Maroon 5(マルーンファイブ)の名前を知らなくても、音楽は耳にしたことがあると思います。
Maroon5には、Sugar(砂糖)というあまーい恋の歌があります。
(ちなみにPVはもっと甘くて、本当の結婚式に次々とリアルにサプライズ出演していくというものです。列席者のリアルな反応と表情に心動かされます)
そのSugarの冒頭はこんな風にはじまります。
*結婚式にサプライズ出演。これは演出ではなく、本当のサプライズだったようで。出席者が撮影した映像もYoutubeにアップされています。
I'm hurting, baby, I'm broken down
I need your loving, loving
I need it now
(僕はひどく傷ついている、もう心が折れそうだ
君の愛が、愛が欲しいんだ
いますぐ欲しい)
そして途中にこんなセリフが挟まります!
Need a little sweetness in my life
(ほんの少しだけ甘さが欲しいんだ、僕の人生に)
でもこれって聞きようによっては、苛烈な人生を送っているという戦士の歌にも聴こえなくもありません。
「人生に甘さ」が欲しいけど、そんなものはCry for the moon(得られないものを欲しがること)だと分かっているという諦観の歌だと。
以前、ポール・マッカートニーの「Yesterday」が失恋の歌ではなく、亡き母への追憶の歌であったことを書いたことがあります。人は恋歌にメッセージをさらっとまぎれこませます。恋の歌にするのがいわば大衆化です。ポールの創作の秘密と糖質制限だけではダメな理由 ~何を食べようかと思いわずらうな~2014-06-14
ピーター・ティールは「隠れた真実(important truth)」の周辺にビジネスを築くと言います。そのときにいかに難解で多くの人が反対するような真実を、大衆向けに書き換え変えるは大事です。
ちなみに余談ながら、「隠れた真実」とは意訳であり、「ほとんど誰も同意することない重要な真実」が正確です。ただ地政学ではないですが、極端なシンプル化をすることで多くの人の記憶に残り、社会のアルゴリズムになります。
開業スクールでも、自分のビジネスの切り口は極端にシンプルにしています
Whenever I interview someone for a job, I like to ask this question: “What important truth do very few people agree with you on?”(Zero to One)
Sugarという非常にシンプルな誰の記憶にもその強烈な甘さと共に残る切り口、恋の歌という大衆性の中で、「Need a little sweetness in my life」という強烈なメッセージを挟み込みます。
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あまりにかっこ良いアダム・レヴィーンですが、僕はキラーナイトレイの主演映画「Begin Again(はじまりのうた)」でのアダム・レヴィーンの印象が強烈です(こちらの記事「「無限に重なった亀の塔という宇宙像をたいていの人は、ひどく滑稽に感じるだろう(ホーキング)」で少し言及しました)。キラーナイトレイとアダム・レヴィーンは最初は仲の良い恋人ですが、アダム・レヴィーンだけがデビューし商業的に成功して、、、、お決まりのように破局を迎えます。
そして失意の中でキラーナイトレイが歌った曲が天才プロデューサーの目にとまりレコーディングをスタートするという、なんともあらすじを書くと凡庸ですが(いや、僕の紹介の仕方が下手なのです)、というわけで、HPから引用。
(引用開始)ミュージシャンのデイヴ(アダム・レヴィーン)と恋人のグレタ(キーラ・ナイトレイ)は、二人で作った曲が映画主題歌に抜擢されてメジャーデビューが決定。初めて、ニューヨークにやってきた。今までとは違う、セレブのような生活。しかし、スターとして忙しくなるデイヴとすれ違いの日々が続くなか、彼の浮気が発覚。夢のような状況から一転、行き場の無い孤独へと突き落とされてしまったグレタは行くあてのないまま街をさまよい、旧友であり、売れないミュージシャンのスティーヴ(ジェームズ・コーデン)の家へ転がり込む。(引用終了)
というか、予告編(Trailer)を観るのが1番です!!
*映画「はじまりのうた(Begin again)」
『はじまりのうた』(Begin Again)は、2013年のアメリカ合衆国の音楽映画。監督および脚本は、『ONCE ダブリンの街角で』の監督であるジョン・カーニー。主演はシンガーソングライターを演じたキーラ・ナイトレイと音楽プロデューサーを演じたマーク・ラファロ。マルーン5のアダム・レヴィーンが映画初出演。劇中歌『Lost Stars』が第87回アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた。Wikipedia
その中でアダム・レヴィーンが歌うLost Starsという曲があります。良い曲です。
*「はじまりのうた」劇中歌「Lost Stars」
途中の歌詞にしびれます!いや全編しびれますが!
God, tell us the reason youth is wasted on the young
It's hunting season and the lambs are on the run
Searching for meaning
But are we all lost stars, trying to light up the dark?
