アダム・スミスの国富論から、古典経済学にとって重要なことをほとんど学べるのではないかと思います(というわけで、前回の続きです)
その議論の前に、まず我々が大前提としているのは、われわれが空前の豊かさを享受しているのは、分業による専門化と交換によるものという事実です。これはマット・リドレーの「繁栄」のテーマでもあります。
プリミティブに言えば、世界が100人の村だとして、100人が自分以外の99人のことを考えている社会のほうが、100人が100人とも自分のことだけを考えている世界よりも良いという話です。もちろん自分のことだけを考えたとしてもそれがきちんと徹底的に利己主義的になれば、自分の豊かさのためには、他人にサービスを提供して、社会に機能を果たすのが最も効果的な戦略であると気付きますので、利己主義は協調主義となります(「利己的な遺伝子」のドーキンスの結論も、利己的な遺伝子は協調主義を採用するというものでした)。
というか、アダム・スミスとダーウィンの嫡子がマット・リドレーの「繁栄」です。アイデアのセックスが繁栄をもたらしたというのがマット・リドレーの主張ですし(彼のTEDレクチャーのタイトルは「アイデアがセックスするとき」です。リンクはTED)。特に有性生殖がそのイメージに近いと言えます。自己の遺伝子を失っても(無性生殖のような完全コピー、完全なクローンをつくる機会を失っても)有性生殖で攪乱するほうが長期的には合理的ということです。
この主張を経済学の中で定式化したのが、経済学の父と称されるアダム・スミスです。
ざっくりと見て行きましょう!
「はじめての開業 7月編」のレジュメから、アダム・スミスの国富論の引用を紹介します!
まずは労働の生産力の改良は分業によるという主張です!
引用は基本的に岩波文庫からです。
小見出しはこちらでつけました。
ー労働生産の改良は分業によるー
労働の生産力の最大の改良と、それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟練、腕前、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる。(第1編 第1章「分業について」p.23岩波文庫版)
労働の生産力の改良は重要なテーマですが、それは分業によって果たされ、分業の結果、同じ人数であっても仕事量は増えます。それを一人で釘を作る場合と、分業して作る場合とに分けてアダム・スミスは議論します。
ーなぜ分業がこれほどまでに機能するのかー
分業の結果、同じ人数の人たちのなしうる仕事の量が、このように大いに増加するのは、三つのことなる事情による。第一に、すべての個々の職人の腕前の向上、第二に、ある種類のしごとから別の種類の仕事に移るさいに通常失われる時間の節約、そして最後に、労働を容易にし、省略し、一人で多人数の仕事ができるようにする、多数の機械の発明による。(p.29)
ここでポイントになるのは、専門化による習熟や他の仕事を覚えるためにロスする時間がないこともそうですが、むしろアダム・スミスが分業の中に機械化を含めているということではないかと思います。労働と機械化は二項対立などではありえなく、分業の延長として機械化を考えています。これは重要な視点です。この視点があれば、ラッダイト運動など起こりようもありません。近視眼的にならなければ、2045年のシンギュラリティーも福音と「まといのば」では考えます。映画「トランセンデンス」が描いた世界の結末は、まさに近視眼的なラッダイト運動による悪夢なのかもしれません。逆向きに言えば、われわれは未来に対してきわめて楽観的になれるということです。
*トランセンデンスが描く世界が、いまここにある未来であることを正しく知るにはレイ・カーツワイルの「ポストヒューマン誕生」や松田卓也教授の「2045年問題」が良いかと思います。
続けて行きましょう!
