まずはその回答となる引用から。
その回答とは、我々はどのようにIQを上げ、どのように抽象度を上げることが可能かの回答ということです。
その謎を紐解いていきましょう。
(引用開始)
彼の精神の謎を解く糸口はその人並み外れた、絶え間のない集中的な内省力のうちに見ることができるとわたくしはおもう。デカルトのばあいと同様に、彼を完成された実験主義者とみなす主張もなされうる。(略)彼の特有な天稟は、まっすぐに見きわめてしまうまで、純粋に知的な問題を絶え間なく心の中に持ち続ける能力であった。
(引用終了)(pp.317-318 ケインズ 「人物評伝」岩波書店 以下も同じ)
これはケインズのニュートンに対する評です。
「人並み外れた、絶え間のない集中的な内省力」、「まっすぐに見きわめてしまうまで、純粋に知的な問題を絶え間なく心の中に持ち続ける能力」です。
シンプルに言えば、「考え続けろ」ということです。
シンプルにしすぎると抽象度が上がるというよりも(上がるのかもしれませんが)、精製し過ぎて毒になったショ糖を思い出しますね。
続けます。
(引用開始)
純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。(引用終了)
思考は継続しないものです。
瞑想を本気で実践している人は、瞑想に数秒すら入れないことに驚きます。
数分も瞑想できれば相当な瞑想力です。
「ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができる」
そう。
人は「しばらくは」可能です。
しかし、「それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつく」のです。
平たく言えば、考えているつもりで考えていないということです(平たく言うと意味が変わりますね。少なくとも薄っぺらくなる)。
それが凡人の業ということです。
しかし、しかしニュートンは違います。
「ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。」
「ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで」というのがとても良いですね。
秘密は打ち明けられるものであり、こじ開けるものではありません(開かないし)。
そしてこれはケインズだからこそではないかと思います。
ケインズだからこそ、ニュートンが理解できるのではないかと。
天才のみが天才を理解するのだと思います。
天才という言い方は安易で嫌なのですが...。
ただ、実際に高い抽象度の世界は高い抽象度の世界の人にしか分かりません。
フェルマーの最終定理の証明はそれを読める人にしかその偉大さは分かりません。
我々は残り香を楽しむ程度です。
かつてあるピアニストがバッハを真に理解できるのは、バッハを弾くことができる者だけだと言っているのを聞いて嫌な気分になりました。それでは永遠に理解できないではないか、と。
抽象度の高い世界はその抽象度の高い世界の住人にしか分かりません。
天才パスカルのこんな手紙があります。
同国人の法曹家に当てた手紙です。
先日の寺子屋シリーズで紹介しました(寺子屋で略した部分も載せています)。
(引用開始)
一六六〇年八月一〇日、火曜日
ムッシュー
あなたは世界で最も立派な人であり、間違いなく私は、あなたの才能を最も理解でき、あなた自身の抜きん出た力量のもとにその才能が一つに組み合わさったときは特にですが、あなたの才能を最も称賛できるものでもあります。このため、私がいかに読んだり書いたりするのにも困難な状態にあろうと、あなたが私のために手配してくださった申し出に感謝したい気持ちで一杯です。しかし、あなたが私にお示しくださったお優しさと、それを受ける光栄にもかかわらず、あなたの手紙に早急にお答えすることはできません。
ムッシュー、私がもし健康だったなら、トゥールーズに飛んで行き、私のような人間のために一歩でもあなたに歩かせることはないでしょう。また、あたなたに会いたいと私に思わせるのは、交わした手紙に表れている生き生きとした爽やかさと高潔さなのです。あなたが全ヨーロッパで最高の幾何学者であるにしてもそれは私をあなたにひきつけるものではありません。
(キース・デブリン「世界を変えた手紙」 pp.142-143)
(引用終了)
「間違いなく私は、あなたの才能を最も理解でき、(略)あなたの才能を最も称賛できるものでもあります」とパスカルに言われたらどんな心持ちなのだろうと思います。
「私のような人間のために一歩でもあなたに歩かせることはないでしょう。」とは、ローマの百卒長を思わせます。「ただ、お言葉を下さい」(マタイ8:8)とイエスに言った百卒長です(マタイ8章5節)
パスカルをして、「あなたが全ヨーロッパで最高の幾何学者であるにしても」と言わせしめたのは、だれあろうフェルマーです。
ニュートンも流率法をゼロから編み出したのではなく、フェルマー氏の接線の求め方に依拠していると書き残しています。微分・積分の祖とも言えます。そしてパスカルとの熱い文通の中で生まれたのが確率論です。
しかし、フェルマーの偉大さはもしかしたらパスカルくらいしか理解できない高みにあったのかもしれないとも思います(ちなみにデカルトはフェルマーを罵倒しているそうで)。
我々の人生も「余白が足りない」ので、そうであれば、無駄な論争に巻き込まれ「平穏」(デカルト)を乱されるくらいならば、自分が真に驚くべき定理を発見したら、証明は燃やしてしまったほうがいいのです。
閑話休題
フェルマーつながりで、フェルマーの最終定理(FLT)を解いたワイルズの言葉を引きます。
ここでもキーワードは「Think!」です。
(引用開始)
大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ではありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にもたたないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。
(p.323 サイモン・シン『フェルマーの最終定理』)(引用終了)
ここで、リラックスしたら潜在意識が働くというところに注目してしまうとアウトかなと思います。
ポイントはやはり、「長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。」というきわめて体育会系的なアドバイスのみです。
考え続けるということを、よりビジュアライズしたのが、このブログでも何度も引いている以下のワイルズの言葉です。
(引用開始)
最初の部屋に入ると、そこは暗いのです。真っ暗な闇です。
それでも家具にぶつかりながら手探りしているうちに、少しずつ家具の
配置がわかってきます。
そうして半年ほど経ったころ電灯のスイッチが見つかるのです。
電灯をつけると、突然に部屋のようすがわかる。
自分がそれまでどんな場所にいたかがはっきりとわかるのです。
