バレリーナの卵へ
伸び悩んでいる数年間。
教師には「やる気がない」と言われ、注意されたところは気をつけていても毎回うまくできない。
バーレッスンの途中で息があがり、シソンヌするだけでも着地が不安になる。ピルエットは好きだったはずなのに、センターレッスンで踊るころには必死になってしまい、吹っ飛ばないようにするのがやっと。
楽しかったはずのバレエが苦行になっていて、それでも休むと罪悪感におそわれる。
でもこのまま続けても上達どころが、どんどん下手になっている感じがする。
「やる気がない」と言われても、気持ちの上ではやる気はあるし、きちんと聞こうと思っているし、復習もしっかりしている。レッスン帰りには今日先生から言われたことをノートにきちんとメモして、毎回復習しているのに、、
でも、実際にレッスンが始まると、頭が真っ白になる、、、、、
気持ちも前向きで努力もしているのに、結果に結びつかないのはなぜでしょうか?
その前に、、、
ローザンヌでバレエ教師をこの8年ほどされているパトリックアルマンさんの言葉です。
Swissinfo.chからの引用です。
swissinfo.ch: 日本では、若いダンサーたちが学校の後に4時間も5時間も練習しているとよく聞きます。それをどう思いますか?
アルマン: そんなことをしても、意味がない。そんなことを続けていたらバーンアウトしてしまう。夜の11時までダンスの練習をさせるなんてばかげている。4年もすればやり過ぎで、もう何もしたくなくなるだろう。
もちろん、本人が夜遅くまでやりたいというのであれば、それは別だ。本人が向上したいからというのであれば、頭も身体もそのために準備ができているので長時間の練習がたまにはあってもいい。だが、教師が強制することはいけない。人生にはバランスが大切だ。
バランスとは、ダンスだけではなく、他のことをやることも意味している。人生の他のことも発見しなくては。ダンスとは表現なのだから、人生体験がなければ、表現ができない。16歳でも17歳でも、練習場から出て演劇を見に行ったり、美術館に行ったり、読書したり、いろいろなことを吸収して、表現力を高めなくては。
と言うのも、テクニックだけに頼っていたら行き詰まる。自分より高く飛べたり、ピルエット(つま先を軸として回転する技術)がもっとうまくできたりする人は次々と現れてくる。そこで生き抜くには、ダンサーの人格や舞台での表現力が必要になってくる。そこで、もし人生の経験がなかったら、何を表現しようというのか…。
もちろん、毎日の練習は大切だ。ダンスというのは、ほんのわずかな時間に最大限の力を出す芸術。特にクラシックの踊りは、20分間ノンストップで踊ることもある。だからスタミナもいる。だが、4時間も5時間も同じ練習を続ける必要はない。
余談ですが、ジャズダンスのカンパニーで12時間ぶっ通しのリハーサルをしていたところを知っていますが、それは練習ではなくリハーサルです。
ヤニック・ボカンという世界的なバレエ教師は、バレエ団に入るまでに日本では10年近くバレエを学ぶと聞いて驚いたそうです。「10年も何を学ぶんだ?」と。
かつて僕はバレリーナの卵が伸び悩む理由のほとんどはバレエをよく知らない教師が適当なことを教えているからだと思っていました。それはそれほど間違ってはいなく、個人セッションなどで話を聞くと、かなりぶっ飛んだ理論で間違ったことを教えている先生もたくさんいらっしゃいます(「間違った」というのは、少なくともプロのバレエ団の常識ではないという意味です)。
エシャッペ200回というのも比喩ではなく、本当にやらせているようです。腹筋や背筋などの筋トレも意味はありません(全く腹筋が無い場合は意味が少しはありますが、数ヶ月でそのトレーニングは意味を失います)。
バレエ団に所属したこともなく、ひどい場合ではご自身が踊ったこともないのにビジネスになるからとバレエスタジオを初めて、ご自身が見よう見まねで教える方もいらっしゃるそうです(そのようなバレエスタジオが流行っていたりするのがまた面白いところです)。
もしくは数年学んだ生徒が中学生になると、そのスタジオの教師になることもあるそうで驚かされます(塾の業界と似ていますね。数年前に学んだことを子どもが子どもに教えています。ほとんどの塾と個別指導は大学生です。もちろん結果を出せれば、良いのですが。ちなみになぜ大学生バイトしかいないかと言えば、少子化もあり、塾も予備校も個別指導も利益を生まないからです。3大予備校の一角であった代ゼミが潰れるわけです。あ、潰れてないですね、大半を閉鎖しただけですね)。ただ中学生に小学生を教えさせるのはいかがなものかと思います(あ、僕自身も中学生のときに塾で中学生を教えていたので、人のことは言えません。ただ私立と公立では圧倒的な差があるので、良いかとは思いますが)。
だからこそ、正しい知識を公開すれば、上手になると思っていました。
これ自体はかなり成功をおさめたと思います。バレリーナの卵だけではなく、現役のバレリーナからも喜ばれることも多くありました。
しかし、、、人はパンのみに生きるにあらず、、でした。
理論と知識だけではどうしようもない壁があります。
これはバレエの構造的な問題だと思っています。いやバレエだけではなく、他のスポーツにも言えることかと思います(ただ一般化する気はありません。「まといのば」はあくまでもバレリーナ専門なのでw)(なぜヨガを教えているのか言えば、ヨガとバレエの関係は水平ではなく垂直だからです。バレエのサブクラスがヨガだからです)。
で、何がバレエの構造的な問題かと言えば、それは「慣れてしまう」ということです。
バレエの動きにも、教師の注意にも脳が慣れてしまうのです。
「慣れる」とはどういうことかと言えば、動きが刺激にならず、教師の注意が耳に入らなくなるということです。
動きが刺激にならないというのは、バレエの動きが筋肉に対する適切な刺激にならないという意味です。