ー分業は取引、交換、交易という人間の性向の漸次的な結果であるー
これほど多くの利益を生みだすこの分業は、もともとは、それが生みだす全般的富裕を予見し意図する人間の叡智の結果ではない。それは、そのような広範な有用性を考慮していない人間本性のある性向、すなわち、ある物を他の物と取引し、交換し、交易する性向の、きわめて緩慢で漸次的ではあるが、必然的な結果なのである。(p.37)
ここは重要なポイントでしょう。これは有名な「神の見えざる手(invisible hand)」にも通じるのでしょうが、それぞれが利己的にふるまう、もしくは人間が好きな交換という性向が増幅していった結果として、分業が発達したということです。誰かが分業すると良いことがあるとデザインしたわけではないということです。
ちなみにアダム・スミスの「見えざる手」についても引用しておきましょう。きわめて面白いと思います。
(引用開始)
ところが、すべてのどの社会も、年々の収入は、その社会の勤労活動の年々の全生産物の交換価値とつねに正確に等しく、いやむしろ、この交換価値とまさに同一物なのである。それゆえ、各個人は、かれの資本を自国内の勤労活動の維持に用い、かつその勤労活動をば、生産物が最大の価値をもつような方向にもってゆこうと、できるだけ努力をするから、だれもが必然的に、社会の年々の年収をできるだけ大きくしようと骨を折ることになるわけなのである。
もちろん、かれはふつう、社会一般の利益を増進しようなどと意図しているわけではないし、また自分が社会の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。外国産業よりも国内の産業活動を維持するのは、ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして、生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは、自分自身の利得のためなのである。
だが、こうすることによって、かれは、他の多くの場合と同じく、この場合にも、見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進することになる。かれがこの目的をまったく意図していなかった場合にくらべて、かならずしも悪いことではない。自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである。
(引用中断)(アダム・スミス「国富論」第四編第二章 世界の名著31巻 p.388)
少し長めに引用していますが、ポイントは自分の利得のために行動することで、「見えざる手に導かれて、みずからは意図してもいなかった一目的を促進する」点にあります。意図してもいなかった目的とは社会の利益の増進です。
自分自身の利得のためにのみ、動くと社会の利益が増進するというパラドキシカルな状況を「見えざる手」の導きとして見事に定式化しています。
ここに続くアダム・スミスのセリフが痛快です。
(引用再開)
社会のためにと称して商売をしている徒輩が、社会のためにいい事をたくさんしたというような話は、いまだかつて聞いたことがない。
(引用終了)(同上 pp.388-389)
社会起業家というのは最近の言葉ですが、同じようなことはアダム・スミスのころにもあるのだな~と思います( ̄ー ̄)ニヤリ
余談ながら、たとえばUNFEAR TRADEと題された(邦題「フェアー・トレードのおかしな真実」英治出版)などが現代の「社会のためにと称して商売をしている徒輩」の実情をえぐり出してくれるかもしれません。
「見えざる手」はさておき「分業」へのフォーカスを続けます。
ー市場の大きさが問題になるー
分業を引き起こすのが交換する力であるように、分業の度合いもその力の程度によって、いいかえれば市場の大きさによって、つねに制限されざるをえない。市場がひじょうに小さければ、だれもただ一つの仕事に専念しようという気にはなれない。自分自身の労働の生産物のうち自分の消費しきれない剰余部分のすべてを、他の人びとの労働の生産物のうち自分の必要とするような部分と交換する力がないからである。(p.43)
ここで、マーケットの大きさが問題になります。また、「剰余部分」という概念が出てきます。
ー分業と社会と労働の俯瞰図ー
いったん分業が完全に確立してしまうと、人が自分自身の労働の生産物で充足できるのは、彼の欲求のうちのきわめてわずかな部分にすぎない。彼がその欲求の圧倒的大部分を充足するのは、彼自身の労働の生産物のうちで彼自身の消費を超える過剰部分を、他人の労働の生産物のうちで彼が必要とする部分と交換することによってである。こうしてだれもが交換することによって生活するのであり、いいかえれば、ある程度商人になるのであり、社会そのものが商業的社会と呼ぶのが当然なものとなるに至るのである。(p.51)
まさに「繁栄」が描く世界と同じです。
逆向きに言えば、我々は石器は一人で作れても、PCのマウスは一人ではつくれません。トースターすら自作するのは困難です(パーツを集めて、プラモデルのように組み合わせることを「自作」と主張する場合もありますが、ここではその意味ではもちろんなく)。
我々は貨幣という商品(マルクス)を通した高度な物々交換の社会に住んでおり、その意味で誰もが商人であり、大交換・大分業社会にいるということです。それを商業的社会とアダム・スミスは定義しています。
