たしかに気功というのは怪しくうさん臭いものですが、こんな質問は歓迎しませんw
いや、質問の内容は良いのですが、聞き方が大事です(^^)
気功はともかく遠隔(ヒーリング)気功って何か怪しくないっすか?
という質問をもちろん頂いたわけではなく、単なる想定問答です。
もしリアルに頂いたとしたら、情報空間でぶっ飛ばしますw
(ちなみに以下の議論での誤爆厳禁です。もし不躾な質問なり、問い合わせがあったら、直接言います。誤爆というのは、批判されているのは自分のことかと思って、おろおろすることです。)
相変わらずの進撃の巨人ネタで恐縮ですが、僕はリヴァイがエレンを蹴るシーンが好きです(リンク先は閲覧注意)。
これは持論だが 躾に一番効くのは痛みだと思う
というのは進撃の巨人の名言集の中でも響くものの1つです。
壁の外ではもっと残忍で残酷なことが行われているのに、壁の中の人々の想像力の限界を如実に表わしています。
ちなみにリヴァイ兵長の行為は処刑を避けた緊急避難ですので、褒められることはあっても非難される筋合いはありません。厨二病の主人公の暴走を止めてあげた心優しき青年(リーダー)の派手なパフォーマンスです。もちろん上手にカードを切ったということもあるでしょうし。
西洋では子供や赤ん坊は動物扱いです。
私事ながら、我が家の教育もそうでした。
殴ることで身体に覚え込ませるというものでした。
牛や豚と一緒というのが親の口癖でした。農家らしいスタイルです。
しつけというのが調教と同じ感覚です。
中学にあがる直前まで殴られて育って、実際に僕に対して、調教ならぬしつけがうまくいったのかは別として、赤ん坊という動物から、教育を経て理性を持つ人間になるというのは、西洋的な発想です。
ちなみに日本も幼児と老人はあちらがわの世界の住人という感覚はあります。
ですから、間引きという嬰児殺しも、姥捨てという老人殺しも殺人ではないとされていたのです。
で、早熟そうに見えるエレンくんも痛みによる教訓は必須だと思います。
彼は子供時代の情動を引きずり続けて、それを正義と勘違いしているだけです。
一匹のバカの暴走で集団は簡単に瓦解するので、リーダーはいつも命懸けです。
僕自身は暴力を肯定しませんが、ふざけた態度や質問に対しては、暴力以上の痛みを与えれば良いと考えています。まあ、それは教育をする場合のみであって、そうでない場合は倶(とも)に天を戴(いだ)かずで良いと思います。いわゆる華麗にスルーというやつですね。
些細な頭の良さの優位性など、数年で追いぬかれます。それよりはきちんと人間であることのほうがはるかに重要です。社会性やしつけ、所作というのは、子供の時に叩きこまれていないと大人になって修得するのはほぼ不可能です(人にはできなくても、神にはできるのかもしれませんがw)。
不可能なことに挑む必要もメリットも見えないので、失礼な態度を取れば、それが共同体にとってネガティブだと考えれば、単にその共同体に出入り禁止にするだけです。
このことはスクールなどでもかなり口を酸っぱくして言っているのですが、心優しきヒーラー諸君はいまいち理解していないようです。人類には人間と動物がいるという視点が必要です(生まれながらではありません。生まれながらには全員動物です)。心優しきヒーラー諸君は自分たちがリヴァイにならなくてはいけないことを忘れています。
福沢諭吉先生も言っています。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。まさにその通りです。
スタートは等しく動物です。しかし、その後、きちんと自分を教育するか否かで圧倒的な差が生まれるのは当然(と福沢諭吉先生が言っています)。
「まといのば」出身のヒーラーの皆様におかれましては、ご自身の共同体の管理は少なくとも、きっちりリヴァイ兵長のように「痛み」をもって行うべきです。
理性を用いることができるということと、言語を操れるはイコールではありません。ペッパーくんでも言語を操ります。人は確率論的に動物だとみなすのが合理的です。
フラットとか平等などというのは、そもそも天賦人権論というイデオロギーですし、それはその与える神(天)への信仰が前提です(平等思想が誤っていると言っているわけではありません)。
ここらへんのことを表立って言うとひとでなしのように言われますし、戦後の民主主義教育に反するのかもしれませんが(笑)、長続きするはずもないイデオロギーに我々が本気で固執する必要はありません。ただ世間で表立って言わなければいいだけのことです。長い物には巻かれながら、隠れて生きましょう。
というわけで、本題に入ります。
遠隔ヒーリングについてですが、健全な懐疑というのはいつも必要です。
厳密に言えば、僕自身も気功も遠隔ヒーリングも信じていませんし、科学的に明確な説明があるなどとも思っていません。(まあ、科学が何かを明確に説明したことはありません。どこかに変なものが残ります。新しい科学の説明を理解することはできない。我々にできるのは慣れることだけ、というのは誰の言葉でしたでしょうか、言い得て妙です)
それはたとえば地動説と同じくらいの感覚です。量子電磁力学と同じ感覚です。
言うなれば、社会がそれで機能しているのだから、それに従おうという感覚です。
ただ、自分の中での疑問は大切にして、それは考え続けましょうということです。
気功でも何でも、無条件に手放しで信じられるというおめでたい人は成長しません。頭から信じない場合も成長の余地はありません。
人間は矛盾の只中で成長する機会を得られるのです。
ですから、強引にまとめると「遠隔ヒーリングって怪しくないですか?」というご意見には全く同意です。ただそれを無礼な形で口に出すやつは出入り禁止ということです(無礼じゃなければ問題ありません)。
合理的な疑い、健全な懐疑は必要です。ただ共同体の維持と発展はそのことに優先します。
お互いに丁寧なコミュニケーションを心がけましょう!
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「気功はともかく遠隔気功って何か怪しくないっすか?」〜ご質問は計画的に?!〜
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