悪魔の学問とも言われる地政学(ちせいがく)。
なぜ悪魔の学問と呼ばれ、特に日本で学ぶことが禁止されているかと言えば、ヒトラーが活用し、大東亜帝国が活用した世界戦略のための高度な学問だからだと言われています。ヒトラーと日本を想起させるから、悪魔ということなのでしょうか?(悪魔的な力が手に入るのであれば、使うほかは無いと考えるのがリアリズムでしょうw)。
地政学者の奥山真司さんによれば、ドイツ系ユダヤ人であり迫害された側のキッシンジャーが「地政学(Geopolitic)」という言葉を多用するようになって、表の世界に地政学が出てきたそうです。(日経ビジネス「キッシンジャーがタブーを破った禁断の『地政学』」)
*あのキッシンジャーです!ベトナム和平交渉でノーベル平和賞を受賞しました。
裏の世界というか、上の世界もしくは支配者層がずっと使っている学問が地政学です。
地政学の身近な歴史を振り返ると非常に面白いと言えます。
普通、学問というのは様々な事象を観察し、そこに高度に抽象的な理論を構築します。しかし地政学は逆です。まず地政学があり、そこから演繹する形で国際戦略が組まれます。国際戦略は非常に長いスパンで考えられており、行き当たりばったりでは全くありません。
しかし、下から見ているとランダムに見えます。
上からみるとあっけないほどの整合性があります。
これはまさに抽象度ということです。
そういえば、メンバーの中には抽象度という言葉を、地政学者の奥山真司さんの著書で苫米地理論で知るより先に知ったという方もいらっしゃいました。
その地政学を創りあげたのがマッキンダーです(本人は生涯地理学と言いました。地政学という言葉をあえて使わない理由があったのだと思います)。
マッキンダーがニュートンのような位置づけだとすれば、アメリカ海軍を創ったマハン提督はガリレオ・ガリレイです。ドイツ地政学を完成させたハウスホーファーはさしずめニュートンの友人でプリンキピアの出版に尽力したハーレーです。
*地政学の祖、マッキンダー。
そもそもざっくりと言えば、地政学というのはドイツで生まれ、ヒトラーと共にドイツで終わった学問です(3日後にアメリカで復活しますw)。なぜ悪魔の学問と呼ばれるかと言えば、ヒトラーのドイツが使い、あの大東亜帝国が使った学問だからです(もちろんアメリカは現在に至るまでずっと使い続けています)。
ドイツ地政学はヒトラーと共に終わり、それを復活させたのはアメリカです。もちろん自然に復活するはずもなく、歩くドイツ地政学であるハウスホーファーに、イエスズ会の神父を派遣して聞き取りをさせます。
それがウォルシュ神父です。ヒトラー自殺後のベルリンに飛び、自宅に蟄居していたハウスホーファー(戦犯に問われてはいません)にインタビューします。そこでごっそりとヒトラーの地政学をアメリカの移植しようと画策しました。とは言えは、ハウスホーファーに聞き取りしたところ、ハウスホーファーはマッキンダーの地政学の焼き直しであったことが分かったのです。
ハウスホーファー=マッキンダー
です。
ちなみに、このウォルシュ神父が所属するイエスズ会というのも歴史的には非常に面白いと言えます。イエスズ会をつくったのは上智大学に教会のある聖イグナチオですし(我々は幾度と無くスクール中にその鐘の音を聞きますw)、初期メンバーの一人はフランシスコ・ザビエルです。
*日本にはじめてキリスト教を伝えたザビエル。彼は日本に2年しかいませんが、その影響力は甚大と言えます。
イエスズ会は絶対的な従順を求め、それを「死人のごとき従順」(perinde ac cadaver)と言うそうです。すごすぎます。でもある面でこの精神は非常に大事だと思います。
「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」
という表現は、「(師が)カラスが白いと言ったら白い」を思い出しますw
*マッカーサーとウォルシュです。もちろん東京です。政治と軍と宗教が寄り添って歩んでいます。
ハウスホーファーはマッキンダーの地政学を広めるのに貢献しました。
その広がり方は想像以上に非常に大きいと言えます(少なくともドイツ帝国、ソ連、アメリカに広がりました)。
ハウスホーファーはもともと軍人であり、退役後の50歳から政治地理学者となりました。
第一次世界大戦の陸軍時代にハウスホーファーの副官をしていたのが、ルドルフ・ヘスです。言わずと知れたのちのナチスNo.2です。ヘスを通じて、ヒトラーとも知り合い、ベルサイユ条約がいかにひどいかで意気投合し、そこで地政学の考え方をヒトラーに伝えたとされます。(奥山pp.42-43)
少しWikipediaから引用します。
*ハウスホーファーとルドルフ・ヘス(英語版のWikipediaにもStudentとありますね)
(引用開始)
1869年8月27日、バイエルン王国の首都ミュンヘンにて出生。1887年、ドイツ帝国のバイエルン王国(1871年にドイツ帝国の領邦となるが、王国を維持)第一野砲連隊「Prinzregent Luitpold」に入営。ドイツ陸軍士官学校、野砲学校を経てPreußische Kriegsakademie(ドイツ帝国陸軍大学校)の参謀課程を修める。1896年にはユダヤ人の娘マルタと結婚し、二人の子をもうけた。1903年より同陸軍大学校にて戦史(軍事史)を教える。
1908年(明治41年)から1910年(明治43年)まで、日本のドイツ大使館付武官として勤務。1911年から1913年に博士論文「日本の軍事力、世界における地位、将来に関わる考察」をまとめ、Doktor der Philosophie(日本では哲学博士に相当)を取得。第一次世界大戦には西部戦線に従軍しGeneralmajor(ドイツ陸軍少将)に昇進。