価値には二種類あり、その言葉の使用の混乱が問題を引き起こしているということをはじめて指摘したのは、マルクスではなくアダム・スミスです。この水とダイヤモンドの喩えは秀逸です。水は使用価値がマックスで、交換価値はゼロに等しく、ダイヤモンドは使用価値はゼロに等しく、交換価値はマックスです。二つの価値を鮮やかに描いています。
ー使用価値と交換価値ー
注意すべきは価値という言葉に二つのことなる意味があり、ときにはある特定の物の効用を表わし、ときにはその物の所有がもたらす他の品物を購買する力を表わすということである。一方は「使用価値」、他方は「交換価値」と呼んでいいだろう。最大の使用価値をもつ物が交換価値をほとんど、あるいはまったくもたないことがしばしばあり、逆に、最大の交換価値をもつものが使用価値をほとんど、あるいはまったくもたないことがしばしばある。水ほど有用なものはないが、水はほとんど何も購買しないだろうし、水と交換に手に入れられるものはほとんど何もない。逆に、ダイアモンドはほとんど何の使用価値ももたないが、しばしばそれと交換に他の物をきわめて多量に手に入れることができる(pp.60-61)
そして最後に労働価値説です。
労働に価値があるという考え方は、我々はまだ本質的に理解していない可能性があります。
たとえば原価計算や利益率などと言うと、そこに労働価値を含むことはほとんどなく物理的な原材料だけに注目しがちです。人件費という概念はもちろん労働価値説を含みますが、人件費が問題になるのは雇用とセットです。経費の1つとしての人件費に矮小化されないレベルで、労働価値説を理解する必要があります。
もちろん労働自体が牧歌的に尊いというだけではなく、労働とはそれ自体が関数であり、それは分業によって高度化する関数であるという視点が必須かと思います。その関数の機能(「ファンクションのファンクション」ですね)を向上させるには分業が効果的ということです。そしてそのことで労働生産性が上がるのです。
ー労働価値説ー
各人の貧富は人間生活の必需品、便益品、娯楽品を享受する能力がどの程度あるかによる。しかしいったん分業が徹底的に行われたのちは、人が自分の労働でまかないうるのは、これらのうちのごくわずかな部分にすぎない。その圧倒的大部分を彼は他の人びとの労働にまたねばならず、彼の貧富は彼は支配しうる労働、つまり彼が購買しうる労働の量に対応する。したがってある商品の価値は、その商品を所有し、かつそれを自分で使用するつもりも消費するつもりもなく、他の商品と交換しようと思っている人にとっては、それによって彼が購買または支配しうる労働の量に等しい。したがって労働がすべての商品の交換価値の真の尺度なのである。(第五章 商品の実質価格と名目価格について、すなわちその労働価格と貨幣価格について p.63)
もちろん「労働がすべての商品の交換価値の真の尺度」がポイントです。ただ、そのときにアダム・スミスが見ている世界というのはもっと大きなポイントでしょう。我々の社会は(アダム・スミスのときにはすでにそうであるように)「分業が徹底的に行われたのち」の社会です。「人が自分の労働でまかないうるのは、これらのうちのごくわずかな部分にすぎない。その圧倒的大部分を彼は他の人びとの労働にまたねばなら」ない社会ということです。互助の精神です。
すべて自分でやろうとすれば貧し、他人のために何を自分ができるかを考えるなら豊かになります。
「彼自身の労働の生産物のうちで彼自身の消費を超える過剰部分」を他の人の過剰部分と交換するのが分業社会です。しかし、そこにそれが等価交換であれば社会の富は増大しないと主張したのがマルクスです。マルクスは資本家が労働者に不払い労働を強いることで、資本を増大させていると考えました。いわゆる搾取です。
ー補足として、マルクス「剰余価値の自己増殖」ー
蓄積の第一条件は、資本家が自分の商品を売り、それで得た貨幣の大部分を、すでに資本に再転化している、ということである。(略)剰余価値を生産する資本家、つまり、不払労働を直接に労働者からくみ出して商品として定着させる資本家は、たしかにこの剰余価値の最初の取得者ではあるが、けっしてその最後の所有者ではない。(カール・マルクス「資本論」1巻第7編 中央公論社 世界の名著43巻「マルクス・エンゲルスⅠ」p.320)
資本家を「不払労働を直接に労働者からくみ出して商品として定着させる」とマルクスは定義します。きちんと支払っている労働と、不払い労働があり、その部分を価格に転嫁することで、利潤を得るということです。この不払い労働による価値を剰余価値とマルクスは定義しています。
ただ、この剰余価値を最初に手にするのは資本家であるが、最後の所有者ではないと釘を刺している点がいいですね。資本家もまた大きなシステムに搾取される存在ということでしょう。
マルクスは階級闘争ということが念頭にあり、不払い労働を剰余価値として定義し、そのことで資本は剰余価値を自己増殖させる装置として機能する(資本はウォーレン・バフェットのスノーボールのように転がりながら、すべてを飲み込んで巨大化するのです)。
じゃあ、資本はそもそもどこから始まるのかという質問に対して、マルクスは非常に面白い回答をしています。
というわけで、マルクスは次回に続きます!
【書籍紹介】
まずはおなじみの「繁栄」!
少なくともマット・リドレーのTEDレクチャーだけでも是非!
