え休むのも当然大事です。
武蔵も休みます。軍人も休みます。世界最高のコーチも休みます。
積極的休養は戦う以上に大切なことです。
ベストパフォーマンスのためにはしっかりした休息が必須です。


 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す 





とは言え、、、、筋肉を休ませるため(冷やすため)、アイスバスなる氷水の風呂に入るのが積極的休養の例です。


固いアイスの上手な食べ方と龍脈の操作法、ランダムネスを手懐(なず)ける。論破されるソクラテス

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レディーボーデンが日本で発売されたのは1971年だそうです。
ずいぶんとロングセラーです。

ロッテ レディーボーデン パイントバニラ 470ml×8袋/ロッテ

¥5,184
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レディーボーデンのようなアイス、それも少し子供には固めのアイスを想像してください。

このアイスが大好きで、それをスプーンで食べようとします。

でも十分に冷えていて、固いのです。

アイス全般がSugarというか、単純糖質にしか見えないというバイアスに犯される前の純真な子供の視点ですw




冷凍庫から出してすぐに食べようと思っても、すぐには食べれません。
固いからです。
固くて子供には歯が立たない。
歯というかスプーンが立ちません。

ちょっと待って少し溶けるのを待ちます。偉大なるエントロピーのおかげで、縁から解けていくので(そこがまさにエッジなので)、縁からスプーンを立てます。

本来ならばきちんとお皿に移して食べるのでしょうが、カップのまま食べます。無作法にも元桶(もとおけ)から食べます。

アイスには凍って固い部分と少し溶けてきて柔らかくなった部分があります。その柔らかい部分を探して、柔らかいところを取って、固い部分にぶつかったらまた、別な柔らかい部分を探します。その繰り返しで、夢中になって、気付いたら底が見えてきたりします。


くまのプーさんがイーヨーにあげるつもりだった蜂蜜を気付いたら、全部味見してしまうときも同じです。プーさんはちょっと味見をするつもりが全部平らげてしまいます。


ポイントは柔らかいところを少しずつ食べるということです。

固いところは後回しにするのです。
後回しって大事です。

そのうちに溶けてくるので、まずすでに溶けている柔らかいところを美味しくいただきます。





これが龍脈の操作法です。
急がば回れであり、ランダムウォークであり、龍脈はくねくねしていないと死ぬ理由です。
よく分からなくても、分かるところから手をつければいいのです。


マーク・ザッカーバーグがハーバード大の卒業スピーチで「ユーレカなんて嘘だから」と言っていました。
本当にそう思います(全体像が見えないという意味においてです)。
映画や小説はその意味で嘘なのです。
(映画Arrivalは数少ない例外ですw)




いわゆる映画や小説のようなTypicalな「ユーレカ」を深く信じていると、誰かから何か有益なアドバイスをもらっても、脊髄反射で「これがうまくいく保証ってありますか?」みたいな発言になるのです。


うまくいくかどうか分からないけど始めるのです。
でも直観はあるのです。ぼんやりした感覚はあるのです。
「あ、それ面白そう!」でも、「それいけそう!」でもいいのです。

ポランニーの言う隠れた実在の予感はあるのです。
でも方法論も証明も事前には何もないのです(だからニュートンは定理の発見のあとに証明をしたのです)。


プロメテウスという「先走り」君のあまり知られていない弟はエピメテウスと言います。直訳すれば「後知恵」君です(その意味では、お兄ちゃんは「先見の明」君です)。後知恵バイアスに脳を侵されすぎると、未来のことも後知恵バイアスに従って考えようとします(無理なのに)。そのような者はブラック・スワンに美味しく食べられる七面鳥となります。



*まあプロメテウスの末路もソクラテスと同じく悲惨です。いやソクラテスよりも悲惨かもしれません。
*火を人に与えた罪で永遠にレバーを食べられ続けます(再生し、また食べられます)。



アイスクリームを全部平らげろと言われても、その方法は見当もつかないようなものです。
「食べたい」と思っても、大量すぎて硬すぎて、にわかには全部を平らげられる気はしません。


でも美味しそうと思い、歯が立つ(スプーンが刺さる)ところから、一口ずつ楽しんでいるうちに、気付いたら平らげてしまうし、飽きたら冷凍庫に戻して、また次の機会を楽しみに待ちます。


これが龍脈の操作法であり、Arrival講座でも中心的な話題となるものです。

「未来が見えていたらどんなに楽だろう」と映画「Arrival」を見たときに思います。
でも、それは注意深さが足りません。

未来は向こうからArrival(やってくる)のです。それもランダムに、無意味に。




ちなみに数学の歴史も同じです。
偉大なるソビエトの五カ年計画によって進むのではなく、ランダムウォークなのです。

そもそも科学に「それが何の役に立つのですか?」は禁句です。

いや、数学者としては「何の役にも立たない」ことが誇りだったりします(しかしその誇りは無残に破られます。数学はどんなに抽象的でどんなに役に立たなそうであっても、少し時間が経つと全部美味しく食べれるのです)。
もしくは「生まれたての赤ん坊がなんの役に立つのですか?」と質問に質問で答えるのもアリです。


ソクラテスが殺された訳をタレブが説明していました。
痛快です。

ネタバレを避けたいので、是非読んでみてください。
(僕も同じように思います。よくセミナーでは口の悪いおじいちゃんだと言います。故人を冒涜するようですが、、、死刑判決もやむを得ないのではと思わせる部分があります)
でも、そんな人しか人を変えることができないとも思います。


余談ながら、それに関連して、かつてこんな記事を書きました。
「でも、あなた、気をつけて。ソクラテスが最後にどうなったかを知っている? 毒を飲まされたのよ」




*毒杯をあおぐソクラテス、元気です!


デブのトニーとソクラテスの対話が面白すぎます。

まず語の定義をせよというソクラテスに対して、赤ん坊は乳首を厳密に定義してから、お乳を吸うのかと反論していますw


でもそのソクラテスは本当はそんなソクラテスだったのかは分かりません。

タレブに言わせれば、プラトンによってむしろ貶(おとし)められたのです。
師匠に対する愛ゆえに、自分色に染めてしまった可能性があります。

我々はソクラテスを知らず、プラトンのバイアスが色濃いソクラテスを学んでしまったのかもしれません。


タレブはこれまでほのめかすだけだったランダムネスの手懐け方を丁寧に解説してくれます。
ランダムこそが、神無き世界の神であり、幸いも不幸ももたらしてくれます。
我々は血を流す生き方をすることで、ブラック・スワンに対して天井なしのプラスが得られるようにします。
ランダムネスを手懐け、ランダムネスを味方にし、時間を味方にする生き方を教えてくれます。
その意味では真の成功法則と言えるかもしれません。

まあこうやってまとめると意味不明か、もっと悪いことに抽象化されてしまいます。
せめてまとめるならニーチェの言葉あたりが良いですね。


*ムンクの描くニーチェ
*「私を殺さないものが、私を強くする」


「まといのば」風に言うならば、溶けて柔らかくなった美味しい部分だけを好きなだけ食べていれば、気付いたら底が見えてくるという感じです。
硬い部分と格闘する必要はなく、それにもし飽きたらやめて良いのです。
ニーチェの言い方をすれば、天才はグランドデザインでも五カ年計画でもなく、ひたすらに「目の前のことが楽しかった」ということです。


この感覚がまさに龍脈の感覚であり、ノリであり、アニマルスピリットだと思います。
思うのですが、議論が雑なので、なかなか伝わりにくいかもです。


*アニマルスピリットはケインズの用語です!


我田引水のようですが、この感覚をつかむためには身体を鍛えましょう。
ともかく身体を鍛えましょう。
知性を鍛えたいなら、身体を鍛えましょう。
IQを上げたいなら、身体を鍛えましょう。
ヒーラーとしてパワーアップしたいのであれば、身体を鍛えましょう。

身体を鍛えると、成長のためにはアイスを柔らかいところから食べるような感覚が必要なのが分かります。針の穴を通すように、柔らかいところを攻めます。

ヒーラーで言えば、「手探りとランダム」です。

RayZapで筋トレしても良いですし、ヨガスクールで身体を鍛えても良いですし、MBA(まといのばバレエアカデミー)でバレエをやっても良いでしょう。
まずは腕立て伏せからスタートしても良いです。
身体は人に残された最後の自然であり(人間は自然が嫌いで、自然を人工に変えてきました)、そして自然はantiflagile(反脆い)ものです。

この感覚をつかむことが、非常に重要かと思います!




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避暑は月世界?〜私たちの世界は、過去の人々が想像した世界よりも、当時の世界にずっと近い(タレブ)

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大正16年の未来予想図を見ました。

いやいや、大正は15年までですし、16年は昭和2年でしょうというツッコミは確かにその通りです。

大正はたしかに15年12月25日までです(即日改元なので、昭和元年12月25日と大正15年12月25日が同居しています。そしてニュートンのお誕生日でもあります、ユリウス暦ですが)。
ですので、本来大正16年となるはずの年(1927年)は昭和2年となります(昭和元年が数日で終わるので)。

ただ印刷所としてはもう12月前に印刷が終わっているので、大正16年1月1日発行の未来予想図というのが存在するのです。
子供向けの雑誌の付録です。


この90年前の未来予想図を見て、タレブの正しさを再確認しました。



*ちなみにその未来予想図をどこで見たかと言えば、北原照久さんのコレクションを展示していあるミュージアムの一つです。

北原さんのミュージアムは全部制覇したいと思ってます!



