*本日、寺子屋「シュメールの奇跡」開催です!!
飛び込み参加も可能です!!(というか告知がそもそも直前の飛び込みですみませんm(_ _)m)
30日(月)にも追加開催をします!
そちらでもお待ちしております(^o^)
そして日曜日は身体改造計画1Dayスクールです。
これまでとまた違う身体の改造方法を1日で習得します!!
来週はヒーラー養成スクール「ブラックスワン」です。
アルゴリズムということをもう一度見なおして、そこに潜むカオス、フラクタル、ブラックスワンを理解し、活かしましょう!!!
たとえば小学校の理科の実験を考えてみましょう。
水を熱して、その温度変化を時系列で観察するとします。
その温度変化をグラフに書くと、温度と時間の関係はゆるやかに上昇するにしてもそれは直線にはなりません。
かならず少しランダムな点になります。
その点を結んでいくことはせず、うまく間を取って直線を引くように指導されます。
熱を加えたら、時間が経つにつれ温度は上昇し(相転移を起こすまでは)、それは1次関数的だからです。すなわち直線ということです。
*NHK高校講座からお借りしました(^o^)
しかしこれは本当に直線なのでしょうか??
観察したことを勝手に修正して良いのでしょうか?
小学生が観察したとおりにグラフを書くとしたら、観測した点と点を結んでこんな風になるのではないでしょうか?
*0度の水が100度になるまでの過程w
我々はしかしなんとなく直線が良いように思っています。
ですので、直線から離れてしまった点のことを誤差と言います。
測定誤差などと言い、測定の際の多少のエラーということで目をつぶって、だいたい直線とします。
なぜこれが曲線にならず、またフラクタルのようなギザギザにならず直線にならないのでしょう。
なぜなら我々はプラトン主義者だからです。
現代科学がよって立つのはプラトン主義です。
万物の後ろには法則があり、イデアがあると我々は前提として考えています。
目の前に広がる世界がランダムに見えたとしても、その後ろ側にはアルゴリズムが存在し、法則が存在し、理論が存在すると確信しています。その不完全な写像が現実世界です。
だからこそ観測された点には誤差が生じるものの、その不完全な影から完全な温度上昇を見抜くのが理性的だとされるのです。理科においてはそれを教師は生徒に求め、科学においては科学者は要請されます。
これは以前からセミナーでよく話す話しですし、もちろん僕のオリジナルではなく、村上陽一郎先生の講義の中で僕が衝撃を受けたものの一つです。
正確に観測せよ(観察せよ)と言われるにも関わらず、結論ありきの出来レースのような実験の後味の理由は隠されたプラトン主義にあります。
飛躍かもしれませんが、我々が「正義は実現する」と考え、「悪は滅びる」と確信しているのも(そうではないにも限らず)、プラトン主義の残滓なのかもしれません。
*プラトン(に扮するダ・ヴィンチ?!)とアリストテレス
小学校の理科の実験つながりでは、もう一つ似た面白い話があります。
「小学生でもわかる不確定性原理」です。
「ビーカーの中のお湯の温度を測りなさい」と先生が言った時に子供は「不確定性原理より正確な温度を知ることができません」と答えます。
なぜなら我々はビーカーの中のお湯の温度を知らないので、温度計はそのお湯より冷たいか温かいかも知ることができません。
ここに液体ヘリウムでカチンカチンに冷やした温度計があるとします。
キンキンに冷えていますw
(液体ヘリウムで冷やして飲んだり食べたりする分子料理は美味しいですけどね)
*分子料理(分子美食学、分子ガストロノミー)の紹介動画です。
その冷えきった温度計をビーカーの中のお湯にいれるとします。
すると、、、お湯は冷めます。わずかながらお湯がさめて、温度計があたたまります(わずかじゃないかもですね)。
すなわち測定による誤差が生じるのです。
もちろんわざわざ液体ヘリウムで冷やすこともないのかもしれませんが、まあ思考実験です。
逆にガラスの融点なんじゃないかくらいまで温度計を熱くしてから、ビーカーにその温度計を突っ込むと、ビーカーのお湯は沸騰するかもしれません。これもまた測定による誤差です。
激しく冷やしたり、温めたりするのは一種の思考実験です。
ポイントはお湯の温度を知って、その温度と同じ温度計を用意しないかぎりは測定には誤差が必ず生じるという事実です。
これが観測の不確定性です。
もちろんこれは苫米地先生の議論です。
小学生には「測定(観測)による誤差以外にも、それそのものが持つ不確定性もあるよ」と教えて、小澤の不等式の読み方を教えてあげれば完璧です。
*小澤の不等式については、さんざんやりましたね。寺子屋「ハイゼンベルク」で。
最初にハイゼンベルクの不等式を教え、それに追記する形で小澤の不等式を教えるほうが良いですね。
*ハイゼンベルクの不等式の導出もシンプルな顕微鏡の思考実験でしたね。
*カッコいいハイゼンベルク
ハイゼンベルクというと僕はもうこの人しか思い出せませんw
*ブレイキング・バッドの主役ウォルター・ホワイトは真っ黒なドラッグディーラー。ハイゼンベルクを称しています(^o^)
そしてハイゼンベルクと言えばもう一つ。
ハイゼンベルク本人に関するエピソードです。
実験値と理論に関して、小学校の教師のように実験結果を無視するくらいでOKだよとアドバイスしたのは、誰あろうアインシュタインでした。
これは非常に面白い話しです。
従来の価値観(ニュートン力学)を一切無視して、観測できること(時計の針やら電車の到着)から構成することで特殊相対性理論をつくりあげたのがアインシュタインでした。
そのアインシュタインが観測を放り出せという意味のことを言ったのです。
寺子屋「ハイゼンベルクの不確定性原理」でも引用しましたが、アインシュタインと若きハイゼンベルクの会話です。そしてこのアインシュタインのアドバイスこそが、不確定性原理を世に生み出す原動力となりました。
著名な物理学者の会合に呼ばれて、新しい量子力学を説明するハイゼンベルク。
アインシュタインはもっと詳しく聞きたいと彼の自宅へ招きます。1926年のことです。
ハイゼンベルクは「原子の中の電子の軌道は観測できません」とアインシュタインに言います。
それに対してアインシュタインは反論します。それも意外な形で!!
