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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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【本日開催!&追加開催決定】本日寺子屋「認知科学」「サブリミナル」

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お申込み多数のため、追加開催を決定しました。当日の告知で申し訳ありません。9月22日(月)に本日開催の寺子屋「認知科学」を追加開催します(いつもながら、移動してくださる方、非常に助かりますm(__)m)。


明日は「認知科学」に迫ります!
現代社会を生きる上で、必須のパラダイムシフトがこの認知科学です。
認知科学を学ぶことで、これまで不思議だったこと、疑問だったことがスッキリと整合的に観ることができます。
我々の多くは現代に住んでいながら、いわば「中世の闇」に包まれて視界を閉ざされています。闇を絶ち、光へと進みましょう!

お申し込みはこちらから。


大好評の寺子屋シリーズもはやいもので9月で1年半が経とうとしています。

これほど長く続いた企画もなかなかありませんでしたし、それだけ積み重ねの効果が良い感じで出てきております。

学問というのは相乗効果が強烈に働くもので、それぞれ独自に発展したように見える専門分野が深いところでつながっているということを発見する喜びに勝るものはありません。その発見は本質的には、自分を見つめ、自分を知る試みでもあります。楽しくないはずがないのです。

7月は数学を極めるということで、フェルマーの最終定理とポアンカレ予想に切り込みました。
8月は理科系から文化系に針が触れて、「まといのば」としては珍しく政治学と文学に切り込みました。

9月はいよいよ人間の「認知」にせまります。

人間の不可思議さの根本はこの「認知」にあります。哲学の歴史を紐解けば、大きな2つの流れとして、存在論と認識論があります。存在論とは存在が先にあり、そのあとに認識があるという立場です。そして認識論とは認識が先で、認識によって存在が生じるのです。

ある森のなか深くで、木が音を立てて倒れました。でも誰も見ている人がいません。
その木は存在するのでしょうか?

というのが存在論、認識論におけるテーマです。存在論の立場で言えば、もちろん木は存在します。認識論の立場で言えば、だれも認識しないのであれば、その木は存在しないのです。

量子論、とくに不確定性原理以降の我々は「観測」が存在の必要条件であることを知っているので、観測されない木は存在しないと主張したくなります。

しかし、これはここ100年のディスカッションではないのです。
古代ギリシャより世界最高の知性が結論を求めてディスカッションしてきたのです。

認識論を主張する人間に対して、存在論を主張する人間は矢を向けて言います。
「目をつぶれ。認識しなければ、矢は存在しない」と。

ロシアン・ルーレットで遊ぶときに、目を閉じても銃は宇宙からは消えません。認識しなければ存在しないというのは脆弱なのです。


一足飛びに結論に行けば、これは認識論と存在論の双方の違いに問題があるのではなく、双方が共有する土台に問題があるのです。すなわち現実世界というのは共通する1つの宇宙であるという誤解です。これが土台だから問題なのです。
ここで必要な関数は「一人一宇宙」です。

矢が存在する存在論者のAさんの情報宇宙が存在し、一方で目を閉じれば矢が消え去る認識論者のBさんの情報宇宙がまず存在します。それぞれの情報宇宙の写像として、それぞれの物理宇宙が存在します。
正確に言えば、Aさんの情報宇宙とBさんの情報宇宙がダイナミックに関係することで新しい宇宙が生じるのです。それがAさんとBさんの共有する物理宇宙です。
我々は物理宇宙は唯一絶対だと思い込まされています。それが問題の根本なのです。



哲学における存在論と認識論の双方にまたがる大きな問題は「認知」です。

我々は「認知」について何も知りません。
その例の1つに、我々はきちんと見れば客観的な現実世界が観測可能であると考えています。これはもちろん深刻な誤解に根ざした信仰です。
「曇りなき眼で見れば、真実が見える」というような誤解です。
現実は全く逆です。
我々は見たいものを見るのです。まず仮説なり理論なりの思考形式が頭に存在して、そのあとに外部世界(あえて外部世界という言葉を使いますが)を「観る」ことが可能になるのです。

