悪魔学のテーマ(サブタイトル)は「ヨブ記からエルサレムのアイヒマンまで」でしたが、まずはそのヨブ記を詳細に見て行きましょう!
というのは、旧約聖書のヨブ記というささやかな(そして世界で知らない人がいないくらい有名な〉物語を通じて、我々は神とサタンと人間の関係を詳細に見ることができます。
ヨブ記は英語ではJobとなります。ちなみに複数形にするとJobs(笑)。
Job(仕事)という名前にふさわしく、ヤハウェという人はブラック企業の社長に見えてきます。
ヨブ記というのはざっくりと言えば、神様とサタンが義人であるヨブを出走馬にして賭けをしたという物語です。かなりひどい話しです。しかしここに神の本性と、そして悪魔の本性をうっすらと見ることができるのではないかと思います。
ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。
ここでのサタンというのは、神の子たち(天使たち)の一員です。ただかなり対等に神と話すような関係です。
主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。
サタンが神のかわりにお目付け役として機能していることが分かります。
主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。
余計なことを言わなければ、神様は良い人なのにと思う瞬間ですw
サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。
しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
サタンは狡猾です。
ヨブは幸せだから良い顔をしているだけで、不幸になれば、あなた(神)を呪いますよ、とまさに悪魔的なささやきをします。
このささやきはシェイクスピアのオセロにおけるイアーゴーを思い出します。人が良く人を疑うことを知らなかったオセロ(神)に対してイアーゴー(サタン)です。猜疑心をかき立てられることを、ささやかれると、それまでどれほど信じていても、疑いの気持ちが芽生えてしまうのが人間です(いや、ヤハウェは神ですが。まあでも人格神です)。
主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。
賭けの成立です。
神様とサタンの賭けがスタートします。
ここでユング先生の解説を挿入します。
たちまちヨブは家畜を奪われる。彼の僕たちや、なんと息子や娘までも打ち殺され、彼自身も病に冒されて死の淵をさ迷うことになる。また彼から安らぎを奪うために、妻や良き友人たちが間違ったことを言うように仕向けられる。彼の正しい訴えに対して、義のゆえに称えられる裁き手は耳をかさない。正義は彼に閉ざされるが、それもサタンの賭を妨げないためにである。
悲惨です。
家畜を奪われるだけならまだしも、長年一緒に働いた使用人や手塩にかけて育てたであろう息子や娘を惨殺されます。
それでも、ヨブは健気です。
わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな(ヨブ1:21)
このヨブの言葉はヨブ記の中でも最も響くものの一つです。主が与え、主が取られたのだ、とは何とも美しい言葉です。
その姿を見て、神は満足します。
そしてサタンに向かって、神は満足そうに言います。「あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」と。
ここで注目すべきは、「ゆえなく彼を滅ぼそうとした」という点です。理由なしにひどいことをしているという自覚は神様は持っているのです。
そんなことで引っ込むサタンではありません。
持っているものを奪われても、神を称えるかもしれないが、健康を奪われたら、あなた(神)を呪うだろう、と。
詳しく見てみましょう。
主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。
サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。
しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。
サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました
再び、ユング先生の解説を見ましょう。
たちまちヨブは家畜を奪われる。彼の僕たちや、なんと息子や娘までも打ち殺され、彼自身も病に冒されて死の淵をさ迷うことになる。また彼から安らぎを奪うために、妻や良き友人たちが間違ったことを言うように仕向けられる。彼の正しい訴えに対して、義のゆえに称えられる裁き手は耳をかさない。正義は彼に閉ざされるが、それもサタンの賭を妨げないためにである。
ここで略奪、殺人、故意の傷害、そして正義の拒絶と、休む間もなく解しがたい行為が続くことについて、説明がなされなければならない。とはいえ、ヤーヴェがためらいや後悔や同情を一切表さず、冷淡で残酷なことしか述べないことを考えると、説明は困難である。彼が無意識なのだという弁解は通用しない、なぜなら彼はシナイ山で自ら告示した十戒のうち少なくとも三つをあからさまに犯しているからである。
正義はヨブに閉ざされ、その理由がサタンとの賭けによることが示されます。
そして自分が人間に課したルールを自分(神ご自身)が堂々と破っているという点が指摘されます。
(ここらへんの語り口にユング先生のユーモアを感じないでしょうか?)
とはいえ、さすがに、義人であるヨブも神の不正に怒ります。
中小企業のワンマン社長に異議申立てをするようなものです。
ヨブは言った、『わたしは正しい、神はわたしの公義を奪われた。わたしは正しいにもかかわらず、偽る者とされた。わたしにはとががないけれども、わたしの矢傷はいえない』と。(ヨブ34章)
ところが、奥さんだけではなく、親友たちがやってきては、さんざんヨブを責め立てます。
彼らが言いたいのは、「お前何か罪犯したらか、罰せられているんだろ、早く認めろよ」ってことです。ひどい友人です。
とても、厄介なのは、ヨブは自分が義であることを知っていて、そして周りはそれを知らない(確かめるすべがない)ということです。そしてもっと厄介なのは神もヨブが正しい人であり、義人であることを知っているということでしょう。
これって誰が悪いのでしょう。。。
さんざん友人たちと討論したあげく、最後に神様が登場します。
水戸黄門の印籠のようなものです(古いか)。
神様がヨブへの無実の疑いを綺麗に晴らしてくれるかと思いきや、神様は意外な行動に出ます。
これには驚天動地です。そしてこれこそがヨブ記の魅力と言えます。次回に続きます!
*サタンと言えばこのドレの絵が印象的ですが、ヨブ記のサタンはまだ地獄に落ちていません。神の軍団の一員です。
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ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた(ヨブ記1章)
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