Quantcast
Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

我々が音楽を楽しめるのは、我々が物理空間に閉じ込められている存在ではないから

$
0
0

本日ははじめての気功「サイキックアタック講座」です!!!
飛び込み受講も歓迎です!!!



来週の身体改造計画1Dayスクール、そして木曜日に迫った寺子屋「シュメールの奇跡」についての告知文を書かなければと思っているのですが、、、、そして6月の講座日程も発表しなきゃですね、、、まだ決めていないのですが(・_・;)

昨日、友人たちの演奏する室内楽を聴きながら、いろいろと考えました。

先日の「内なる覚醒」スクールのテーマとも重なるのですが、我々が音楽を楽しむことができるのは、我々が時間と空間の中にいる存在ではなく、時空を超えて存在するからだということです。

ちなみに時間と空間は脳と心と同じで、一つの単語です。「時間と空間」とは「時間」と「空間」ではなく、「時間と空間」というひとつの物理空間があるということです。脳と心もバラバラな2つのものではなく、一つのものです。
ただ我々は直感的には時間と空間が別なものと思っています。それは地動説の世界に住みながらも、「日はまた昇る」と天動説的な物言いをしてしまうのと同じです(ヘミングウェイですね~)。

時間と空間が同じ織物の縦糸と横糸であることを最初に示したのはアインシュタインであり、それはローレンツ変換の形で記述されました(ローレンツのほうが先に数式にたどり着いたので、ローレンツ変換と彼の名前がついていますが、ローレンツはいわば天動説だったのです。古いニュートン宇宙観を保持するために、ローレンツ変換を使いました)。


*ローレンツ変換!懐かしいですね!!!
ピタゴラスの定理である三平方の定理からの幾何学的な導出をアインシュタインの相対論の寺子屋でやりましたね。三平方の定理という三角形からはフェルマーの最終定理も出てきますし、内角の和を考えると非ユークリッド幾何学も出てきます。アルゴリズムは世界の補助線です。

「時間と空間」という織物に最小単位があることに気付いたのはアインシュタインが否定してやまなかった量子論です(否定したというよりは、その成長を助けるために徹底的に批判したという感じですね)。そもそも量子論の生みの親の一人にアインシュタインは名を連ねます。その光電効果によってノーベル賞を受賞しているというのもまた歴史の皮肉です(相対論では受賞していませんし)。

この時間と空間には最小単位があるという発見こそが、僕にはゼノンの逆理を本質的な意味で解いたと言えるように思います。最小単位とはプランク定数のことです。
より正確にはプランク単位系ですね。
たとえば時間の最小単位はプランク時間です。



ここで我々がかつて知り得なかったミッシングリンクはプランク定数です。それ以外は次元という考え方で見れば、シンプルに見えてきます。

プランク単位系はおなじみかと思いますが、一応確認しておきましょう。

これは重要な5つの物理定数を1とする単位系のことでした。
重要な5つの物理定数とは、光速度(真空中)、万有引力定数、ディラック定数(というかプランク定数ですね、それを2πで割ったものです)、クローン力定数、ボルツマン定数です。

光速度や万有引力はおなじみですし、プランク定数もおなじみです。クローン力は電磁気力でおなじで、ボルツマンと言えば統計力学であり熱力学です(この2つの相違についてはかつて書いたのでここではざっくりと同じとします)。

僕はこのプランク単位系はアベンジャーズに見えます。
それぞれの物語を背負ったヒーローたちが揃ってお目見えする感じですね。


*まだ観ていません(^o^)

光速度と言えばマクスウェルでありアインシュタイン、万有引力と言えばニュートン、アインシュタイン、クローン力と言えば電磁気学の英雄たちが思い浮かび(まあ筆頭はマクスウェルでしょうが)、ボルツマンはひとりで熱力学は起こしました。ディラック定数、プランク定数は量子論でおなじみです。

そんなキラキラした感じで、プランク単位系を理解してください。

ちなみに彼らをつなぐのは「正義」ではなく、次元ですw
相容れないような世界のものを次元がつないでくれます。


少し脇道にそれたので、駆け足で戻ると、我々の時間と空間には最小単位があるということです。
最小単位があるということは、見かけほどには世界は連続的ではないということです。
離散的です。バラバラなのです。

バラバラというよりは、パラパラです。
パラパラ漫画みたいなものです。
パラパラ漫画を小学校できちんと履修しなかった人は多くないのではないでしょうか?
授業中に暇な時にノートや教科書の隅に漫画を書きます。
パラパラ漫画です。パラパラとめくると動画のように見えます。

パラパラ漫画と言えば、このブログでも何度も紹介している鉄拳の振り子が最高ですね。


*獅童さん主演で映画化されていたとは知らず、、、、。

我々の世界はパラパラ漫画だったのです。
もちろんより厳密に言えば、空間も離散的ですので、電光掲示板のようなものです(電光掲示板というメタファーは僕のオリジナルではなく、朝永振一郎さんが書籍で使っています)。
もしくはモニター画面みたいなものですね。素子の最小単位が存在するということです。