戦後はミュンヘン大学にて大学教授資格を取得。ハウスホーファーは地政学の創始者の一人である。1919年にハウスホーファーは教え子としてルドルフ・ヘスと知り合い、1921年にはアドルフ・ヒトラーと出会った。1923年のミュンヘン一揆の際には逃亡するヘスを一時匿い、ランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーと面会した。ヒトラーはハウスホーファーの生存圏の理論に興味を覚え、「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」として、ナチス党の政策に取り入れた。しかしハウスホーファーは「(ヒトラーが)それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と見てとり、フリードリヒ・ラッツェルなどの地政学基礎の講義をしようとしたが、ヒトラーは拒絶した。ハウスホーファーはこれをヒトラーが「正規の教育を受けた者に対して、半独学者特有の不信感を抱いている」事によるものであるとみていた。
1941年独ソ戦が開始されたことから、地政学上の見地から「ソ連との関係を強めるべき」と主張したハウスホーファーとヒトラーの関係は疎遠になる。(引用終了)
ちなみにこのベルサイユ条約というのも面白く、もちろんベルサイユ宮殿で調印されたからベルサイユ条約ですが、ここは普仏戦争後のドイツ帝国の成立が宣言された場所でもあります。すなわちフランス側(ドイツ以外側)としては敵(かたき)をとったということです。ベルサイユ宮殿の鏡の間は「平和の間」と「戦争の間」をつなぐ場所であり、平和と戦争の間という洒落が効きすぎです。
話を戻して、ハウスホーファーの考えは、ランドパワー(陸軍大国)であるドイツと同じランドパワーのロシアが手を組み、ハートランド(世界の中心)を押さえるといういうものでした。ナポレオンがロシアと不可侵条約を結んでいたのにも関わらず、攻め込んで冬将軍に敗退し、それがナポレオンの没落の始まりであったように、ヒトラーもハウスホーファーの意に反して、ロシアに攻め込みます。
ちなみに、面白いのはハウスホーファーはスターリンのアドバイザーをしています。その後、ソ連はイデオロギーを語りながら、実際は地政学のプログラムに沿って行動し続けます。
またハウスホーファーは日本にも来て砲術を教えています。その際に日本語だけではなく、朝鮮語、中国語も修め、アジアを旅してヒンズー教や仏教の経典をドイツ語に翻訳したと言われます。これはヒトラーがチベットの秘密の経典を欲しがったという逸話と関係しているのでしょうか?
(引用開始)
日本については、日本にヨーロッパにおけるドイツの役割を与えた著作『太平洋の地政学』(Geopolitik des pazifischen Ozeans) を残した。日本滞在中に日本語はもちろん、朝鮮語や中国語を修め、広くアジアを旅しヒンズー教や仏教の経典、またアーリア民族が多く住む北インドやイランにも詳しく、アジア神秘主義の権威でもあった。(引用終了)
日本は地政学的に面白い位置にあり、ハウスホーファーからマッキンダーの地政学が学べ、マハン提督からは直々にマハンの地政学を学びます(秋山真之がアメリカ留学の際にマハンから直々に学び、それが1905年の日露戦争の勝利に結びつきます)。マハン提督は来日もしています。
*陸軍士官学校教授の下に生まれ、南北戦争に従軍、海軍大学校の初代教官、第二代校長。マハンの戦略が現在に至るまでアメリカの世界進出戦略そのものです。世界中の米軍基地の存在とその戦略はマハンに由来します。
(引用開始)
マハンはニューヨーク州ウェストポイントで、陸軍士官学校の教授であったデニス・ハート・マハンとメアリー・ヘレナ・マハン夫妻の間に生まれる。親の希望に反してコロンビア大学で2年間学び、その後海軍兵学校に進んだ。
1859年に卒業後、1861年に少尉に任官し、南北戦争ではフリゲートのコングレス (USS Congress)、外輪船のポカホンタス (USS Pocahontas)、ジェームズ・アジャー (USS James Adger) に乗艦した。この勤務中に1865年には海軍少佐、1872年に海軍中佐と昇進している。イロコイ号(英語版) の副長として幕末・明治維新の日本を実見した[2]。
1885年には論文『メキシコ湾と内海』が評価されたため、海軍大佐に昇進して海軍大学校の初代教官を務め、海戦術の教育を担当した。1890年に『海上権力史論』が発表され、1892年から翌年まで海軍大学校の第二代校長として務める。
(引用終了)
マハン提督から直々に学んだ秋山真之は日露戦争で学んだことを活かしバルチック艦隊を迎撃し、勝利に大きく貢献します。
*マハン提督の弟子、秋山真之。日露戦争の勝利に貢献。
(引用開始)
朝鮮半島を巡り日本とロシアとの関係が険悪化し、同年からの日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦担当参謀となり、第1艦隊旗艦「三笠」に乗艦する。ロシア海軍旅順艦隊(太平洋艦隊)撃滅と封鎖のための旅順口攻撃と旅順港閉塞作戦においては先任参謀を務め、機雷敷設などを行う。ロシアのバルチック艦隊が回航すると迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献、日露戦争における日本の政略上の勝利を決定付けた。
(引用終了)
秋山真之(あきやまさねゆき)は三笠(みかさ)に乗艦したとありますが、この戦艦「三笠」から進撃の巨人のヒロインであるミカサ・アッカーマンが来ています。
*ミカサは名言ばかりです。「世界は残酷」などもしびれます。
で、脱線ばかりですが、ここで整理しますと、
マッキンダー→ハウスホーファー
ハウスホーファー → ヘス、ヒトラー、
ハウスホーファー → スターリン
ハウスホーファー → 日本?