逆にこの観点からすればカントは正しいのです。アプリオリな思考形式としての時間と空間がすでに脳内に存在し、それゆえに我々は経験的に時間と空間を認識することができるのです。カントの何が間違っているかと言えば、時間と空間は我々の思考形式のそれとは本質的に異なるという点だけです。


認知ということをめぐって9月は2つの講座を開講します。
ひとつは認知科学、もう1つはサブリミナルです。

まずは、認知をはじめて真正面から取り上げた認知科学について学びます。
認知科学は当然ながら心理学という巨人の肩に乗っています。寺子屋「はじめての心理学」はきっちりと復習しておいてください。心理学の嫡子として、また哲学、数学、物理学、脳科学の嫡子として、認知科学は生まれました。
認知科学についてカッチリと学び、そのパラダイムを自分のものとしましょう。
特に日本にはほとんど認知科学は入ってきていませんので、ここでがっつりと学ぶ価値はあると思います。
「認知科学というパラダイムを越えよう!」などと言っても、そもそもそのパラダイムにすら入っていなければ、アウトなので。偏微分方程式を学ぶ前にまずは四則演算はできたほうがいいのです(^^)
野球のゲームをする前にキャッチボールには慣れましょう。


そして認知をめぐって開催する9月の寺子屋の第2弾が「視覚と錯覚、サブリミナルの秘密」です。
これも長いこと開催を期待されていた講座です。満を持しての公開です。

我々は認知のほとんどを視覚に頼っています。

脳の3分の1、後頭骨にあたる部分が視覚野です。理解したとか、分かったという意味で “I see"などと言います。観るということは理解することを示します。百聞は一見にしかず、です。Seeing is believing.です。これはSee=believeという関数を示しています。Seeing=beliefです。
これを逆用すると、未来を強引に見てしまえば、我々の脳のブリーフシステムはアップデートされるということです。アップデートというよりは上書き保存に近いものがあります。

我々が無意識に大前提としているのは、見た世界というのは客観的であるということでしょう。
しかし、視覚ほど騙されやすい感覚器官はありません。
より正確にはすべての感覚器(モーダルチャネル)は騙されやすいのです。騙されやすいというのが文学的な表現であるとするならば、感覚器は差によって相対的な認識は得意なのですが、絶対的な認識は苦手です(絶対的な感覚が鋭い人々は、経験的に膨大な量の比較材料を記憶に有しており、それとの相対的な評価によって、基準を構築しているだけかと思います。正確に重量を手の感触で測れる肉屋さんや、3サイズを服の上からほぼ正確に見抜けるテイラーさんなどがその例です)。

すなわち、「視覚は騙されやすい」のです。正確には感覚器官はすべて騙されやすいのですが、我々はとくに視覚に依存しています(ですから失明は恐怖です。失明を喜んだのはキュクロプスであったオイラーくらいです。視力が残っていた1つの目すら失ったとき、彼は数学世界しか見なくて良くなったと喜び、言葉通り死の間際まで精力的な仕事を続けました)。
視覚に依存し、その視覚世界を現実として受け入れる癖が脳にあるために(Seeing is believing.)、まさか視覚がそれほどいい加減だとは受け入れられないのです。その騙されやすさを端的に示してくれるのが「錯視」です。

錯視として最も有名なのは、こちらのミュラー・リヤー錯視でしょう(以下、図表はWikipedia「錯視」から引用)



ポイントとなるのは、我々は正しくこの3本の矢が等しいことを知ったあとでも、錯視からは逃れられないということです。これは思考の形式であり、説得の効果が無いのです。

ミュラー・リヤー錯視を拡張すれば、ヘリング錯視となります。湾曲の錯視です。



こちらも定規を当てても(その定規がまっすぐであることが条件ですが)、曲がって見えます。
新しい知識に対して、思考の形式がおとなしく変わってくれるわけではないのです。原始的な感覚(視覚)は知識とは別系統で判断を下します。