(引用開始)
アインシュタインは反論した。「しかしあなたは、物理学の理論では観測可能な量だけしかとりあげ得ないとということを、本気で信じてはいけません。」
私は驚いて聞き返した。「まさにあなたこそ、この考えをあなたの相対性理論の基礎にされたのではなかったでしょうか?この絶対時間というものは観測されないのですから、絶対時間について人は議論してはならないのだということをあなたはたしかに強調されました。規準系が運動していようと静止していようと、ただ時計の示す所だけが、時間の決定に関係するのであるということを」
「おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう」アインシュタインは答えた。「しかし、それでもやはりそれは無意味です。あるいは、もう少し控え目な意味で、われわれが実際に観測するものを思い出すことは発見の手順としては価値のあることと言えるかも知れません。しかし原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。(引用開始)
(部分と全体 pp.102-104)
おどろくべきことです。
「しかしあなたは、物理学の理論では観測可能な量だけしかとりあげ得ないとということを、本気で信じてはいけません。」とアインシュタインの口から聞けるとは夢にも思いませんでした。
ハイゼンベルクが返答しているとおりです。
「まさにあなた(アインシュタイン:引用者注)こそ、この考えをあなたの相対性理論の基礎にされたのではなかったでしょうか?この絶対時間というものは観測されないのですから、絶対時間について人は議論してはならないのだということをあなたはたしかに強調されました。規準系が運動していようと静止していようと、ただ時計の示す所だけが、時間の決定に関係するのであるということを」
それに対してアインシュタインはさらっと回答します。
*ご覧のとおりアインシュタインはイケメンでした(イケメンでプレイボーイで、まだもらっていないノーベル賞の賞金を離婚の慰謝料にするくらいの人でした)。晩年のマッド・サイエンティストのようなアインシュタイン像が流布しているのは残念です。なのでこの写真を多用します。
「おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう」
すなわち「物理学の理論では観測可能な量だけしかとりあげ得ない」ということは必要なことではなく、ある種の理論の解説の方便だということです。これは数学の証明は真理到達のためのツールではなく、説明のためのツールであると考えたニュートンに似ています(ニュートンとハーレーの対話をケインズが紹介しています)。
アインシュタインの主張はきわめてシンプルです。
理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。
これは驚くべきことです。
そしてこの驚くべきアドバイスがハイゼンベルクをして不確定性原理を発見させます。
理論がなければ何も見えないのです。理論が先で、観測はあとということです。
ブリーフが先で、そのあとに現実世界が目に飛び込みます。
話を戻しますと、アインシュタインの言う理論とはいわばイデア界です。まずイデア(理論)があって、そして何を人が観測できるか決まるのです。
誤差という概念も、観測された世界の事象にはその真なる姿としてのイデアがちらつくからこそ、我々は直線を引きたくなるのです。
科学とはプラトン主義なのです。
そしてキリスト教もまたプラトン主義であることを喝破したのはニーチェでした(ニーチェが正しくキリスト教を理解したかは別としてw)
ニーチェは「大衆向けのプラトン主義」とキリスト教を批判しました(ただキリスト教を批判したのであり、キリストのことは好きでした。Ecce homo「この人を見よ」というタイトルの本を書いているくらいです。ピラトがイエスに言った言葉です(ヨハネ19:5)。それをニーチェは自伝のタイトルにしています)
*ここでのポイントはピラトは保留か先送りか無罪放免にしたいと考えていたということですね。殺したのは大衆です。ソクラテスも似ています。ソクラテスを殺したのは人民裁判です。
19:4 するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」。
19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。
19:6 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。
というわけで、本日の寺子屋お楽しみに!!!!
【寺子屋!! ~シュメールの奇跡~】
【日時】 5月19日(木) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
(追加開催決定!!)5月30日(月) 19:00~21:00(21:30まで質疑応答!)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】 3万円
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と熱い情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
グノーシス主義の思想―“父”というフィクション/春秋社
¥2,700
Amazon.co.jp
トマスによる福音書 (講談社学術文庫)/講談社
¥1,188
Amazon.co.jp
ナグ・ハマディ文書・チャコス文書 グノーシスの変容/岩波書店
¥7,128
Amazon.co.jp
薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史/工作舎
¥4,104
Amazon.co.jp
ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥972
Amazon.co.jp
モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥1,296
Amazon.co.jp
ニーチェ全集〈15〉この人を見よ 自伝集 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房
¥1,836
Amazon.co.jp
そして記事タイトルの参照動画ですw
*懐かしいですね~
↧
【本日開催&追加開催決定】振り返れば奴(プラトン)がいるw、、、、アインシュタイン、お前もか、、
↧