たたとりあえず時間方向だけを考え、時間方向の離散性のみを考えます(偏微分みたいなものですね。一つを止めて、定数として計算するようなものです)。

そうすると我々の世界は連続的なべったりとした羊羹(ようかん)のような世界ではなく、むしろバラバラに切り取られたクッキーのような世界であったということが分かります。
もしも連続的な羊羹(ようかん)であれば、無限分割が可能ということです(羊羹は無限分割できませんが、連続は無限分割可能という定義ということです)。
無限分割が可能だとすると、さまざまな矛盾が生じます。
(僕が思い出すのは、1単位の羊羹を無限に分割して、それをもう一度足し合わせると無限の羊羹ができるという話しです。現実にはありえないのですが、数学宇宙ではありえます、、、多分)
(そうすると問題は、統辞論と意味論の対立ということになるかと思います。アルゴリズムの世界と現実世界の対立です。数学宇宙と現実宇宙の対立と考えても良いかもしれません。SyntaxとSemanticsですね。1+1=2というアルゴリズムと、1個のリンゴに1個のリンゴを足すと2個になるという話は別の世界の出来事なのです。ただそこに架橋することができるということです。いわゆる完全性定理です。
完全性定理で思い出すのはクリプキ様の様相論理の完全性定理ですね、いわゆる可能世界意味論です。そして述語論理の完全性を示したのはゲーデル先生でしたね)。

僕自身のゼノンの背理(パラドックス)の理解は時空が連続であるという仮説が間違っているという背理法であるというものです。
宇宙はべったりと連続的なのではなく、離散的であり、そして恐ろしいことに確率論的なのです。もぐらたたきのように、ぴょこぴょこと飛び出てきてそれはランダムなのです(微視的にはランダムですが、確率論的なので、巨大な試行回数の前には大数の法則が働き、きわめてニュートン力学的な決定論的な世界が目の前に広がります。しかしそれは我々が量子的な世界からすると十分に大きいからです。目が悪いだけです。
「目が悪いから見えない」と開き直れるのは凡庸な日常のオーダーだけで、ご承知のように当然ながらIC回路のように量子トンネル効果を想定しなくてはいけない状況はそれこそ日常的にあります。

神話と同じく、科学という象牙の塔での不思議な教典は、現実世界にリアルに影響を与えています。もちろん神話の世界観もただのお話しではなく、日常生活にダイレクトに響いています。

我々が科学や数学をすこしでもかじる必要があるのは、知ることでより世界を整合的に観ることができるからです。謎が解け、世界が明るくなるのは楽しい経験です。


話を戻します(^o^)
最小単位が存在するということは、離散的であるといことであり、連続ではないということです。
ということはパラパラ漫画だということでした。
パラパラ漫画も映画もアニメもカラクリは同じです(アニメはアニマから来ており、まさに魂が宿るのです。アニマとはギリシャ語プシュケーのラテン語訳です)。
紙に描いたただの絵がイキイキと魂を持つのです。

我々も同様です。

もし我々が自分が物理空間にいると考えるのだとしたら、物理学的に考えれば、次元の中に閉じ込められてしまうのです。

離散的というのは次元のギャップがあるということです。


2次元空間に住むアリは小川を渡れません。
彼らは2次元方向なら自由に動けるのですが、高さの方向に移動することはできないからです。
しかし3次元の住人である人間は小川をまたいで越すことができます(人間も飛ぶことはできないんですけどね)。

アリは2次元の世界にいるので、2次元世界の断層を越すことができません。
しかしひとつ上の次元の存在は越せるのです。

すなわちもし人間が物理空間に囚われている存在ならが、離散的なこの物理空間のギャップを超えることができないのです。アリにとっての小川と同じです。

しかしなぜこの断層を我々はやすやすと超えているのでしょうか?
それもプランク時間を考えれば、1秒が10の44乗回も断層を超えています。

1秒って長すぎですねー。




すなわち我々はアリではなく、人間だということです。

物理空間の4次元に囚われている存在ではなく、その上の次元の存在なのです。


音楽を楽しめるのも、我々が情報空間の存在だからです。
たしかに一義的には物理空間に表現された音を聴くのですが、実際は時間を超えて音の連なりを観ることで、楽しむものです。

物理空間に写像された音を介して、演奏者なり作曲家が描きたかった世界を垣間見ます。

我々はそれぞれのプランク時間に閉じ込められて永遠に音楽を楽しめない存在でなくてよかったと思います。



*今月のスクールはブラックスワン。アルゴリズムの極北にあるものを掴みましょう!!!


そうそう先日の寺子屋の参照動画です!!

まずはアマンダ・パーマーのTEDレクチャー




*アマンダ・パーマーの"Want It Back”もまたコマ撮りですね~パラパラ漫画です。


そしてもう一人がデビッド・ブレインのTEDレクチャーです。
マジシャンですね。
まさに無限にすら感じる意志力です。鍛錬の賜物です。




*デビッド・ブレイン、次期大統領(候補w)のトランプと共に。


この2人が取り上げられていたのはこちら↓

WILLPOWER 意志力の科学/インターシフト

¥1,944
Amazon.co.jp


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3544

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>