いまから90年前の未来予想です。

これは未来予想図のすごろくゲームです。
雑誌(「日本少年」)の付録です。


*左端に実際に大正16年1月1日発行とありますw




その幻の大正16年元旦発行の未来予想図から見た90年後の我々の世界を見てみましょう。



避暑は月世界

軽井沢や箱根が栄えたのも昔のはなし、今は猫も杓子も月世界へー



とあります。


ちなみに「地球は青かった」のガガーリンが1961年、あわてたアメリカが月面着陸したのが1969年です。


面白いのは、「軽井沢や箱根が栄えたのも昔のはなし」とあることです。


そして軽井沢や箱根は今も栄えていますし、月旅行どころか、ガガーリンレベルの宇宙旅行すらもまだもう少し実現に時間がかかりそうです。


ちなみにこの100年以上前に一夜湯治事件なるものが箱根で勃発します。
これは宿場と温泉場の利権争いです。興味深い事件です。
1805年7月に箱根・小田原の両宿場が、温泉場を奉行所に訴えます。
内容は湯本温泉や畑宿など宿場以外の場所に旅人が休泊することを取り締まって欲しいというものです。
既得権益と新興の良くある対立と、お上への陳情ですね。
で、結論からすると温泉場側の勝利に終わります。
と、まあこの頃から栄えているわけで、そして100年後の今も栄えていますw


*温泉はもちろんのこと、桶も手ぬぐいも古い古いテクノロジーです。



タレブが新刊で未来予想や予言について非常に面白いことを言っています。


シンプルにまとめると、「私たちの世界は、当時の人々が想像した(想像しようとした)世界よりも、当時の世界にずっと近い」(下巻 No.1546/5069)ということです。

未来は過去とそれほど変わらないということです。
そして我々はバイアスによって、「技術が支配する未来を予測してしまう」と言います。


たしかにこの大正16年の未来予想図に関してはその通りです。



僕はふとSF映画を思い出しました。




「her 〜世界で一つだけの彼女〜」という人工知能と人間のラブ・ストーリーです。
切ない物語です。

このときの映画製作者たちが、未来を足し算ではなく引き算で描いたと聞いたことがあります。
未来を描くときに多くの場合はテクノロジーを追加しようとします。
しかし彼らはその逆をやったのです。そしてそれが妙なリアリティーを産みます。



繰り返しますが、未来と過去はそれほど大きく変わらないのです。


タレブはそれを絶妙な手腕で描いてみせます。

今夜、私はレストランで友人と会う予定だ」から始まるタレブ節を是非、本書で堪能して欲しいのですが、、、

レストラン(食堂)は少なくとも25世紀前から存在し、靴は5300年前に履かれていたものと変わらず、メソポタミアの技術である銀食器を使い、6000年以上前から愛されているワインを飲み、そのようなグラスというかガラス製品は少なくとも2900年前から使われており、何世紀も前から変わらない製法のチーズを食べる、と。

昔と今がほとんど変わらないのです。


タレブ節で堪能してください!

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(引用開始)
今夜、私はレストランで友人と会う予定だ(「食堂」は少なくとも25世紀前からある)。私はオーストリアのアルプス山脈で発見されたミイラが5300年前に履いていたのとそんなに変わらない靴を履いて、レストランまで歩いていく。レストランに着いたら、メソポタミアの技術である銀食器を使う。指がやけどすることなく、子羊の脚を切ったりできるのだから、十分に"キラー・アプリケーション”の名にふさわしい。それからワインを飲む。6000年以上も前から愛されているお酒だ。ワインはグラスに注がれるが、私の祖国・レバノンの人々は、フェニキアの祖先たちがガラスを発明したと主張している。納得できないって? それなら、少なくとも2900年前から、この地域でガラス製品あgアクセサリーとして売られていたのは事実だ。メインコースを終えると、もっと原始的な技術が登場する。アルチザン・チーズだ。私たちは、何世紀も前から製法の変わっていないチーズに、ふつうよりも高いお金を払うのだ。
(略)
食事はどても古い技術(火)を使って料理される。調理には、古代ローマ時代から変わっていない台所用品や器具が使われる(使われている金属の質は違うだろうが)。私は(少なくとも)3000年前から使われている「椅子」という名の道具の上に座る(しかも、古代エジプトの豪華な椅子と比べれば味気ない)。
(下巻 No.1557/5069)

火はプロメテウスがもたらしましたウインク


たしかに我々はまだ移動には足を使います。
もちろん電車も車も飛行機も移動手段としてありますが、どれも当時すでにありました(ライト兄弟が1903年、電気機関車は1837年、ガソリン自動車は1870年)。


当時の未来予想では、95年後すなわち現在から5年後にはひとりひとりが「歩くも飛ぶも自由自在」のはずです、、、


{F826A436-6114-4039-BA24-A0519DD1114C}
文化人 95年後の文化人はまさにこの通り。飛行機も要らぬは、自動車も要らぬ、歩くも飛ぶも自由自在


現実は「飛行機も要らぬは、自動車も要らぬ」とはなっていませんし、まあこの先90年はならないのでしょう。



未来は過去と、とてもとても似ているのです。



世界的なコレクターである北原 照久さんがコレクションを始めるきっかけとなったのが、大学時代にオーストリアに留学していたときの経験だったそうです(上記の未来予想図も北原さんのコレクションの一つです)。

ホームステイ先の暖炉の上に古い銅製の鍋が置いてあり、「これは祖父母の代から使っているお鍋で、これで料理すると何でも美味しくできるのよ」と毎回紹介され、そして実際にシンプルな料理なのに魔法のように美味しかったとご本人がテレビの取材で語られていました。
そしてこのオーストリアの体験が、古いものを大切に長く使う体験こそが、コレクションのきっかけの一つだったそうです。


*タレブの新刊より
*ポンペイの調理器具。現代のキッチンとそう変わらない(いや、現代でも立派なほうだ)。
*ポンペイはご承知のとおり2000年前のイタリアです。そしてその生活はほとんど現代と変わらないそうです。c.f.古代都市ポンペイは、現代社会にそっくりだった
ファストフード店や高級輸入食材、遺跡の修復プロジェクトで判明



新しいものはすぐに古くなり、古いものはどんどん新しくなります。

タレブに言わせると、iPadなどのタブレットは石版なのです。


*初代のiPadがいろいろな意味で重すぎるとブチ切れるモーセ(冗談です)。



シンギュラリティー後のAIが支配する未来というのは、奴隷が多くいた古代ギリシャや古代ローマのような世界なのではと僕は根拠なく想像しています。

そうすると古いものはますます重要度を増します。

古典、古典、古典ですね〜

そして鍛え上げた肉体は古代ギリシャにおいても、古代ローマにおいても重要でした。



東洋で言えば、祇園精舎ならぬ竹林精舎のイメージでしょうか。
托鉢してくれる民衆がAIに変わるイメージです。





未来は過去と似ているのです。
とすると、我々がやるべきことはシンプルです。
長く生き残るものが見えたら、それだけを愛でることでしょう。


というわけで、地球を感じながら、温泉に行ってきます!





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【追加開催】この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も過去も全て見えている

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*6月16日の記事の再掲載です!

*明日開催の「まといのば講座」の7月24日(月)に追加開催決定です!!

お申込みはこちらから!



映画『Arrival(邦題「メッセージ」)』についてのご質問をいただきました。




秀逸な質問でした。
すぐに回答したかったのですが、なかなか説明が難しい、、、

そう言えば、このご質問の中で、「ブログで是非、ネタバレ全開で書いて欲しい」と言われましたが、、、

たしかにネタバレ全開でブログにいろいろと書きたいな〜と思ったのですが、ネタバレは映画を観る楽しみを奪う行為なので、ちょっと避けたいですw(映画公開が終わった頃とかに、どうでしょう)



参考までに、、先日のブログでこの映画について、こう書きました。


ちなみに、、、、この映画を決定論だと解釈している人も多いようですが(すなわち、ラプラスの魔と)、僕はそれはもちろん間違いだと思います。


これをもっと詳しく教えて欲しいというご質問でした。



あ、それから「まといのば」のメンバーの中でも、この映画の主題に批判的な方もいます。おそらくは、ほのかに香る決定論の空気に対して、批判的なのかと推察します。



決定論というのは、運命や時間の流れというのはすでに決まっているという正当な科学的知見です。まあ古い「科学」です。ニュートン力学です。



ラプラスの魔と言っても良いと思います。


*ピエール=シモン・ラプラス


ラプラスは19世紀初頭にこう書きました。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。ピエール=シモン・ラプラス 『確率の解析的理論』1812年

もし、ある知性、もしくはあるコンピューターが、ある瞬間におけるすべての物質の位置と運動量を正確に知ることが出来て(入力できて)、それを解析できれば、その知性は次の瞬間のことを知ることも、その次の瞬間のことを知ることもでき、そしてそのまま延長して過去も未来も知ることができます。

まさに、「この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう」。


ニュートン力学はビリヤードでよく記述されます。




ビリヤードのある瞬間の玉の位置と速度(運動量)を知ることができれば、あとは繰り返す衝突の影響を計算していけば、そのビリヤード台における過去現在未来は一望のもとになります。

その風景はおそらくはダイヤグラムみたいになるでしょう。

タイムマシンのような機械というのは、そもそも時間がリニアで直線的に流れるということを大前提としています(いやもちろん、すぐにタイム・パラドックスが出て来るので、その前提が疑われますが)。




うーーーーーーーーーーーん




こう書き連ねていてもどうしても隔靴掻痒(かっかそうよう)感が免(まぬが)れません。



件(くだん)のご質問に対しても、返信を何度か書いたのですが、どれも帯に短し襷(たすき)に長しで、うまく書けずにいます。




というわけで、セミナーをします( ー`дー´)キリッ

いや、ご質問を頂く前からこの企画はぼんやりとあったのですが、発表には良いタイミングかと思います!


僕はこの映画「Arrival」はとても同意した作品でした。

「すごくよく分かる、その感覚分かる、というか、よくこれを映像化したよねー、すごいねー」という印象でした。

「この感覚って誰かに伝えたいって思うよね〜」と思いました。


そしてこれは何よりも大事な感覚だと思うのです(まあ、何よりも大事なものシリーズの一つという感じでしょうか)。

気功でもゴール設定でも何でもいいのですが、その中核にあるものって、言語化をひたすらに拒絶します。というか、言語化した瞬間に嘘になってしまうのです。
言葉は不自由なツールなのです。

なんかこう言うと、もってまわっているようですし、出し惜しみしていると思われることも多いのですが、、、



例えて言えば、自分が好きな子ができて、その子がいかに素晴らしいかを誰かに伝えようとしている風景を思い浮かべてみてください。

どんなに言葉を尽くしても、伝えられないと思うのではないでしょうか?

