バレエセミナーが本日から再開です。
もともと「バレリーナ専門」を標榜しながら、なかなかそのメインに切り込めずにいたので、非常に嬉しいです。
楽しく学んでいきましょう!!
5月講座のテーマは「はっきりと踊る」ということです。
5月のテーマというか、この先1年にわたって通じるテーマです。
「はっきりと明確に踊る」ことが必要です。
僕は大学では哲学専攻で、哲学における身体論をテーマにしてダンスということを題材に卒業論文を書きました。ダンスというより舞踊です。特に舞台芸術をテーマにしました。
舞踊とは身体の動きではなく、観客との身体を介したコミニケーションであるというのが最初の定義でした(理論を組み立てる上での定義です。間違っても結論ではありませんw)。
舞踊は会話と同じです。言語が会話なのではなく、AさんとBさんの意思疎通、コミニケーション自体が会話であり、言語も身体も媒介でしかありません。
コミニケーションのポイントは正確さです。正確に相手に情報が伝わることが大切です。
たとえば隣の人と会話することを考えてみましょう。
発話がモゴモゴとして不正確であったら、意味以前に言っていることすら伝わりません。
まずは明瞭な声で明確に発声することが大切です。
そして明瞭な論理で、明瞭なワーズをきちんと並べることが肝要です。
踊りも同じです。
明確なパを正確に通り、そのつなぎ目(論理にあたる部分)を明確にすることです。
そうすると「伝わる」踊りになります。
上手な踊り、美しい踊りというのを目指すのではなく、正確に「伝わる」踊りを目指しましょう。
何が上手なのか、何が美しいのかというのは微妙な問題をはらみます。
上手であることにこしたことはありませんが、美しさも含めて、どちらも第一にきわめて主観的です(伝わるか否かは相手が含まれるので客観的もしくは間主観的です)。
そして上手下手で言えば、基準がどうしても皮相的になります。テクニック重視の痛さをわれわれは多く見ています。テクニックは大切です。明瞭なテクニックは大事ですが、これみよがしのテクニックではなく、伝えるための媒介としてのテクニックに変えていくべきです(「バレエは芸術であり、スポーツではない」というのが大きなポイントです。抽象度の高みがないテクニックのみ重視というのは芸術にはなりえません。もちろん言うまでもなくテクニックは大切ですが、それは正確なコミニケーションのために必要なのです)。
「美しさ」に関しては言うまでもなく、主観的であり、そして抽象的すぎて、何が美しいかについて神学論争になりがちです。
バレエはもっと明確なアルゴリズムがあります。
バレエはコミニケーションであり、そこにはアルゴリズムが存在します。
パは単語であり、アンシェヌマンはセンテンスです。
ヴァリエーション一曲は一つのまとまった文章です。
同じハムレットを演じるのでも、役者によって伝わるメッセージが全く違うように、同じヴァリエーションでも人によって変わります。
逆説的ですが、正確に伝えようとすればするほど、非常に厳しい制約を自分に課すれば課するほど、その人の魅力が隠しようもなく現れてきます。
それがバレエの魅力です。
ですから、われわれは正確に伝えることだけに専念しましょう。
バレエはパからパへの移動です。
ポイントを正確に通過するイメージです。
ホームランを打った打撃主がきっちり塁(るい)を踏むようなものです。踏まなければアウトです。
そして、それぞれのパごとにチェックリストを頭の中に置き、そのチェックリストを時系列に沿って、きちんとチェックしていく感じで踊ります。
チェックリストも「つま先を伸ばして!」「肩を下げて!」みたいなものではありません(要素はたしかにそうなのですが)。個別のチェックリストをひとつにまとめて、全身に向けたチェックリストをシンプルなゲシュタルトにします。全身のイメージです。
たとえば、「まといのば」では足の動作はすべてつま先で行うように指導します。
膝を曲げるのも、股関節を屈曲させるのも、骨盤を動かすのもすべてつま先の先からの遠隔操作のイメージを用います。そうすることで、膝、骨盤、足首と考える必要がなくなります。シンプルなゲシュタルトになるのです(ちなみに上半身は指先、そして全身のセンター、もしくは吊る感覚は鼻筋で行います)。
そうするとバレエはシンプルになります。
頭の中にあるそのイメージ(ゲシュタルト)を正確にアウトプットするだけです。
脳の中にある明瞭なイメージを正確に身体に落としこむ作業が踊りです。
頭の中にある概念を言葉にすることでコミニケーションする対話と同じです。
イメージ(脳) → 踊り(肉体)
そこには「やみくもに試してみる」とか「ノリで踊る」とか「身体に任せる」というような不確実性やランダム性の入る余地がありません。
バレエはギャンブルではなく、チェスのようなものです。脳内の正確なアルゴリズムとその正確なアウトプットです。
自分のイメージが身体に上手に反映できなければ、なぜ反映できなかったかを考え、自分の中にある情報を更新することで修正します。その修正を繰り返し続けることが、はたから見れば反復練習に見えます。ですが、毎回が修正とテストなので、実際は何も反復されていません。異なる修正とテストによって、フィードバックを取りながら、レベルアップしています。
今月から語学学習ということを(こちらもようやく)スタートしますが、バレエも語学も似ています。正確さが重要です(何の正確さかがこちらでは問題になります)。そして読書法についても、「中学受験のための親の算数速習セミナー」も立て続けに開催していきますが、すべてに通じるのが「Reading」の感覚です。アルゴリズムを正確に読み取るとも言い換えることができます。
アルゴリズムを正確に読み取るために目詰りしたフィルターを掃除する必要があり、それがモーダルチャネルへの関心と結びつきます。モーダルチャネルを自覚したあと、世界の様相が一変したと思います。フィルターが掃除されたのです。バレエも同じです。見るべきものを見て、それ以外を見落とすことが必要になります。資源も時間も有限だからです。
最後に昨日も少し話題に出たアランの「幸福論」からの引用です。
礼儀正しさを学ぶのは、ダンスを学ぶのと同じである。ダンスを知らない人はダンスの規則を覚えて、それに合わせてからだを動かすのがむずかしいと思っている。しかし、それは物のうわべだけのことにすぎない。固くならず、なめらかに、したがって恐れずに踊れるようにならなければならない。同じようにして、礼儀作法の規則を覚えることは大したことではない。規則にかなっていたとしても、それはまだ礼儀作法の入り口に立ったにすぎないのだ。身ぶりがどれ一つとっても的確で、しなやかで、堅苦しさや動揺のないのが必要だ。なぜなら、ちょっとでも動揺があると、それがまず伝わってしまうから。相手に不安を与える礼儀作法があるだろうか。(アラン「幸福論」p.275)
「固くならず、なめらかに、したがって恐れずに踊れるよう」になるために、「身ぶりがどれ一つとっても的確で、しなやかで、堅苦しさや動揺のない」ようにしましょう!!
バレエは人体に無理なことを強いるというような俗説がありますが、きわめて合理的でエレガントな体系です。ロジックを知らずに、真似するとケガをしますが、それはどの世界も同じです。そしてチャレンジすれば、リスクを伴うのもどの世界も同じです。
「バレエの問題は知識の問題」です!
がんばりましょう!!
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礼儀正しさを学ぶのは、ダンスを学ぶのと同じである(アラン)
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