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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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「神さまを味方につける」ための簡単な気功術とは何か?

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15期ヒーラー養成スクールのテーマは「神さまを味方につける気功術」でした。
おかげさまで大盛況の中、終わりました!!!(自画自賛w)

今回のテーマは、、、、

いかに神さまを味方につけるか?

神さまとは一体何なのか?

「なぜかうまくいく!」ための方法論はどんなものなのか?

などなどについて、科学的に哲学的に神話学的に考察し、ワークをしました。


カラクリはいつもながら猛烈にシンプルです。そして私たちがすでに良く知っているものです。
よく知りすぎていて、その価値が分からないのです。
幸せの青い鳥は長い冒険の果てに、自分のホームに見つかります。

宗教や哲学や神話というのは、ただこのことだけを伝えるために古来、様々なカタチで語られてきたのではないかすらと思えてきます。

よく語れるジョークに、「イエス・キリストがもし現代に生まれたらきっとキリスト教徒にならないだろう」というものがあります(というか、むしろキリスト教を猛烈に批判して新しい教えを広めそうですwというか、あくまでジョークですm(_ _)m)。

同じように釈迦の教えと仏教が全く異なることも私たちは理解しています。

教科書と教科書ガイドみたいなものです。教科書は素晴らしいけど、教科書ガイドは大学生のバイトが書いているので、ガイドになるどころかミスリードしてしまうのです(教科書ガイドに関しては、もののたとえであり、現実とは異なります!)。教科書がイエス、教科書ガイドが教団です。

だからこそ信仰ではなく、自分の神を見つける必要があります。我々の神ではなく、誰かの神でもなく、「たったひとりのほんとうのほんとうの神さま」(宮沢賢治)です。



15期ヒーラー養成スクールはかなり無茶な試みであったと思いますが、受講生の熱心さのおかげもあり、当初の想定を超えた領域まで進むことができました。

重要なのは神話や宗教や哲学という「指」が指し示す「月」です。
我々はまず「月」に乗り込み、そしてそこから演繹される「指」としての神話や宗教や哲学を総覧しました。


*懐かしいですね~英語講座English Kindergartenですね。
Don’t concentrate on the finger, or you will miss all of the heavenly glory!
今月から再開しましょう!!


「月」に乗り込み、それを理解し、それを体感すると、月を指し示す指である「神話」の意味が腑に落ちます。

パズルのピースがきちんとはまり、素晴らしい絵が出現するような感動を覚えます。




たとえば、イスラム神秘主義スーフィーのルーミーのこんな詩があります。

きみが神の友ならば、炎は水である。
何百枚という蛾の羽を欲したまえ、
それらを、一晩に一組ずつ、燃やしてしまえるように。
蛾は光に向い、炎の中へと飛び込む、
きみも炎を目指して、光に向いたまえ。

炎は、神が世界を焼きつくすためにあり、
水は世界を守るためにある。

いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた。
きみが持つ目には。
水の姿を持つものは燃え、炎の姿を持つものの
内部は大いなる救いである。(ルーミー「疑問」)



*ジャラール・ウッディーン・ルーミー(13世紀)。ペルシャ語文学史上最大の神秘主義詩人。

そして、いつも対で出すバガヴァッド・ギーターのこんな一節も。

集められた魂は目覚める
霊(アートマン)の知識の中に
それは無知の者には暗夜である。
無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚める
それを彼らは日光だと思う。
だが見者にとってそれは暗黒である。(バガヴァッド・ギーター2章69節)


この2つは同じテーマを描いていて、それはプラトンの「国家」を読むと、見えてきます。

我々は洞窟の中の住人だとプラトン(が描くソクラテス)が語ります。


*ソクラテスとプラトンではなく、プラトンとアリストテレスですが、、、


本文はこんな感じです。

地下にある洞窟状の住いのなかにいる人間たちを思い描いてもらおう。光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの住いのなかで、子供のときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ていることになって、縛めのために、頭をうしろへめぐらすことはできないのだ。彼らの上方はるかのところに、火が燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。(プラトン「国家」)


洞窟の中にいて、壁に映る影だけを見て暮らしている奇妙な住人たち(そしてソクラテスいわく、その奇妙な人々とは我々のことです)が、もし縛(いまし)めを解かれ、後ろの松明のほうを見ることができたら???

彼らの一人が、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光を仰ぎ見るようにと、強制されるとしよう。そういったことをするのは、彼にとって、どれもこれも苦痛であろうし、以前には影だけを見ていたものの実物を見ようとしても、目がくらんでよく見定めることができないだろう。(プラトン国家第7巻1c)

まさに、

「集められた魂は目覚める
霊(アートマン)の知識の中に
それは無知の者には暗夜である」


洞窟の中にいるものにとっては、外の光はまぶしくて逆に何も見えません。

しかしいくらまぶしくても、ゆっくりと慣らしていけば慣れます!!