そしてこちらはおなじみのフレイザー錯視です。同心円なのに、渦巻きに見えます。



ぜひ、丁寧に円をそれぞれなぞってみてください。それでも渦巻きに見えます。

これが錯視です。

錯視はかわいげのある楽しい頭脳パズルですが、かわいげのない深刻な騙しのテクニックがサブリミナルです。サブリミナルというのはまさに言葉通りの意味で、境界領域下ということです。意識に上らないという程度の理解で良いと思います。

サブリミナルについては様々な議論があります。ただ、基本的にはサブリミナルというテクニックは存在すると「まといのば」では考えます(というか、これほど便利で使えるテクニックも無いと思っていますが...ボソッ)。まあ、その意味では「サブリミナルなど非科学的な御託でしか無い!」と反論してくれる人が多ければ多いほど助かります。別に学問的な論争がしたいのではなく、僕らは適切に使って、その果実を得たいだけので。

サブリミナルについては、毀誉褒貶がありますが、基本的にはサブリミナルの教科書とも言えるウィルソン・ブライアン・キイ博士のメディア・セックスを使います。


メディア・セックス (集英社文庫)/集英社

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*これ一時期は猛烈に高かったのですが、ずいぶんと求めやすい価格になってきました。中古市場もいいのですが、オンデマンド印刷と電子書籍がガンガン普及した未来にはやく移動したいですね。そうすると紙の本は希少本か新聞・雑誌のような扱いになると思うので。そして価格が安定するかと。


サブリミナルのポイントはフロイト的な意味での「抑圧」でしょう。視覚情報というのはたしかに騙されやすいという側面があります。ですが、一方で膨大な情報を一瞬で扱えるという利点もあります。気功だけではなく、学問においても直感的に視覚化することが重要とされます。図表にしたりグラフにすることなどで、理解が深まります。
視覚は膨大な情報を一瞬で処理することができるのです。

ですから、いわゆる性器なりタブーに触れる情報(文字にせよ画像にせよ)は、広告を見た瞬間に我々は認知しています。ですが、それをRASが弾くのです。なぜ弾くかと言えば、タブーに触れたからです。しかし何らかのタブー情報を認知し、それをあわてて抑圧したという事実は脳に残ります。それは緊張を強います。
それゆえにその広告に強く惹かれます。緊張状態がいわばカタレプシーを起こさせるからです。そしてなぜそのような緊張、そして軽いカタレプシーを起こしているのかを意識は知りません。
ただある広告を見た時に、認知が暴走しているのは知っています。そしてそのはじまってしまった系を閉じるために、魅力的なモデルや魅力的な製品を認識することで、閉じようとします。そして深く書き込まれるのです。それが製品の購買行動につながるかは、また次の問題です。ただ、深く認識されるのは事実ということです。

サブリミナルについては、認知科学によって、再解釈したうえで、現代的なサブリミナルのテクニックについて知ることが重要かと思います。ちなみにヒントを与えるとすれば、後ろに走るアルゴリズムはいつもStoryなのです。サブリミナルにおいても同様です。そこが見えれば、サブリミナルを使いこなせるようになるのではないかと思います。

いずれにせよ、待望の企画ですし、かなり面白いと思いますので、お楽しみに!!


~寺子屋シリーズー9月は「認知」をめぐる不思議に切り込みます!~
【日時】 隔週金曜日 19:00~21:30(延長することが稀にあります)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」の新セミナールーム
【受講料】 20,000円
(1講座あたり、基本的には銀行振込でお願いします)
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。

【講座詳細】
9月12日(金) 【はじめての認知科学 ~巨人の肩の上に立つ~】
19:00~21:30
20,000円

(急遽追加開催決定!!)9月22日(月) 【はじめての認知科学 ~巨人の肩の上に立つ~】
19:00~21:30
20,000円

9月26日(金) 【視覚と錯覚、サブリミナルの秘密】
19:00~21:30
20,000円



*知性という積み木を積み上げていきましょう!!!



【寺子屋の教科書】
今回の寺子屋で使う教科書です。購入して熟読しておいてください(^^)
認知科学への招待/サイゾー

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メディア・セックス (集英社文庫)/集英社

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*下と同じです。

メディア・セックス/リブロポート

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*同じ書籍です。どちらかを購入してください(^^)


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