数学という新しい世界をのぞきこむ前に、その風景、その空気の色を感じるにはこんなジョークから始めるのが適当かもしれません。何度か紹介していますが、その「厳密さ」は愉快です。
天文学者と物理学者、数学者の見方の違いが現れています。そしてそれぞれの見方はそれぞれの世界において「正しい」のです。
(引用開始)
天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。
(引用終了)
ポアンカレが三体問題について解いたとき(厳密には解析解が存在し無いことを厳密に証明したとき)、天文学者からそれは俺の研究の焼き直しだと噛み付かれました。それに対してポアンカレは丁寧に反論しました。端的に言えば、無限級数の和、すなわち「収束」の捉え方が数学者と天文学者で異なるということです。天文学者は、各項の値が急速に小さくなる数列は、実用的な意味で和が有限になると主張しますが、数学者は各項の値が急速に小さくなる数列でも発散することがあることを知っているということです(ポアンカレ予想 p.64)。
数学者からすれば、「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ」ということでしょう。
ちなみに、この論文は深刻なギャップが見つかり、ポアンカレによって撤回され、苦しみの中でやり直したあげく1年後に書きなおされています。これはワイルズ博士のフェルマーの最終定理の証明を思い起こさせます。そのときに生まれたのがカオス理論でした。カオス理論の創始もポアンカレなのです(すごいことです)。
今回のジョークは天文学者と物理学者と数学者ではなく、三人の数学者の話です。
(引用開始)
三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。
すると、幾何学者は「立方体です」と答え、グラフ理論学者は「一二にの辺で結ばれた八つの点です」と延べ、位相幾何学者(トポロジスト)は「球です」と答えた。
(引用中断)
トポロジストは立方体を見て、球だと考えるというオチです(^^)
トポロジストの視点から見ると、コーヒーカップはベーグルに見えます(トーラスでも、ドーナツでもいいのですが)。
*クリックすると変形します。
*トーラスとは浮き輪、ベーグル、ドーナツのことです。もしくはコーヒーカップ。
ですので、正六面体(立方体)を見ると、トポロジストは球に見えます。
「単連結な2次元閉多様体は2次元球面 S^2 に同相」です。立方体は球面なのです。
ジョークからスタートして、その解説までを紹介します。
(引用開始)
三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。
すると、幾何学者は「立方体です」と答え、グラフ理論学者は「一二にの辺で結ばれた八つの点です」と延べ、位相幾何学者(トポロジスト)は「球です」と答えた。
このジョークは、それぞれの分野に携わる数学者の世界観を端的に表している。三人とも物事の見たい側面だけが見えており、ほかのことは眼中にない。トポロジストには、興味の対象となる物体の角度も距離も、形状の細かな特徴も目に入らないーーーというか存在しないのである。
(引用終了)(ジョージ・G・スピロー「ポアンカレ予想」p.83)
この「存在しない」という感覚が重要かと思います。
ともかくどんなものもグニャグニャと変形させてしまいましょう。
トポロジーを少しでも理解しようと思うのであれば、トポロジストが見ている風景を共有することです。
*グニャグニャと(ダリ「記憶の固執」)
前置きはさておき、ざっくりと本題です。
まずはサーストンの幾何化予想、そしてハミルトンのリッチフロー、そしてそれらの伏線をすべて回収したペレルマンです。
サーストンの幾何化予想はシンプルです。
「コンパクト3次元多様体は、幾何構造を持つ8つの部分多様体に分解される」というもので、ざっくり言えば3次元の幾何学構造はたかだか8つに分類されるということです(ざっくりすぎます)。
3次元だとイメージしづらいので、2次元に落とします。
というか我々が直観的にイメージできるのは、スイカの表面のような3次元球体の表面である2次元多様体です。
ですので、まずは2次元多様体を分類しましょう。
と言ってもこれはお馴染みに風景でしょう。
2次元の幾何構造は3つに分類されます。
すなわち、ユークリッド幾何、球面(リーマン)幾何、そして双曲(ロバチェフスキー)幾何です。正確にはユークリッド平面、球面、双曲面です(すべて面で)。
*球面です。リーマン球面。
*双曲面
いわゆる非ユークリッド幾何学です。非ユークリッド幾何学とは、曲率の幾何学です。平面は平らなので曲率は0、球面は曲率が正で、双曲は曲率が負です。逆に言えば、これまでは曲率が0の幾何学だけだったのが、曲率が正のときと負のときも視野に入ったということです。2次元に限れば、これまで平らな下敷きしか視野に入っていなかったけれど、ボールのような球体や、鐙(あぶみ)のような双曲面も視野に入り始めました。
で、ポアンカレやケーべの一意化定理によれば、この3つの幾何学構造の組み合わせで二次元多様体はすべてつくることができます。
二次元におけるこの3つの組み合わせに対応するものを、3次元多様体で示したのがサーストンです。示したというか、わずか8つしかないと予想しました。
この8つの幾何学構造の組み合わせですべての3次元多様体が構成されるということです。
ジョージ・G・スピローの比喩を借りると、3次元多様体のレゴブロックの種類はたかだか8つしかないということです。
3次元多様体はこの8つの要素しかなく、それを組み合わせれば良いとなると、話はグッと楽になります。無限にあるレゴの組み合わせを考えることから、8つの部品の議論に還元されるからです。
ちなみに、トポロジーでは二つの多様体を貼り合わせるこおとを「手術」と言います(ペレルマンも第二論文でsurgeryと使っています)。手術、もしくは連結和をとる、と。