すなわち、その結果として筋肉は変わりません。ということは、上達しないということです。
別に筋肥大を目指しているわけではなく、神経というレベルでも同様です。上達しないのです(本音を言えば、筋肥大も神経回路の習得も目指したいところです)。
教師の注意が耳に入らないというのは、聞いてはいるし、実践しようとしているけど、脳はそれを新しい情報として認識しようとしないということです。新しい情報として認識しないので、捨てられてしまいます。意識の上では一生懸命に学ぼうとしていても、脳がそれを不要なものとして捨ててしまうので、結果的に学べないということです。
「慣れ」ということから演繹される結果は恐ろしいものです。どれほど練習しても、どれほど注意深く聞いても、ざるで水をすくうようになるからです。
だからこそ、パトリックアルマンさんは「そんなことをしても、意味がない。そんなことを続けていたらバーンアウトしてしまう。夜の11時までダンスの練習をさせるなんてばかげている。4年もすればやり過ぎで、もう何もしたくなくなるだろう。
もちろん、本人が夜遅くまでやりたいというのであれば、それは別だ。本人が向上したいからというのであれば、頭も身体もそのために準備ができているので長時間の練習がたまにはあってもいい。だが、教師が強制することはいけない。人生にはバランスが大切だ。」とおっしゃっています。
長時間練習することが意味があるわけではありません(ただ例外はいつもあります。「本人が向上したいからというのであれば、頭も身体もそのために準備ができているので長時間の練習がたまにはあってもいい。」とは言え、「たまに」ですが)。
ちなみに「まといのば」ではいまRayZapや脳筋などで高強度の運動を薦めていますが、これも自分がやりたい場合に限ります。健康のためにとか、減量のためにやることは全く薦めていません(IQのためにやるのはOKですw)。
というか「何かのために」やるのは、いわゆるこれらの高強度の運動の素晴らしい効果のほとんどをドブに捨てる所行です。
毎日、走るのも良いですが、それは走りたいから走るべきです。ダッシュしたいからダッシュするようにデザインすべきです(ここらへんのところが来月の身体デザインスクールでもテーマになります)。
あまりコーチングの用語を使いたくないのですが(なぜなら早とちりして、分かったつもりになる方が頻出するからです)、Want toですることであり、have toではしてはいけないということです。
ざっくりと「運動」と言っても、運動はしたいからするのであり、間違っても減量のためとか、健康のためにしてはいけません(今月開催した「脳筋」ではそのあたりの機序を明確に説明しました)。
そうではなく、自分のゴールが存在し、そこからの光が重要性を付与するからその「運動」をしたくなるのです。
暑い夏に喫茶店に向かってダッシュするのはその意味では「健康のための運動」ではありません。脂肪燃焼するために涼しい喫茶店にダッシュするわけではありません(脂肪燃焼したければ、ずっと暑い外にいたほうがいいでしょうしね)。
ここらへんがもし正確に分からないのであれば、分かるまではジムに契約することも、パーソナルトレーナーをつけることも、クロスフィットに入ることも待ったほうがいいですw
ボタンを掛け違え、ハシゴの位置を間違えるとあとでの修正が大変です。
シンプルな話です。何のために自分が行動するかを間違えてはいけないということです。
(面白い話ですが、身体を動かすことが効果があるわけではないことは、ラットの実験でも示されています。重要なのはいつもゴールです)
で、話をバレエに戻します。
(ちなみに間違っても、「バレエをhave toではなく、want toでやれ!」などという俄コーチの戯れ言みたいな話しではありません。好きでやっていて、才能もあって、容姿にも恵まれ、親や周囲の理解もあって、圧倒的な努力をしているジュニアに向けてこのブログ記事は書いています)(ちょっと理論をかじった程度でわかった気になって、高額のFeeを取れると妄想する、、、自己検閲中)
構造的な問題というのは、バレエを10年やってきて身体が慣れてしまったということです。バーレッスンにも、教師の注意にも悪い意味で慣れてしまったのということです。
もちろんクラスも上がり、難易度も上がっていることは前提です。しかしそれは適切な刺激にならないということです(だからと言って短絡的に「もっと難しいことをやらせればいい」わけではありません)。
まあ、いずれにせよ、この問題に関して、「まといのば」は真に驚くべき解決方法を見つけたようですが、この余白はそれを書くには狭すぎるようですw
ちなみにカラクリはいつもながらシンプルです。
そしてそこから導ける解決をシンプルに書くならば(解決策は少し複雑です)ポイントは2つあります。
1つは当然ながらGoal Drivenであること、もう1つはこれも繰り返しになりますがProgressive Overlord(過負荷漸進)です。
興味がある方は問い合わせてくださいw(返答は期待せずに。熱意があれば応えますが)
「豚に真珠」に続く聖書の言葉は「叩けよさらば開かられん」です。
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
7:12 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
「魚を求めるのに、へびを与える者があろうか」は神気功のテーマの1つでした!!
*写真はイメージです。本文とは一切関係がありませんw
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「もし人生の経験がなかったら、何を表現しようというのか」〜アンダートレーニングは人生を破壊する〜
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