まずはBut以下でLost starsというこの歌のタイトルの意味が明かされます。
But are we all lost stars, trying to light up the dark?
先日の英語講座でやりましたが、Butが出てきたら重要であることが多く、そして倒置が出てきたら強調です!!ですので、この文章はとても大事ということです(疑問文は強調のために倒置で、いまは平叙文でも平気で「?」をつけて疑問文とします。ですので疑問文だから倒置構文ということではありません)。
We = Lost stars
と読めます。そして後ろから説明です(前から限定、後ろから修飾)。
Lost starsとは、暗闇を明るくしようと試みるlost strasです。
the と限定している以上は「たったひとつの」闇です。
God, tell us the reason youth is wasted on the young
神様。教えて下さい、なぜ若者は若さを無駄にするのですか?
It's hunting season and the lambs are on the run
Searching for meaning
狩りの時期なので、犠牲の子羊(the lambs)は走り回り、姿をくらましています。
ひたすら意味を求めながら。
But are we all lost stars, trying to light up the dark?
しかし、わたしたちはみんな迷える星なのでしょうか?暗闇を明るくしようともがく迷える星なのでしょうか?
かなり象徴的でありながら、かつ臨場感高く具体的です。
そしてこんな歌詞もあります。
Woe is me(苦悩の原因はいつも自分)
if we're not careful turns into reality(もし注意深くいなければ、それが現実になる)
深い、、、
というわけで、Maroon5のSugarです。
開業スクールをしながら、この動画を見て思ったのは、僕らはどちらのサイドに回るかを決めなければいけないってことです。
アダム・レヴィーンのように人を喜ばせる側に回るか、すなわち次々と結婚式を忙しくまわり、歌って次へ行く慌ただしさの人生を選ぶか?自分が追求した世界を、わかりやすくシュガーコーティングして提示シて、人を喜ばせ、社会に機能を果たす人生を選び、そして、現実の中の空虚な熱狂ではなく、物理世界を超えた情報空間にリアリティを感じ、醒めて現実を眺めるのか、それとも熱狂の中で物理的現実世界こそが現実だと信じるのか。
以前に小林秀雄がロンドン・オリンピックについて語った文章を引用しました(「走れ、走れ! 僕の行けなかった道を」の傲慢)。
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*小林秀雄もアダム・レヴィーンに負けてませんw
(引用開始) 先日、ロンドンのオリンピックを撮った映画を見ていてが、そのなかに、競技する選手たちの顔が大きく映し出される場面がたくさん出て来たが、私は非常に強い印象を受けた。カメラを意識して愛嬌笑いしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現わす。むろん人によりいろいろな表情だが、闘志などという低級なものでは、とうてい遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでもはいって行こうとする顔である。この映画の初めに、私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手だけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。かようなことを選手に教えたものは言葉ではない。およそ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である、芸であります。見物人の顔も大きく映し出されるが、これは選手の顔と異様な対照を現わす。そこに雑然と映し出されるものは、不安や落胆や期待や興奮の表情です。投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか。彼らは征服すべき自己を持たぬ動物である。座席に縛りつけられた彼らは言うだろう、私たちは戦う、しかし征服はしない、と。私は彼らに言おう、砲丸が見つからぬ限り、やがて君たちは他人を征服しに出かけるだろう、と。また、戦争が起こるようなことがあるなら、見物人の側から起こるでしょう。選手にそんな暇はない。(引用終了)小林秀雄「私の人生観」pp.122-123
印象的な二項対立です。
(二項対立と言えば、Readingの魔法のメソッドに入った英語講座のポイントは、、、、、
First things first.
Topic sentence,
last sentence,
repetition,
comparison,
example,
cause & effectでした。
で、たとえばこの二項対立はComparisonが該当します)
「私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手だけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。かようなことを選手に教えたものは言葉ではない。およそ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である、芸であります。」
開業スクールにおいて、自己に深く入り、膨大に学びながら、自らの切り口を洗練させていく作業は「およそ組織化を許されぬ」手仕事であり、芸と言えます。しかしだからこそ情報空間に価値ある場を創りだすことができ、その写像が物理世界に落ちてきて、圧倒的な結果を出します。
そしてその作業の果てに、あちら側に辿り着いた自分を発見します。
開業スクールのメンバーにおかれましたが、いまはかなりハードな時期ですが、がんばりましょう!!!
(開業したあとのほうがもっとハードですがwでもそのころは慣れてきて、基礎体力もついてくるはずです)
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*力強く羽ばたいていきましょう!!!
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「僕はひどく傷ついている、もう心が折れそうだ〜僕の人生に少しだけ甘さが欲しい」(Maroon5)
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