8つの構造の中身には深入りせず(興味あればこちらに分類はあります)、星の王子さまの羊の箱と同じように棚上げしましょう。
ともかく、サーストンは「コンパクト3次元多様体は、幾何構造を持つ8つの部分多様体に分解される」という予想を示しました。3次元多様体というレゴの部品は8つなのです。
なぜこの予想をしたのかと言えば、ポアンカレ予想との絡みで言えば、この予想が証明されればポアンカレ予想が示せるからです(もっと先に行けます)。
フェルマーの最終定理と谷山予想の関係のようなものです。谷山予想が証明されれば、フェルマーの最終定理も証明されます(ということをフライが示して、ワイルズが挑戦しました)。
そして実際にペレルマンはポアンカレ予想も、サーストンの幾何化予想も示すことができました。
一気に解説しようと目論むのですが、いつも息切れします。
次回はハミルトンのリッチフローです。
結論を先回りすれば、ハミルトンがリッチフローを発明し、あと少しでポアンカレ予想を証明するところまで迫りました。最後の最後にペレルマンがリッチフローを駆使してポアンカレ予想を証明したといことです。
さわりを少しだけ...。
リッチフローのポイントは熱力学にヒントを得た微分方程式ということです。
ちなみに、以前も書きましたがリッチは金持ちとか豊かさのrichではなく、Ricciです。すなわち人の名前です。なぜハミルトン・フローではなく、リッチフローと人の名前をつけたかと言えば(フォン・ノイマンがヒルベルト空間と名付けたように)、リッチ=クルバストロがテンソルという概念を発明したからです。ご承知のとおり、テンソルはアインシュタインが採用し、現代物理学では欠かせない概念です。テンソルとはベクトルや行列のお化けのように僕は理解しています。
質料や温度というスカラー量は文字一つで表せます。二次元空間での座標としてのベクトルは文字2つですし、行列はそれが2×2ならば4つの文字で表せます。というか行列から見ればベクトルは2×1行列であり、スカラーは1×1行列です。それを一般化したのがテンソルと言えます(言えるのか?)。すなわち、行列のお化けということです。
ちなみに、行列って何?と思った方は、行と列でできた数の固まりとでも思ってください。ちなみに、英語ではMATRIX(笑)
*a11などのところには任意の数字が入るとイメージしてください。
で、このテンソルのアイデアがリッチ・フローにつながるので、テンソルの発明者であるリッチさんにハミルトンは敬意を払ったのではないかと思います。
熱がどのように広がるかを微分方程式で示したのはフーリエですが、それと同じように多様体の中を熱が広がるイメージの微分方程式がリッチフローです。そのときに拡散する熱とは曲率です。
ただ熱がモノの中を広がっていくと考えるほうがイメージしやすいので、ここではあえて熱という比喩を多用します。
イメージとしては、温まった金属なりプラスチックなりがグニャリと曲がる感じです。火であぶっていると、近いところから熱くなり、近いところからグニャリと曲がります。そのとき、熱と共に物体の曲率(グニャリの割合)も拡散します。
ちなみに、リッチフローによるこの熱による曲率の変化はあらゆる出っ張り凹みを無くすようにデザインされています。
すなわち、曲率が正のときは収縮し、曲率が負のときは膨張するようにできています。そのため、正の曲率を持つ多様体はますまる丸まり収縮します。丸まれば丸まるほど、正の曲率が強くなるので、ますまる丸まり収縮します。そして最後は消えてしまいます。
ですから球体は正の曲率しか持たないので、どんどん丸まってどんどん収縮して最後は「パッ」と消えてしまいます。
で、すべての単連結な三次元多様体が、リッチフローで温めているうちにすべて最終的に消えてしまうのであれば、ポアンカレ予想が示されたということになるのです。すなわち、単連結な三次元多様体が三次元球面ということになるからです。
この話がうまくいけば、ハミルトンがポアンカレ予想の解決者になるはずだったのですが、そうは行かず我々はペレルマンの登場を待つことになりました。
【書籍紹介】
上記の議論の多くはジョージ・G・スピローのポアンカレ予想に負っています。
ただもちろん本稿の間違いに関しては「まといのば」の責任です。
ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者 (ハヤカワ文庫 NF 373 〈数.../早川書房
¥972
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【論文紹介】
ペレルマンの論文はこの三編です(いつもながらWikipediaを参照しました)
Perelman, Grisha (2002年11月11日). “The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications”. arXiv:math.DG/0211159 [math.DG].
Perelman, Grisha (2003年3月10日). “Ricci flow with surgery on three-manifolds”. arXiv:math.DG/0303109 [math.DG].
Perelman, Grisha (2003年7月17日). “Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds”.
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三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。
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