好きな子ではなくても良いのです。好きな音楽でも、美術でも、何でもいいのです。

「これサイコーだから聴いてみて(見てみて)」とかしか言いようがないのです(その点で良い評論家というのは偉大です。その評論自体が偉大なイントロダクションであり、アートですね)。


で、その気功の中核の一つを非常に手の込んだ鮮やかな手法で見せたのがこの映画です。
ただ、相当に注意深く観ないと、見えてきませんし、集中力とそれまでの経験が問われます。そういう意味では、良い意味で、見る人を選ぶように思います。







ということで、セミナーをします(大事なことなので繰り返しましたw)
映画は是非観てきてください!
スクール修了生対象の「まといのば」講座での開講です。
日程は7月13日(木)です。


テーマは「Arrival〜未来の記憶の取り出し方〜」です。


まずはこの映画の謎解きをさらっとします。

その補助線の一つが、なぜこの映画は決定論に見えて、決定論ではないのか、です。

未来は確定しているが、それでもなおそれを選択する人間の強さ、というテーマではありません(多分)。
いや、そのような立場もありえます。それはまさにカルヴァンの予定説です。
カルヴァンの予定説というのはこういうものです。
すでに神様のデスノートには、救済される者とそうでない者は書き分けられており、しかし我々は知ることができない。だからこそ、救済される者であると信じてがんばるという立場です(ざっくりすぎるまとめですね)。
でも、この映画はそのような超越性を否定しているように思います。


そしてもう一つの補助線が、、、、「ララランド」です。

意外なようですが、ララランドです。

アカデミー賞で14部門ノミネート6部門受賞というモンスターの「La la land」です。
(監督の前作のセッションも素晴らしかったです)





これもネタバレを避けたいので、詳しくは書きませんが、このララランドをもう一つの補助線とします。
分かる人にはすぐにピンと来ると思います。


セミナーのコンテンツとしては、まず原作では大きな主題であったフェルマーの原理(変分原理)を復習します。
そして原作者があえて取り上げなかったと語るファインマンの量子電磁力学を考えます。
どちらも寺子屋受講しているレベルの基礎知識は前提とします。
アインシュタインの特殊相対性理論にも軽く触れます。
(プラスして、ゲーデルのアインシュタイン解、そしてニーチェの永劫回帰について少し触れます)


始まりと終わりが一致するというウロボロスの蛇は確かに正しいのですが、しかし、我々の認知能力が視覚に頼りすぎて、その理解に限界があります(その限界とは次元の限界です)。

でもその認知の限界を理性で超えたところに、新しい脳の使い方、新しい時間認識が存在します。


というわけで、情報場仮説や、時間の哲学(A理論、B理論)、そして時空連続体仮説などをより正確に理解する大きなチャンスかと思います(時間の哲学については、原典というかその邦訳を参照する初の講座となります)。


まあ、盛りだくさんですが、理論的なことは事前に出来る限り復習しておいてくださると助かります。

理論よりも謎解きと、そして新たな能力の獲得に時間を注ぎましょう!


お楽しみに!!!




【まといのば講座「Arrival〜未来の記憶の取り出し方〜」】
【日時】 7月13日(木) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
急遽追加開催決定!!!
     7月24日(月) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生
【持ち物】 筆記用具と熱い情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。




*次元の壁を超越しましょう!!




【書籍紹介】
映画のあとに読んだ方が良いように思います!!
あなたの人生の物語/早川書房

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時間のA理論、B理論の原典ですね。
古典としては学ぶべきでしょうが、ここで議論されていることは、相対論以降の世界では問題意識そのものが無効だと思います。
絶対時間が存在せず、共通の時計が存在せず、それぞれに慣性系(加速度系でも)、異なる時間が流れます。
時間の非実在性 (講談社学術文庫)/講談社

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「運命は完全に決まっていて、完全に自由」という悟りの感覚ってどういう感覚?

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*本日、『Arrival講座〜未来の記憶の取り出し方〜』開催です!
追加開催を7月24日(月)にも予定しています!
まだまだ少人数ですので、こってりと学べるかと思います!

お申込みはこちらから!


*来週火曜日開催の「はじめての気功 〜聖なる骨の調整〜」は追加開催決定です。
31日(月)に追加開催しますので、移動して頂ける方は歓迎です。
もちろん本講座(来週火曜日開催)に来て頂くのも歓迎です。
お申込みはこちら

*寺子屋第7回の補足音声教材を配信しました。
リーマンゼータ関数とリーマン予想についての補講です。
過去に受講した方でまだ受け取っていないという人はスタッフまでリクエストしてください!

どの教材かと言うと、【寺子屋】先日の「算数」講座の補講であるリーマンゼータ関数の音声教材も配信中 2013-07-13、ここで言及されている「音声教材」のことです!
今月のリニューアル版を受講される方は是非、予習に利用してください!



「運命は完全に決まっていて、完全に自由」というような物言いを、よく耳にします。

バガボンド(放浪者)という漫画の中でも和尚が口にしていましたし、古武術研究者として知られる甲野 善紀(こうの よしのり)さんも似たようなことをおっしゃられていたように記憶しています。

この何というか不可思議というか、少なくとも矛盾した命題は何なのでしょう?


まあそもそもAでありかつAではないという矛盾律を真なる命題とするのは、そもそも宗教の特長です(八木誠一先生の受け売りです)。

A∧¬A

です。


ただこの一見矛盾して見える人を煙にまくような物言いは、ある種の真理というか、真理が言い過ぎであれば、ある種の正しさがあるように思います。

というか、今回の(今日の)講座で、その感覚なり真理を掴んでもらえればと思います(ここで言う真理というのはひとつの仮説とか、ものの見方というような意味で使っています。完全なアプリオリな知識というような本来の意味ではなく)。

我々には輪廻転生という概念がありますが、宇宙が繰り返すという感覚は、魂の永続性などを想定しなくても、季節が繰り返し、惑星が楕円運動を繰り返すことから連想されます。

ニーチェは物質やエネルギーの量が有限で、時間が無限であるという想定から永劫回帰を想像したようです。




ゲーデルはアインシュタインの一般相対性理論から、ゲーデル解なる奇妙な宇宙を創り出します。





そこで奏でられる宇宙の音楽はきっとバッハの「蟹のカノン」のようなものなのでしょう。





ちなみにニュートン力学はしばしばビリヤードに喩えられます。
リンゴも一つのメタファーであり、そのリンゴを這う虫がまたアインシュタインの相対性理論のメタファーです(そしてリンゴはそもそもは禁断の果実としての聖書のメタファーでもあります。




ビリヤードに話を戻します。
神様が最初の一突きをした後は(ビッグバン後は)、ビリヤードの球がどう動くかはあらかじめ数学的に決まっています。
おそらくは幾何学的なダイヤグラムのような模様として過去現在未来が一望のもとに見えることになります。

どの瞬間にどこに球があり、どの球とどの球が衝突して、どう向きを変えるかは神様はあらかじめご承知なのです。とういか神様にとっては時間は動くものではないのでしょう。

神様とその隣にちょこんと座るラプラスの魔にとっては、過去現在未来は一望のもとにあります。




翻(ひるがえ)って、我々が自由意志だと考えているものも、脳内の分子の運動にすぎないのであれば、それはビッグバン以来決まっているビリヤードの球の動きのひとつなります。

だからこそニュートン力学の帰結は決定論になります。

その視点で考えるならば、論理的帰結として、過去現在未来は決定しているのです。




映画メッセージ(Arrival)が決定論に見えるのは、確定した未来があるという前提によります。

しかし、ここに偉大な人々の言葉を挿入すると、状況は一変します。

未来は確定しているが、未来は完全に自由なのです。

確定しつつ、未確定ということです。






未来はビリヤードの球のように固くて、ビリヤードの球のように柔らかいのです。

ビリヤードの球が剛体であるならば、ニュートン力学は決定論になるでしょうが、剛体でないばかりか、霧のようなものです。確率論的にしか存在しないものの相互作用なので、無知が無知を呼び無知が増大するのです


じゃあ、なぜ我々の世界はニュートン力学に従っているように見えるかと言えば、大数の法則ゆえです。サイコロは一回一回の試行は理想的には完全ランダムですが、それがたくさん集まるとその挙動はかなり決定論的です。





ただ、大数の法則に従わないケースが多く存在するのが複雑性です。

その一例がカオス理論。

ただ、カオス理論は純粋に決定論的な宇宙での挙動です。数学宇宙においての話であり、神の目からはカオスに見えません。ただ複雑性を理解する上では便利な例題です。


ですので、そのリアルなケースがブラック・スワンでした。


*一方のプラトン主義者を七面鳥と言います。


未来はビリヤードの球のように固くて、ビリヤードの球のように柔らかいのです。

これが単なる言葉遊びなのではなく、明確な理論と手触りをもって理解し体感するのがArrival講座です!!

いや理解と体感だけではなく、使いこなせるように進化しましょう!!


お楽しみに!


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そうそう映画「ララランド」も何となく思い出しておいてください!







【参考書籍】
バガボンド(37) (モーニング KC)/講談社

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ENB海賊初日終演後にプリンシパル昇格!主演のタマラ・ロホが芸術監督として発表!

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往年のロイヤルの大プリンシパルであるタマラ・ロホがイングリッシュナショナルの芸術監督になるというニュースが駆け巡ったのがつい最近のことのような気がしますが、2012年のことなので5年前です。

その翌年までの13年間ロイヤル・バレエ団のプリンシパルをつとめています。


De Erik Doble - Trabajo propio, CC BY-SA 4.0, Enlace


余談ながら、ロイヤル・バレエ団というと僕は2005年の来日公演を思い出します。

バッセル、コジョカル、ギエム、ロホが日替わりでマノンを演じ、対するデ・グリューにボッレ、ジョナサン・コープ、コボー、マッシモ・ムッルという豪華な布陣でした(もう一演目の『シンデレラ』の方に吉田都さんが主演されていました)。

本当に豪華な時期でした。

僕は幸いにもマノンを全日見る機会に恵まれ、それぞれの個性の強いプリンシパルたちの競演を堪能しました。


今回は満を持してタマラ・ロホ率いるイングリッシュナショナルバレエ団が来日し、『コッペリア』と『海賊』を上演しています。

僕はどちらもロホの主演で見たのですが、今日はその『海賊』初日でした。



De Erik Doble - Trabajo propio, CC BY-SA 4.0, Enlace


そしてニュースにもなっていますが、終演後にアリを演じたセザール・コラレスのプリンシパル昇進が発表されました!


主演のロホが何度目かのカーテンコールで消えたかと思ったら、拍手が鳴り終わるころに、黒のシックなドレスに身を包んで現れ(すごい早替え!)、そしておごそかに芸術監督としてプリンシパル昇進を発表しました(声がかわいい)。







先日のオーレリー・デュポンによるパリオペラ座バレエ団でのエトワール昇進と似た感動と興奮です。(そのときのブログはこちら




日本でなかなか見る機会がない(というかほぼ絶無の)エトワール昇進、プリンシパル昇進を見ることができたのは幸いですし、ダンサー本人はもちろんのこと関わる多くの人にとっての夢が叶う瞬間に立ち会えるのは幸運です。


そして本当にセザール・コラレスの踊りは素晴らしかったです(まだ二十歳!!)。





そして彼をはじめイングリッシュナショナルバレエの男性陣は本当にすごい!



*画像はイメージですw


明日から久々のラージャ・ヨーガ・スクール、そして10月はMBA(まといのばバレエアカデミー)と身体系は続きます。

来週は「はじめての気功 〜仙骨の調整〜」です!!