少なくとも日本は戦前は地政学は盛んですし、ドイツ地政学も入ってきています。マハン提督からも学び、またマハン提督の「海軍権力史論」も読まれていました。ドイツ地政学のアウタルキー(自給自足)なる言葉も人口に膾炙していたようで、だからこそマハン提督の地政学通りの封じ込めには激しく抵抗して、それがパールハーバーにつながります。マハン提督に学び、マハン提督の策略通りに炙りだされている日本の姿はその後の世界情勢と全く同じです。歴史は何度も繰り返します。
ちなみに、昨日の寺子屋「地政学」でも言及しましたが、パールハーバーばかりがクローズアップされますが、日本はアメリカだけではなくイギリスとも同時に開戦しています(知っている人には当たり前のことでしょうが、我々は過去に対してかなり盲目にされているので、あえて確認します)。
それもこれは明確に宣戦布告なしの奇襲です。
(引用開始)
1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、佗美浩少将率いる第18師団佗美支隊がマレー半島北端のコタバルへ上陸作戦を開始した。アメリカ領ハワイの真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、いわゆる太平洋戦争はこの時間に開始された。
この上陸作戦自体は、駐米日本大使館の失態による遅延により結果的に開戦後の宣戦布告となってしまった対米宣戦布告予定時間より前に開始されており、開戦前に宣戦布告を行う予定であった対米開戦とは異なり、日本軍が宣戦布告無しで対英開戦することは予定通りであった。この時の日本軍の開戦日の暗号は「ヒノデハヤマガタ」である。
なお開戦直前の12月7日午後には、マレー作戦に参加する上陸部隊を乗せた輸送船団の上空護衛を行っていた日本軍の97式戦闘機が、哨戒中のイギリス海軍のPBYカタリナを撃墜した。この撃墜によりイギリス軍基地に対する日本海軍艦艇の来襲の報告がなされなかったことから、その後の日本陸軍の上陸作戦を容易にした。なおこれは同戦争における最初の連合国軍の損失であった。
(引用終了)
イギリスはリメンバーマレーと言うべきでしょう。実際にこの戦争で1番割りを食ったのはイギリスです。大英帝国は見る影も無く崩壊します。1番多く死んだのはソ連です(後述します)。
寺子屋「世界史~帝国の逆襲~」で見たようにイギリスは「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(藤原道長)でした。
まさにかつてのスペイン帝国と同じく太陽の沈まぬ帝国です。
この膨大な植民地をほぼすべて失います。最後が1997年の香港返還でした。
ちなみに昨日の寺子屋「地政学」でも話しが出ましたが、日本の戦没者は厚生労働省は240万、1963年の閣議決定では310万とされます。一方、ソ連は2660万が犠牲となっています(全人口1億9670万の13.5%)です(Wikipedia)
地政学について語ろうと思ってもなかなか脱線しますが、重要なのはマッキンダーです!
アメリカ海軍をつくり、日本にもやってきたマハン提督、ドイツ地政学をマッキンダーのコピーとして創りあげヒトラーとスターリンの理論的支柱を与えたハウスホーファーを押さえておいてください。
【書籍紹介】
マッキンダーについてほとんどの著作が読めるのがこちらの一冊。
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マハンも読めます!
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僕が非常に勉強になったのはこちら!!
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奥山真司先生はニコ生もされていますし、音声教材もあります。どれもオススメです!!
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地政学が面白いっ!!マッキンダーがニュートンならマハン提督はガリレオ、ハウスホーファーはハレー?
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