そうなったら次の部屋に移って、また半年を闇の中で過ごします。
突破口は一瞬にして開けることもあれば、一日、二日かかることもありますが、いずれにせよ、
それは何カ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよったからこそ到達できるクライマックスなのです。 (引用終了)
「何カ月ものあいだ闇の中で躓きながらさまよ」うことこそが、考え続け、考え抜くということです。光も見えず、誰も助けの得られない真っ暗な闇の中で手探りで過ごす覚悟と、過ごすことが必要ということです。
IQを上げたり、抽象度を上げるというのは、そのようなことです。
そしていつもながらかっこいいアインシュタインはあっさりこう言い放ちます。
「私は天才ではない。ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけだ。
アインシュタイン」
もしくは、
The important thing is not to stop questioning; curiosity has its own reason for existing.
(Albert Einstein)
重要なのは問い続けること。not to stopというのが良いですね。
天才ということでアインシュタインの言葉として好きなのはこちら。引用元
Everybody is a genius. But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid.
(誰もが天才だ。
しかし、魚は自分の能力が木登りで評価されるとしたら、一生涯、自分が間抜けだと信じて過ごすだろう。)
ちなみにアインシュタインの肉声はこちら。
E = mc²についてのご本人からの総括ですが。。。
"It followed from the special theory of relativity that mass and energy are both but different manifestations of the same thing — a somewhat unfamiliar conception for the average mind. Furthermore, the equation E = mc², in which energy is put equal to mass, multiplied by the square of the velocity of light, showed that very small amounts of mass may be converted into a very large amount of energy and vice versa. The mass and energy were in fact equivalent, according to the formula mentioned before. This was demonstrated by Cockcroft and Walton in 1932, experimentally."
【書籍紹介】
ケインズによるニュートン評(と研究)はこちら。
人物評伝 (岩波現代叢書)/岩波書店
¥2,447
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フェルマーの最終定理に今回の寺子屋では切り込みましたが、お薦め書籍はこちらです。
まずは概要と歴史をざっくりと。上記の引用もこちらから。
フェルマーの最終定理 (新潮文庫)/新潮社
¥830
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ブルーバックスはすべて小学校、中学校で読んでおいたほうがいい(と小学生のころに担任から言われた覚えがあります)。
「デカルトはデカルト座標を書いていない、実は書いたのはフェルマー!!!」という衝撃の事実を知ったのはこちら。
フェルマーの大定理が解けた!―オイラーからワイルズの証明まで (ブルーバックス)/講談社
¥861
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以前も紹介していますが「数学ガール」のシリーズです。マンガもあります。
ミルカさん、良いです。「僕」は村上春樹の「僕」みたいです。
数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)/ソフトバンククリエイティブ
¥1,890
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パスカルからフェルマーへの手紙はこちらです。この2人の天才の親密な交流は感動的です。そして破局に終わること無く、死がふたりを分かつまで一緒です。このパスカルからのフェルマーへの返信が最後の交流となり、そして2人は一度も顔を合わせず終わります。この手紙の2年後にパスカルが死に、その3年後にフェルマーも死にます。
世界を変えた手紙――パスカル、フェルマーと〈確率〉の誕生/岩波書店
¥2,625
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僕は数学は全くの門外漢ですが、勝手な見解ですが、良いなと思ったのは、こちら。
全然読めていませんが。
ただこれよりは良いかと。
Andrew Wiles (May 1995). “Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem(モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理)”. Annals of Mathematics 141 (3): 443-551.
Richard Taylor and Andrew Wiles (May 1995). “Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras(ある種のヘッケ環の理論的性質)”. Annals of Mathematics 141 (3): 553-572.
フェルマー予想/岩波書店
¥5,040
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そして今後の数学関係のネタ本にできそうと思ったのがこちら。
かなりすっきりと見えてきます。これは秘密にしておきたい好著。
21世紀の新しい数学 ~絶対数学、リーマン予想、そしてこれからの数学~ (知の扉)/技術評論社
¥1,659
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どうやったらIQは上がりますか?「誰もが天才だ。 しかし、魚は...」
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