Arrival講座でも見たように、どれだけ大きな夢を描けるかが全てだと思います。
それがCrazyであればあるほど、良いのです。


気合いを入れて、楽しんでいきましょう!!




Brace for imapact(衝撃に備えよ) 〜とてつもない成功をおさめてからが勝負〜

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過去の自分が望んだこととは言え、そしてその夢がかなっただけとは言え、気付いたら自分が圧倒的な高みにいることを思いがけない形で知ることがあります。

現状のはるか外であり、どんなにがんばっても叶わないけれども叶えたいと思っていたことが、叶った時、人は喜びよりも恐怖を感じるものです。

なぜならそれは現状のはるか外であり、全くファミリアではない場所だからです。
Away中のAway、外の外です。

認知不協和は恐怖という形で全身をおそいます。そこに安らげる場所はありません。


言葉の通じない知らない国の知らない街へ突然に放り出されたようなものです。

かつていた故郷のような場所に戻ることもできず、言葉も聞き取れず、言葉も通じず、すべてが手探りの世界に放り出されます。

いや知らない国の知らない街ならまだしもです。

むしろ足場が崩れ落ち、とてつもない高さに飛び上がり、雲の上からはるか大地を眺めているような感覚です。落ちているのか上昇しているのか分かりません。落ちても死に、上昇しても窒息します。


これが夢を叶えるということの本質です。


ポイントは夢を叶えた後なのです。


古い観光ガイドを引き写しては、新しい観光ガイドを書いているような人には決して見ることができない風景があり、事実があります。


夢を叶えた後が勝負なのです。


そこで無残に朽ちるか、それともその場に適応し、そして力強く生き、また次の土地を目指せるかは、いかに今準備し、そのときに全身全霊で夢を設定し続けられるかにかかっています。


失敗しても腐らず、成功しても奢らず、強烈な成功という衝撃に備えましょう!!

いまやっていることが、とてつもない成功を迎えたときの糧となります!



*Brace for impact



*ランダムに飛び回り、しかし一歩一歩着実に。ランダム・ウォークが最短距離なのです。光もまた一見遠回りすることで最小作用の原理を体現します。

LINE@はじめました~って本当に???

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入り口が分かりにくいと言われ、障壁が高いと言われ(逆に「衝撃に備えよ」と言われるw)『まといのば』の汚名を少しでも返上しようと思い、、、、



LINE@(ラインアット)を開始することにしました。




LINE@????



いや、全然まといのばらしくないのですが、とりあえず試してみようと思っていますw


だらだらとスタートするので、気軽に気楽にお付き合いください。

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まといのばのLINE@をそろりと開始します!





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ちなみに誰が登録したかはこちらからは分かりません(何か返信して頂くと分かります)。


また返信していただくと、まといのばの主宰とマンツーマンでLINEトークになりますので、他の人からは見えません。その点はメーリングリストとは違います!

基本的には、こちらからはブログの更新情報や、セミナー開催情報とか、質問の受付などに使います!

何か遠隔企画などもこれでやりたいとは思っています。


セミナーの申し込みなども、複数回受講されている方はLINEから可能としようと思っています!

今後は「開かれた『まといのば』』を目指します( ー`дー´)キリッって半分冗談ですが、半分本気です。
ただアクセスはしやすくしたいと思っています。

でも基本的には今通ってきてくださっている人が優先というスタイルは変わりません!


気楽に登録してください!(「通知が多すぎ」って思ったら、通知オフしてください!)


僕も気楽に使います!


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「出来たもの勝ち」だからこそ、「よくわからないけどできてしまった」が大事!!

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*本日、はじめての気功「聖なる骨の調整」、そして木曜日はオンラインレコードの公開収録です!

LINE@へのたくさんの登録ありがとうございます!

懐かしい人やはじめましての方と多く会話ができて楽しかったです。

メッセージは気楽に送ってください。僕も気楽に返します(*^^*)


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次のスクールの告知や次のはじめての気功セミナー「聖なる呼吸」の告知もしなくてはと思いながら、なかなか時間が取れずにいます。すみません。


ちなみに最近の大ヒットは先日のヨーガスクールです。



史上最強のヨガスクールを目指し、圧倒的な量のアーサナを高度なレベルで実現するというゴールを掲げましたが、それを次々とクリアされた受講生はブラボーです。

願わくば、そのまま身体のレベルアップを追求して欲しいと思います。





カラクリや理論はともかくとして、自分の身体でできてしまえば、あとはその再現性を高めるだけです。
カラクリや理論が分かっても、それが机上の空論であったり、畳の上の水練にならないように、我々は実践を重んじる必要があります。
(「まといのば」では理論やカラクリを重視します。重視しますが、それ以上に実践を重視します。理論やカラクリというのは、脱洗脳のためと思ってください。常識からのリセットです)。



この世界は「出来たもの勝ち」なのです。

気功もそうですし、ヨガも、バレエもです。

「よくわからないけどできてしまった」というものです。

そもそも僕らはどうやって生きているのかと問われても、誰も答えられません。


ピルエットトリプル回っている人に、痩せたソクラテスがやってきて、「君のピルエットはどの筋肉をどう使っているか定義してみよ」とか言われても、そのソクラテスに力はありません。
(ソクラテスにその質問はどこから来るのか、その質問の定義は何かと問い直せば良いのでしょう)



そして解剖学にもまたその意味では、力がありません。
(解剖学に力があるのは、ある施術なり、ある技法が指し示しているぼんやりとしたものを解剖学的に定義づけるときです。解剖学は結果であり、原因にはなれません。それは生理学や栄養学も同じです。トップダウンではなく、どこまでも後追いであり、エピメテウスのごとく後智慧です。直観を証明していくときには科学は役に立ちます。その逆ではないだけです)


プラトン主義の罠にはまらないように、ともかく実践を重んじ、それ以上に夢を大きく描きましょう!

そしてその夢に突き動かされるようにして、日々生きていきましょう!






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【募集開始!!】聖なる呼吸の秘密! 〜生きやすくなるための息〜

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*明日はオンラインレコード『アルケミア(錬金術)』
来週は寺子屋「数論」です!!


先日のセミナーで、「呼吸法については『まといのば』では教えないのですか?」と聞かれまして、、、呼吸法のクラスを開催することにしましたw




いや、これまでもずっとリクエストはありましたし、僕自身もかつては呼吸法というジャンルが好きでいろいろと試してきました。
呼吸法を学ぶ有効性は理解しているつもりです。

ただ、呼吸法には非常に厄介な罠があります。
これは特に教師側の罠です。
呼吸法のクラスをすると、簡単に受講生を支配しやすく、ミニカルト化させやすいのです。
たとえば呼吸を誘導したりすれば、内部表現を支配するのは容易ですし、その上きちんと変性意識状態に導けます。

ですので教師が悪い意味でのグル(導師)となり、場がカルト化しやすいのです。

これはお互いにとって甘い誘惑です。

教師にとっては、ミニカルト化しますし、生徒にとっては変性意識状態に深く入り、様々な能力を獲得しやすくなります。

これが厄介な罠です。


なので、ほとんどセミナーでもスクールでも取り上げず、わずかに批判的に取り上げるだけにとどめてきました。

「まといのば」以外で呼吸法を教えるところはたくさんあるからです。



ですが、先日、優秀な受講生の1人から「呼吸というのは気功においても非常に大切だと思うのですが、呼吸法は教えないのですか?」と聞かれました。

たしかにおっしゃるとおりです。
呼吸が気功において重要なのは事実です。
息一つでいろいろなことが分かりますし、息が浅いのは良いことではなく、息が深いのは良いことです。そして息を止めるのは良くないことです。
ただ一般に息は止めない方が良いのですが、クンバカのように息を止めるワークも上手に使えば非常に有効です。


ということで、その後、いろいろと考えて、呼吸法のクラスを「はじめての気功」で開催することにしました。
ただ、非常に「まといのば」らしく、従来の呼吸法のアプローチとは全く異なります。
ただ、呼吸が圧倒的に改善することを目指します。

かなり面白いと思います!!


息ということで言えば、「まといのば」で必ずやるのはプシュケーと仮に呼んでいるワークです。
プシュケーとは英語ではPsycheですが、本来はギリシャ語です。
Ψυχήと書きますが、そもそもは息という意味です。呼吸です。


*プシュケーはギリシャ神話における人間の女性の名前。エロース(もしくはアモーレ)に求愛されます(いわゆる恋のキューピットの矢で謝って自分の手を傷つけて、プシュケーは恋に落ちます)


いまだに結論が出ていない定義の一つに「生物と非生物」の違い、もしくは生命の定義というものがあります。
これに対してかなり明確に定義を与えた2500年前の偉大な賢人がアリストテレスです。

生体と死体の違いは何だろうと考えました。
死んだ直後の身体は物理的な構成要素は変わりません。しかし明らかに異なります。
そこで考えたのが、「息」です。
生体は呼吸をし、死体は呼吸をしません。


*ラファエロの傑作「アテナイの学堂」の中心に描かれたプラトンとその弟子のアリストテレス。


一休さんの頓知のような答えですが、これは深く考えると非常に面白いと言えます。

生物と非生物はその意味では物理レベルでは区別がつかなく、情報レベルで(息をしているか否かで)しか判断できないということです。

呼吸という概念を拡張すると代謝です。代謝をするものが生物であり、代謝をやめると死ぬと考えても良いかもしれません(そうするとまた代謝とは何かという定義が始まり、この議論は再び無限後退していきます)。


いずれにせよ、我々は息をする存在です。
ちなみに呼吸もしくは息というのは、当然ながら器官の名称ではなく、機能の名称です。
血管や血液は物質ですが、血液循環は機能であるように、口や喉や肺は物理的存在ですが、ガス交換は機能です。





この呼吸という機能はとても重要です。

よく言われることですが、呼吸の重要性を認識するには、息を止めて1分我慢してみると良いです。
このときに身体に現れる変化を子細に観察すると、呼吸の重要性が分かります。

ただ、「これは息が大事」にとどまらない話です。

この1分間の呼吸停止に近いことが僕らの身体の中では実際に起こっています。
すなわち慢性的な酸素不足です。


疲れやすい、身体がだるい、少し走ると息切れする、朝が辛い、、、などの理由の一つに呼吸があります。
酸素は代謝において(特にTCAサイクルにおいて)きわめて重要です。
それが減ると、その分ダメージがあるのです。


というわけで、今回は「まといのば」流の呼吸法クラスを開催します!!

疲れにくく、身体が引き上がり、血色が良くなり、動きやすい身体になり、一日中元気でいられるための呼吸法です。

相当に面白いです!