このアイデアは身体に入れておいたほうが良いと思います。
豊かな社会(我々の社会)は暇なのですぐに悲観論を弄びます。それは危険な火遊びかと思います。
繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)/早川書房
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「社会のためにと称して商売をしている徒輩が、社会のためにいい事をたくさんしたというような話は、いまだかつて聞いたことがない。」という痛烈なアダム・スミスの言葉は古今東西当てはまる事例は事欠かないのかもしれません。
橘玲さんの著作で知ったこちらの書籍はかなり面白いです!
フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た/英治出版
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おなじみ「利己的な遺伝子」です!
「協調的な遺伝子」というタイトルの予定が、それでは売れないからと炎上が確実なSelfishGeneにしたそうです。実際に広く人口に膾炙して、売れました。
利己的な遺伝子 <増補新装版>/紀伊國屋書店
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アダム・スミスは必読書でしょうが(実際に岩波で4冊並べましたが)、とは言え読破は大変なので、まずは「まんがで読破」しましょう!
国富論 (まんがで読破 97)/イースト・プレス
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国富論〈1〉 (岩波文庫)/岩波書店
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国富論〈2〉 (岩波文庫)/岩波書店
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国富論 (3) (岩波文庫)/岩波書店
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国富論〈4〉 (岩波文庫)/岩波書店
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同様に資本論も「まんがで読破」しましょう!
資本論 (まんがで読破)/イースト・プレス
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資本論は文庫だと何冊にもなるので、ここでも「世界の名著」シリーズが役立ちます。
世界の名著〈43〉マルクス・エンゲルス (1973年)/中央公論社
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世界の名著〈44〉マルクス・エンゲルス (1974年)/中央公論社
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アダム・スミスも同様です。
文庫だと4冊ですが、「世界の名著」なら一冊です(^^)
世界の名著〈第31〉アダム・スミス (1968年)国富論/中央公論社
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スノーボールは言わずと知れたウォーレン・バフェットの伝記です!
「人生は雪球(スノーボール)作りに似ている。大切なのは、大きい雪玉を作るに適した長い長い坂を見つけることさ」(ウォーレン・バフェット)
複利効果を活かすことを知るだけでは不十分で、長い長い坂を見つけることが大切だそうです(^^)
スノーボール(改訂新版)〔上〕 ウォーレン・バフェット伝 (日経ビジネス人文庫)/日本経済新聞出版社
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スノーボール(改訂新版)〔中〕 ウォーレン・バフェット伝 (日経ビジネス人文庫)/日本経済新聞出版社
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スノーボール(改訂新版)〔下〕 ウォーレン・バフェット伝 (日経ビジネス人文庫)/日本経済新聞出版社
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バフェットもたしか漫画がありました。
一読してから、自伝にトライしても良いと思います。
マンガ ウォーレン・バフェット―世界一おもしろい投資家の、世界一儲かる成功のルール (講談社+.../講談社
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最後にトランセンデンスがらみで2冊紹介します。
シンギュラリティー(特異点)に関しては、最近何度も話題にのぼりますし、そもそも来るべき未来の確実な青写真の1つです。マトリックスが機械に支配された世界を絶望として捉えていたのに対して、トランセンデンスは注意深く見れば分かりますが、その世界を希望として捉えています。人類はおそらく正しい判断を下すでしょう(というか、判断が委ねられているとすら思いませんが)。
ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき/日本放送出版協会
¥3,240
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上記と同じ本ですが、キンドル本ですので、少し安いです。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき/NHK出版
¥価格不明
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ただ、レイ・カーツワイルは博覧強記というだけあって素晴らしいのですが、なんとも既視感が激しい論考でした。懐かしい概念が次々と並び、そしてああそうですよね、という結論に向かって収斂します。
一言で言えば、フォン・ノイマンの「たえず加速度的な進歩をとげているテクノロジーは・・・・人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の鋭意は存続することができなくなるだろう」(p.21)
2045年問題 コンピュータが人類を超える日 (廣済堂新書)/廣済堂出版
¥864
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松田教授のこの著書はざっくりとした解説書としては面白いのですが、過去の進化を語りながら、ざっくりとSFの話ばかりで、とりあえず目を通してレイ・カーツワイルをパラパラ読めば良い気がします。それよりはある程度の知識を蓄えた上でマトリックスなりトランセンデンスなり、「2001年宇宙の旅」なり、「トータル・リコール」や「マイノリティ・リポート」、「攻殻機動隊」を真剣に観たほうがはるかにいいでしょう。
クラークの第三法則「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」を思い出します。SFではなくリアルだと知れば十分でしょう。
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したがって労働がすべての商品の交換価値の真の尺度なのである。〜2045年の特異点は分業の極みか〜
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