ソクラテスはこう言います。

だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。ーーまず最初に影を見れば、いちばん楽に見れるだろうし、つぎには、水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その実物を直接観るようにすればいい。そしてその後で、天空のうちにあるものや、天空そのものへと目を移すことになるが、これにはまず、夜に星や月の光を観るほうが、昼間太陽とその光を見るよりも楽だろう。(プラトン「国家」516A)

ポイントは、、、、、、「慣れ」です!!!

ソクラテスいわく「慣れ」が必要だと。

まさに過負荷漸進の法則です。少しずつ負荷を適切にかけて、継続していけば良いのです。

そうすると目がなれて、見ることができるようになる、と。

ひるがえって、我々は洞窟の影を見ていると思っていますが、洞窟の影ではなく、私たちは洞窟の壁にうつった光を見ています。そして光がないところを影として認識しています。



ルビンの壷と似ています。

壺が図として、背景を地としたときに、その「図と地」を反転させたときに、向き合う二人の顔が見えてきます。錯視の一つですし、あまりに有名な絵です。

そこに私たちは壺ではなく、顔を観ます。しかし、実際には顔などどこにもありません。目や耳があるわけではありません。
具体的な顔の部分は闇です(もしくは真っ白です)。
そうではなく、壺の縁取りを我々は眺めているだけです。そしてその縁取りに向き合う一組の顔を投影しています。


洞窟の影も同じです。

我々は影ではなく、光の粒子を観ており(光の粒子が目に飛び込んできており)、光以外を見ていません。
しかし脳は光っている部分以外を「影」として認識します。

ですから、イデアの影とは影以外の光の部分です。そう考えるとイデアが最後には太陽となるのも理解できます。松明の炎の源泉は太陽だからです。太陽という核融合炉から発せられるエネルギーが電磁波のカタチで地球に降り注ぎ、その光エネルギーを固定化することを光合成と言います。光合成によって植物は自分の身体をつくります。その光エネルギーが変換されたものが木であり、それを再び光エネルギーと熱エネルギーに変換させたものを松明と言います。
松明の源泉は太陽です。ですからいわば太陽というイデアの変形、もしくは劣化コピーが松明ということです。
その松明から飛び出した光子の一部が洞窟の中にいる人の網膜にあたり化学反応を起こして、「見る」ことが可能になります。すなわち、洞窟の住人が「影を見ている」とは、太陽に由来する光を見ているのと同義ということです。

ただ直接ではなく、何段階ものエネルギー変換を経ています。この変換を写像であると考えれば、太陽のコピーのコピーのコピーを洞窟の住人も見ていることになります。

その薄暗い洞窟を抜けて、外に出ます。
そして目が潰れんばかりの明るさに慣れて、外の世界を見るようになったとします。すべてが洞窟の中で見ていた世界にくらべれば、はるかにくっきりと明るく見えます。そのことに歓喜します。

そしてこの体験をひとりでも多くの人にしてもらいたいと思います(まさにヒーラー誕生ですw)。

その洞窟の外にいる人が、洞窟の中にいる人々を救い出そうとして、洞窟の中に入るとしたら、どうでしょう。
あまりに暗くて何も見えません。
すると、洞窟の中の人は嘲ってこう言います。

お前は目が見えなくなったのか、と。抽象度とか情報空間とか難しいことを学びすぎて、逆にバカになったのではないか、と。

洞窟の中の人には見えて、洞窟の外に出た人には見えないのです。

まさに、


無知の者は自らの感覚的な生命の中に目覚める
それを彼らは日光だと思う。
だが見者にとってそれは暗黒である。


です!


とは言え、謎解きも楽しいのですが、それよりは落下傘方式で、まずは一番上まで駆け上がり、そこからそれぞれの神話に降りて行きましょう!!

ということで15期ヒーラー養成スクールを開催しました!!
受講生の皆さんはガツガツ復習して、楽しく実践してください。


運命を神の手にゆだねることです!!


15期スクール報告はまた続きます!!(多分!)


【書籍紹介】
というわけで、スクールでもワークしたカーネマンのような心理実験はこちらです。
人間の脳の不思議を痛感させてくれます。
「神の手にゆだねる」と言った比喩表現は脳は比喩だとは思っていないことが理解できます。
「あたたかみのある人格」と「あたたかいお茶」の「あたたかい」は同じ言葉(Logos)なのです。


どちらもタイトルはかなりキャッチーですが、内容はきちんと骨太です。

安心して下さいw


赤を身につけるとなぜもてるのか?/文藝春秋

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運動についてはこちらを参考にしてください!
プラトンの言葉はこちらの冒頭にあります!!

人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。

教育と運動である。

しかし前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。

その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。

このふたつの手段によって、人は完璧な存在となる。
     
ーーープラトン


脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方/日本放送出版協会

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