ポイントは肋骨です。

前回の「聖なる骨の調整」が仙骨を中心とした腰部だったとしたら、今回は胸骨を中心とした胸部です。

呼吸の基本は肺であり、その肺を格納している肋骨がいかに自由かが、呼吸においては非常に重要となります。




まずは肋骨上部が可動するようにリブートします。
肩で息をする人にとっては、かなり新鮮で気持ち良いと思います。

その上で、肋間筋を深くゆるめます。肋間筋はアプローチの難しい薄い筋肉です。
薄いのですが、ミルフィーユのように3層あります。その肋間筋を丁寧にきっちりと全部ゆるめることで、肋骨が膨らむようになります。

息を深くできないのは、肋骨が膨らまないからです。肋骨は骨だから硬いのではなく、その間の筋肉が拘縮しているから硬いのです。

肋間筋をゆるめると心がとろけます。

その上で、胸肋関節、胸鎖関節、肩甲胸郭関節をゆるめていきます。これが仕上げです。

そして中丹田のワークで圧倒的に違う次元まで呼吸を引き上げましょう!


鼻で吸うのか、口で吸うのか、吐くときはどちらで吐くのか、というのは瑣末な問題ですし、基本的にケース・バイ・ケースです(いや、鼻呼吸が良いのですが、口で吸うのが正解のときも多々あるのです)。

それよりは呼吸という全身運動をさえぎるものを一つ一つ解除していきましょう。

ポイントは呼吸法を学ばずにして、呼吸が変わるということです!
深い絹糸のような息を、気付いたら実現できます!

そして身体が生まれ変わるのを楽しみましょう!!

お楽しみに!

(余裕があれば、息に情報を乗せるワークもやりましょう。たとえばため息で邪気を吐き切り、鼻で吸う息でピエタを自分に仕掛けます。まさに聖なる呼吸です!)。


【はじめての気功 〜聖なる呼吸の秘密、生きやすくなるための息〜】
【日時】 8月8日(火) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】  3万円
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちらから。





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【募集開始!!】関節のアライメントを正確に整えるだけで、、、スゴイ身体が手に入る!!

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*本日はオンラインレコード公開収録です!アルケミアの秘密に深く迫ります!
*来週は恒例の寺子屋リニューアル版です!



僕自身が施術で一番使う技術は何かと聞かれたら、もしくはどんな視点で身体を見るのか?と聞かれたら、おそらく「関節」と答えるのではないかと思います。


身体もしくは肉体というのは非常に不思議なもので、ある意味で鵺(ぬえ)のようなとらえどころのないものです。

何らかの切り口で切って、初めてその姿を表します。

ただその切り口が症状に対して無意味なのものであれば、その試みも無意味に終わります。

切り口は多ければ多いほど良いのですが、施術の時間は無限にはありません。
だからこそ高い効果が見込める切り口を採用します。

それが「関節」です。



*驚くべき超絶技巧も関節という視点で考えれば、カラクリと鍛錬法が見えてきます。


関節というのは不思議な概念です。

骨はたしかに物理的に存在しますし、筋肉も靭帯も滑液も実際に存在しますが、関節というモノは存在しません。
筋肉や神経や血液を考えなければ、骨格だけで考えるとするならば、そこには骨と骨があるだけです。
関節とは言い換えれば「骨と骨の関係性」という機能の名称です。


先日のセミナーでも言及しましたが、これは老子の言う無用の用の最たるものです。

コップがコップとして機能するのは、コップの内側が中空だからです。
車輪が車輪として機能するのは中心が中空だからです。

何もないということが意味があるのです。


*老子『三十輻共一轂 当其無、有車之用』(11章)
車輪は中心の穴があるからこそ、車輪の役目を果たします。有は無があってはじめて機能します。


関節もまた同じです。関節を一種の臓器のような実在として扱うとそこを修復しようとして、間違いを犯します。

関節とは何もない空間であり、何もない空間を調整することが全身を調整することになります。


これが今回のスクールの中心的な命題です。



関節という視点で身体を見てみると、全く違う光景が広がり非常に面白いと思います。

図と地という概念がありますが、骨から見る風景と関節から見る風景はまったくあべこべなのです。
そしてどちらが役に立つかと言えば、、、常識の裏を行くほうが役に立つのです。


例えば腰や骨盤というのはがっちりしているイメージがあります。
しかし、関節という視点で考えると、腰はゆらゆらとせざるをえないfragile(フラジャイル、脆い)ものです。




仙腸関節はグラグラと動き、股関節はゆるゆるで、腰仙関節も積木くずしのようです。

それを筋肉と靭帯というゴムによってぐるぐる巻きにして、かついつも緊張させてガチガチにさせてなんとかイメージを保っています。
どういうイメージかというと「腰や骨盤はがっちりしている」というイメージです。


物理は情報に従います。


肉体は心に従うのです。それが物理的に間違っていても、心に従うのです。
無能な社長に盲目的に従う部下のようなものです。
社長が間違っていることが分かっていても、従う他のオプションがありません。

がっちりしているというイメージを維持するために、肉体は頼りない骨ではなく、筋肉を働かせます。筋肉は疲れきり、そして重要な仕事をすることができなくなります。

先日の「聖なる骨の調整」では今回の気功整体師養成スクールのイントロダクションとして、仙骨を中心とした腰の調整の実習を行いました。


その結果として、、、、

ガラケーのような完璧な前屈、スムーズで深い側屈、Y字、I字、そして面白いところでは結跏趺坐などが次々とできるようになりました。






いわゆる身体動作というのは、純粋に筋肉に依存するものですから、筋肉を鍛えない限りは習得できないものです。そして筋肉を鍛えるのは一朝一夕では不可能です。それは時間をかけて正しいトレーニングと過負荷によって実現します。

では、なぜ彼らは一朝一夕どころか一夕で実現したのでしょう。数時間で。

その回答はシンプルです。


自分で自分の心を書き換えたからです。
心を書き換えれば、身体はそれに従います。それも一瞬で。


同じようにヨーガスクールでも、特に今回は史上最強にアーサナをたくさんやり、そして高度に実現してきました(今回のスクール修了生にはご自身の見事なアーサナの写真が届くと思います。その自分の素晴らしい姿をトリガーにますます身体を鍛え上げてください!)。

カラクリはいつもシンプルなのです。

情報が物理を書き換え、心が身体を書き換えます。

情報 → 物理

心  → 肉体(身体)

です。


先日の「はじめての気功 聖なる骨の調整」では、仙骨周辺をゆるめました。
そのことでクンダリーニは通り、背筋は伸び、身長は高くなり、そして楽に立ったり座ったりができるようになりました。

重要な関節を書き換えるということは、大きな結果につながります。


身体は明確なヒエラルキーの世界ですので、優先順位が重要です。
First things first
です。

すべての細胞が重要と言っても、施術する順序は大事です。トリアージです。


気功整体師養成スクールでは、その優先順位を学び、そしてその順番に実際の現場で施術していくことで、素早く成果を出す方法を学びます!

かなり面白いと思います!!


セルフヒーリングであれば、例えばひたすらに仙骨を調整しておけば結果は出ますが、施術をするヒーラー(医師、PT,OT,鍼灸マッサージ、整体師)であらば、話は別です。
短い時間で診断・判断をして、施術して結果につなげる必要があります。
きちんと症状を聞き、見立てをして、テストを繰り返して、原因をある程度絞り込んで施術する必要があります。
その手法もスクールで学びます。


今回も最近の流れに乗って、ひたすらにワーク、ワーク、ワークです。

自分の身体を書き換え、相手の身体を書き換え、圧倒的な結果を手に入れつつ、自分の臨床や施術に必要な知識とテクニックをゲットしてください!

あまり自覚されることが多くないのですが、施術家の身体レベルは施術結果に大きく左右します!

人の身体を変え、自分の身体を変え、ますます自由な身体を手に入れましょう!

お楽しみに!!



【気功整体師養成スクール 〜ジョイント、アライメント、自由な肉体〜】
【日時】 8月5日()13:00~18:00
     8月6日()13:00~18:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム
【受講料】  230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください。またPaypalでの10万円以上の決済はPayPalでの本人確認が必要です)
【受講資格】 「まといのば」セミナー受講生(もしくはそれに準ずる方、他で「まといのば」の主宰のセミナーを受けている方もOKです)
【持ち物】 筆記用具、動きやすい格好
【お申し込み】お申し込みはこちらから。






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ミネルヴァのふくろうは、たそがれに飛び立つ。五輪書と三丁目の夕日、書を破れの意味

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ミネルヴァの梟が黄昏時に飛び立つのと同様に剣術が廃れるときに剣術の最高の指南書が発表されます。

五輪書のことです。

何かが廃れていくとき最終盤に、果実が熟れるのと同じく、最高峰の書が現れます。

スポ根が廃れるときに、スポ根漫画が流行り、「三丁目の夕日」的な共同体が廃れるときに、そういう映画がヒットします。

何かが熱狂的に受け入れられ、そして広まっているときは、その先の次代を予見しているのではなく、古い時代を総括しているだけということです。

その点で、イノベーションとは劣化コピーであり、「枯れた技術の水平思考」というのは事実です。(だから自分が10年くらい使い込んだ古い古いものだけを提供すれば良いのです。生兵法は怪我の元です。生兵法でもなんとかなってしまう愚かな業界なのが問題なのですが)。

ガラケーからiPhoneへと退化することで、eメールからツイッターやLINEへと退化することで、熱狂的に受け入れられ、未来志向のような空気を醸し出します。


ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つというのはヘーゲルのあまりに有名な言葉ですが、その真意をざっくりと言えば、後智慧ということです。

エピメテウスですね。

ヘーゲルは哲学は出てくるのが遅すぎると言います。
コナンくんが名推理を終えたあとで、「やっぱ犯人はあいつだったよね〜」と出てくるような感じです。

哲学はもともといつも来方がおそすぎるのである。哲学は世界の思想である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとではじめて、哲学は時間のなかに現れる。(法の哲学)

現実がその形成過程を完了しておのれを仕上げたあとで、哲学は現れるとヘーゲルは語ります。

それが、ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つという意味です。

1日が終わってから、ミネルヴァすなわちアテナイの梟(ふくろう)は起き出すのです。

遅すぎなのです。



このヘーゲルの言葉は錬金術の「書を破れ、心を破らないために」を思わせます。


多くの人がプラトンの呪いを受けています(その中にはソクラテスもいるのかもしれません。我々はプラトンの口からしかソクラテスをほとんど聞かないので)。

プラトンはエウクレイデスにまでもその魔の手を伸ばしているかのようです。


天才ラファエロはそれを十分に理解していて、プラトンとアリストテレスの確執を「アテナイの学堂」に残しています。

ダ・ヴィンチにしか見えないソクラテスは天上を指し、すべてはトップダウンだと言い募ります。
それに対して、アリストテレスはボトムアップだと反論します(ボトムアップは言い過ぎですがw)。
手を良く見てみてください。




