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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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「夜と霧」の虚無(ニヒリズム)の深淵から生還するためのフランクルのトリック

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極限状況に我々が強く惹かれるのは、そこで人間の本質があらわになるからです。

強制収容所を生き抜くのは、運だけでも、神さまがサイコロを振った結果でもなく、明確な方法論があったということをヴィクトール・フランクルは生還者として伝えています。

フランクルは「トリック」と言います。

今回の「覚醒」「ブートキャンプ」の2つのスクールはこのヴィクトール・フランクルの「トリック」が一つの大きなテーマでした。

(引用開始)
私のあらゆる思考が毎日毎晩苦しめられざるを得ないこの残酷な脅迫に対する嫌悪の念に私はもう耐えられなくなった。そこで私は一つのトリックを用いるのであった。(引用終了)

苛酷で極限的な環境で生き残るためのトリック、そしてそのトリックによって実際に彼は生き延びることができたのですが、そのトリックを彼は同じ収容所の仲間に話す機会を持ち、そしてそのことで救われた仲間もいました。

(引用開始)
しかしわれわれのブロックの囚人代表は賢い男であったので、われわれすべての気持を集中するような小さな話をその場で始めた。すなわち彼は最近病死あるいは自殺した多くの仲間について話したのである。しかしまた彼は、人によってその様子はいろいろではあれ、この死ぬことについての真の理由はどこにあるかと言えば、すなわち自己放棄であるということについて語った。そして如何にしてこの自己崩壊による次の犠牲を防ぐことができるかについて若干の説明を聴きたいと言ったーーーそして彼は私を指名したのであった。(引用終了)

賢いリーダーがフランクルを指名し、「自己崩壊による次の犠牲」を防ぐための説明を求めたのです。

フランクルの「トリック」は収容所から生還したあとに考えられたものではなく、その真っ只中にあり、すでに明確に意識されており、そしてそれを仲間に開陳するところまで構造化、具体化されていたということがポイントです。

ここで、確認したいのは、フランクルの「トリック」なるものが「信仰」などというものではないということです。信仰あるものが生き残り、信仰なきものが死んだわけではありません。

そのようなシンプルな二元論というのはわかりやすいのですが、わかりやすいものは大概は間違っていないものの、使えない「真理」となりがちです。世界は単純ですが、単純すぎることはありません。

この魅力的な単純な二元論は次のような小話を思い出します。


(引用開始)
 インターネット上に次のようなクイズが出回っている。ある女が母親の葬儀で見知らぬ男と会う。女はなぜかその男に惹かれる。この男が自分の運命の人だと確信し、たちまち恋に落ちる。しかし電話番号は尋ねずじまいで、葬儀が終わったあとは探しようがない。数日後、女は自分の妹を殺す。いったい、なぜ?
(引用終了)(ケビン・ダットソン「サイコパス」p.63)

ケビン・ダットソンはこう続けます。「答える前に少し考えてみよう。どうやら、この簡単なクイズで、あなたがサイコパス的な思考の持ち主かどうかがわかるらしい。女が妹の命を奪う動機はなんだろう。嫉妬?、その後、男と妹が同じベッドにいるのを目撃したのか。復讐?、どちらもありそうな話だが、正解ではない。あなたがサイコパス的思考の持ち主だとしたら、次のように答えるはずだ。妹が死ねば、葬儀に再び男が現れるかもしれないから」(同pp.63-64)

この心理テストはなんとサイコパス診断テストということです。

われわれの物語である「八百屋お七」を思わせます。
ほとんど同じ状況です。

江戸時代、大火が起り、お寺を避難所として生活するうちに、そこのお坊さんと恋仲になる。しかし、家に戻ることになったとき、再び恋いする人に会うために放火をするという物語です。
江戸時代も現代も放火は大罪です。彼女は死刑となります。


*月岡芳年松竹梅湯嶋掛軸(八百屋お七)Wikipediaより

参考のためにWikipediaを引いておきます。

(引用開始)
比較的信憑性が高いとされる『天和笑委集』によるとお七の家は天和2年12月28日(1683年1月25日)の大火(天和の大火)で焼け出され、お七は親とともに正仙院に避難した。寺での避難生活のなかでお七は寺小姓生田庄之介と恋仲になる。やがて店が建て直され、お七一家は寺を引き払ったが、お七の庄之介への想いは募るばかり。そこでもう一度自宅が燃えれば、また庄之介がいる寺で暮らすことができると考え、庄之介に会いたい一心で自宅に放火した。火はすぐに消し止められ小火(ぼや)にとどまったが、お七は放火の罪で捕縛されて鈴ヶ森刑場で火あぶりに処された。(引用終了)

井原西鶴はこの事件のわずか3年後に『好色五人女』の中でこの事件を描きます。この素早さが見事です。

では、お七のこの直情径行で、自分のことしか考えていない短絡的な行動はサイコパスゆえなのでしょうか?

ネットに出回っている件のサイコパス診断テストによれば、イエスと言えそうです。

母親の葬儀で出会った運命の男と再訪するために、実の妹を殺し、運命の男との再会を望む女は、避難所であるお寺に再び行きたいがために自宅に放火する八百屋お七と重なります。

しかし、ケビン・ダットソンは「No」と言います。むしろ「わたしは嘘をついた」と。このテストはサイコパス診断テストではないのです。


ケビン・ダットソンはこのテストについて面白いことを書いています。
実際に彼はサイコパスたちにこのテストをしたのです。

標準的な臨床プロセスを踏んで適切に診断された正真正銘のサイコパスーーレイプ犯、殺人犯、小児性愛者、武装強盗ーーに同じクイズをやらせてみたら、どんな結果が出たか、わかるだろうか。」同じクイズとは、妹を殺した女に関するサイコパス診断テストのことです。

驚くべきことに、「『妹が死ねば、もう一度葬儀ができるから』と答えた人間はひとりもいなかった」そうです。サイコパスたちは「ほとんど全員が「恋愛関係のもつれ」が動機だと答えた」そうです。

シンプルさにわれわれは惹かれますが、シンプルすぎるものは多くの場合は間違いです。


アインシュタインのこんな言葉を思い出します(Wikiquote

“Everything should be made as simple as possible, but no simpler.”
(ものごとはすべてできる限りシンプルであるべきだが、シンプルすぎてもいけない)

おそらくここでシンプルにサイコパスとは何か、フランクルが強制収容所を生き残るためのトリックは何だったかを書くのは、シンプルにすぎるかもしれません。


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