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主よ、どこに行かれるのですか?Domine, quo vadis? ドミネ, クォ・ヴァディス?

キリスト教の魅力というのは、良く言えば人間の弱さをきちんと認めることでしょう。

キリスト教会のスターたちの無謬性を語らず、人間としての弱さをきちんと描きます。

使徒の頭であるペテロからして、まるで水戸黄門のうっかり八兵衛さんのような愛嬌をふるまいています。ペテロは多くの失態をしつつも愛すべきキャラクターです。しかしその失態をきちとん2000年間語り継ぐというのがキリスト教会の強みです。

何と言ってもシモン・ペテロは初代ローマ法王(教皇)です。教皇の恥部を堂々とさらせるというのが、キリスト教の偉大さです。

ペテロと言えば、最たるものは「ペテロの否認」と呼ばれるものでしょう。すなわち、鶏が鳴く前に私(イエス・キリスト)を3度否定するだろうというものです。

実際にイエスが捕まったあとに、ペテロはイエスの弟子であることを3度否定します。これはイエスの言った通りです。

僕自身が大学で聖書学を学んだときは、ユダと同様にペテロもイエスを裏切ったのだと学びました。
ユダはご承知のように自殺し、ペテロは悔い改めます。

この否認ほど大きなものでなくとも、ペテロは人生の最後においてもイエスを一度、裏切ります。

これは聖書ではなく外伝ですが、有名な話です。

ペテロはイエスを3度否認したものの、悔い改め、命の危険を顧みずに福音を述べ伝えます。ただ伝道の途上で、さすがにこのままローマにとどまると迫害の上で、殺されると思い、ローマから去ることを決めます。本人はとどまるつもりでしたが、周囲からの強い要請です。ローマから去るアッピア街道の途上で、向こうから見知った人が歩いてくるのに気付きます。

これはマクベスにとってのバンクォーであり、ハムレットにとってのパパ(先王)であり、ペテロにとってはもちろん復活のイエスです。


そのときのペテロのセリフはあまりに有名です。

Domine, quo vadis?
(ドミネ、クォパディス)
(主よ、どこへ行かれるのですか?)


それに対するイエスの回答は強烈です。

「お前が私の民であるキリスト教徒を見捨てるので、私は再びローマへ行き、再び十字架にかかろう」と。

師匠が身体を張る(死を賭している)のを観て、弟子は育つのだと思います。

プラトンが目覚めたのは師ソクラテスの死によってです。

あなたが行動しないのであれば、私が何度でも十字架にかかろうというイエスの発言は(いや、幽霊とは言え)すさまじいものがあります。

そして、このDomine, quo vadis?という自分の言葉にはペテロ自身苦い思い出があります。

「主よ、どこに行かれるのですか?」とペテロが聞いたのは二度目です。

一度目を思い出してみましょう。

これはまさにイエスの否認のときです。ヨハネ福音書13章36節~38節です。

(引用開始)
シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。

ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。


イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。

(引用終了)ヨハネ福音書13章36節~38節

最初にクォ・ヴァディスとイエスに問うたとき、ペテロは即座に「鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」と予言されているのです。そしてそれは現実になりました。


しかし、今回はペテロは違いました。

ローマに戻り、磔刑(逆さ十字架)によって殺されます。


ちなみにこのペテロの「クォ・ヴァディス」の直前にイエスは新しい戒めを与えます。

わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。(ヨハネ13:34


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*カラヴァッジォによる『聖ペトロの逆さ磔』


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