我々の多くもまたトップダウンだと思っています。

イデアの写像として現実界があり、情報の写像として物理世界があると確信しています。

だからこそ、書が中心になり、基本となります。

エウクレイデスの書いた数学グリム童話集であるところの原論によって心を引き裂かれた人は多いのです(いわゆる平行線公理を巡る議論のことを言っています)。

エウクレイデスから2500年の歳月が流れて、呪いから自由になった数名の王子様たちによって、お姫様の呪いが解けます。
いわゆる「ユークリッド原論」ははじめて理解されたのです。

非ユークリッド幾何学の発見によって、ユークリッド幾何学ははじめて理解されたということです。




ここでの教訓はシンプルです。

端的に言えば「何も信じるな」ということでしょう(デカルトみたいですけどねw)。

特に書籍や師匠の言葉は信じないほうが良いのです。

自らの内に深く深く入り、その苦しみと痛みの中でようやく見つけた真理を大事に育てることのほうがはるかに重要です(書籍や師匠が果たす機能とは、そのときのシャベルであり、ハシゴであり、ライトでしかないのです。それが分からないから、心を引き裂かれるのです)。


*「読者はハシゴを登りきったあとでそのハシゴを取り払ってしまわなければならない」(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』命題6.54)


書籍や師匠の言葉というのは、たしかに正しい部分もあるのでしょうが、しかしそもそもはその筆者や師匠のレベルに達しない限りは、その意味は理解できないものです。

ですから、「何も信じない」とマントラする方がはるかに自分自身にとって教育的ということです。
(と書かれた本稿も「信じるな」という無限後退のパラドックスに巻き込まれるのですがw)


身近な大切な誰かが死に瀕していて、自分がなんとかしてそこから救い出したいと願う

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偉大なヒーラーとなる人の多くは誰か身近な人の死を経験しています。
(釈迦の辛子だねのたとえではないですが、身近な人の死を経験していない人はほとんどいないものですが)

それも身近な大切な人が死に瀕していて、絶望的な状況にもかかわらず自分がなんとかしたいと強く願った経験があるものです。

たとえどんなに不可能と言われても、自らの祈りで奇跡を起こすように、気功やヒーリングを用いて、星を動かしてでも救いたいと思った経験があるものです。

圧倒的に壁にはばまれながらも、現実を受け入れることを拒否し、奇跡を起こすことのみを信じて、力の限り気功を使った経験があるものです。

自分の命を捧げても、身近な人を救いたいと強く思った経験があるものです。



その結果として、身近な大切な誰かが救われるにせよ、あちら側へ旅立つにせよ、その経験がその人をヒーラーに変えます。
ヒーラーとは心構えであり、覚悟であり、決意のことです。
決して技術でも、理論の習得度合いでも経験でもありません。それらは大事ですが、副次的なものです。



ゴールとか、夢とか、抽象度とか、情報的身体とか、大周天とか言われる、ふわっとした概念の本質はここにあります。この覚悟なり、決意なり、集中の持続にあります。

不可能だけど救い出したいと思い、そのためにありとあらゆる努力を厭(いと)わず、力の限りを尽くし、自分の持てる力以上を出したときに、抽象度が少し上がり、情報的身体が少し大きくなり、大周天が構成されはじめます。

救い出したい言う想いが、現状の外のゴールであり、どうしても叶えたい夢といことです。

そして集中して気功をし続ける状態こそが、変性意識状態です。そのとき流れる時間の感覚が狂います。

不思議なことが次々と起こり始め、これまでに学んだことが一気に伏線の回収のように役立ちます。


ロシアのどこにでもいそうなアル中のギャンブル狂いがある日、政治犯として捕まり、そして死刑執行が決まります。
銃殺刑です。
最後のタバコを吸い、目隠しをされ、銃が向けられ、死を覚悟した瞬間に、恩赦が告げられます。
死刑執行に至る時間の一瞬一瞬が濃密です。
彼はその後、その濃密さで残された時間を生きることを決意し、そして実行することで、ドストエフスキーとなります。ロシアの文豪です。


*ドストエフスキー
処刑前の5分間について彼は時間の割り振りをした。まず友達との別れに2分間ばかりあて、さらに2分間をもう一度自分自身の人生を振り返る為にあて、最後の1分間はこの世の名残りに、周囲の自然風景を静かに眺める為にあてたのです」(ドストエフスキー『白痴』)
アインシュタインはこう言います。「ドストエフスキーは、どんな思想家が与えてくれるものよりも多くのものを私に与えてくれる。ガウスよりも多くのものを与えてくれる
*蛇足ながら、中学校の英語教師は「ロシア語でドストエフスキーを全部読んだら、成績はテストの点数と関係なくトップをつける」と言っていました。その頃は「じゃあ、やろう」と思ったものです。教師というのはありがたいものです。



テクニックというのは一種の付属品のようなものです。

その意味で気功技術も一種の付属品です。

重要なのは本人の決意であり、ゴールであり、抽象度であり、大周天であり、情報的身体の巨大さです。

死を賭して、自分を鍛えようという決意と実践によってのみ、ヒーラーは成長できます。

Line@に続いて、インスタグラムも??自分が冒険の主役であり、英雄であると知るところから始める

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昨日、一昨日のブログについてとても良い質問をいただきました!!
その回答です!

と、その前にキャッチーなLINE@の話からです!!

LINE@をスタートしてまだ数日ですが、高い敷居が低くなったというよりは、壁の中のコミュニケーションコストが下がったという感じですね。

壁はむしろ高くなっているのかもしれませんし、逆かもしれません。にわかには分かりません。


まあ勇気を持って壁を乗り越えてくる人にとっては、どちらでも同じことでしょうし。


ちなみにLINE@は「まといのば」から配信するときは、全員一斉に配信されますが、返信は個別的です。
ですので、気楽に返信してください。
メーリングリストのように自分の返信が全員に流れるということはありません。


また自分の匿名性を保ちたい方は、返信さえしなければ誰が登録したかはこちらからは分からないシステムです。安心して登録してくださいw


というわけでLINE@のお知らせです。

***
まといのばLINE@開始しました!!
気楽に登録してください!
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***

たくさん返信を頂きますm(_ _)m

いま熱心に通っている方から、お久しぶりの方、そしてはじめましての方など多くいらっしゃいます。内容も多岐に渡っています。質問から近況報告までたくさんです。嬉しい限りです!

講座の内容の感想や質問から、タレブの新刊についての質問など様々なことを聞かれますし、何でも気軽に聞いてくださいw
(そんなにすぐには返信できませんが〜)


ちなみに、「まといのば」のメンバーはお医者様や理学療法士、バレエダンサーやミュージカルダンサー、会社経営者などの印象がありますし、実際にそうですが、意外と若い方も参加されています。

一番若い受講生は小学校高学年ですし、かつては(数年前は)中学生を対象にした中学生講座なるものもありました。

高校生や大学生も受講されていますし、大学生であれば起業している方もいます。


そしてセミナー告知です!
月曜日火曜日はセミナーが続きます!


月曜日はArrival講座です。
「運命は完全に決まっていて、完全に自由」という一見するとパラドックスな物言いが、理論的にも肌感覚でも分かる、そんなセミナーです。
時間の哲学について初めてセミナーで言及します!

完全に少人数ですので、こってり学べます!お楽しみに!


そして、寺子屋リニューアル版もいよいよ第7弾です!
火曜日に開催です!
第7弾は「数論」です!
数学がもっともっと好きになる講座です!


お楽しみに!!

どちらも予習は必須ですが、予習ゼロでも理解はできます(多分w)。


それから、インスタグラムを開始しました!!
と言っても、まといのばではなく、Rayまといのばの方です!

PCでご覧の方はクリックしていただければ、別の画面で開きます!



たくさんのフォローお待ちしております!!



というわけで、ようやく本題です!( ー`дー´)キリッ


最近の2本のブログに関連して、非常に良い質問をいただきました!

2本前のブログがこちらです。
ミネルヴァのふくろうは、たそがれに飛び立つ。五輪書と三丁目の夕日、書を破れの意味 2017-07-22

直近のブログがこちらです↓
身近な大切な誰かが死に瀕していて、自分がなんとかしてそこから救い出したいと願う 2017-07-23NEW !


で、ミネルヴァのフクロウ記事の結論が「信じるな」でした。
そして、その次の記事の結論が「地獄を見ろ」ということでした(そうなのか?w)。

で、ご質問の方の内容を前後を削除して引用します!
(①、②などの数字は引用者がつけました)

(引用開始)7月22,23日のブログの内容に関して質問です。

①まず、22日のブログでの「信じるな」という記述はパラダイム論ときに言及されていた「信じる」という話とどう違うのでしょうか。

②次に、22,23日の両ブログの内容に関してです。両ブログとも一番肝心なところはテクニック云々で語れるようなものでもなく、個人がもっとも心から取り組みたいことに忠実であれというと趣旨と理解しました。

③ただそうすると心から望むゴールに出会えるのは何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人しかゴールに関係がないように思えてしまいます。

④ただそれだと何かしらの教育が不可能ということになってしまい、教育の意味がかなり疑問視されることになってしまわないでしょうか。例えば、天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人であらざるをえないのだから、特に変わったことはしなくてもいいとことにならないでしょうか。
(引用終了)


とても良い質問です。

まず①です。
これはシンプルです。

パラダイム論では「信じろ」と言われ、ブログでは「信じるな」と言われ、矛盾しているではないかという主旨かと思います。

これもパラダイム論での議論のとおりです。

われわれはまずはパラダイムに従います。そこは盲目的に従います。
カラスは白いと言われたら白いのです。
その上で、隠れた実在に対する予感に従います。このフェイズが「信じるな」なのです。
パラダイムではなく、自分の直観を信じろということです。
書ではなく、自分の心を信じるのです。

②はその通りですね。
ただ前段の「一番肝心なところはテクニック云々で語れるようなものでもなく」はその通りですが、後段の「個人がもっとも心から取り組みたいことに忠実であれ」というような具体的なアドバイスまではこのブログ内で言及していないかと思います。
ただ心情的にはその通りです。

③については重要な指摘です!
ただそうすると心から望むゴールに出会えるのは何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人しかゴールに関係がないように思えてしまいます。

これは本音を言えば、Yesです。

そして逆に「なぜそれが問題なのでしょう?」と逆に質問したくなります。


ポイントはシンプルです。
自分は「圧倒的少数の人」であると気付けば良いのです。

自分は「何かすごい運命にあった人、何か英雄じみた人、圧倒的な天才しかおらず、圧倒的少数の人」の1人なのです。


「それがブログ本文から、どう読解できるのですか?」と質問されるとしたら、その回答は冒頭の辛子だねのたとえです。
釈迦はそのような体験をしたことが無い人などこの世にはいないと喝破したのです(厳密にはそのような家族がいないということです。たとえば赤ん坊や幼児であれば、そのような経験がまだ無い可能性はあります。もしくは認識が難しいかもしれません)。

であれば、「圧倒的少数なのではなく、多数と言うかほぼ全員じゃないですか」という反論はありえます。

それはYesでありNoです。


森有正先生風に言うならば、そのような体験をするものは多く(ほぼ全員で)、その体験を経験にまで高める人が圧倒的少数なのです。

(「そこまで厳密にブログで書け」という批判はあるかと思いますし、甘受しますが、僕自身はこのブログを読む人は、良い意味で「圧倒的少数の人」なので、そこまでの言及は不要かなと考えました)



最後の④については再掲します。

④ただそれだと何かしらの教育が不可能ということになってしまい、教育の意味がかなり疑問視されることになってしまわないでしょうか。例えば、天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人であらざるをえないのだから、特に変わったことはしなくてもいいとことにならないでしょうか。


これは答えるのが難しい質問です。

まっすぐに回答するならば、偉大な人や天才にのみ教育は必要だと思います。もしくは少数者のみに必要なのです。
もし凡人というのがいるのであれば、凡人に必要なのは教育という名の下の職業訓練でしょう。

圧倒的少数の人が、ゴールなり夢を実現するために教育が必要となってくるのです。


ゴールが先で、教育が後です。
そしてその教育という系の中で、もしくは学びの系の中で、「信じる」ということが有効になってきます。
息を止めて、水の中にもぐるように、信じて知の世界にもぐるのです。
いつまでも息を止めていることができないように、いつまでも信じることはできず、どこかで離れる時期が来ます。
それが「信じるな」のフェイズです。
信じる、信じないは交感神経と副交感神経みたいなもので、スイッチしても良いし、両方走らせても良いのです。

そして、これは矛盾しません。
サッカー中にボールを手で持たないというルールを守ることもできるし、破ることもできます。同様に、あるパラダイムを深く信じることも、信じないこともできるのです。



天才は勝手に天才になり、凡人はどうあがいても凡人にというのは、かなり強い言い方ですが、確率論的にはその通りです。でもこれも確率論的な話です。
自動的に確実になるのではなく、おおよそはそうなるくらいな話です。
偏差値による合格率みたいなものです。いつでも下剋上もあるし、高転びもあります。
ただ全体の傾向としてはそうなります。


このことを考えるときに僕はいつも思うのは、アインシュタインが言っていないとされる次の言葉です。

Everyone is a genius. But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid.  https://en.wikiquote.org/wiki/Albert_Einstein
人はみな天才だ!
でも、もし魚が木登りで判断されるのであれば、その魚は自分が愚かだと思って一生過ごすだろう。

*書き込まれたゴールではなく、自分の心からのゴールであれば、木登りをしたいと思う魚は生まれないのです。神様はそんなミスマッチをされないし、無意識はそんなアホではないのです。


そして、「特に変わったことはしなくても良い」もその通りです。「学び」というのはかなり保守的なものです。ソクラテスの時代から変わりません(「まといのば」が加速学習と名付けているものはその意味では保守的なものであり、先祖返りです。通常の学校教育の学習が新しく、おかしいのです)


*アレクサンダーを教えるアリストテレス


*アリストテレスを教えるプラトン



というわけで、まとめると、、、、

第一に自分は良い意味での少数者であり、英雄的な人生を送っていると確信するところからスタートしましょう、ということです。

しばしばわれわれは自分を大衆と見做し、弱者と見做し、凡庸で平凡な人生を過ごしていると見做すところからスタートしがちです。
しかし、そこに何ら建設的なメリットはありませんし、事実でもありません。

どんな凡庸に見える人でも、それぞれの人生にそれぞれの重いドラマがあるものです。

たしかにドストエフスキーのように、死刑執行の直前での恩赦(その後のシベリア送り)のような経験は無くても、それに類するような強烈な体験は多かれ少なかれあるものです(釈迦が辛子だねの喩えで示したように)。


真のゴールに出会えることはたしかに稀でしょうが、しかし自分はすでに未来において真のゴールに出会っていると考えることは可能です。
そしてその未来から情報がやってきて、いまの私を構成していると想像することも可能です。
仮定の話ではなく、そう確信することも可能です。
どんな情報が未来から自分の周りにもたらされているのだろうか、と本気で考えれば、生活は変わります。映画Arrivalのように一瞬一瞬が貴重で重要な瞬間に変わるのです。

そして、そのような地道な作業こそが、自分を真に偉大にしていくのです。




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新しい言語の習得は新しい能力をもたらす、、知は力なりの真の意味(数学も哲学も音楽も芸術も言語)

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「知は力なり」というフランシス・ベーコンの言葉を我々は知識は力という風に理解していますが、より厳密には、ある言語を習得することが、ある能力を獲得することと言い換えた方が良いのかもしれません。




知は力なり

knowledge is power

scientia est potentia

です。

ここでは(懐かしの)ロゼッタストーン状態ですので、Knowledge=scientia=知ということになります(ラテン語のscientiaが英語のscienceになります)。
同様にpower = potentia =力です。
isもestもイコールとして機能します。


我々の「知」という感覚と、knowledgeやscientiaは少し異なります。


この微妙な差を明確に理解するためには、知識の習得とはその言語の習得であると定義を変えてみるのが有効なのではないかと思います。
(というか当時の知識階級にとっては、何かを学ぶとはその前提として、言語を学ぶことでした。ラテン語、ギリシャ語、そしてもしかしたら宇宙を表す言語としてのヘブライ語を)


とある映画の中で描かれていたのは、ある言語を学ぶことは新しい能力を身につけるということでした。

しかし、これは突飛なこととは言えないように思います。


たとえば、核の力を解放しようと思ったときに、我々は時間と空間に対する理解を更新したことを思い出します。17世紀のアルケミアが設定した絶対時間、絶対空間という素晴らしい発想を放棄することで、我々は新しい言語を手に入れ(新しいというか、アップデートされたニュートン力学を手に入れ)、そして新しい力を手に入れました。


ガリレオは哲学は目の前に開かれている最も巨大な書の中に書かれていると言いました。
最も巨大な書とは、、、彼が望遠鏡で覗いてみせた宇宙のことです(ケプラーの先生であるティコ・ブラーエが肉眼で天体観測をしていたことを思い出すと望遠鏡で覗く宇宙というのは画期的でした)。



(引用開始)哲学は眼の前にたえず開かれているこの最も巨大な書[、すなわち宇宙]のなかに、書かれているのです。しかし、まずその言語を理解し、そこに書かれている文字を解説することを学ばないかぎり、理解できません。その書は数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円その他の幾何学図形であって、これらの手段がなければ、人間の力では、そのことばを理解できないのです。(引用終了)(贋金鑑識官 p.308 世界の名著21巻「ガリレオ」)
*これについて、ナシーム・ニコラス・タレブがガリレオは目が悪かったのだろうかと噛み付いたのは懐かしい話ですw
我々はプラトン主義に毒されすぎです。もしくは脳が処理のコストダウンのためにそれを要求します。


*贋金鑑識官


「時間と空間に対する理解を更新」というのは、もちろんアインシュタインの特殊相対性理論のことを指します。
昨日のセミナーでも話題にのぼりましたが、「光速度一定」という無茶な設定(無理ゲー)で世界を記述しようとすると、異なる慣性系では異なる時間の流れを想定しないと矛盾が生じます。
電車の中と駅のホームでは異なる時間の流れを想定します(電車の中の時間が遅れるのです)。

この等式において、時間を記述しているにもかかわらず相対速度が問題になります。
(ローレンツ変換について語っています)

すなわち、時間の式に不可避的に速度がからむのです。同じ方程式の中に時間と空間の座標が入ってくるということです。時間と空間は同じ座標の異なるパラメータであり、その意味ではxzyの座標と同じく交換可能です。

そしてE=mc^2があらわれ、原子力は解放されます。
(ここも気をつけなくてはいけないのは、アインシュタインが解放したのではなく、アルケミストの末裔たるケミストたちの活躍がありました。たとえばキュリー夫人などの)


我々は新しい言語を学ぶことで、新しい能力を手に入れるのです。

世界を読み取る新しい言語としての特殊相対性理論が、原子力をもたらしました。

認知科学が気功をもたらしたのと同様です(厳密には気功の大衆化をもたらしました。認知科学が生まれるはるか以前から、気功や魔術や呪術は存在しています)。

数学を学ぶことで(計算能力などよりはるかに重要な)、情報空間の歩き方を学びます。

論理学を学ぶことで、情報空間のアルゴリズムを操作する端緒につくことができます。


言語を学ぶことで(数学も物理学も論理学も音楽も言語です)、我々はいつも新しい能力を知らず知らずのうちに獲得しているのです。

気をつけたいのは、我々が学んできた数学や物理学はカニとカニカマくらい違うものの可能性があるということです。子供に教えるのはこのくらいでいいだろうと手を抜かれた原型を留めない劣化コピーの可能性があります。

魔術のカラクリとしてしばしば引用したラカンの言葉を思い出します。
人間と記号表現の関係において、わずかな変更が大きな変化を生みます。


(引用開始)人間と記号表現の関係において(この場合は釈義の手続きにおいてだが)、少しでも変更をほどこせば、人間の存在様態をつなぎとめる路線が修正されることになって、歴史の全行程が変わってしまうのである。 (引用終了)(ジャック・ラカン)


だからこそ、きちんとした教養を身につけるというのは、新しい世界の見方を身につけることであり、新しい能力を身につけることです。


科学は哲学と同様に重要な言語の一つだと僕は思います。

そして、ガウスいわく「科学の女王は数学、数学の女王は数論」です(まだ数学が女王の座にいた時代のことですね)。




その数論の美味しいところを今日の寺子屋で楽しく学びましょう!!!

そのことで着実に新しい素晴らしい能力を手にします!

お楽しみに!!






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向いてないなら 仕方ない ようやく出来る程度では 無駄に死ぬだけ きっと夢も努力も徒労に終わる

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以前も紹介したことのあるミカサ・アッカーマンの名言が



向いてないなら 仕方ない ようやく出来る程度では 無駄に死ぬだけ きっと夢も努力も徒労に終わる

です。



気功もバレエもきっとそうなのだと思います(・_・;)

向いていないなら仕方ない」のです。


向いているか否かはできるかどうかということもありますが、どれだけ情熱を注げるかにもかかっていると思います。下手くそでも情熱を尋常ではない量注ぎ続けると、不思議なもので量は質に転化します。

そういう人は「どれくらいやれば習得できますか?」とか聞きません。やれるまでやるからです。
むしろもっと課題を、もっとプレッシャーを、もっと地獄を見せて欲しいと望みます(マゾなのか?)



子供の頃に読んだ絵本の中に、帽子いっぱいの金貨を褒美にもらうという男の子の話がありました。
この主人公の男の子は機転を効かせては危機を脱出するのですが、最後の最後もまた智慧を働かせます。

帽子に金貨を入れても入れても、帽子はいっぱいになりません。それもそのはずで、帽子には穴が空いていて、その穴から地面に深く掘られた穴に金貨は落ちていくからです。

才能もこの穴の空いた帽子のようなものかと思います。

情熱も時間もお金も全て放り込んでも、いつまでたってもいっぱいにならず、それどころかブラックホールのように引力を増しながら、全てを吸い込んでいくものです。





件(くだん)の「向いていないなら仕方がない」と言われたエレンですが、実際は能力が無いのではなく、そもそも機械が故障していたのです。
ですから、無理ゲーを無理矢理クリアしなくてはいけないというまさに無理ゲー状態だったのです。


僕はふとモーツアルトやピカソのことを思い出しました。
どちらもお父さんが同業であり、英才教育を幼いころから施されています(たとえばマイケル・ジャクソンやタイガー・ウッズなどもそうですね)。




英才教育というのは一種の虐待に近いものかと思います(語弊がありますが)。

虐待は生き残った人にとっては、虐待自体が良い訓練として機能するのではないかと思います(きっとタレブに怒られるのでしょうが)。



社会は基本的に不条理ですし、自然はもっと不条理なものです。

社会も自然も自分のために存在するのではなく、ただのシステムです。システムですから圧殺することもあり、理不尽でもあります。

虐待もまた魂をあっさり圧殺しますし、理不尽です。しかし早い時期に社会や世界はそういうものと知っていることは大事な気がします。


*この世界は残酷だ


ガンジーは

死ぬ覚悟ができていれば、人は自由に生きられる

と言いましたが、虐待によって死ぬと覚悟した人も、死のうと思い詰めた人も、そこからもし生還するならば、きっと自由に生きられる可能性が出てきます(そんな簡単なことではないという批判は甘受しますが)。





虐待を肯定する気はもちろんありませんが、虐待された事実を否定する必要もないと思います。

虐待によって心が折れ続けた経験こそが、もしかしたらタレブの言うantiflagile(反脆さ)につながる可能性があります。



昨日のリニューアル版寺子屋「数論」で数学的思考という話が出ました。

数学的思考というと論理性とか計算のようなイメージがありますが、実際は翻訳能力だと僕は思います。言い換えや書き換えの能力です。

ある課題を適切に言い換えられるかという能力です。
適切にできれば、問題はほとんど解かれたも同じなのです。





たとえば「素数は有限なのか、無限なのか?」という疑問を抱いたときに、実際に素数を書き並べても、永遠に近い時間があっても、証明は不可能です。

しかし、「素数は無限である」という命題を適切に言い換えることができれば、魔法のように証明が可能なスケールに縮小させられるのです。ウィリアム・ブレイクのように、無限を手のひらに収められるのです。


素数の無限の証明は、ご承知のように背理法を使います。


素数は無限である



¬ 素数は有限である



もし、素数が有限ならば、最大の素数がある



矛盾が導ける。



背理法より、素数が無限に存在する


「素数が無限である」ことの逆は「素数が有限である」ということです。
素数が有限であるとは、素数の中で最も大きな素数が存在するということになります。

この「無限の素数」→「有限の素数」→「最大の素数」という手品のような言い換えこそが数学的思考の最も重要なポイントです。

背理法の肝はシンプルで、有限の素数の全ての積に1を足すと、どの素数でも割り切れないもっと巨大な素数が誕生してしまうというものです。

無限をあっさりと処理してしまう古代ギリシャ人の手並みは見事です。



虐待された子は地獄のような環境を回避しようとして、別な人格をつくったり、上手に嘘をついたり、相手の心読むのが上手になったりしますが、それもまた状況に対する書き換えとして機能します。

頭の良さとか、問題解決能力とはこの書き換え能力(翻訳能力)です。問題に真正面から向かわず(いやそれで解決できるなら、それに越したことはないのですが)、裏からや搦手から攻撃することで、ランダムに攻撃を続けているうちに糸口が見つかり、そして気づいたらクリアできているのです。

数学の歴史も科学の歴史もそういう試行錯誤のランダムウォークの積み重ねです(人生も)。
たっぷりと消毒された教材によるお勉強ではなく、血と汗で贖(あがな)われた本当の歴史を知り、そこに息づく先人の魂を感じることで、我々は少し賢くなります。


自らが死を賭しても学びたい、もしくは実践したいと思う何かを見つけ、そこに情熱も時間も人生も全て放り込むことかと思います。それができることが才能であり、その結果として何かを成し遂げるか否かは副次的なものです。そして打ちひしがれたとしたら、それは良いことであり、絶望も挫折も良いことです。生きているならば立ち上がれますし、人間は(タレブに言わせると)反脆いものですから、涙の数だけ強くなれます(多分)。



*昭和ですね〜
昨日のセミナーでも背理法の歌を紹介したら、平成の諸君は知りませんでした。
そして平成も終わりますしね〜。
過去はどんどん遠くなるばかりです。




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未来から過去へと時間が流れるとどうしても思えない君へ

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反対側のホームに止まっている列車が動き出したとき、自分の乗っている電車が動き出したような錯覚に囚われることがあります。

2台の列車が並んでいて、どちらかに自分が乗っていて、もう片方が動き出したときに、止まっているはずなのに、自分たちのほうが動き出したような気がするという、あの錯覚です。


走っている電車の車窓を眺めていても、あまりにずっと眺めていると、遠く向こうから踏切や駅のホームがやってきて、目の前を過ぎ去っていくような感覚に囚われることがあります。
踏切やホームが動いていて、自分が止まっているような錯覚です。


はるか先に見えるトンネルが次第に近づいてきて、ついには飲み込まれるとき、自分が移動しているというよりも、トンネルが近づいてきたような感覚があります。


時間も同じです。

自分が過去から未来へと移動すると考えるのは座標認識としては正しいです。
ただその体感としては踏切やトンネルが遠くから近づいてきて過ぎ去るように、未来が遠くからやってきて、目の前に出現し、そして過ぎ去っていきます。


明日や来週や来年は否応なしに未来からやってきて、現在の私たちを飲み込み、その時間は瞬く間に過去になります。

未来は光の速さでやってくるのです。

もちろん我々が光の速さで移動していると考えても良いのですが、寝ても覚めても意識してもしなくても移動している以上は、未来が向こうからやって来ると考える方が自然です。




新幹線で東京駅を出て、途中名古屋を通過して、新大阪に行くとします。




東京駅、名古屋、新大阪という並び順だけで時間を考えるとC系列(時間の哲学の話です。これは並びだけで、方向がありません。上りも下りもOKなのです。ですからC系列はそれだけでは成立しません)。

東京駅から名古屋へ、そして新大阪へと考えるとしたらそれは時間の哲学で言うA系列です。


新幹線に乗っていて、うとうとしていたら、東京駅を出てしまい、気づいたら名古屋に到着。
またうとうとしたら新大阪というシチュエーションを考えてみましょう。

我々は移動したのでしょうか?
確かに新幹線は東京から名古屋、新大阪と移動したのですが、実際には寝ていただけです。

むしろ名古屋が向こうからやってきて、そして過ぎ去り、新大阪がやってきて、また過ぎ去ったのです。

名古屋が向こうからはるばるやってきたのです。


時間も同じです。

時間の中を我々は移動しているとも考えられますが、時間の方が向こうから接近してきて、そしてはるか彼方へ去っていきます。


我々は巨大な新幹線に乗って、時間旅行しているようなものです。

時間は未来からやってきて、そして過去になっていきます。

自分が移動すると考えても良いのですが(視点の問題なので)、体感としては自分が止まっていて、向こうから未来がやってきて、過去になっていきます。

ちなみに空間の移動で考えると、自分が移動すると考えても、向こうからやってくると考えても運動の相対性を考えると同じことです。

ただ「自分が移動している」と考えることは難しいのです。なぜなら我々は1時間に1時間しか時間を移動できないからです。これだけコンスタントであれば、自分の意志で時間空間の中を動いたというよりは、向こうからやってくると考えたほうが肌感覚に馴染みます。



これを頭で理解し、車窓を眺めながら、身体に落とし込むことができると、、、かつての「時間は過去から未来へと流れている」という時間感覚がとても奇妙なものに思えてきます。
これはたしかに一種の洗脳であり、「先輩が偉い」「先祖が偉い」という既得権益の確保の匂いがします(逆に別に新しいものが偉いわけでもありません)。


そもそも何が過去から未来へと流れているのでしょう?

自分自身が時空間の座標を過去の一地点から、未来の一地点へと移動しているというのであれば分かります。しかしそのときも体感としては、未来が向こうからやってくるように感じるでしょう。

名古屋が向こうからやってくるように。


特殊相対性理論によって、時間の流れが慣性系毎に異なることは理論的に示され(原子時計を用いた実験でも宇宙線の観測でも示され)、そのことで時間と空間は異なるパラメータではなく、同じパラメータであることがわかりました。緯度経度と同じ感覚で時刻が並び立つのです。

であれば、空間認識の錯覚を使って、時間について考えることは不都合ではなく、むしろ正しい態度なのです。


新幹線の運転席に座っているイメージを持ちましょう(もしくはロマンスカーの展望席)。


*ロマンスカーは先頭車両に展望席があります(運転席は二階に!)

そうすると運転席に座ったような感覚を持てます。


そうすると未来が向こうから、飛び込んでくる感覚が得られます。
(自分が未来に突き進んでいくと思ってもいいですが、そうであっても名古屋駅がこちらに向かって相対的に近づいてきます)
(たしかに最終的には時間は流れないという感覚まで持っていきたいのですが、それ以前に未来が目の前に飛び込んでくる感覚を、まずはつかむほうが大事です。頭だけで理解しても役に立ちません。肌感覚が全てです)


時間に対する根本的な見方を変えることで、認識の根本が書き換わります。

このような劇的な変化を地味にひとつひとつ自分の中で起こしていくことが、強烈な能力を持つ良い土台となっていきます。


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